(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年9月26日03時30分
沖縄県沖縄島金武中城港与那原湾
(北緯26度12.3分 東経127度47.6分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
引船第八阿蘇丸 |
台船吉備2000 |
総トン数 |
268トン |
2,410トン |
全長 |
40.50メートル |
78.03メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
1,397キロワット |
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(2)設備及び性能等
ア 第八阿蘇丸
第八阿蘇丸(以下「阿蘇丸」という。)は,昭和63年3月に進水し,可変ピッチプロペラを装備した2機2軸の鋼製引船で,船楼甲板上に船首側から前部甲板及び船員室を,同室上部で船首端から8メートルのところに操舵室を有し,同室にはレーダー及びGPSプロッターを備えていた。上甲板上に船首側から倉庫,船員室,機関室囲壁及び作業甲板を配し,同囲壁後方で船尾端から17メートルのところに曳航ウインチを,同ウインチ左舷側に曳航索巻取りリールをそれぞれ設置し,同ウインチ船尾側にウインチシフターを取り付けていた。また,同端から4メートルのところに曳航用アーチを設け,同シフター及び同アーチ上部に,水平ローラ1個と垂直ローラ2個を組み合わせたガイド用ローラを取り付けていた。錨は右舷1.145トン及び左舷1.150トンのJIS型錨に,1節の長さ27.5メートル,1メートル当たりの重量25キログラムの錨鎖6節をそれぞれ有し,単独航海時の航海速力は,機関回転数毎分350の12.5ノットであった。
イ 吉備2000
吉備2000は,平成12年7月に進水した非自航型鋼製台船(以下「台船」という。)で,甲板上構造物を有せず,船首甲板両舷に曳航索を係止する曳航用ブラケットを設備し,船尾中央部に振れ止め錨1個を備えていた。
3 曳航計画
曳航計画書によると,阿蘇丸の曳航能力,台船の排水量,コンテナクレーンの積付け状態及び風圧面積等をもとに検討した結果,有義波高2.0メートル,風速毎秒10.0メートルの条件のもとで,剰余抵抗,風圧抵抗,波浪抵抗及び曳航抵抗を合わせた全抵抗は,19.62トンとなり,出力1,900馬力として,5.0ノットの速力(対地速力,以下同じ。)で航行することが可能であった。
大分県大分港からフィリピン共和国マニラ港までの曳航ルートは,曳航時期の台風発生状況や潮流等の気象海象を考慮して検討され,豊後水道から大隅海峡を経由し,奄美大島及び沖縄島の西方沖合を南下したのち,バリンタン海峡を経て同港に至る全航程1,380海里のルートを採ることとし,平均速力7.2ノットとして,順調に航海を続けると所要日数は8日であった。
曳航方法は,曳航索として阿蘇丸の曳航ウインチから延出した直径50ミリメートル(以下「ミリ」という。)で,全長800メートルの曳航ワイヤロープにシャックルを介して直径100ミリ長さ35メートルのナイロン製ハイゼックスクロスロープを接続し,台船の両舷船首部からそれぞれ繰り出した直径45ミリ長さ30メートルのワイヤロープとY字状に連結し,曳航中の同索の長さは,航行海域及び気象海象等により,適宜伸縮することとし,平素外洋では450メートルとしていた。
また,台風接近の際,避難水域として鹿児島湾,奄美大島の大島海峡,沖縄島東岸の中城湾,金武湾並びに同島西岸の名護湾及び運天港の羽地内海(通称)を想定していたが,沖縄島の避難水域は避泊地として一定の効果は期待できたが,各湾は四方からの風波に対して遮蔽されず,羽地内海は錨地の広さが十分でなかった。
4 事実の経過
阿蘇丸は,A受審人ほか6人が乗り組み,高さ29メートル重量125トンのコンテナクレーン4基を載せ,船首1.20メートル船尾1.45メートルの喫水となった無人の台船を船尾に引き,船首2.5メートル船尾3.9メートルの喫水をもって,平成16年9月19日11時15分大分港を発し,阿蘇丸の船尾から台船の船尾端までの長さを530メートルの引船列(以下「引船列」という。)とし,マニラ港に向かった。
A受審人は,豊後水道から大隅海峡を経由して南下し,翌々21日09時30分奄美大島の曽津高埼灯台から287度(真方位,以下同じ。)8.9海里の地点で,針路を198度に定め,機関を全速力前進にかけ,6.5ノットの速力で,自動操舵により進行した。
定針したとき,A受審人は,ファクシミリなどで気象情報を入手し,21日03時にグアム島西南西方沖合の北緯13度東経143度付近の海域で台風21号が発生し,西方にゆっくり進行している旨の情報を得て,台風が引船列の進路上に接近することが予測されたところ,コンテナクレーン4基を積載した台船を引く引船にとって,沖縄島周辺には四方からの風波を遮蔽し得る適切な錨地の確保が困難で,同島周辺の避難水域に留まると,制御不能となって走錨するおそれがあったが,台風が沖縄島のはるか南方沖合に向けて西進していたので,沖縄島東岸であれば,風波を十分に凌げるものと思い,台風の動静を十分に見極めたうえで避難水域を選定することなく,直ちに同島東岸の金武中城港の与那原湾に向かい,避泊して台風を凌ぐこととして続航した。
13時30分A受審人は,徳之島の与名間埼灯台から279度3.9海里の地点を,17時40分沖永良部島の国頭岬灯台から094度3.9海里の地点をそれぞれ航過したのち,沖縄島東岸を南下し,翌22日08時40分与那原湾の湾奥部となる,知名埼灯台から303度1.8海里で,底質が砂混じりの泥で水深13メートルの地点に至って右舷錨を投じ,錨鎖を5.5節まで延出したのち曳航索を35メートルに短縮し,守錨当直を立てて気象情報を入手しながら錨泊を始めた。
翌々24日09時ごろA受審人は,台風21号が,沖縄島南東方沖合540海里となる,北緯19度東経134度付近にあり,中心気圧945ヘクトパスカル(hPa)となって非常に強い勢力に発達している旨の情報を得ていたところ,同台風が北西方に毎時約10ノットで進行して同島南方沖合に接近する状況となったので,17時50分知名埼灯台から300度1.8海里の地点で,自ら守錨当直に入って阿蘇丸の左舷錨も投じ,両舷錨鎖をそれぞれ5.5節まで延出して二錨泊とした。
翌25日09時ごろA受審人は,台風21号が,中心気圧940hPaで最大風速毎秒46メートルとなって,沖縄島南東方沖合270海里まで接近したことを知り,13時20分前示錨地において,風勢が増して風力7となったので,台船に取っていた曳航索を200メートルの長さまで延出したが,16時30分与那原湾内においても波浪が高まり,阿蘇丸の船首部が縦揺れし,曳航索が緊張と弛緩を繰り返すようになったことから,レーダー及びGPSプロッターの電源を入れ,機関を始動して微速力ないし全速力前進まで種々に使用して船体を支えた。そして,19時20分沖縄気象台が,沖縄本島中南部沿岸海域に波浪警報及び強風注意報を発表し,20時15分暴風及び波浪警報に,22時33分暴風,波浪及び高潮警報にそれぞれ切り替え,厳重な警戒と注意を呼びかけている旨の情報を入手したのち,船位及び気象状況の変化,船体の動揺並びに曳航索の緊張状況を見守って警戒しながら二錨泊を続けた。
こうして,翌26日02時ごろA受審人は,台風21号が,沖縄島南方沖合60海里を通過する態勢となって風勢がさらに増し,風力10で波高が3メートルとなったので,曳航索を更に50メートル延出して機関を種々に調整しながら指揮に当たったが,曳航索の緊張と弛緩が,更に激しくなり,機関を全速力前進として船体を支え続けたが,03時30分引船列は,前示錨地において制御不能となり,走錨を始めた。
当時,天候は雨で風力11の東南東風が吹き,波高は3メートルで,潮候は下げ潮の初期にあたり,暴風,波浪警報が発表されていた。
その後,A受審人は,なおも機関を全速力前進として走錨を止めるよう試みたが,曳航索が曳航用アーチから外れて左右に大きく振れることとなり,06時45分知名埼灯台から286度2.4海里の地点において,曳航ウインチのストッパーの一部が脱落し,すべての同索が走出して根付部から切断した。そして台船が漂流を始めると同時に阿蘇丸の走錨は止まったが,台船は西方に圧流され,知名埼灯台から286度2.8海里の地点において,消波ブロックに右舷船尾から乗り揚げた。
その結果,阿蘇丸は曳航ウインチを損傷し,台船は,コンテナクレーンに損傷はなかったものの,右舷船底に亀裂を伴う凹損を生じ,護岸を損傷したが,のちいずれも修理された。
(本件発生に至る事由)
1 コンテナクレーン4基を積載した台船を曳航していたこと
2 台風の発生を知ったこと
3 台風の動静を十分に見極めたうえで避難水域を選定しなかったこと
4 沖縄島東岸の与那原湾で二錨泊したこと
5 機関を使用して船体を支えたこと
6 引船列が制御不能となって走錨を始めたこと
(原因の考察)
本件は,阿蘇丸が,台風の発生を知った際,直ちに沖縄島東岸の与那原湾に向かい,同湾で同船の錨を使用して二錨泊し,風勢が強まったのち,機関を使用して船体を支えたものの,制御不能となって走錨に至ったもので,コンテナクレーン4基を積載した台船を曳航していたとしても,台風の動静を十分に見極めたうえで避難水域を選定していれば,四方からの風波に対して遮蔽し得る,より適切な錨地が得られ,走錨を回避できていたものと認められる。
したがって,A受審人が,台風の動静を十分に見極めたうえで避難水域を選定しなかったことは,本件発生の原因となる。
A受審人が,コンテナクレーン4基を搭載した台船を曳航していたこと,沖縄島東岸の与那原湾で二錨泊したこと及び機関を使用して船体を支えたことは,風力10を超える暴風が吹く状況において,阿蘇丸の把駐力が,台船にかかる風圧力に耐えられないことから,いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。
A受審人が,台風の発生を知ったことは,本件発生の原因とならない。
(海難の原因)
本件遭難は,鹿児島県奄美大島曽津高埼西方沖合を南下中,台風が発生したことを知った際,台風の動静を十分に見極めたうえで避難水域を選定せず,直ちに沖縄島東岸の金武中城港与那原湾に向かい,同湾で二錨泊し,機関を使用して船体を支えたものの,風勢が強まって制御不能となったことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は,鹿児島県奄美大島曽津高埼西方沖合を南下中,台風が発生したことを知った場合,コンテナクレーン4基を積載した台船を引く引船にとって,沖縄島周辺には四方からの風波を遮蔽し得る適切な錨地の確保が困難で,同島周辺の避難水域に留まると,制御不能となって走錨するおそれがあったのであるから,台風の動静を十分に見極めたうえで避難水域を選定すべき注意義務があった。ところが,同人は,台風が沖縄島のはるか南方沖合に向けて西進していたので,沖縄島東岸であれば,風波を十分に凌げるものと思い,台風の動静を十分に見極めたうえで避難水域を選定しなかった職務上の過失により,直ちに沖縄島東岸の金武中城港与那原湾に向かい,同湾に避泊して二錨泊とし,機関を使用して船体を支えたものの,風勢が強まって制御不能となり,引船列を走錨させる事態を招き,すべての曳航索が走出して根付部から切断し,台船を漂流させて乗り揚げさせ,阿蘇丸の曳航ウインチに損傷を,台船の右舷船底に亀裂を伴う凹損を,また護岸に損傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
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