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ニッポン見開き文化の世界的浸透 【阿部 進】
 
 阿部 私は、昭和20年代後半に教師になりまして、現在72歳になりますが、今でも子供たちの周辺でいろいろやっています。弘兼さんがお話しになった、誰かがマンガを買ってきて、1冊をみんなで回し読みをしていたという時代に、子供たちがそれをやっているのを見ていた人間です。そういう中で、子供たちが、月刊誌の少年マンガから週刊誌の少年マンガに移ってきて、少年マンガが確立した。それまで日本のマンガは大人の人たち、年齢層の高い人たちに理解されてきたけれど、子供たちが理解してマンガに夢中になるのは、「少年マガジン」「少年サンデー」「少年ジャンプ」が出てきてからだと思うんですね。
 現在では「少年ジャンプ」が、もう何年も前に香港を中心にして中国語版を出しました。しかも、国内で火曜日に発売されると、水曜日には中国語版「少年ジャンプ」が発売されてきた。そして、今年に入って、アメリカで英語版「少年ジャンプ」が出た。それも、外国では普通は左から始まるのに、これは右から始まるのが本当に画期的なことです。里中さんがおっしゃった日本の見開き文化というものが、外国でそのまま見開きで出てくるなどというのは、考えられないことだったと思います。
 手塚治虫先生の自伝の中に非常に面白い一節があります。私は元来、血液型はB型だと思っていた。だから、B型的な食事、B型的な生活、B型的な作品の描き方をやってきた。ところがあるとき、病気になって検査をしたらA型だということがわかって、非常に落ち込んだ。なぜ、私がA型なのか。血液型が間違っているに違いない、というんですね。
 もう一つ、司馬遼太郎さんがやはり自伝の中で、こう書かれている。私はまさに大阪人である。大阪人というのは、私が調べるかぎりではO型の人が非常に多い。まさにO型的な、心理学的にいえば粘液性というタイプなんだけれど、それが大阪人で、私はその視点から作品を書いてきた、と。
 日本人的な特性というものも含めて考えたときに、私たち日本人はいったい何なんだろうかというようなことから、それがなぜ今になって、時代の空気がそういう風に広がってきたのかなという思いがあります。
 
 谷川 ありがとうございました。阿部先生は、血液型の話になったらちょっと止まらなくなるくらい、血液型に詳しいんです。
 次に、ピエール・ジネルさんにお話をいただきます。日本に住んで、いろいろな日本のアニメーション、マンガ関係をご覧になっているでしょうから、率直な意見をお話しいただければと思います。
 
フランス・欧州そして全世界へ−日本マンガの拡大事情 【ピエール・ジネル】
 
 ジネル 私は、5年日本にいても、全然日本語が上達していないので、申し訳ございません。
 フランス人、ヨーロッパ人としては、私の世代はマンガよりアニメの世代でしょう。フランスで日本のアニメ放送は25年前から始まりました。『UFOロボ・グレンダイザー』という東映のアニメーションで、ものすごく人気になりました。視聴率はほぼ85%でした。もっとも、そのときフランスのテレビ局は2つしかなかったのですが。
 最初はカルチャーショックというものはなかった。インターナショナルバージョンだったから、日本のものだとは一切書いてありませんでした。人気になってから、フランス人のプレスなどの人が興味を持って調べて、やっと『グレンダイザー』が日本のものとわかり、それから本当にブームになりました。アニメーションがそんなに人気になった一つの理由は、フランスのヒーローと全く違うものだったからです。主人公が巨大なロボットを操っている。変身で1秒でコンバットスーツを着る。それは怪傑ゾロとは全然違うキャラクターでした。その新しいヒーロー、新しい世界を見て感動しました。このアニメが私の世代の考え方を革命したと思います。
 その波に乗って、続々と日本のアニメーションが放送されました。90%は東映がつくったものでした。『キャプテンハーロック』とか『キャプテンフューチャー』。『ハーロック』は『グレンダイザー』と全く違う世界ですが、一匹狼というヒーローが好評でものすごく人気になったので、最新情報によるとフランス人の監督がハーロックの実写版をつくるそうです。
 その後、1988年に新しいブームがありました。『ドラゴンボールZ』『聖闘士(セイント)星矢』『北斗の拳』の新ブームでした。そのとき、フランスの第一チャンネルが国立から私立になって、コマーシャル、利益、売上といったことがメインになりました。日本の作品は安くて、とても面白かったんでしょう。コマーシャルの値段もだんだん上がって、アニメーションを利用して第一チャンネルはかなり儲けました。
 そのとき1週間あたりほぼ60時間アニメーションが放送されていた。毎週60シリーズぐらいです。とくに水曜日は、子供の学校が休みなので、1日8時間ぐらいアニメーションが放送されていました。1991年に毎週12時間以上は放送しないでくださいという報告があって、そのときから日本のアニメーションは苦労しました。
 それより『北斗の拳』と『キン肉マン』には問題があったんです。『北斗の拳』は暴力が多かったから。フランスには今でも、アニメーション=子供という偏見があります。『北斗の拳』はアニメでしたが、子供向けのものではなかった。でも、子供向けの番組として放送されてしまいました。それでPTAが怒って放送中止になった。『キン肉マン』は、ブロッケンジュニアがナチスっぽいキャラクターだというので、すぐシリーズが中止になってしまいました。
 その後、1993年から98年までは日本のアニメーションがあまりなかった。その間、フランスの制作スタジオはどんどん増え、人数も増えました。今やフランスの制作数は、日本とアメリカに続いて世界第3位です。今でもフランスのアニメーションは、日本のアニメーションの影響が強いけれど、テレビ局の偉い人たちは、あまり日本のものをやりたがらない。それでキャラクターは、四角で、でかく強い「バットマン」が雛型になりました。
 しかし、テレビのアニメーションがなくなって困ったので、98年にビデオマーケットが始まり、急速に増えました。みんなテレビとの関係が全くないインディペンデントの会社でした。今は、ヨーロッパでフランスのビデオマーケットが一番大きいと思います。毎月30タイトルぐらい発売されて、売れているものは1万本は出ますから、フランスにとっては本当にいい売り上げです。
 その代わりマンガは遅れて、1988年から本格的に始まりました。まずは『AKIRA』のアメリカ版が輸入されました。左開きで、かなりカットされたものでした。89年にはアニメ『ドラゴンボールZ』の成功に乗って、『ドラゴンボール』のフランス語版が出ました。これもかなり人気があって、第2ブームとしては結構成功したと思います。
 そのとき10歳の子供たちが今、20歳、25歳ぐらいで、アニメスタジオに勤めていたり、フランスのBD(ベーデー)のマンガ家にもなっていて、かなり影響が見られると思います。ただ、私の世代や『ドラゴンボール』世代の人たちがいくらがんばっても、まだ前の世代の人がいますので、日本のアニメーションはまだ完全には認められていないと思います。
 もちろん、だんだん変わってきています。宮崎駿先生の作品は本当に人気がありますし、新人監督の今敏さんや押井守さんもとても人気があります。けれども、それは劇場版アニメだけが認められているので、テレビシリーズはまだまだです。
 フランスのアングレーム国際マンガフェスティバルは、アメコミやBDの有名なフェスティバルで、今年は30周年記念ですが、初めて日本の谷口ジローさんが賞を2つ受けました。やっとアングレームの人たち、出版社の偉い人たちは、マンガがやっぱりいけるんじゃないかと思ったのです。今までも日本のマンガは本当に人気がありましたから、子供たちがフランスの文化を捨てるんじゃないかという考え方があったんです。もちろん、そういう人もいるとは思いますけれども、完全にアイデンティティを捨てることはできないと思います。だから、20代の人たちは、アメコミの影響を受けて、フランスのBDの影響を受けて、日本のマンガの影響を受けて、自分の世界をつくったと思います。その世界は、バランスが良ければいい世界になるし、悪ければだめになると思います。最近は、本当に若い世代の圧力のおかげで偏見がどんどんなくなってきます。それは本当にうれしいことです。
 私が日本のアニメーションと出会ったのは、もう25年前です。そのとき世界を発見して、世界はヨーロッパだけじゃないと考え始め、この世界で仕事をやりたいと決意をしてダイナミックに入ってしまいました。グレンダイザーというキャラクターは、本当に守護神として私を見守ってくれたと思います。
 フランス、ヨーロッパ、あるいは全世界で、日本のマンガはまだかなりいけると思います。日本のマンガはジャンルが多いので、みんなが自分の好みが見つけられるから、とてもいいと思います。今まで日本のマンガが批判されていても、ファンの人たちはずっと応援していました。日本のマンガは、次の世代にもどんどん盛り上がるし、広がっていると思います。
 
 谷川 ありがとうございました。立派な日本語ですよ。江戸時代の浮世絵がヨーロッパに流れて印象派の絵画ができた話は有名ですけども、日本のアニメやマンガもヨーロッパの文化にいろんな影響を与えていることがよくわかりました。
 私たちはフランスの実情についてなかなか聞く機会がないので、シンポジストの先生方、質問があったらどうぞお願いします。
 
 弘兼 フランスのマンガで『目隠し鬼』とかいうのを見たことがあります。講談社の「モーニング」に出ていたと思うんですが、子供が初恋をして、姉の性行為をちょっと覗き見するといった、日本の私小説的な、生活の一部分を切り取った感じの作品でした。もう一つ、ジャズマンか何かが自殺するような話も見ました。かなり深刻な内容の大人マンガで、デッサン力もすごくしっかりしていて、白黒ではなく全部フルカラーだったと思います。そういうすばらしいマンガ文化がフランスにはあるんですが、フランスの方はあまり読まないのですか。
 
 ジネル 最近はフランスでも、ジャンルがだんだん増えています。最近はとくに、刑事物語とか、昔のフィルムノアールのようなものに人気があります。描き方もマンガチックなやり方でダイナミックだし、白黒もやっている。昔ながらのBDがなくなるわけではないけれど、だんだん変わってきていて、昔は絶対人気にならなかったようなものが、今では人気になります。
 
 弘兼 フランスには大人マンガがすごく熟成した形で存在するというのに、ちょっとショックを受けたというか、びっくりしたんです。
 
 ジネル もともと大人向けのマンガも多かったんです。昔は、子供向けのBDと、ちょっとアダルトっぽい刑事物語やエロっぽいものを分けていたんですが、今はそのバリアがなくなってきたんです。
 
 弘兼 たぶん谷口ジローさんの作品に近いものだったと思いますね。
 
 ジネル そうです。谷口さんのスタイルはBDとかアメコミと似ているから、早くから人気になったんです。とくに『歩く人』はフランスで本当に人気がありました。
 
 谷川 フランスの実情について、フロアの方で質問がある方はいらっしゃいますか。はい、どうぞ。
 
 参加者1 清谷信一と申します。本業は軍事ジャーナリストですが、取材かたがたヨーロッパに年に4、5回ほど行っておりまして、もともといわゆるオタク第1世代ということもありまして、ずっとフランスのオタク事情を書いています。ピエール・ジネルさんとも以前にもお会いしていますが、『Le OTAKUフランスおたく事情』という本も書きました。
 先ほどからセックスとバイオレンスの問題が出ていますが、フランス、ヨーロッパでそれが問題になるのは、大人と子供の文化がきっちり分かれていて、その中間がなかったからです。いわゆるローティーンからハイティーンぐらいまでの少年少女が楽しめるものがなかったんですね。3年ほど前にフランスで日本のマンガを出版している友人が、少女マンガのブランドを立ち上げると言うから、僕は正気かって言ったんです。そのときは、女の子向けのマンガが全然ない状態だったので無謀じゃないかと思ったんですが、これが結構うまくいったんですね。今、ドイツでもそういう感じになっていて、「花とゆめ」の提携誌が今年から出るという話です。
 また、去年9月に『コルト・マルテス』というBDを原作とした、大人向け長編劇場アニメが制作されました。
 
 ジネル 劇場版アニメは基本的に大人向けもOKです。テレビは誰でも見られるけれど、映画館は未成年は簡単に入れないからです。以前にも大人向けのものがあって、ヌードシーンも大丈夫とか。
 
 参加者1 それで『コルト・マルテス』が非常に画期的だったのは、日本と同じマーチャンダイジング戦略をとったことです。まず初めに、夏にかけてディオールが出した男性用香水のキャラクターに主人公のコルト・マルテスを起用し、公開に前後して過去のコルト・マルテス・シリーズを復刻し、ほかにもネクタイやフィギュアなどいろいろなものをつくった。そのへんは日本のマーケティングをかなり研究していると感じました。
 
 ジネル フランスではアニメーションは国がつくるものだったので、マーチャンダイジングとかは一切やらないという考え方を持っていました。日本のアニメーションでは、自分が好きなグッズを買えるのです、それもたぶん日本のアニメーションが人気になった理由の一つだと思います。
 
 谷川 ほかにご質問ございますか。はい、どうぞ。
 
 参加者2 ライジングコミックスの編集担当をしています。私はアメリカ人ですが、里中先生が言ったように、残念ながらアメリカのコミックスはほとんどスーパーヒーローの物語です。フランス、ヨーロッパのマンガのことはあまり知らないので、日本のマンガとどんな違う点があるのか説明してもらえますか。
 
 ジネル 内容はかなり違います。子供向けのジャンルでは、日本と一番近いのは、たぶん『ドラえもん』とか、妖精がいるものです。アメリカの方もご存じと思いますが、スマッフという白と青のちっちゃいキャラクターは、ベルギーのものでした。最近はマンガの影響を受けて、内容が違っても描き方が日本のマンガに近づいています。ダイナミックのやり方とか、スクリーニングとかはかなり日本のマンガチックなものになってしまうけれども、内容はまだ全然違います。
 
 弘兼 トム・リードさんというアメリカの新聞記者の友人が、日本のマンガは、カリカチュアでもカートゥーンでもなくて、「グラフィックノベル」といえば伝わるのではないかと教えてくれました。絵に描いた小説というのが、日本の劇画といわれているマンガを表現するのに一番いい英語だというのです。
 
 谷川 ありがとうございました。それでは、日下さん、今までの議論を聞いていてお気づきの点をお話しいただけますか。


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