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ハンセン病は
長い人生の短い一幕
エルネスト・カバノス・ジュニア(フィリピン)
 
写真提供:パメラ・パーラピアノ
 
はじめに
 ハンセン病は、長い偏見と差別の歴史を持っています。日本を始め、世界各地で天刑、業病、呪いなどと考えられてきました。1873年にノルウェーのアルマウェル・ハンセンによって、原因となる菌(Mycobacterium Leprae)が発見されてからは、伝染力は極めて弱いにも関わらず、恐ろしい伝染病として、治療法がなかった頃から、東洋、西洋を問わず、社会から強く隔離、排斥されてきました。
 1941年には、アメリカでギイ・ファジェイ博士が結核治療薬のプロミンをハンセン病治療に試用し、その効果が発表されました。しかし当時、アメリカと激戦を繰り広げていた日本には、その情報はなかなか入ってきませんでした。プロミンの有効性が載った学術誌は、中立国スイスからドイツの潜水艦によって日本に届けられ、これにヒントを得た東京大学初代薬学部長石館守三博士は独力で研究を始め、1946年にその合成法の完成を見るに至りました。1948年には全国で24人が試用し、著しい効果が認められました。1950年代にはプロミンを錠剤にしたダプソンが世界的に投与されるようになり、ハンセン病制圧に大きな希望が出ました。しかし、1960年代半ばに、ダプソンに対する薬剤耐性が発見され、1970年代を通して、この薬剤耐性は世界的に確認されるようになりました。
 1982年にWHO(世界保健機関)が発表したMDT(多剤併用療法)により、現在ではハンセン病は完全に治癒する病気となりました。今日では、地域の保健所で他の病気と同様に外来治療の対象となり、患者数も激減しています。しかしその反面、ハンセン病に対する差別と偏見は未だに根強く残っています。病気が治っても、多くの人が故郷や家族のもとに帰ることができず、療養所や病院周辺のハンセン病定着村に暮らしています。病気を体験した本人やその家族は、就学、就職、結婚、社会行事などさまざまな生活の局面で、現在でも厳しい差別を受けています。
 
インド・ジャルカンド州の定着村
 
アンゴラ・ベンゲラ州の定着村
 
 医療面でのハンセン病への取り組みは、目覚しい成果をあげています。しかしハンセン病という病気を意識せずに暮らしていける社会を目指すためには、さらなる社会面での取り組みが必要とされています。
 この冊子は、ハンセン病についてできるだけ多くの方に知っていただくために、世界のハンセン病の状況、医療面での取り組み、社会面での取り組み、回復者の声をまとめたものです。ハンセン病の過去、現在、そして今後の課題を通し、病気や障害や問題を抱える人も共に生きる社会について、考えていただければと思います。
 
 ハンセン病は外来での治療が可能となり、治療開始から1年以内には治る病気となりましたが、他の病気とは大きく異なる点があります。病気が治っても、偏見や差別のために、病気にかかる前の生活に戻ることができないという点です。治癒した後に病気にかかったことを意識することなく暮らしていける社会になってはじめて、ハンセン病問題は解決したといえるのです。
 ハンセン病問題を解決するためには、医療面と社会面の取り組みが必要です。医療面での取り組みは、ハンセン病にかかった人をできるだけ早く発見し、すみやかに治療を受け、病気を治すこと。社会面での取り組みは、病気を治療中や治癒した後に、一人の人間として誇りを持って暮らしていくことができるようにするための活動です。ハンセン病を体験した人やその家族が尊厳のある生活を送ることができる社会を築くためには、教育、企業、メディアを含む社会のさまぎまな分野がパートナーとして、ハンセン病問題に取り組んでいかなければなりません。
 
コンゴ民主共和国・バコンゴ州の定着村
 
ミャンマー・ヤンゴン郊外の定着村
 
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