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十七条憲法の継承
 日本最初の憲法は「聖徳太子の十七条憲法」である。西暦六〇四年だから丁度千四百年前に制定され、いまだ廃止されていない。日本では同じ国家が存続しているので、この教えは普及し、日本人の精神基盤となっている。
 
 確かに、律令制度は中国から持ってきた。都市計画も中国の真似をした。仏教も漢字も中国から貰った。しかし絶対に貰わなかったものもある。科挙の制度、国家の制度としての奴隷制度、儒教などである。誰かが命令したから取り入れなかったのではない。自然に入らなかったのは、当時から日本人の心は中国人とはまるで違っていたからである。
 聖徳太子とそのグループは世界の主要思想と主要宗教に通じていた。インドの仏教、中国の儒教・儒学と道教、ローマのキリスト教(景教)、それから日本の神道である。
 ヨーロッパでは宗教改革以後、聖書討議の自由が得られたので、「社会思想」が誕生したが、日本では聖徳太子の時代から既に聖典討議の自由があった。
 
 それらの思想・宗教の中から、日本国家と公務員が任務とすべきことをこれだけに狭く限定したのはたいへん知的だった。また合理的である。ここには「小さな政府」の思想が感じられる。
 もちろん「軍国主義」はないし、「経済発展第一」の思想もない。ほとんど公務員の服務規程で、国民の幸福増進への配慮と独裁政治の排除がその内容となっている。日本は千四百年前から民主主義の価値を心得ていた。
 十七条憲法では精神的倫理規定は最初の四条だけで、それらも国民精神の内面には立ち入っていない。「敬え(うやまえ)」や、「謹め(つつしめ)」に留まっている。
 
 大陸では、規則がある以上は、それを守らせなくてはいけないし、守らないものは処罰しなくてはならないと考える。また、もし、処罰する権限を与えられているにもかかわらず、処罰をしないものがいたら、職務怠慢としてその地位を奪わなくてはならないと考える。
 そのように大陸では規制が強い国家が誕生するが、その基盤には陸続きなので人間は自由に徒歩で移住するという事情がある。そこで国境を定めて、入ってきた人間には宣誓を求める。たとえば、王に忠誠を誓うとか、その国の国家信条を守るとかで、まさに、思想、信条、信仰に関わることを宣誓させる。
 
 他方、島国においては、規則はまず各自が守るべきものである。だから、上にいる人の仕事は「守れ」という心得を教えるだけでいい。後は自然にうまくゆく。これは島国であるため人間に移住の自由がなく、「メンバー固定制」なので相互扶助は現実だったからである。因果応報も社会の現実だった。
 その結果、日本人は人の迷惑になるようなことはしないことを第一に考え、礼儀正しい国民になった。となると行動の規制や精神の根本への干渉は不要になる。これが日本の大きな特徴である。思想、信仰、学問に対して日本ほどオープンなところは珍しい。日本は人間の出入りには厳しいが、中に入れば何を考えてもいいし、何を言ってもいい。その点、千四百年も昔からイデオロギー的な国是はなく仲間の合意を第一とする社会が実現している。
 
 十七条憲法には和の経営、集団主義経営の理念が明確になっている。戦争を繰り返してきた大陸では、統一のため専制君主や絶対君主が必要だが、日本では集団合議、集団合意で事が運ぶ。
 大陸では、専制君主や絶対君主を打倒する革命を経なければ個人主義は生まれなかったが、日本では千四百年前にはすでに全員がそれぞれに否決権をもつ集団合議制が生まれていた。
 
 つまり、日本はたいへんな先進国なのだが、それを否定したのが欧米思想で、戦後、多くの人が日本精神は封建的で遅れていると思うようになった。
 日本国民は天皇から離れてマッカーサーを礼賛し、やがてマッカーサーが解職されてからは「国連」を崇めて国連に帰依したが、今はその神通力が失せた。
 
 そこで国民は本来の日本精神に帰りはじめた。あたかも今年は十七条憲法発布千四百年の年でもある。
 
(注)聖徳太子十七条憲法
一、以和為貴 二、篤敬三寶 三、承詔必謹
四、以禮為本 五、絶餮棄欲 六、懲悪勧善
七、掌宜不濫 八、早朝晏退 九、信是義本
十、絶忿棄瞋 十一、明察功過 十二、勿斂百姓
十三、同知職掌 十四、無有嫉妬 十五、背私向公
十六、使民以時 十七、夫事不可獨断
(二〇〇四年二月「継承力」)
 
賢い国民の気持
 今、日本で一番賢い人は市民の一部。つぎは市長の一部。
 市役所にも話の分かる人がいる。バカなのはマスコミと学者、とは今や国民の声。
 
 日本国民は保守的だが、突然、山が動く。
 小泉改革はその“山が動く”に火をつけた。
 金正日、江沢民、クリントン、ブッシュも――日本人の目を覚まさせてくれた。
 
 日本国民は事実をみている。
 それに比べるとマスコミは犬の遠ぼえ。
 政治家は臆病。官僚には精気がない。学者は言葉を並べるだけ。
 
 保身だけを考えている人は顔をみれば分かる。
 気がねと遠慮だけで暮らしている人はその話し方で分かる。
 事実をみていない人の言動はいくらうまいことを言ってもテレビなら一目瞭然。
 理屈は「ホカロン」と同じでどこにでもつく。――聞いても仕方がない。
 
 スポーツをする女性が一番明るい顔をしている。
 「自分のために走っています。楽しいからです」というのが一番よい。
 日本国民は事実をみて、そこに自ら何等かの意義を発見するようになった。
 
 ようやく“精神の自立”がやってきた。
 外来思想や外来理論や黒板の上のモデルや経済統計の虚像や権力のピラミッドに騙されなくなった。
 少なくともいまだに騙されている人を見分けるようになった。
 
 そこで政府への期待もまるで変った。
 したがって今までのような政策研究をつづけても仕方がない。
 今までのような政策提言をしても仕方がない。政府を動かす方法は別にある。
 
 今や“山が動く”ように方策を考えるのが政策研究で、
 国民の方から先にそれを実行するのが行動による政策提言である。
 実際の動きをみれば分かる。
 
 年金改革論より年金離脱。教育改革論より不登校。
 大学改革論より大学離れ。財政改革論より外国債購入。
 外務省改革論よりアメリカ永住権取得。政治改革論より選挙は棄権。
 ジェンダーフリー論より独身生活。雇用革命論よりフリーター。
 
 アメリカの本質を論ずるより、アメリカの牛肉は食べないのが簡単な答え。
 で、このように日本は着々と変っている。国民は見事に対応している。
 
 そこで私の政策研究と私の政策提言。
 
一、憲法改正について
 「憲法に囚われず国としてやるべきことはどんどんやってしまいなさい」
 やってしまえば、法制局長官は必ずそれは違憲でないと説明をつけてくれる。
 最高裁も同じ。国民は安心する。憲法改正の法的手続はそのあとでやれば一瀉千里。
 
二、教育改革について
 「皇太子のお誕生日にテレビ局がインタービューをして、座右の銘は何ですかと伺う。
 『それは自分の曽々祖父の明治天皇の言葉である』とお答えになって教育勅語の一節を音吐朗々と暗誦なさる」
 これで“山が動く”。
 「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭儉己れを持し博愛衆に及ぼし學を修め業を習ひ以て知能を啓發し徳器を成就し進で公益を廣め世務を開き常に國憲を重じ國法に遵ひ一旦緩急あれば義勇公に奉じ・・・」
 教育基本法改正の遂条審議はそのあと。
 
 これが日本のやり方である。
 国民を信じなさい。
(二〇〇四年四月「知力」)


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