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国家と地方自治体の区分を理論的に否定した結果、ソヴィエト国家においては上級と下級の関係が問題となる。つまり、「国家・対・自治体」という2項対立ではなく、「連邦構成共和国・対・州」、「州・対・市および『地区』」、「市および『地区』・対・町村」といった具体的な統治レベル間の関係が問題とされるのである。しかし、これもまた大陸型一般の特徴である。戦後日本の地方自治制度においても、基礎自治体たる市町村と広域自治体たる都道府県とは建前上は対等とされながら、実際には後者が前者に対して監督機能を果たしていることは周知の事実である。一般に、大陸型の地方制度においては、「国・対・自治体」という抽象的な2項対立は後退し、政府間関係を規制するルールは具体的な行政区画(統治レベル)を素材として考案される傾向がある。しかも、それは必ずしも悪いことではない。

ところで、ソヴィエト制は、この統治レベル間の関係を律するルールとして「二重の従属」と呼ばれるものを採用していた。つまり、あるレベルの執行機関は、当該レベルのソヴィエトと上級執行機関の両方に従属するとされていたのである(8)。この著しく反ウェーバー的・無政府主義的な原則は、初期のソヴィエト運動の理想が結晶したものであるが、後の時代においてはパーラメンタリー・システムとしてのソヴィエト制の建前と執行権力優位の集権体制という現実とを両立させる、かなり偽善的な役割を果たしていた。「二重の従属」原理の下では、上級ソヴィエトと下級ソヴィエトとの間の意見が食い違ったときにどうするかという問題が起こるが、このような問題が表面化しなかったのは、ソヴィエト機構を裏から集権的な共産党がおさえていたからである。皮肉なことに、政治体制の民主化が進展してこのおさえが効かなくなったとき(g)に、「すべての権力をソヴィエトへ」という初期ペレストロイカの民主主義的なスローガンは降ろされ、執行権力の一元制が公式に宣言されざるを得なかったのである。

このような転換点となったのが、1991年7月にロシア共和国において採用された地方自治法であった。この法律は「すべての権力をソヴィエトへ」というスローガンと公式に決別し、直接公選の「強い市長」をもって従来のソヴィエト執行委員会に置き換えることにした。つまり、カウンシル制の一種としてのソヴィエト制はここに葬り去られたのである。革命前のゼムストヴォもカウンシル型の地方制度であったから、「強い市長」制が採用されたのはロシアの地方自治史上初めてのことであった。実際には、八月クーデター未遂事件の直後、行政長官の任命制が導入され、それが1996年まで続いた。もちろん、行政長官がソヴィエトの統制を免れる点では、任命制は直接公選制よりも著しかった。命令一元・執行権力強化の方向は、十月事件後いっそう定着し、1995年地方自治法に基づく「自治体憲章」の採択に際しても、圧倒的多数の自治体が「強い市長」制を選択した(後述)。

国家・自治体間の関係については、事情はより複雑である。基本的には、国家機関(連邦と州・民族共和国)は、ソヴィエト時代にそうであったように、基層自治体を通じて国家機能を遂行しようとする志向を失っていないといえる。しかし、他方では、連邦は州の忠

 

 

 

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