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定の連邦機関を各所州に移転すること、連邦機関を新設するときは、新川に配置することが決定されている。これは、旧東ドイツ地域の復興を助ける措置であると同時に、旧西ドイツ地域への権力の偏りを阻止するための措置でもある。
 (3)については、1995年4月、連邦首都ベルリン(都市川)とこれを取り囲むブランデンブルクの両州は合併条約に調印した。これは、第二次大戦以前の状態に復帰しようとする試みであり、財界が中心となって強力に推進している。しかし、ブランデンブルグ州の州民投票で否決され、今のところ実現にはいたっていない。ともあれ、この条約草案(1994年6月)では、新しい州の開発について、地域整備政策や州計画は「分散的集中」の理念に基づいて行なわねばならない、と定められている。分散的集中とは、ベルリンヘの一極集中を避け、ベルリンから一定の距離をおいたところにある諸都市への機能集中をも推進しようとする政策理念である。そのために「多心型の開発」が行なわれる。
 これらの例にみられるように、ドイツでは常に連邦制をふまえた国土の均衡ある発展が図られている。こうした多極分散型の国土形成を支えているのが、連邦制であり、地方自治制度であるといえよう。

(2)ポンペの国際機関誘致の試み

 前述したボンベの国際機関誘致は、ドイツ語という言葉が英語に比べて国際性が低いこと、ボンの国際都市としての基盤整備が十分でないことなどの問題があるため、必ずしもうまくいっているわけではない。ここで、その動向をみておこう。

 ア ヨーロッパ通貨機関(EMI)の誘致をめぐって、ドイツのフランクフルト、ボンなどがイギリスのロンドンと競り合った。EMIは、ヨーロッパの通貨統合の完成とともに成立するヨーロッパ中央銀行(ECB)の前身として活動する。EC首脳会議の議長国、ポルトガルはボン誘致を推薦したが、ドイツ連邦政府はフランクフルトを押し、最終的にはフランクフルトに決定した(1993年)。

 イ 関税貿易一般協定(GATT)を引き継いだ世界貿易機関(WTO)の誘致をめぐって、ジュネーブ(スイス)とボンとの間で誘致合戦が行われた。連邦経済省は、WTO本部のためのビルの無料提供、職員の移転費用の負担、職員の家族のドイツにおける労働許可などの優遇策を提示して、ボンを支援した。しかし、ガット本部がジュネーブにあることや、WTOと関係のある国際機関がジュネ

 

 

 

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