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丸亀市
競走場の沿革
 昭和二十七年四月十七日、競走場事前審査の決定通知を受け、同年四月二十六日、モーターボート競走を行なうことのできる市として指定せられた丸亀市は、いよいよ本格的な工事に着手したのである。
 先ず公有水面の埋立を昭和二十七年七月一日着工、十月完成を目標に突貫工事にふみきり、建物関係も埋立と並行して着手、モーター及びボートの購入、製作と打って一丸となり、全力を傾注。初開催を昭和二十七年十月三十一日と定め、昼夜兼行完成へと邁進したのである。
一 当時の経費
1 敷地造成並びに競走場浚渫工事
総面積 三七、五〇〇平方米
工事費 三、七二六万円
2 建築工事
総床面積 三、九六八平方米九一
工事費 一、六七〇万円
3 設備費 八五五万五千円
4 救難・連絡用モーターボート購入費 四〇万円
5 事務費 一八万五千円
合計 六、三一〇万円
 以上で、一切を完了したのである。
二 当初のボート、モーターの保有数
ボート
最新国艇型ランナーバウトA級 二〇隻
ロケット型ステッパー、ハイドロプレンB級 二〇隻
普通ステッパー、ハイドロプレンA級 一〇隻
合計 五〇隻
 この上B級ランナーバウト二〇隻を追加して、荒天時に備えたのである。
モーター
ミクロA級 (七・五馬力)一〇台
ウエストベンドA級(七・五馬力)一〇台
ヤマトB級 (一五馬力)二〇台
キヌタ (七・五馬力)二〇台
合計 六〇台
 参考までに、当時の購入先は次の三社であった。
国際競艇興業株式会社
日本モーターボート株式会社
東京ボート株式会社
 しかし建物関係は完全には出来なかったが、一応所定の規格に合格したこの工事も手なおし程度を残し、いよいよ十月三十一日を期して第一回丸亀ボートレースの幕を切ってスタートしたのである。
三 施設の改善状況
 昭和二十七年完成以来回を重ね、施設も随時増改築を実施して来たが、売上も軌道にのり施設改善調査会の勧告もあり、昭和三十八年度より三ヵ年計画による改善を実施
昭和三十八年度 八七一万六千円
昭和三十九年度 二、四七二万五千円
昭和四十年度 一、九〇〇万円
の金額で、特別観覧席及び審判電化設備を完了。昭和四十一年度ファンサービス面を勘案、特別観覧席の増設を計画、予算は四、九二六万七千円で完成、売上上昇に邁進した。
四 現在の改善状況
 昭和四十二年一月二十八日、運輸省告示第二七号により全面的な改修に乗り出し、予算三億七千万円で現在着々と進行中、完成の暁には自他共にゆるす丸亀競艇場に生れ変わるものと確信している。
 
施行者の沿革
一 丸亀市のおい立ち
 徳川時代より京極藩となり、藩主は京極朗徹、高徳と二代にわたり治政を担当(六万六十七石)
 明治四年二月五日廃藩置県、四月十日〜十一月十四日、丸亀県、十一月十五日〜明治六年二月十九日香川県(第一次)二月二十日〜明治八年九月四日名東郡、九月五日〜明治九年八月二十日香川県(第二次)八月二十一日〜明治二十一年十二月二日愛媛県、十二月三日〜香川県(第三次)となり、今日に至っておる。従って県庁所在地も高松市に移り、丸亀は町制を施行し、現在、丸亀市となり来年即ち昭和四十四年は市制施行七十周年に当たる。
二 丸亀市の首長について
 明治三十二年四月一日市制を施行して丸亀市と称し、初代市長に豊田元良氏が就任した。以後、代を重ねること十代、昭和二十一年地方制度の改正により、地方公共団体の長は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙することになり、昭和二十二年四月六日の市長選挙において、今は亡き三原勝英氏が公選せられて第十一代市長に就任、以来四選十六年の長きにわたり市長を歴任した。
三 ボートレース発祥の経過
 昭和二十年八月十五日、太平洋戦争の終結により地方経済の疲弊も一段落したが、復興の足音は遅々として進まず地方公共団体の財政は極度にひっぱくし、何等かの施策をと考慮中、時あたかも現全国モーターボート競走会連合会長笹川良一氏の提唱にかかるボートレースの気運がたかまり、連合会より矢次一夫、板倉弥三郎両氏の視察の後、坂出市在住の連合会役員龍田紅陽氏が立地条件その他もっとも適している所を物色、第一候補地高松市専売公社東側埋立地、第二候補地丸亀市港湾及び第三候補地大川郡安戸池、仲多度郡満濃池を挙げ、高松市の予定地が絶好の場所として折紙をつけられたので交渉を重ねたが、一年先であれば何とか考慮しようということであり、急を要するので第二候補地の丸亀市を挙げ、当時の山内、永田両市会議員に相談を持ちかけ種々奔走の末内定した。
 ここにおいて香川県モーターボート競走会設立の機運がたかまり、昭和二十六年十二月二十六日設立準備会を結成昭和二十七年一月三十日許可をうけ、昭和二十七年二月二十二日登記完了、役員一一七名、出資金二〇〇万円をもって運営を開始し、初代会長に前高松市長国東照太氏が就任した。
 ここに至り、丸亀市においても戦災後の財政の充実を目途として競艇事業の実施に踏切り、翌昭和二十七年二月二十日に丸亀市議会にモーターボート競走施行に関する件を提案、即日議決、昭和二十七年二月二十一日地方財政委員会委員長野村秀雄氏にモーターボート競走法第二条によるモーターボート競走施行指定申請を下記理由により提出した。
 (イ)大衆のモーターボート並びに海事に対する関心を昂め、之に関する知識を普及すると共に国立公園の一環たる観光事業に資するため。
 (ロ)モーターボートの性能の向上、品質の改善その他製造に関する事業の振興に寄与するため。
 (ハ)窮迫せる市財政の増収を図り、真に緊急己むを得ざる教育施設の整備、住宅の建設並びに地盤沈下による復旧事業等に貢献するため。
 (ニ)都市計画、土木事業に貢献するため。
 又競走場設置を必要とする理由としては、本市は、香川県のほぼ中心地に位置し、高松市、坂出市、宇多津町、多度津町、善通寺市(当時は善通寺町)琴平町、詫間町、観音寺市(当時は観音寺町)等主要都市町の附近であり、又四国縦断並びに横断鉄道(土讃線及び予讃線)の岐点でもあり、最適と思われる。
 以上が施行と設置の理由である。
四 競艇場の建設認可
 昭和二十七年四月十七日に至り、下記のとおり競走場建設事前審査決定がなされたのである。
(写)全連総第六十一号
昭和二十七年四月十七日
社団法人全国モーターボート競走会連合会
会長 足立 正
香川県
丸亀市長 三原勝英 殿
モーターボート競走場事前審査決定通知の件
 首題について商水第四〇号昭和二十七年二月二十一日付をもって事前審査申請書の提出がありましたので競走場建設に関する運輸省からの通牒の趣旨に沿って慎重検討の結果左記の通り決定しましたからご通知いたします。
 なお本件は運輸省舶機第九十一号昭和二十七年四月十六日付をもって正式承認を得てありますから、さようご承知願います。
一 申請書記載の計画に従い競走場を建設されたい。
二 右の競走場の建設時期については、連合会と連絡せられたい。
三 モーターボート整備確保のため格段のご協力をお願いする。
五 指定市の認可について
 昭和二十七年四月二十六日に至り、下記のとおり、指定された。
 (写)地方財政委員会告示第二十号
 モーターボート競走法(昭和二十六年法律第二百四十二号)第二条第一項の規定によりモーターボート競走の行うことのできる市を次のように指定する。
昭和二十七年四月二十六日
地方財政委員会
委員長 野村秀雄
丸亀市
 以上で諸般の準備は全く整い、担当課である事業課が昭和二十七年六月二十九日発足、初代課長に高谷孫一氏が任命されたのである。
六 担当課の経過について
 昭和三十二年四月一日、二代目課長吉田善夫氏、昭和三十五年十月一日、三代目課長として高谷氏が復帰、この時、市長の改選で、現在まで再選を続けていた三原市長が退き、昭和三十八年四月六日、十二代市長として堀家重俊氏が就任。昭和三十八年九月一日、四代目課長として尾崎享一氏が任命せられ、続いて昭和四十一年九月一日、機構改革により課制を廃して局に昇格、初代局長に尾崎享一氏が任命された。
 昭和四十二年四月六日改選により、堀家市長再選、十三代市長として現在着々と市政に取組んでいる。
 
初開催当時の市長 故三原勝英
 
現 丸亀市長 堀家重俊


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