5.4 EU海事政策「Leader SHIP 2015」
EUの長期的海事政策「Leader SHIP 2015: 欧州造船・修繕業の将来の明確化」98は、欧州造船業が直面する課題の解決をめざし、将来的な競争力強化への指針となるものである。
造船業を含むハイテク産業は、知識の蓄積が成功のベースとなるため、「LeaderSHIP 2015」では、EUの経済、社会、環境再生への長期的戦略が、造船業にとってどのように適用されるかを示している。
「Leader SHIP 2015」は、アジア諸国政府による造船業への戦略的国家補助が、需給関係の歪みを生じさせたと指摘する。国家補助が今後も続いた場合、過大な建造能力が、周期的に変動する世界の造船市場を特徴付ける自由なビジネス環境に悪影響を及ぼすと警告している。最大の問題は、船価への影響である。
特定の国々による公正性を欠いた公的補助と価格設定により、造船市場環境は最適化されていない。EU内でも国家補助は存在するが、国際レベルで適用されることはない。過大な建造能力により、造船所は船台を埋めるために、不当に安い船価で新造受注することになり、造船所の損失は拡大し、破綻を避けるためにさらなる国家補助が必要となるという悪循環が既に存在する。
ある大造船国政府による同国造船所に対する数々の直接的、間接的保護措置は、欧州造船業のビジネス環境に大きな悪影響を与えている。その保護措置とは、債務免除、債務の株式スワップ、国営及び半国営銀行による利払い免除、船価のダンピング、不透明な造船ファイナンス、自国造船所による市場の独占、輸入制限等の市場アクセスの制限、輸入課税、船社による自国建造船の優先、船主への市場価格以下での融資等である。合法的でも、違法でも、船主に自国船購入を促す国家補助も、自国造船所への保護措置の一部と見なされる。このような補助は、通常自国船主のみを対象としたものであるからだ。
「LeaderSHIP 2015」では、以下の様に、問題点とその解決法を示している。
(1)国家補助
問題点:
●世界の造船業は、常に需給関係の不均衡に悩まされている。
●不当な価格設定により、競争状況に歪みが生じている。
●船価の低迷により損失が生じ、結果的に国家補助、その他の保護措置が増大する。
●国際的な貿易ルールを造船業に適用することは困難である。
解決法:
●現行のEU貿易政策を確固として継続する。
●該当するWTO(世界貿易機構)の規制を造船業にも適用する。
●2005年中に新造船協定に合意し、現行規制の明確化と強制的なOECD(経済協力開発機構)規制を発効させる。
(2)研究開発・イノベーション投資の改善
問題点:
●欧州造船業は、価格ではなく、先進技術で国際的に競合すべきであり、そのためには研究開発投資が不可欠である。
●造船業の研究開発は他の製造業と異なるが、現行のEU研究開発政策ではその違いが考慮されていない。
●造船技術の知識創造は、常にプロトタイプの開発に統合されるが、その活動への援助は十分でない。
解決策:
●汎欧州規模の造船関連研究開発活動を統合、集中させ、既存の海事産業フォーラムを基礎とした技術プラットフォームを構築する。
●造船業の研究開発活動の条件を、他の製造業と同レベルに引き上げる。
●設計、開発、製造の全過程における実際の技術的リスクを考慮した支援を行う。
●イノベーションヘの支援に関する新たな定義を決定する。
●欧州の技術的優位性の維持をめざした研究に伴うリスクに見合う投資を行う。
(3)ファイナンス
問題点:
●造船は多大な資金を必要とする事業であるが、造船所の資金調達能力は限られている。
●多くの商業銀行は、造船融資から撤退している。
●非EU諸国の造船所は、自国政府からの財政援助に依存している。
●輸出融資は、造船業には完全に適用されていない。
解決策:
●引渡し前、引渡し後の融資を対象とした汎欧州的保証基金の設立を検討。EU基準を他市場及びOECD基準に整合させるという代替策もあるが、実現は困難。実現可能な解決策を模索。
●輸出クレジット保険会社は、再保険機能を用いた為替リスクの回避ツールを提供すべきである。
(4)欧州の艦艇建造の必要性
問題点:
●各国海軍の操作基準の不一致が、造船所間の協力体制を阻害している。
●輸出規制とその適用と解釈の相違により、市場競争の公正さが阻害される可能性がある。
●防衛機器の共通市場がないため、産業の統合が困難である。
解決策:
●大規模プロジェクトを可能にするために共通操作基準を構築する。これにより、造船所間の協力が可能になり、システム、艦艇、艦隊間のインターフェイスを実現する。
●EU諸国は輸出基準の共通ルールを構築すべきである。
●汎EU規模の防衛能力の研究開発、取得、軍備担当当局を設立し、軍事製品の欧州市場構築を目的とした共通ルールを定める。
(5)熟練労働力の確保
問題点:
●産業構造の変化により、熟練労働力の確保が困難になりつつある。
●汎欧州規模の人員やノウハウの交流は少ない。
●造船産業はポジティブで魅力的なイメージを十分に宣伝していない。
解決策:
●造船業専門のマネジメント・トレーニングを開発。
●セクター内のダイアローグにより、新たな技術力へのニーズを分析、決定。
●店員から学者まで、あらゆるレベルでの人員とノウハウの交流を実現。
●造船業のバイタリティと持続性を示す広告キャンペーンを展開。
●各地域の優良企業・機関が上記の解決策の実施を支援。
(6)持続性のある産業構造の構築
問題点:
●造船・船舶修繕業は欧州にとって戦略的産業であるにもかかわらず、その産業構造は最大限の効果を上げていない。
●アジア諸国による国際貿易や投資におけるルール違反、ビジネス・パターンの変化に、欧州は総合的に対応すべきである。
●EU拡大により、産業統合へのニーズが更に高まっている。同時に新たな機会を提供している。
●これまでの産業再編は、必ずしも持続的な結果を生まなかった。
解決策:
●保護主義や放任主義は解決にはならない。EU25カ国は、他の産業政策と整合性のあるセクター政策を開発しなければならない。
●欧州の造船所の統合を更に進め、生産効率の悪い造船所を排除することにより、新たな投資資金を使用可能にする。
●造船所閉鎖に際しての現行のEU援助ルールを改め、統合への援助を基本としたアプローチに変更する。
新規10カ国の加盟によりEU市場は更に拡大し、それに伴う政策統合や人口増加により、域内貿易と国家間、企業間のパートナーシップは増えている。このような進展は、EU各国、各企業にとって生産増加と経済スケールの拡大を意味するものである。また、加盟国数の増加に伴い、国際貿易協議等におけるEUの発言力は増し、EU既存15カ国にとっては、EU内外の新市場進出の機会を与えている。
(既存加盟国、新規加盟国及び非加盟国への影響)
全般的なEU拡大によるEU加盟国への影響は上記のとおりであるが、新規加盟国又は加盟候補国の海事産業にとっては、以下のようなEU海運政策取り入れに伴う直接的影響が大きいと思われる。
●EUの国家補助ガイドラインの改正による、国家補助の監督強化と、船籍国のトン税制度の強化。
●港湾サービスの自由化。
●EU域内のショートシー・シッピングの振興。
●EU内の道路輸送の海上・水上輸送と鉄道輸送へのモーダルシフトをめざしたEU第2マルコ・ポーロ・プログラム。
●海運セクターの競争促進をめざしたEU政策。
●海運の安全性向上をめざしたシングルハル・タンカーのフェイズ・アウト促進。
●欧州海事安全局の設立と海事安全政策の採択。
●船舶及び港湾の安全性強化。
●船員トレーニングの最低基準に関するEU指令の採択。
●既存の海事労働基準の統合。
一方、世界的な海運の好況は、多くの欧州諸国、特にEU既存15カ国を含む西欧造船所に、その造船・船舶修繕・改造セクター復興への政策の再検討を促している。西欧造船所は、船価ではアジア諸国や東欧諸国の造船所に太刀打ちできないことを認識し、対応を検討・実施している。
これらEU拡大に伴う海事産業への影響は、以下に示すオランダ(EU既存15カ国)、ポーランド(EU新規加盟国10カ国)及びノルウェー(EU非加盟国)をめぐる事例に顕著になっている。
オランダとノルウェーの発達した海事クラスターは、数々の面で競争力強化を図ってきた。ノルウェーは、エネルギー産業への依存を軽減し、ニッチ市場の多様化をめざすと同時に、舶用セクターの技術力を背景に付加価値の高い技術、製品を創造している。また、建造の迅速化とコスト削減により、生産性向上に尽力してきた。
ノルウェーの造船所は、造船不況時期に多くの人員を削減したが、最近の好況による人員不足を補うために、自国民ではなくポーランド等の人件費の安い労働力を雇用している。例えば、ノルウェーのUlsteinvikの造船所は、最近ポーランド人労働者100人を雇用したことにより、受注量が回復した。また、ノルウェー商船隊では、何千人ものポーランド人オフィサーと船員が働いている。
ポーランドのEU加盟後、ポーランドとノルウェーの協力関係はさらに強化され、ノルウェーが受注した新造船の多くはポーランドの造船所で建造されている。同時に、ノルウェーの技術、ノウハウを習得したポーランドの造船所は、その競争力を高めている。
東欧からの安価な労働力が大量流入したオランダでも、ノルウェーと同様の状況が進展している。オランダの造船所は、最近ポーランドの造船所との提携を強め、複雑な技術をさほど必要としない船体建造や部分建造を委託することが多くなっている。
ポーランド造船工業会は、自国の造船所労働者や専門家が西欧諸国に流出している事実を認めているが、同国には依然として熟練労働者が過剰に存在するため、現在の流出率では自国造船業に大きな影響はないとしている。
EU加盟に伴い、ポーランド造船業はEUの公的補助ルールに従わなければならない。EUは「一時的自衛メカニズム」(Temporary Defensive Mechanism: TDM)により、造船所に対し、政府補助を認めているが、TDMの適用には、長期的な造船所再建への数々の条件が課せられる。他国造船所に対する競争力強化を目的に、EUは、ガス・タンカー、ケミカル・タンカー、コンテナ船を建造するEU造船所に、受注契約金額の6%までの政府補助を認めている。
しかし、ポーランド政府はEU加盟以前に自国造船所への補助を行ったことに加え、加盟後にもグダニスク、グディニア、シュツェチンの主要造船所に対してTDM補助を行っており、その法的正当性が問題となっている。EUは、ポーランド政府のTDMが、これら造船所の再建と債務返済のための政府融資を伴っており、競争原理に反するとしている。また、造船所再建への長期的有効性を疑問視している。ポーランド側は、補助は合法であると主張しているが、EU欧州委員会は2005年6月に調査を開始した。
(EU海事産業界の対応)
欧州造船所の新造受注は好調で、2004年の受注隻数は前年比40%の増加であった99。しかし、これはアジアの造船所の船台不足によって受注が欧州に流れているという要因もあり、アジアの受注ラッシュが落ち着けば、船主は再びアジアの造船所に発注する可能性もある。
欧州造船所の強みは、その技術力と整備されたインフラで、最新鋭の複雑な船舶のデザインと建造に必要な技術力とあらゆる舶用メーカーが揃っていることである。しかし、欧州の舶用メーカーが技術者や製造拠点をアジア地域に移動させていることにより、欧州造船所の優位性は縮小している。
このような状況下で、EUは、前述の「LeaderSHIP 2015」や海事技術プラットフォーム等の統合、合理化計画により、生産性の向上と研究開発の促進をめざしている。
欧州各国の様々な海事組織のコンセンサスは、EU拡大にはプラスとマイナスの両側面があるとの認識である。プラス面は、拡大したEUの加盟国及び組織間の協力が容易になること、マイナス面は、EU既存加盟国にとっては、賃金の安い東欧諸国の新規加入が脅威になり得ることである。
EU拡大に伴い発生する新たなビジネス・パターンとしては、下請け企業の使用頻度の増加が挙げられる。下請け企業の使用を制限しているデンマーク等の国々もあるが、最近のトレンドとして、幅広い経済効果を狙い、造船所が地元の下請け企業と契約する割合が増加している。しかし、このようなトレンドは、産業の裾野が広く、多くの下請け企業を持つ先進造船国では効率的であるものの、必要な産業基盤を持たない諸国にとってはマイナス効果となる。
また、政府補助問題でEUに提訴されているポーランドの例のように、新規EU加盟国にとっては、EUによるコントロールがこれまでの自由度に影響する場合もある。同様に、EUの環境基準の適用が、環境問題対応で西欧諸国に遅れをとっている東欧諸国にとって、新たな問題となっている。東欧諸国の中では進んでいるポーランドにとっても、EU環境基準を満たすためには5年程度必要であるとされており、他の国々にとっては15〜20年かかる可能性もあると指摘されている。
EU既存15カ国を含む西欧諸国の企業の多くは、EU拡大以前から既に東欧諸国に進出しているため、前述のオランダ及びノルウェーの事例のほかにEU拡大後の大きなビジネス関係の変化は見られず、EU拡大に伴う具体的な影響を明確に示すことは難しい。現時点では、EU拡大後の変化は、欧州各国、各地域の業界団体間の意見交換の活発化等の目立たない部分に限られているようである。
我が国舶用産業におけるEU拡大によるビジネスチャンスの参考になるものとしては、中国によるチェコKrecise造船所への投資がある。中国はチェコを足場にEU単一市場にアクセスするという狙いがあり、チェコがEU加盟国となるからこそ実現した投資であるといえる。今後のチェコにおける海事産業の進展や貿易相手国の変化などが注目される。
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