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及ぶ広大な地域を支配して栄えていた。
 1532年にスペインがインカ帝国を発見し、征服して以来、約300年間に亘ってスペインの植民地となり、スペイン副王の統治下に置かれていた。
 しかし、同じスペイン民族でも、現地で生まれた者(クリオーリョ)と本国生まれの者とでは、社会的に大きな差別をつけられていたため、クリオーリョの不満が爆発し、独立運動にまで発展した。
 1821年に独立運動を宣言するに至り、1824年に義勇軍がスペイン王党派軍を倒し独立した。
 1866年にスペインは、この植民地の奪回を企てたが、ヘルーはボリビア、エクアドル、チリと共同戦線を張ってスペイン軍を撃退した。
 1879年にペルーは、ボリビアとの同盟条約に従って戦争に巻き込まれ、チリと戦ったが敗北し、タクナやアリカの硝石産出地帯を失った。
 その後、1980年に革命によって、軍事政権の次に自由化政策のブラウンデ政権を経て、1985年に国民過半数の支持による中道左派のガルシア大統領が就任した。
 ガルシア前政権(1985−90年)は、経済政策の失敗により、インフレ、景気後退、累積対外債務と国際金融社会との関係の悪化による経済危機をもたらした。また、テロ多発、麻薬密輸業者・ゲリラとの結託による社会不安と国際社会の憂慮が増大した。
 このような経済・社会不安を背景に、1990年7月の大統領選挙では、大衆の支持を基盤にフジモリ大統領が当選した(任期5年)。
 新憲法によって再選が可能となったフジモリ大統領は、次期大統領選挙に立候補し、1995年4月の大統領選挙では、第1期フジモリ政権の実績が高く評価され、フジモリ大統領が圧勝した。大統領就任式は、ペルー独立記念日の7月28日行われた。
 わが国と経済・貿易関係では、ペルーが鉱産物を中心とする1次産品の供給国であり、日本が産業資機材および消費財の供給国という補完関係にある。
 日本の対ペルー輸出は、ペルー政府の輸入政策やペルー経済の動向により、大きな影響を受けている。
 輸入が自由化された1980年には3億ドルに達したが、1982年の債務危機発生

 

 

 

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