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(6)東南アジアにおける視覚障害者の社会参画の推進
 従来、いくつかの先進諸国を除いて、視覚障害者が学校教育を受けるのは困難であり、東南アジア諸国を含む開発途上国において就学・就労している視覚障害者は極めて少ないのが実情であった。
 米国のフィラデルフィアにあるオーバーブルック盲学校は、視覚障害を持つ生徒が成人した際、自立心を持ち、社会に積極的に参加できるような教育・訓練を行う非営利の教育機関である。設立以来1世紀半にわたり視覚障害者教育分野における先駆的役割を果たしている同校は、積極的に海外からの留学生を受け入れ、同時に海外への視覚障害者教育技術の普及に力を入れてきた。日本財団は同校に100万ドルの基金を設置し、1989年から1999年までの間、開発途上国の25名の視覚障害者に、オーバーブルック盲学校で学ぶ機会を提供してきた。これらの卒業生の多くは帰国後、母国において盲人教育の指導者になっている。
 また、近年の世界的な技術革新および情報化により、先進諸国においてはコンピューターやインターネットを利用し、視覚障害を持つ人も健常者と同様の情報にアクセスすることが可能になった。つまり、コンピューターの利用および点字翻訳ソフト、音声ガイドソフトの開発等により、就学・就労する機会が拡大し、より能動的に社会で活躍する道が開けたのである。
 しかしながら、東南アジア諸国等、経済的に困難な状況にある国では障害者に対する支援が十分ではなく、視覚障害者のほとんどがコンピューターとは無縁の生活を送らざるを得ないのが現状である。
 そのため、本財団は1998年に再度オーバーブルック盲学校と協力し、東南アジアの7カ国(※1)において視覚障害者のための情報技術の普及を図ることをも含むリーダー養成プログラムに300万ドルの基金を設置した。
 本プログラムでは、開発途上国の視覚障害者が積極的に社会に参画するための能力を育てるため、リーダーを養成し、視覚障害者団体の形成や活動を支援すると同時に、コンピューターや点字印刷機を整備し、コンピューター・トレーニングを実施している。
※1 7カ国:タイ、フィリピン、カンボジア、ベトナム、インドネシア、ラオス、ミャンマー
 
インターネットの使い方を学ぶ視覚障害を持つ研修生(フィリピン)
(7)日米非営利団体間の研修プログラム
 近年、世界各国で非営利団体(NPO)の成長が著しく、社会の重要な構成要素として認識されつつある。日本でも、非営利セクターは着実に育ちつつあり、さまざまな分野で社会に貢献しているが、財政基盤・人材確保・運営能力などで問題を抱える団体も少なくない。
 こうした背景のもと、1998年より日本の非営利セクターの人材育成と、米国の非営利団体との連携の強化を目的として、日本から「NPO先進国」である米国へのインターン派遣プログラムの支援を開始した。
 視察や数時間の訪問ではなく、「インターンシップ(現場研修)」という形態でプログラムがつくられたのは、共に日々の活動に参加することから本当の相互理解や活動の連携が生まれる、という考えによる。1人1団体を基本としたNPOでの実地研修で、参加者は派遣先で与えられた課題をこなしながら、団体のマネジメントや存在目的、活動領域について体験学習をする。
 しかし、このプログラムは日本が米国から学ぶという一方的なものではない。米国のNPOも財源確保や会員拡大など日本のNPOと共通する問題や、過度の専門化、外国の諸事情に対する無関心など米国特有の問題まで、さまざまな課題を抱えている。米国人インターンの日本への派遣は、日本の地域における社会問題や市民の取り組みを紹介し、草の根レベルでの日米協力関係の礎を築くことを目的としている。
 本事業は、参加者のニーズに応じた質の高いインターン派遣を継続して行ってきており、日本人インターン修了生206人の中からは、日本のNPO界で頭角を現す人材や、企業・大学に属しながらもNPO活動に携わる人材が出てきている。
 社会的な認知も広まった今、日本のNPOがさらなる影響力を持ち、本当の意味で社会に根付いていくためには、国内・国際社会に対して今まで以上に情報を発信し、個性を生かして積極的に活動することが期待される。
 
インターンシッププログラム覚書締結時のイベントにて
 
日本人インターン派遣前のトレーニングで、日米のNPO比較のワークショップに取り組む
(8)海外への日本文化の紹介
 日本財団は、本物の日本文化を海外へ紹介するために、さまざまな展示会の開催を支援してきた。
 1999年4月から2000年1月までの約8カ月間にわたり米国ワシントンDCにあるスミソニアン国立自然史博物館で開催された「アイヌ特別展」に協力した。
 この特別展は、過去から現在に至るまでのアイヌ民族に関する展示品をそろえ、さまざまな角度から包括的にアイヌ民族を紹介した展覧会としては唯一のものであった。日本国内はもちろんのこと、さまざまな国・地域に散逸し収蔵されている展示品を一堂に集め、現代アートと併せて洗練されたスタイルで展示された展示物は見る者を引き付けた。
 ややもすれば「単一民族国家」と考えられがちな我が国であるが、「アイヌ特別展」の開催は、日本が複数の民族が共存する国であることを世界に知らせるよい機会となった。米国のみならず世界各国からの来館者は約500万人を記録し、米国を訪問した故小渕恵三首相(当時)も観覧し、好評を博した。
 また、1995年11月から翌1996年4月まで、同博物館において開催された「一竹辻が花展」では、室町時代に流行した染色手法「辻が花」をもとに久保田一竹氏が完成させた「一竹辻が花」を45点展示し、同時に国内外で高い評価を受けている若手の能楽師・梅若猶彦氏が、一竹辻が花を身に付けて能楽公演を行った。
 その他、1997年7月から9月の間、英国王立芸術学院がその年の主要展覧会として開催した歌川廣重展や、1998年3月から5月の間、ロサンゼルス郡立美術館において開催されたポップアートの世界的先駆者である草間弥生氏の展覧会を通し、日本の文化的多様性を世界に向けて発信した。
 
日本文化を海外に紹介する冊子
 
日本の伝統的絵模様染めの技術を復活した「一竹辻が花展」
(9)新たなる千年紀を迎えて「フォーラム2000会議」
 20世紀が終りを告げる西暦2000年は、1つの千年紀が終りを告げる年とも重なった。この1,000年の間に人類は知識を集積し、数々の文化を創出してきた反面、異文化間の対立も激化させてきた。そして現在、人類は共通の価値観を持つことができるのか? 人類はどこへ向かうのか? 新しい千年紀を迎えるにあたり、世界を代表する知識人を一堂に集め、これらの問題を検証する壮大な会議「フォーラム2000」は1997年、チェコの大統領バツラフ・ハベル氏の提唱によって始まった。
 全5回の会議には、ビル・クリントン前米国大統領、ネルソン・マンデラ前南ア大統領、ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官、ダライ・ラマ師、シモン・ペレスイスラエル外相、ヨルダンのハッサン皇太子、東チモールのノーベル平和賞受賞者ラモス・ホルタ氏、デクラーク元南ア大統領など、さまざまな分野の世界的指導者が参加し、参加者数は延べ200人を超えた。
 2001年の最終会議で「プラハ宣言」を採択して終了するまでに、日本財団は計280万ドルを支援した。
 会議のテーマ(※1)は、冷戦構造崩壊の一要因といわれるグローバリゼーションという現象の中で人類がどのように生きるべきかということであり、急速なグローバル化に文化的な戸惑いを感じた人々が参集し、立ち止まって共に考えた会議となった。
※1  会議のテーマ:
  第1回 「新たなる千年を迎えての希望と懸念」
  第2回 「グローバリゼーション:経験・手段・手法」
  第3回 「グローバリゼーション:世界統合プロセスの選択肢、人類はどこへ行くのか、行くべきか?」
  第4回 「グローバリゼーション時代における教育、文化、精神的価値」
  第5回 「人権−全人類が負う責任」
 
世界の知識人が集まり人類の行く末を議論する「フォーラム2000」
 
「フォーラム2000」開会セレモニー(チェコ・プラハ城)
(10)開発途上国における小学校建設プログラム
 1990年代のペルーでは、発展の基礎として教育の向上を重点政策に掲げ、児童の就学環境の改善を目指して積極的な取り組みがなされていた。これまで貧しい人々に対する教育環境の現状が顧みられることがなかったことに加え、特に都市部では、貧しい農村地域から流入する人々が急激に増えていることから教育施設が大幅に不足しており、1990年代初頭には全国で600校の教育施設が早急に整備される必要があるとされていた。このため、政府の努力だけでは十分に対応できず、広く国外からの支援が求められていた。
 このような状況に対し、日本財団では1993年度から1997年度にかけて4回にわたって合計50校の学校を建設するための資金提供を行った。本財団としては小学校の建設を推進することによって、ペルーにおける基礎教育の向上と地域コミュニティーの基盤を強化するとともに、日本・ペルー両国の友好協力関係の構築に貢献することを目的として本プログラムを支援したものである。
 これらの学校は、リマ市周辺の低所得層が多く居住する地域や、ペルー南部のクスコ、アレキパ等の地方都市を中心に整備された。学校の規模は、学生数が100人程度の小規模なものから、約2,000人規模のものまである。
 1990年代後半からは、同様の事業がアジア地域においても展開されることになった。内戦の影響が残るカンボジアにおいて、100校の小学校を整備することを目標に現在事業が進んでいるほか、近隣諸国での建築も検討されている。
 ペルーで開始され、アジアでも実施するに至った小学校建設プログラムは、本財団の開発途上国における教育インフラの整備事業として重要な位置を占めている。
 
アンカシュに建設された学校(ペルー)
 
プーノに建設された学校(ペルー)



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