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自信を取り戻す
 インド、中国、ネパール、エチオピア、モザンビークを始めとする国々では、回復者が自分や子供たちの人生を変え、希望を持って歩みだすために、自信回復のワークショップが開催されています
 回復者、医療従事者、政府関係者、NGOなどが平等なパートナーとして参加する、自信回復ワークショップには大きく二つの目的があります。一つは、これまで長年にわたり差別や偏見の対象になってきたために、自信や誇りを失った回復者が、自分の経験や問題を話し合い、心の重荷を取り除いて、豊かな内面を持つ社会の一員として自信を回復すること。もう一つは、ワークショップを継続的に行うことによって、回復者や定着村間の連帯感を築き、同じ目的のために共に歩む者としてのネットワークを強化することです。一人一人の声は社会に届かなくても、ネットワークが誕生し、強化され、一つの確固たるグループとして多くが立ち上がれば、声は社会に届くようになります。
 
 2006年3月にネパールカトマンズで開催された女性の自信回復ワークショップには、カトマンズやポカラをはじめとする地域の定着村に住む、多くの女性が参加した。写真提供:パメラ・パーラピアノ
 
 インドでは州レベルの自信回復ワークショップが開催されており、州内定着村のネットワークが確立しはじめている。2003年インド・チャティスガル州の自信回復ワークショップ
 
私は村の代表として、このワークショップに参加した。
村に戻ってから、みんなに伝えよう。
私がここで学んだ一番大切なことを。
そう、私たちにも未来があるのだということを。
そして、私たちにだって、
できることがまだまだあるのだということを。
パトリック・オルジ(ナイジェリア)
 
ワークショップに参加し
互いに信じあい、認め合い、
そして分かち合うことができるようになったことが
どれほど私の気持ちをらくにしてくれたことか。
“共に歩もう”という言葉で、
私たちの尊厳と誇りが蘇るのを感じました。
皆の顔が歓喜で輝いていました。
私も解放されたと感じました。
ネヴィス・メアリー(インド)
 
自立した生き方を求めて
 ハンセン病定着村に住む人たちは、定収入につながる仕事に就くことができず、多くは、慈善や福祉に頼ったり、物乞いをして暮らしています。これは、身体的な障害、病気や村に対する差別、村の地理、貧困や差別のために充分な教育を受けることができなかったことなどによります。
 各国で開かれている回復者の自信回復ワークショップでは、自分たちの問題や、必要とされていることが語られていますが、ここで最も多く挙げられるものの一つが、働く機会です。
 ブラジルのクリスチャノ・トレスは、「私たちに慈善や哀れみはいらない。自分の能力を発揮する機会、そして世界を変えていく機会が欲しいのだ」と言っています。永遠に誰かに頼って生きていくのではなく、自分自身の足で立ち上がり、誇りを持って歩んでいくのに必要なのは、最初の一歩を踏み出すための小さな支援です。現在、NGOなどからこの小さな支援を受け、自分の能力を発揮する機会を求めて、各国で回復者は精力的な活動を始めました。個人や家族が行う養鶏、酪農、小物商などの小規模起業や、回復者グループが行う織物工場、植林など、国や人や環境に応じたさまざまな活動があります。
 自分で選んだ道を歩いていくことを通して、自信を取り戻すことと同時に、回復者やその家族が働き、一定の成功を収めることによって、社会もハンセン病回復者やその家族に対する見方を変えつつあります。
 
 フィリピン・クリオン島では回復者個人や家族で雑貨店や食堂を開業したり、魚や野菜を売ったり、グループで養豚をしたりといった活動が始まった
 
 インド・ハリアナ州の定着村では、1980年代より回復者の自立をめざし、織物、養鶏、牧畜が始まった。品質が高く、色彩が鮮やかな織物製品は、国内海外で販売されている
 
多くの人は、
私たちハンセン病回復者には
施し物をやればすむと思っているようだが
それでは問題は解決しない。
フランシスコ・A・V・ヌーネス(ブラジル)
 
子供のために
 私は物乞いを35年間続けた。35年間の物乞いの重みや、辛さは分かってもらえないと思う。私は病気にかかる前には、普通に仕事をしていた。しかし病気にかかると仕事は続けられなくなり、金がどんどんなくなっていった。必死に仕事を探したが見つからず食べ物を買う金もなくなった。仕方なく物乞いをするようになった。物乞いを始めてしばらくの間は、恥ずかしくて顔が上げられなかった。35年間、人の足元だけを見て暮らした。しばらくすると恥ずかしいことに慣れた。そのうちなんにも感じなくなった。他人にごみのような存在として無視され続けるうちに、誇りも自信も何もかもなくしてしまった。
 私が変わろうと思ったのは、子供たちが理由だ。私の子供たちは、私のことを恥ずかしいと思っていて、長いこと口を利いてくれなかった。学校で、乞食の子供といって、ずっといじめられていたそうだ。子供のためにやり直そうと思った。障害のある私がやれることは限られている。だからヤギを飼おうと思った。物乞いで稼いだお金を少しずつ貯めたので、ヤギを買うのには時間がかかった。今でもまだまだ稼ぎは大きくはない。でも、自分の働きで、お金を稼げるこの喜びは、何物にも代えがたい。35年もの月日がたち、いま、ようやく、私は顔を上げ、胸を張って生きていけるようになった。
リーベン(エチオピア)
 
リーベンと子供たち


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