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られるのは、第1に、それが立法権と執行権を統合した制度であったこと(具体的には、ソヴィエトがその執行委員会を選出し、後者が前者に対して集団的に責任を負ったこと)、第2に、それが国家権力と自治体との区別を否定していたこと、第3に、国民代表的な考え方が否定され、選挙民と代議員との関係が命令委任的であったこと、第4に、代議員定数が西側でいう「議員」の定数と比較した場合、非常に大きかったこと、第5に、代議員の構成が住民の社会学的構成(性別、年齢、職業など)をなるべく比例的に反映しなければならないと考えられていたことの5つである。ここでの議論に関連するのは最初の2点であるので、これらについてだけ触れる。

まず、地方自治体における立法と執行の統合はカウンシル制一般の特徴であり、ソヴィエト制度に固有のものではない。その上、地方制度を国際的に分類すれば、多数派をなすのはカウンシル制であって「強い市長」制ではない。ところが、旧社会主義圏においては、旧体制を脱却する過程で「強い市長」型の地方制度を採用した国の方が多数派である。それがなぜかは独立した考察の対象であるが、ここで確認しておくべきことは、旧社会主義諸国が行なった選択は、地方制度の国際類型からは少数・例外に属するものであるということである。

次に、国家と自治体の区分の否定であるが、これもソヴィエトの理念に固有のものというよりも、大陸型地方制度の特徴を極端に推し進めたものと考えた方が適切である。もちろん、ソヴィエト運動がボーダン的な主権論、ウェーバー的な官僚制論に対する挑戦として展開されたことは事実である。たとえば、1924年、(後にソ連の国家元首となる)ミハイル・カリーニンは次のように述べた。「われわれの郷ソヴィエトおよびその他のソヴィエト機関は原則として自治機関と同一ではない。…われわれのソヴィエトのどのひとつをとっても、それは連邦ソヴィエト大会に完全に体現されている主権の断片なのである。厳密にいえば、村ソヴィエトでさえ、その領域内において国際的権利を含む連邦大会のすべての権利を持っている。それは、その領域がソヴィエト連邦によって境界づけられているという理由のみによって、公使を他の国々に派遣していないのである」(7)。この言葉だけをとれば、ソヴィエトは非常に特殊な制度であったような印象を受ける。しかし、ここで述べられていることは明らかに理想論、建前論である。いずれにせよ、ロシア革命によって、制限列挙型・アングロサクソン型のゼムストヴォから、包括授権型・大陸型のソヴィエトヘの大転換が行なわれたことになる。

1937年にスターリン憲法が採択されるまでは、ソヴィエト国家は間接選挙によって形成されていた。つまり、各級ソヴィエトが一級上のソヴィエトを選出した。これはたしかに、ソヴィエト運動の理念に忠実な、非常に特殊な国家編成の方法であるといえる。しかし、スターリン憲法はこの方法を廃し、各級ソヴィエトは住民の直接選挙により選ばれることとなった。これによりソヴィエト制の特殊性はますます小さくなったといえる。

 

 

 

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