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 農業については、平野部が少ない土地特性から農業生産量は少ないが、野菜、果樹、畜産など都市部で消費される商品作物が多種類にわたって生産されている。
 漁業に適した漁港を有し、伝統的に水産業は盛んであり、現在でも日本海地域有数の水揚げ高を誇っている。舞鶴漁港はその利用範囲が全国にわたり、京都府内で消費される大半の水産物が水揚げされる。
 工業の特性は、豊富な水資源を利用した臨海性工業(板ガラス、化学肥料、木材関連工業、造船業など)と平野部で営まれる内陸性工業(繊維業など)の二種類の特徴を有している。
 舞鶴市の商業は、商店数は減少傾向にあるものの、年間販売額では増加を続けている。これは核家族化の進行に伴う世帯数の増加、地元商店街をとりまとめる形での百貨店の進出、舞鶴市及び周辺市町村を含んだ新たな圏域の編成等が考えられる。

3)交通
 道路網は、国道27号が京都・敦賀方面、175号が福知山方面、178号が宮津方面へ結んでいる。高規格道路として近畿自動車道敦賀線(舞鶴自動車道)が舞鶴西と阪神地区を結び、将来敦賀まで延伸の予定である。また、京都縦貫自動草道の整備も計画されている。
 鉄道はJR舞鶴線、小浜線、北近畿丹後鉄道(KTR)宮津線が走り、JR舞鶴線は京都方面、JR小浜線は福井方面、KTR宮津線は兵庫方面と結んでいる。
 舞鶴市から直線距離にして京都へは約60km、大阪、神戸へは約90kmあり、時間距離では、自動車によると大阪、京都まで各2時間、鉄道では大阪まで2時間40分の時間を要している。しかし、近畿目動車道敦賀線や国道9号バイパスの延伸、また宮津〜福知山間の電化、舞鶴線東舞鶴〜綾部間の増発等により、京阪神への時間距離が縮小されつつある。

(3)歴史的条件

 舞鶴市は、古くは和銅6年(713)丹後国が設置されたのが始まりで、その国府は加佐郡に置かれた。それ以前の縄文・弥生時代の生活跡も、由良川下流はじめ、高野、伊佐津川沿いから発掘された遺跡や住居跡によって確認されている。
 西地区市街地は、天正年間(1580年代)細川氏が丹後国を領有して田辺城を築城した際に町割りが行われた。田辺城の天守台跡や竹屋町をはじめとする商家や掘割、また高野川尻の倉庫群に城下町当時の面影が残っている。
 明治34年(1901)、海軍鎮守府の開庁により、余部地区には海軍工廠や海軍の中枢施設が置かれ、現在の東地区の市街地が形成された。
 太平洋戦争では舞鶴も空襲を受けたが、被害は海軍施設だけで、市街地は戦災から免れたため、戦前からの家並みが残っている。昭和20年9月舞鶴港は引揚港に指定され、主に中国、シベリアからの引揚者を受け入れた。
 戦後は旧軍施設の公共、民間施設への転用により市民生活の向上と産業振興が図られた。昭和26.年、舞鶴港の童要港湾指定以来、港湾整備とあいまって北海道との高速大型フェリーの就航や日ソ定期配船、韓国、釜山港との定期航路開設など、近畿国分の港湾流通の拠点として機能を拡充するとともに、臨海部には工場の立地を図り、中核都市としての地位を確立した。

 

 

 

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