(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年12月5日06時20分
千葉県館山湾
(北緯35度01.4分 東経139度50.1分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
ケミカルタンカー吉祥丸 |
総トン数 |
460トン |
全長 |
61.17メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
(2)設備及び性能等
吉祥丸は,平成5年6月に進水し,航行区域を限定沿海区域とする,ダブルハル構造で凹甲板船尾船橋型の油タンカー兼液体化学薬品ばら積船で,B社を運航者とし,仙台塩釜港以南の本州東岸,瀬戸内海及び九州一円の諸港間で,専らメタノールなどの液体化学薬品の輸送に従事していた。
船体は,船首端から船橋楼前面までの距離が47.2メートル(m)で,同楼前方の上甲板下が船首から順に,船首倉,錨鎖庫,アッパーバラストタンク,清水タンク,ポンプ室,スロップタンク,1番から3番の貨物タンク,ポンプ室,機関室及び船尾倉などに区画され,錨鎖庫から清水タンクまでの下に1番バラストタンクが,ポンプ室から3番貨物タンクまでを両舷及び船底の三方から取り囲む形状で2番から7番のバラストタンクがそれぞれ配置され,4番から6番のバラストタンクの両舷側は空所とされていた。
そして,船首の左右には,いずれもAC-14型錨を備え,右舷錨が重量1,040キログラム(kg),左舷錨が同1,030kgで,それぞれ直径32ミリメートル1節25mのスタッド付き錨鎖を8節ずつ備えていた。また,主機は,停止状態から約10分で始動することができた。
操舵室には,ジャイロ・レピータ,レーダー,GPSプロッタ,音響測深機,主機遠隔操縦装置及びファクシミリ装置等が装備されていたが,大尺度の海図W55(館山湾及び付近)は備えていなかった。
3 事実の経過
吉祥丸は,A受審人ほか4人が乗り組み,空倉のまま,平成16年12月4日14時40分千葉港を発し,東京湾羽田沖に至って補油及び清水漲水を行ったのち,船首1.6m船尾3.5mの喫水をもって,16時20分羽田沖を発航して水島港に向かった。
そのころ,関東地方は,同年11月29日に発生した台風27号が12月4日15時台湾付近で中心気圧996ヘクトパスカル(hPa)の温帯低気圧となったものの,その後,発達しながら前線を伴って東シナ海を北東進したことから,その影響を受けており,17時13分東京都内に,同時25分館山港を含む夷隅(いすみ)・安房(あわ)区域に強風,波浪注意報がそれぞれ発表されていた。
A受審人は,発航後もバラスト漲水を続け,海水380トンを各タンクに注入し,船首1.6m船尾3.8mの喫水とし,テレビ放送や電話サービス等で気象情報を得て,九州地方で強風等の強い影響が現われていること及び関東地方に強風,波浪注意報が発表されていることを知り,20時00分風力6の南西風を観察したのち,相模灘を西進中,さらに風波が激しくなったことから,以後の気象及び海象の悪化を懸念して運航者と協議した結果,千葉県館山湾で避泊することとなり,21時00分低気圧の中心が九州西部に位置していたとき,大島北西方7.5海里ばかりの地点で反転した。
ところで,館山湾は,房総半島の西岸に位置し,同湾南部の洲埼と同湾北部の大房岬とに囲まれ,浦賀水道に面して西方に開口しており,湾の南東部に館山港が,北東部に船形漁港がそれぞれあり,館山港の港界付近は,水深が20mないし25m,底質が砂又は泥で,錨かきが良く,東又は南寄りの風のときの避泊地に適していた。
22時45分銚子地方気象台は,夷隅・安房区域に発表していた強風,波浪注意報を,海上における毎秒25m以上の平均風速を基準とする暴風,波浪警報に切り替えた。
23時30分低気圧の中心が大阪湾付近にあったとき,A受審人は,館山湾に至ったものの,付近の大尺度海図を備えておらず,また,運航者から情報提供を受けることができる時間帯を既に過ぎており,湾内事情の詳細が不明であったことから,湾奥の浅海域での錨泊を断念し,既に避泊中であった2船の間に投錨することとした。
このころ,A受審人は,風力7の南西風及び波高約1mの波を観測したものの,低気圧が接近中であり,風威が現状より強まるおそれがあったが,低気圧の接近速度を遅く感じていたことから,夜明けまで風勢がさらに増大することはないだろうと思い,気象情報の入手を十分に行わなかったので,暴風,波浪警報が発表されていることに気付かず,アッパーバラストタンク等に漲水して船首喫水を増したうえで双錨泊とするなどの走錨の防止措置をとることなく,23時40分館山港の港界近くの底質が砂で水深約25mの,館山港沖島灯台から010度(真方位,以下同じ。)1,000mの地点で,右舷錨を投じたものの,設備錨鎖を7節と思っていたことから,これを6節水際まで伸出し,錨が効いたことを確認して主機の運転を終了した。
そして,A受審人は,前日来ほとんど休息をとらせていない乗組員を休ませようと思い,守錨当直体制を敷くことなく,自らが定時に起きて昇橋し,周囲の状況を確認することとし,機関の準備も行わないまま,船首が南西方に向いた状態で錨泊を開始した。
こうして,A受審人は,翌5日02時から1時間毎に昇橋して異状のないことを確認していたものの,03時には低気圧の中心が北陸地方にあって,中心気圧が980hPaとなり,それに伴う2つの前線が関東地方及び関西地方に伸び,さらに発達しながら北東進することが予報されており,館山湾においても風勢の増大等に警戒を要する状況になったが,依然として気象情報の入手を十分に行わなかったので,この状況に気付かず,走錨の防止措置をとることも,守錨当直体制を敷くこともしなかった。
05時00分A受審人は,周囲の状況に異状が認められなかったので,同時15分自室に戻って就寝していたところ,05時40分ごろから平均風速が毎秒20mを超える南南西風が吹き始め,やがて吉祥丸が船首を南東方に向けて走錨を始め,船形漁港の方に向かって圧流される状況となったが,守錨当直を立てていなかったので,この旨の報告を得られず,主機を使用するなどして陸岸への圧流を防止する措置をとることができなかった。
06時05分ごろA受審人は,再び昇橋したところ,同時09分半作動中のGPSプロッタに自船の航跡線が表示されているのを認め,初めて走錨していることに気付くとともに,船形漁港の陸岸まで1,000mばかりの,船形平島灯台(以下「平島灯台」という。)から189度830mの地点に圧流されていることを知り,居合わせた機関長に主機の始動を指示したが,吉祥丸は,船首部の受風面積が大きかったことから,船首を徐々に左方に振りながら北方に流され続け,同漁港西方に拡延する浅礁域に接近した。
06時19分半A受審人は,主機が始動したので,直ちに機関を全速力前進としたものの,行きあしがほとんどつかないまま,06時20分平島灯台から248度280mの地点において,吉祥丸は,船首を東北東方に向けた状態で,その船尾部が首戸(こうべっと)と称する洗岩に乗り揚げた。
当時,天候は雨で風力8の南南西風が吹き,館山測候所では05時48分に最大瞬間風速毎秒36.1mが記録され,潮候は上げ潮の中央期で波高が約2.5mあり,夷隅・安房区域に暴風,波浪警報が発表されていた。
その後,吉祥丸は,付近の平島や消波ブロック等へ打ち付けられる状況となり,A受審人が再度の乗揚を避けようとして舵及び主機を種々操作したものの効なく,海岸に打ち寄せられ,06時50分平島灯台から038度280mの砂地にかく坐した。
乗揚の結果,船底外板に破口を伴う凹損及び擦過傷を生じたほか,推進器翼及びシューピース等を曲損したが,来援した作業船に引き下ろされ,のち修理された。
(本件発生に至る事由)
1 錨泊地の大尺度海図を備えていなかったこと
2 水深約25mの地点に投錨したこと
3 夜明けまで風勢がさらに増大することはないだろうと思ったこと
4 気象情報の入手を十分に行わなかったこと
5 走錨の防止措置をとらなかったこと
6 設備錨鎖の長さを把握していなかったこと
7 守錨当直体制を敷かなかったこと
8 機関の準備を行っていなかったこと
(原因の考察)
本件は,夜間,館山湾において,強風下,水深約25mのところで単錨泊中,走錨して同湾北東部の浅礁に乗り揚げたものであり,投錨するに当たって,気象情報の入手を十分に行っていれば,暴風,波浪警報が発表されていて,毎秒25m以上の平均風速に備えなければならない状況となっていることが分かり,そして,アッパーバラストタンク等に漲水して船首喫水を増したうえで双錨泊とするなどの措置をとっていれば,走錨を防ぐことができたものと考えられ,また,守錨当直体制を敷いていれば,早期に走錨に気付き,機関を速やかに準備して陸岸への圧流防止の措置をとることができ,乗揚を回避できたものと考えられる。
したがって,A受審人が,夜明けまで風勢がさらに増大することはないだろうと思い,気象情報の入手を十分に行わなかったこと,走錨の防止措置をとらなかったこと及び守錨当直体制を敷かなかったことは,いずれも本件発生の原因となる。
設備錨鎖の長さを把握していなかったことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,このことは,海難防止の観点から是正されるべき事項である。
錨泊地の大尺度海図を備えていなかったこと及び水深約25mの地点に投錨したことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,いずれも原因とならない。
(海難の原因)
本件乗揚は,夜間,千葉県館山湾において,低気圧が接近中で南西風が強吹する状況下に避泊する際,気象情報の入手が不十分で,走錨の防止措置及び守錨当直体制を敷く措置がいずれもとられず,発達した低気圧に伴う暴風によって走錨し,同湾北東部の浅礁に向かって圧流されたことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は,夜間,館山湾において,低気圧が接近中で南西風が強吹する状況下に避泊する場合,低気圧の接近状況や風威の変化を判断できるよう,気象情報の入手を十分に行うべき注意義務があった。ところが,同人は,夜明けまで風勢がさらに増大することはないだろうと思い,気象情報の入手を十分に行わなかった職務上の過失により,暴風,波浪警報が発表されていることに気付かず,船首喫水を増したうえで双錨泊とするなどの走錨の防止措置及び守錨当直体制を敷く措置をとらないまま錨泊を続け,走錨して同湾北東部の浅礁への乗揚を招き,吉祥丸の船底外板に破口を伴う凹損及び擦過傷を生じさせたほか,推進器翼及びシューピース等を曲損させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。
|