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千葉県立関宿城博物館 平成17年度企画展 「高瀬船物語」 図録

 事業名 海と船の企画展
 団体名 関東海事広報協会 注目度注目度5


高瀬船の構造
広く浅く、そして軽く
 高瀬船は、箱のような構造を持っており、その大きさにもかかわらず、軽くて浮力があった。そのため、一、〇〇〇俵(約六〇トン)近くもの米俵を運ぶことができたのである。その特質としては、まず、船首部分にあたる表立板が、二枚立板といって、二枚の板を接ぎ合わせて造られていたことがあげられる(以下、図表4参照)。この様式は、サッパ舟などと呼ばれる小さな農舟にもみられるが、他に類例がなく、いわば利根川下流域における独特なあり方ともいえるべきものであって、それが高瀬船にも採用されていたのである。
 ここは、水押に相当するところで、たとえば海船の場合、極端に波を押し分ける必要があったため、その多くは舳先が一本木の水押となっているが、高瀬船の場合、そうではなかった。つまり、船首機能を活かしつつも、船底の一部でもあったということが重要なのである。この表立板から続く敷(船底)はもちろん平らであったが、単に平坦になっているのではなく、ヒアガリといって、前方後方とも反りを持たせてあった。これらのことは、河川交通の難点となる浅瀬を航行しやすくするための工夫で、非常に有利に働いたのである。
 そして、喫水を極力少なくするために、杉板の薄い部材を使って軽くし、幅広い胴回りとすることで浮力をもたせた。喫水は、一メートルにも満たなかったとされている(図表5)。こうした船体の軽さは、風の力を活かしやすく、場合によっては直接人が曳いたり、押したりすることも可能としたのである。しかし、その大きさの割に、極端なほど浅くする必要があったため、荷を満載にすると小縁がようやく覗くというところまで沈んだ。そのため、備前系高瀬船とはことなり、その上には五尺と呼ぶ波除板をはめる場合もあった。また、一般に流れが速く、浅い日本の川では、利根川高瀬船のような本格的な舵は、むしろ特殊であったといえる。
 
さまざまな高瀬船
 「船鑑」によると、同じ大型船であった利根川上流の上川(ひらた)・荒川の川越については、それぞれ「船/俗に上州ヒラタ/上口/長五丈一、二尺ヨリ八丈位/横一丈位ヨリ一丈三、四尺位/上利根川通ニ有之」「船/俗に川越ヒラタ/上口/長五丈一、二尺ヨリ七丈七、八尺迄/横一丈位ヨリ一丈四、五尺位/荒川通ニ有之」との記載がある。ちなみに上口とは「舳棧蓋ヨリ艫床マデ」のことだが、おおよそ船の全長に近い長さを示すものと捉えられている。
 ここで、特徴的なのは高瀬船の長さである。上州は五丈一尺、すなわち五一尺から八〇尺(約一五・三〜二四メートル、八・七メートル差)、川越は五一尺から七八尺(約一五・三〜二三・四メートル、八・一メートル差)とあって、三尺(九〇センチ)に満たない較差しかない。対して、高瀬船のそれは先に述べたとおり、最小が約九・三メートル、最大が約二六・七メートルとあって、この間には三倍近くもの開きがあり、同じ“高瀬”といってもさまざまであった。実はこのことが、高瀬船の実像を不鮮明にしている要因でもある。
 
大型船としての高瀬船
 利根川高瀬船は、中型のもので長さ約二〇メートル、幅約四メートルほどで、米俵にして約五〇〇俵程度積むことが可能だったという。これは『利根川図志』の記載にも通じる。一方、水戸藩では高瀬船について独自の分類法を持っていた。*坂場流謙が書き残した文化四年(一八〇七)の『国用秘録』巻三「海川船役銭改之事」によれば、大きさによって厳密に大高瀬・中高瀬・小高瀬と三種に分けていたことがわかる。このことは、小川町にある「小川三町船□控」(資料No.19参照)にも反映されている。このうち、水戸藩独自の寸法取りに則り、大高瀬の最大値をとっていえば、全長九七・二尺(約二九・一六メートル)、幅一三尺(約三・九メートル)とみられ、その最大積載量は一、二〇〇俵(約七二トン)であった。これが文献にみる最大の高瀬船である。こうしてみてくると、高瀬船はあたかも幻影のように映ってくる。
 ともあれ、利根川高瀬船には、大型船でなければならない理由があった。利根川水運の確立によって、東廻り航路による廻米船が銚子に入港するようになると、一八世紀後半では毎年一五万俵前後の米が陸揚げされた。これを、高瀬船に積み替えて江戸に回漕するためには、おのずと大船でなければ捌けきれず、房総半島を迂回して海路江戸へと直航するより、多少の割高運賃であっても、特に廻米期にあたる冬場は海上気象も悪いため、大いに利用されたのである。
 そして、利根川高瀬船は、香取の海と呼ばれる内海時代からの、伝統的な造船技術を継承していたものと思われ、そうした背景のなかから育まれた固有の船であって、近世以降においては、江戸や銚子で出会う海船の技術をも取り入れながら、大型化していったと考えられるのである。
*坂場流謙(さかば・りゅうけん)一七五〇〜一八二〇。水戸藩の郡方役人で学者でもあった。文化四年(一八〇七)『国用秘録』は民政に役立つようにと、藩の定め、法令の不備を補おうとした記録書である。
 
図表4 高瀬船の船体部分名称
 
図表5 水深と川船(船の断面)


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