(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成17年4月4日13時30分
相模灘
(北緯34度51.6分 東経139度17.0分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
ケミカルタンカーつばさ |
総トン数 |
198トン |
全長 |
49.50メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
(2)設備及び性能等
ア つばさの来歴
つばさは,平成2年6月にB社で進水した船尾船橋型の液体化学薬品ばら積船で,同12年12月C社が買船により取得し,航行区域を限定沿海区域として登録され,同15年7月には定期検査を受検して合格し,引き続き,主として瀬戸内海諸港間において,苛性ソーダ,水酸化マグネシウム及び塩化カルシウムなどの液体化学薬品の輸送に従事していた。
イ 上甲板下の構造及び設備
上甲板下は,船首から順に,船首水槽,錨鎖庫,左右舷の1番上部バラストタンク,1,2番の各洗浄水タンク,中心隔壁によって左右舷に分かれた1番から3番までの貨物タンク,ボイドスペース,左右舷の1番燃料油タンク,次いで機関室と同室前部左右舷の2番燃料油タンク及び船尾水槽となっており,船首楼後端から3番貨物タンク後端にかけての左右舷には1番から7番までのサイドボイドスペースがそれぞれ配置されていた。
また,船首水槽後端から機関室前端にかけての下部が二重底構造で,船首から順に,中心隔壁によって左右舷に分かれた1番,2番の各バラストタンク,同隔壁が設けられていない3番から6番までの各バラストタンク及びボイドスペースを挟んで清水タンクへと続いていた。
ウ 上甲板上の構造及び設備
上甲板上には,船首に高さ約2メートル長さ約6メートルの船首楼を,船尾に高さ約2メートル長さ約12.5メートルの船尾楼を有し,船首楼内は,船首側が甲板長倉庫,船尾側が甲板倉庫で,船尾楼甲板下は,機関室区画と操舵機室となっており,同区画の上に船員室及び船橋が配置され,船尾楼の前方に隣接してポンプ室が設けられていた。
2番貨物タンク前端から3番貨物タンク後端までの長さ約16メートルの上甲板は,船体中心線を挟んで幅約3メートル高さ26センチメートル(以下「センチ」という。)の膨張トランクとなっていた。また,1番貨物タンク前端から3番貨物タンク後端までの上甲板及び膨張トランク上には,船体中心線を挟み,幅2.5ないし3メートル長さ約22メートルの範囲に,貨物タンクの補強のため,高さ約30センチの甲板横桁が約2.2メートルの間隔で配置され,さらに,長さ方向には高さ約30センチ又は約10センチの甲板縦通材が45ないし50センチ間隔で設けられ格子状に細分されているほか,各隅部に排水のための半径約2センチ(4分の1円)の孔が開けられていた。
エ ブルワーク及び上甲板上の排水設備
上甲板の左右舷側は,船首楼後端から後方に長さ約15.5メートル,また,船尾楼前端から前方に長さ約3メートルにわたり,それぞれ高さ1メートルの前部及び後部ブルワークとなっており,両ブルワーク間の約11.5メートルの範囲にはハンドレールが設けられていた。
また,ブルワーク基部には,長径90センチ短径30センチの楕円状の放水口が,前部ブルワークに片舷につき3箇所,後部ブルワークに片舷につき1箇所設けられ,船尾楼前の上甲板の左右舷端部に,直径12.5センチの排水口が片舷につき1個設けられていた。
オ 上甲板上の開口部
錨鎖庫は,その容積が約4立方メートルであり,甲板倉庫内の床に設けられた高さ45センチのコーミングを有する,長さ幅とも50センチのハッチを経由して出入りでき,また,船首楼甲板には甲板長倉庫に出入りするための,コーミングの高さ50センチの同じ大きさのハッチがあり,それぞれ2個と5個の蝶ナットで締め付ける方式のハッチ蓋で閉鎖できるようになっていた。
船首楼後壁には,甲板倉庫の出入口として,コーミングの高さ39センチ,高さ1.2メートル幅60センチの鋼製風雨密開き扉が左右舷に各1個,更に船尾楼居住区の両舷側及びポンプ室にも,コーミングの高さ39センチ,同じ大きさの同開き扉がそれぞれ設けられていた。
各貨物タンクは,高さ60センチのコーミングを有する,直径60センチのカーゴハッチと直径30センチのエアハッチを1個ずつ備え,それぞれセンターハンドルを備えたハッチ蓋及び蝶ナット付きのハッチ蓋で閉鎖できるようになっており,その前方の1番,2番の各洗浄水タンクにも各1個の同じカーゴハッチが設けられていた。
カ 各タンク及びボイドスペースの空気抜き管等
各貨物タンクのガス抜き管は,呼び径80Aで,船体中央部付近で集合されて上甲板に立ち上がっていた。
各バラストタンクの空気抜き管は,1番バラストタンクが呼び径80A,その他が125Aで,またボイドスペースの同管は呼び径50A又は100Aであり,その管頭がブルワーク近くの,上甲板上約1メートルのところに設けられていた。
同管頭は,いずれもグースネック状の自動閉鎖型で,開口部に金網が取り付けられているほか,海水の流入を遮断するためのプラスチック製円盤状のフロートがフロートガイド沿いに上下する構造となっていた。
キ 積荷及び各タンクのコンディション
積荷は,比重1.3の液体塩化カルシウムで,つばさはこれまで同貨物を各貨物タンクに満載し,山口県宇部港又は香川県坂出港と京浜港川崎区との間を,2箇月に1ないし2航海の頻度で運航していた。
宇部港出港時のタンクコンディションは,表1のとおりである。
表1 タンクコンディション
各タンク |
容積(立方メートル) |
積載状況 |
船首水槽 |
7.72 |
7.72トン(清水) |
1番洗浄水タンク |
8.030 |
5トン(清水) |
2番洗浄水タンク |
19.83 |
空倉(スロップタンク) |
1番貨物タンク |
左 |
36.352 |
36.352(立方メートル) |
右 |
36.390 |
36.390(立方メートル) |
2番貨物タンク |
左 |
75.595 |
75.595(立方メートル) |
右 |
74.939 |
74.939(立方メートル) |
3番貨物タンク |
左 |
50.144 |
50.144(立方メートル) |
右 |
49.975 |
49.975(立方メートル) |
積荷合計 |
|
|
323.395(立方メートル) |
1番バラストタンク(二重底) |
左 |
5.43 |
5トン(清水) |
右 |
5.43 |
5トン(清水) |
1番バラストタンク(上部) |
左 |
8.71 |
2.5トン(清水) |
右 |
8.71 |
2.5トン(清水) |
2番バラストタンク |
左 |
6.13 |
空倉 |
右 |
6.13 |
空倉 |
3番バラストタンク |
|
35.64 |
空倉 |
4番バラストタンク |
|
58.13 |
空倉 |
5番バラストタンク |
|
27.08 |
空倉 |
6番バラストタンク |
|
15.04 |
空倉 |
1番燃料油タンク |
左 |
11.07 |
6キロリットル(A重油) |
右 |
11.07 |
6キロリットル(A重油) |
2番燃料油タンク |
左 |
4.31 |
2.5キロリットル(A重油) |
右 |
4.31 |
2.5キロリットル(A重油) |
船尾水槽 |
|
9.17 |
9.17トン(清水) |
ク 発港時のコンディション
傾斜試験成績書・復原性報告書写によると,液体塩化カルシウムとほぼ同じ比重のポリ硫酸第二鉄(比重1.3)の満載出港状態での標準コンディションは表2のとおり示されていた。また,本件時における,つばさの出港時のコンディションは,表3のとおりであった。
項目 |
重量
(メトリックトン) |
KG(重心の垂直位置)
(メートル) |
コンスタント
食料その他 |
3.40 |
4.09 |
燃料油 |
27.05 |
1.72 |
清水 |
9.17 |
2.95 |
バラスト(海水) |
19.04 |
1.07 |
積荷 |
399.18 |
2.13 |
軽貨重量 |
273.90 |
2.69 |
合計 |
731.74 |
|
船首喫水 |
2.05メートル |
船尾喫水 |
3.65メートル |
平均喫水 |
2.85メートル |
排水量 |
731.74トン |
TKM(横メタセンターからの垂直位置) |
3.26メートル |
KG(キール面から重心までの距離) |
2.32メートル |
GM(重心からのメタセンターの高さ) |
0.94メートル |
GoM(見掛けの重心からのメタセンターの高さ) |
0.77メートル |
項目 |
重量
(メトリックトン) |
KG(重心の垂直位置)
(メートル) |
コンスタント
食料その他 |
3.40 |
4.09 |
燃料油 |
15.30 |
1.69 |
清水 |
36.89 |
1.84 |
積荷 |
420.41 |
2.20 |
軽貨重量 |
273.90 |
2.69 |
合計 |
749.90 |
|
船首喫水 |
2.50メートル |
船尾喫水 |
3.50メートル |
平均喫水 |
3.00メートル |
排水量 |
771.39トン |
トリム修正 |
21.49トン |
実排水量 |
749.90トン |
TKM(横メタセンターからの垂直位置) |
3.31メートル |
KG(キール面から重心までの距離) |
2.36メートル |
GM(重心からのメタセンターの高さ) |
0.95メートル |
重心の見掛け上の上昇 |
0.17メートル |
GoM(見掛けの重心からのメタセンターの高さ) |
0.78メートル |
ケ 航海速力
つばさは,単暗車,1枚舵を有し,通常の航海速力が主機回転数毎分300の約10ノットであった。
3 気象及び海象
本件発生地点は,相模湾湾口の,伊豆諸島北部付近にあたり,平成17年4月4日03時現在,サハリン東方及び関東東方に東進中の996及び992ヘクトパスカルの各低気圧があって,気圧の谷が通過した後,伊豆諸島北部地方では,前日17時50分に発表された雷・強風・波浪注意報が,4日09時03分には強風波浪注意報に切り替えられて継続発表され,北東寄りの風が強吹し,波浪の高い状況が続いていた。
4 事実の経過
つばさは,平成17年4月2日午前,宇部港において,陸上の荷役施設にホースを接続し,液体塩化カルシウム420.41トン(323.395立方メートル)を1番から3番までの各貨物タンクに約3時間かけて満載した。
ところで,同船は,液体塩化カルシウムを満載しての船体中央部の乾舷が約30センチで,航海中,波浪が上甲板に打ち込みやすいうえ,同甲板には前示の甲板横桁及び甲板縦通材が格子状に設けられ,各隅部に排水のための半径約2センチ(4分の1円)の孔が開けられていたものの,海水が上甲板に一旦打ち上がると船外に排出されにくく,滞留しやすい状況にあった。
また,つばさの船首楼甲板にある直径20センチの円形錨鎖管の開口は,いつも発航時にビニール製シートカバーで覆っていたものの,十分な防水性が得られず,荒天に遭遇して高波を受けると,海水が錨鎖管を経て錨鎖庫に流入することがあった。さらに,バラストタンクやボイドスペースの各空気抜き管管頭は,つばさ購入後,乗組員により一度も点検や整備が行われたことがなかった。
つばさは,錨鎖管の開口に鋼板製の閉鎖装置を施してその閉鎖を十分に行うことなく,ビニール製シートカバーをかぶせ,紐をかけただけで,また,バラストタンクやボイドスペースの各空気抜き管管頭の点検も行われないまま,上甲板上のハッチ及び扉を閉鎖し,船長D,A受審人ほか2人が乗り組み,船首2.50メートル船尾3.50メートルの喫水及び前示乾舷をもって,同日11時30分宇部港を発し,京浜港川崎区に向かった。
D船長は,五級海技士(航海)の海技免状を受有しており,貨物船やケミカルタンカーで船長職を長年執った後,本件発生の10日前からつばさに船長として乗り組んでいた。
D船長は,船橋当直を00時から04時までと12時から16時までを機関長,04時から08時までと16時から20時までを自ら,08時から12時までと20時から24時までをA受審人に割り振りした単独4時間交替制とし,各交替時刻の約30分前には昇橋して当直を引き継ぎながら,瀬戸内海及び鳴門海峡を経て本州南岸沿いに東行した。
翌々4日07時10分ごろA受審人は,石廊埼南東方1海里付近で昇橋し,これまで同埼東方の後藤根とサク根の間の水路を航行したことがなかったことから,引き続き在橋していたD船長の操船指揮のもと,操舵に当たって同水路の通航を終え,07時55分ごろ同船長が降橋した後は単独で船橋当直に就いた。
つばさは,伊豆諸島北部に強風波浪注意報が発表されている状況下,伊豆半島南東端を左舷に見て通過して相模灘に入ったところ,それまで陸地に遮られていた北東寄りの風と同方向からの波浪を船首方から受けるようになり,ピッチング,ローリング共に大きくなって,波しぶきが上甲板に頻繁に打ち込む状況で北上した。
09時30分A受審人は,稲取岬灯台から156度(真方位,以下同じ。)4.0海里の地点に達したとき,ピッチングが激しくなり,上甲板に波浪が打ち上がるようになったことから,主機関の回転数を毎分300から270に落とし,針路を048度に定め,5.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で,大島北方沖合に向け自動操舵によって進行した。
その後,A受審人は,北東寄りの風が更に強まり,波が一段と高まって上甲板への波浪の打込み量が増加し,格子状の甲板横桁及び甲板縦通材の間に海水が滞留するようになったのを認め,10時00分にはD船長が再び昇橋して主機関の操作につき,自らは手動操舵に切り換え,048度の針路を保つようにして続航した。
10時06分A受審人は,稲取岬灯台から113度4.3海里の地点に達したとき,上甲板に打ち込んだ海水が排水されないうちに次の波が打ち込むようになったうえ,青波が船首楼を越えるようになり,左舷船首方からの風と波及び海水の滞留により船体が少し右舷側に傾斜し始めたことから,ようやくD船長と続航の是非を相談したものの,何とか航行できるものと思い,同船長に対して下田港などに一旦避難するよう強く進言しなかった。
そして,つばさは,時折,主機関の回転数を落としては排水を待ち,再び回転数を上げることを繰り返しながら,約4.1ノットの速力で進行するうち,北東寄りの風が毎秒10メートル以上に強まるとともに,波高も約3メートルに高まって船首楼甲板への波浪の打込み頻度も増え,防水の不十分な錨鎖管の開口を通して海水が錨鎖庫に流れ込むようになった。
11時20分ごろA受審人は,機関長が当直交替のために昇橋したものの,引き続き自らが波の打ち込みに合わせて操舵し,また,D船長が波の打ち込むタイミングを見計らいながら主機関の操作を行って互いに協力し合っていたところ,風波に海潮流の影響が加わった波高約4メートルの三角状の波を受け,青波が連続して船首楼甲板にも打ち上がる状況となり,やがて錨鎖庫に海水が充満し,蝶ナットがかけられていなかったハッチから甲板倉庫に溢れ出るようになった。
その後,つばさは,船首喫水が増加するとともに上甲板上の海水の滞留量が一段と増え,海水がブルワーク上端付近まで達し,更に右舷側への傾斜も大きくなり,点検不十分な空気抜き管管頭内のフロートが作動不良となって,自動閉鎖機能を喪失していた空気抜き管を通して海水が前部右舷側のバラストタンクやボイドスペースに流入し始めた。
やがて,A受審人は,右舷側ブルワーク上縁が滞留した海水に没するようになったので不安を覚え,バラストを調整することで船体を水平に戻そうと考え,機関長にポンプ室に行ってバラストの調整を行うように告げた。直ちに,機関長が,船尾楼甲板に出て,ポンプ室近くまでたどり着いたものの,既に上甲板が海水で一杯となっているのを認めて危険を感じ,断念して急ぎ船橋に引き返した。
12時過ぎ,A受審人は,切迫した事態に,休息中の甲板員を急いで船橋に呼び寄せた。
D船長は,全乗組員が船橋に集合したのを確認して様子を見ているうち,右舷側への傾斜が収まる気配がなく,上甲板より一段高い船尾楼甲板まで海水が達するようになったことから,総員退船することを決意し,このことを乗組員に告げた。
12時40分A受審人は,伊豆大島灯台から310度5.6海里の地点に至ったとき,大波が数度にわたって打ち込むとともに船体が右舷側に大傾斜したので転覆の危険を感じ,主機関のクラッチを中立とし,次いで携帯電話で徳島県小松島市の海運会社にこの状況を連絡した。その後,乗組員は,左舷側に設置されていた救命ボートを降ろせないまま,船長と機関長が救命胴衣の代わりに救命浮環を付け,また甲板員とA受審人はそれぞれ救命胴衣を着用し,次々と右舷側から海中に飛び込んだ。
つばさは,右舷側に大傾斜した状態で浮いていたが,13時25分ごろ船尾を上にして船首部から沈み始め,13時30分伊豆大島灯台から310度5.6海里の地点において,浮力を喪失して沈没した。
当時,天候は曇で風力6の北北東風が吹き,潮候は下げ潮の初期にあたり,波高は約4メートルに達し,付近には微弱な東北東流があり,強風波浪注意報が発表されていた。
この結果,つばさは全損となり,漂流中の乗組員は,来援した海上保安庁のヘリコプターによって次々と救助されたが,のちD船長は搬送先の病院で溺水により死亡と確認された。
(本件発生に至る事由)
1 つばさ
(1)上甲板に格子状の甲板横桁及び甲板縦通材が設けられて海水が滞留しやすかったこと
(2)上甲板上の空気抜き管管頭の点検が不十分であったこと
(3)船首楼甲板の錨鎖管の開口閉鎖が不十分であったこと
(4)船体中央部の乾舷が約30センチであったこと
(5)A受審人が,上甲板に波浪が打ち込んで海水が滞留し,青波が船首楼甲板にも打ち上がるようになったとき,何とか航行できるものと思い,船長に一旦避難するよう強く進言しなかったこと
(6)早期に避難の措置がとられなかったこと
(7)船首楼甲板に打ち上がった海水が錨鎖管の開口から錨鎖庫を経て甲板倉庫に流入したこと
(8)海水が上甲板上の空気抜き管管頭を通して前部右舷側のバラストタンクやボイドスペースに流入したこと
2 その他
本件発生時,発生場所が荒天であったこと
(原因の考察)
本件は,強風波浪注意報が発表されている状況下,北東寄りの風が強吹する相模灘南部を航行中,高まった波浪の打込みを受けて上甲板に海水が滞留する状況となった後,次第に右舷側に傾斜しながら船首から沈没したものであるが,船体が引き揚げられておらず,原因について種々考えられるので,これについて検討する。
1 貨物の積付け
つばさは,これまで,本件時と同じ手順及び積付け方法で,比重1.3の液体塩化カルシウムを貨物タンクに満載して幾度も安全に航行しており,貨物の積付けが本件発生の原因に結びついたとは考えられない。
2 復原性
つばさの復原性については,傾斜試験成績書・復原性報告書写中の重量重心計算書によると,軽貨状態及び空倉状態のほか,載貨時における標準積付状態として4例を検討した結果,貨物重量として比重1.3のポリ硫酸第二鉄の場合,満載時のG0Mが0.77メートルであった。一方,ほぼ同じ比重の液体塩化カルシウムを積載した本件発港時のG0Mの値が0.78メートルであったことは発港時のコンディションの項で示したとおりで,上甲板の格子状の甲板横桁及び甲板縦通材間での海水滞留量は最大約40トンとなるものの,復原性に問題があったとは認められない。
3 操船
つばさは,荒天のなか,主機関の回転数を毎分270に減じて5.0ノットとした後も,適宜,減速して波浪の状態を見極めながら航行していたもので,船体中央部の乾舷が約30センチと極めて小さい状態では,約4メートルに高まった波浪の上甲板への打込みを防止することは困難であり,操船の適否が本件発生につながったと認めることはできない。
4 外板や各タンク隔壁の損傷について
外板については,進水後,14年10箇月を経過しているものの,平成15年7月に実施された定期検査時,板厚計測が上甲板を含む9箇所で行われ,その結果,7.9から10.0ミリメートルの厚さが測定された。また,各タンク隔壁については,同検査時,各貨物タンク,各バラストタンク及びボイドスペースの圧力試験が実施されており,特に問題となる点が指摘されていなかった。さらに,A受審人及び辻証人の当廷における一致した供述により,外板及び各タンク隔壁に損傷が生じたとは考え難い。
5 上甲板上の開口及び空気抜き管管頭からの浸水について
上甲板の各貨物タンクのカーゴハッチ,エアハッチ及び船首楼甲板のハッチについては,A受審人の当廷における供述と宇部港から本件発生地点に至るまでの長時間の航海を何らの異状もなく航行を続けていたことから,いずれも閉鎖されていたものと認めることができる。また,船首楼後壁,船尾楼居住区両舷側及びポンプ室の各出入口開き扉についても,A受審人及び辻機関長の質問調書中の一致した供述記載により,各扉はいずれも閉鎖されていたものと認められる。
ところで,船首楼甲板の錨鎖管の開口については,A受審人は,当廷において,ビニール製シートカバーをかぶせ,紐でくくっていたものの,防水が完全なものではなかった,また錨鎖庫のハッチは蓋をかぶせていたが,蝶ナットをかけていなかった,これまで時化のとき錨鎖庫に海水が流入したことがあった旨述べ,さらに辻証人は,当廷において,当時はこれまで経験したなかで一番の時化で,青波が頻繁に船首楼甲板に打ち上がっていたので,錨鎖管の開口部から海水が浸入したと思う旨を供述しており,錨鎖管の開口がビニール製シートカバーで覆っただけの防水が完璧なものではなく,海水が船首楼甲板に打ち込むと錨鎖庫への流入を防止できない状態にあったことから,船首楼甲板に打ち上がった海水が錨鎖管の開口から錨鎖庫に流入し,さらに蝶ナットがかけられていなかったハッチから甲板倉庫に溢れ出たものと認めることができる。
一方,バラストタンクやボイドスペースの空気抜き管管頭は,事実で示したように,ブルワーク近くの,上甲板上約1メートルのところに設けられていたが,同管頭の点検・整備模様について,A受審人の当廷における供述により,同管頭が,平素から点検や手入れが行われていなかったことは明らかである。
空気抜き管管頭の耐用年数については,新倉工業株式会社の回答書中に,15ないし20年と考える旨の記載があるうえ,つばさの同管頭が上甲板上の過酷な条件下で長年使用され,錆などによりその機能が阻害されることがあり得る現状,さらに当時,船体傾斜の悪条件も加わっていた状況及びA受審人は,当廷において,空気抜き管管頭が経年劣化していた可能性はかなり高く,フロートが固着するかして機能が喪失し,同管頭からバラストタンクに海水が浸入したとしか考えられない,沈没状況からおそらく船首部付近の3番,4番バラストタンク付近の空気抜き管を通して浸水したもの,またボイドスペースにも入ったと考える旨を述べていること並びに右舷側に傾斜しながら船首部から沈没した状況を合わせ考えると,点検・整備が行われないまま長年使用されていた前部右舷側の空気抜き管管頭のフロートが作動不良となって自動閉鎖機能を喪失し,同管頭から海水が前部右舷側のバラストタンクやボイドスペースに流入したものと推認される。
次に,つばさの事故当時の静的な船体姿勢について,SSODAC(Ship Structure Oriented Dynamic Analysis Code)により,数値シミュレーション解析を実施した。
なお,船体外形のデータは,同型船E丸の船体線図写に基づき作成し,重量については一般配置図写,外板展開図写及び各構造図写等により重量分布を決定し,発港時のコンディションについては前示認定事実による。
(1)解析モデルの妥当性の確認
プログラムを使用するにあたり,以下のアとイの方法で精度の確認を行った。
ア 復原性能試験実施時の静止状態の確認
傾斜試験成績書・復原性報告書写より抜粋した重心位置(表1)を用い,つばさ復原性能試験実施時の排水量347.6トンを設定したところ,同表中の平均喫水とトリムが,シミュレーションにおいても同じ結果が得られ,復原性能試験実施時の静止状態が正しくモデル化されることが確認できた。
また,当時の積荷等の状況から,出港時,A受審人が供述する,実測された船首喫水2.50メートル船尾喫水3.50メートル及びトリムはほぼ妥当で,矛盾なく再現できることが確認された。
表1 傾斜試験成績書写より抜粋の重心位置及び静止時の船体姿勢
重心位置KG |
2.49メートル |
前後重心位置
(船体中央部=0、船首+) |
−2.63メートル |
平均喫水 |
1.54メートル |
トリム |
2.08メートル |
イ 傾斜試験による傾斜角度の確認
錘1.5トンを6.2メートル移動した場合の傾斜についてのシミュレーションを実施したところ,傾斜角は0.0175ラジアンとなり,つばさ復原性能試験実施時の計測値0.0177ラジアンとほぼ一致し,復原性モデルについても適切であることが確認できた。
(2)シミュレーションの結果
この計算モデルを使用し,つばさの静的な船体姿勢の数値シミュレーション解析を,(1)〜(5)にかけ順次発生していくものとして行った。
(1)・・・上甲板に海水(40トン)が滞留
(2)・・・錨鎖庫に海水(4トン)が流入
(3)・・・甲板倉庫に海水(8トン)が流入
(4)・・・3番バラストタンクに容量の半量の海水(18.25トン)が右舷に流入
(5)・・・2番右舷バラストタンクに全容量の海水(6.28トン)が流入
その結果の各傾斜角,各トリム角及び各沈込み量は表2のとおりである。また,各場面毎の船首右舷,船体中央右舷及び船尾右舷における喫水の変化は表3のとおりとなる。
これより,(5)の場面で初めて,船首トリムの,船首部が船尾部よりも没する状態となることが判明した。これに加え,前部右舷側のボイドスペースへ海水が流入したときに右舷に大きく傾斜しながら船首部から沈没する状況となり,A受審人及び辻証人が供述する事実経過と矛盾なく符合することが確認された。
表2 各状態における傾斜角及びトリム角並びに沈込み量
|
(1) |
(2) |
(3) |
(4) |
(5) |
傾斜角(ラジアン) |
0 |
0 |
0 |
0.08 |
0.11 |
トリム角(ラジアン) |
-0.011 |
-0.009 |
-0.005 |
0.0006 |
0.003 |
沈込み量(メートル) |
-0.08 |
-0.08 |
-0.12 |
-0.17 |
-0.17 |
表3 喫水一覧
|
船首右舷 |
船体中央右舷 |
船尾右舷 |
出港時(メートル) |
2.4 |
2.9 |
3.4 |
場面(メートル) |
3.6 |
3.5 |
3.4 |
したがって,上甲板上の空気抜き管管頭の点検が不十分で,海水が同管頭を通して前部右舷側のバラストタンクやボイドスペースに流入したこと及び船首楼甲板の錨鎖管の開口閉鎖が不十分で,同甲板に打ち上がった海水が錨鎖管の開口から錨鎖庫を経て甲板倉庫に流入したことは,いずれも本件発生の原因となる。
5 荒天下の避難措置について
伊豆半島北部には,当時,強風波浪注意報が発表されており,つばさが同半島南東端を通過した後,陸地から離れた相模湾南部では北東寄りの風及び波が陸に遮られることなく,風が強まったとき高まった波浪を受けるおそれがあり,また,海潮流の影響によっては,一段と波浪が高起しやすくなることは,海技免許を有する海技従事者にとっては十分に予測できることであった。
つばさは,船体中央部の乾舷が約30センチで,しかも上甲板の甲板横桁及び甲板縦通材により海水が滞留しやすい構造であり,海水が上甲板に打ち込み滞留すると上甲板上約1メートルを頂部とする,点検が十分に行われていない空気抜き管管頭からバラストタンクやボイドスペースに海水が流入するおそれがあり,自船の性能,特性及び当時の乾舷を考慮すると,海水が上甲板に滞留し,青波が船首楼甲板にも打ち上がるようになったとき,下田港などに一旦避難する措置がとられるべきで,その措置がとられていたなら,沈没を免れることができたと認められる。
また,つばさの運航の最高責任者はD船長であり,荒天避難の時期及び場所については,同船長の判断によって決定されるべきものであるものの,船舶所有者でもあるA受審人は有資格者で,船長を補佐すべき立場にもあり,上甲板に波浪が打ち込んで海水が滞留し,青波が船首楼甲板にも打ち上がるようになったとき,乗船して日の浅い船長に適切な判断を促す進言を行うべきで,その結果,避難の措置がとられていたなら,本件発生を回避し得たものとも認められる。
したがって,A受審人が,上甲板に波浪が打ち込んで海水が滞留し,青波が船首楼甲板にも打ち上がるようになったとき,何とか航行できるものと思い,船長に一旦避難するよう強く進言しなかったこと及び早期に荒天避難の措置がとられなかったことは,いずれも本件発生の原因となる。
6 上甲板の格子状の甲板横桁及び甲板縦通材による海水の滞留について
つばさは,上甲板の格子状の甲板横桁及び甲板縦通材により,海水が同甲板に滞留しやすい構造であったうえ,当時,積荷を満載し,船体中央部での乾舷が約30センチの状態で航行中,上甲板上に海水が打ち込み滞留したことは,事実に示したとおりである。
上甲板に海水が滞留した場合,重心を上げることになって復原性を悪化させることになるが,小型のケミカルタンカーでは,上甲板に甲板横桁及び甲板縦通材が設けられることは一般的に採用されていることで,いずれも法令や規定に違反するものでなく,平成15年7月の定期検査においても,船体,機関とも良好で,諸設備,属具が完備され,安全基準が満たされていることが確認されており,つばさの堪航性が十分でなかったとするのは相当でない。
したがって,上甲板に格子状の甲板横桁及び甲板縦通材が設けられて海水が滞留しやすかったこと及び船体中央部の乾舷が約30センチであったことは,それぞれ本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとまでは認められない。しかしながら,上甲板に海水が滞留した場合,復原性に悪い影響を及ぼすことは明らかであり,これらに対する十分な配慮を行って安全運航の確保に努めるべきである。
また,本件発生時,発生場所が荒天であったことは,通常あり得る自然現象であり,操船者がこのことを予測して適切な運航を行うべきものであったことから,本件発生の原因とならない。
(海難の原因)
本件沈没は,貨物を満載して乾舷が極めて小さい状態で航行するにあたり,甲板上の空気抜き管管頭の点検及び開口部の閉鎖が不十分であったばかりか,強風波浪注意報が発表されて北東寄りの風が強吹する相模灘南部を航行中,高まった波浪の打込みを受けて甲板上に海水が滞留するようになった際,荒天避難の措置がとられず,防水の不完全な開口部や空気抜き管管頭を経て海水が船首部区画,前部右舷側のバラストタンク及びボイドスペースに流入し,浮力を喪失したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は,北東寄りの風が強吹する相模灘南部を航行中,高まった波浪の打込みを受けて甲板上に海水が滞留し,青波が船首楼を越えるようになった場合,そのまま航行を続けると,船首部区画などに海水が流入するおそれがあったから,船長に下田港などに一旦避難するよう強く進言すべき注意義務があった。しかしながら,同受審人は,何とか航行できるものと思い,強く進言しなかった職務上の過失により,大島西方沖合において,高まった波浪の打込みを受けて大量の海水が甲板上に上がり,錨鎖管の開口や空気抜き管管頭を経て海水が船首部区画,前部右舷側のバラストタンク及びボイドスペースに流入する事態を招き,浮力を喪失したつばさを沈没させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
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