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千葉県立関宿城博物館 平成17年度企画展 「高瀬船物語」 図録

 事業名 海と船の企画展
 団体名 関東海事広報協会 注目度注目度5


プロローグ 利根川高瀬舟
高瀬舟と高瀬船
 かの森鴎外の小説に『高瀬舟』という傑作がある。安楽死をテーマに命について問いかけた作品だが、“たかせぶね”と聞くと、すぐさまそれを想い起こす方も多いことだろう。しかし、ここでいう高瀬船とは、鴎外のそれとは大きくことなる。この物語の主役となるのは、かつて利根川水系で行き来していた利根川高瀬船のことである。
 鴎外の小説の題名ともなった高瀬舟とは、言うまでもなく、京都の高瀬川を往来していた川の船をさしている。そして、ここでは“ふね”に「舟」の字をあてている。対して、利根川水系を舞台の中心とした高瀬船の場合は、「船」の字を使う。これは、昨今の漢字表記に則しているわけではなく、利根川高瀬船については従前よりこの字を用いることの方が、むしろ一般的だったといってよい。のちに出てくる資料をみればわかるように、近世の古文書その他でも、そう表記したものであって、「高瀬船」と記しているのである。どちらかというと、舟は“小さな船”をさすといったニュアンスを含んでおり、鴎外もそれをイメージしたのであろう。すなわち、文字通り、両者はまったく姿形のことなる船であった。
 
高瀬という名の船
 高瀬と呼ばれた川船は、実は全国各地の河川にあった(図表1)。もちろん、いずれも同一寸法によったものではなく、それぞれの地域の実情に見合った工夫と形態を持ち備えていた。もともと瀬というのは水深のないところをいい、かつ、いささか流れも速いといった意味をも含むが、そのなかにあって、高瀬というのは、瀬高いところ、つまり同じ瀬であってもより深みのない、水面下の地表が高いということを意味している。すなわち、おおむね河川で使用する船のことを高瀬船と称していたというのは、このことに所以する。そして、これは、少なくとも近世以降のこととして通説化している。しかしながら、この呼称がどのような理由によって普遍的に認識されるようになったのかという問題については明らかではない。ただ、いずれにしても京都の高瀬川を端に発したわけではない。
 船にかかわる高瀬の文字は、『三代実録』の元慶八年(八八四)九月条が初出とされている。ここでは、*神泉苑用に新造した船として登場してくる。その実態は不明瞭であるが、記載内容から判断して「長さの割に幅の広い」船とみられ、従前の刳り船形態の船ではなく、板で組んだ箱形の構造船ではなかったかと推測されている。箱形構造船は、板を組んで造るため、素材の太さ長さの制約を受けず、船体の深さ幅とも自由が利いた。しかも軽量にできるため、*喫水は浅かった。このような構造船が造られるようになったのは、製材用の大鋸や船釘が登場し、板の接合技術も進んだ室町時代のこととされている。そして、中世後期になると、この形態の船が河川用の船として重用されるにいたったようである。つまり、このあたりから高瀬船といえば箱形構造船をさし、呼称に実態がともなってくるのである。やがて、箱形構造船高瀬船は、近世初期以降の河川交通の隆盛により、全国各地に普及していった。
*神泉苑 平安京内での天皇遊覧の場所。敷地のなかほどには大きな池が設けられ、ここで舟遊びや釣魚、捕鳥・観射・観馬など、各種の宴が繰り広げられた。
*喫水 船が水に浮かんだとき、船体が沈む深さのこと。
 
角倉了以と備前系高瀬船
 箱形構造の高瀬船が広まった契機のひとつに、*角倉了以の存在がある。了以は幕府の命を受け、大井川・富士川・天竜川、そして高瀬川と、次々と河川の改修と舟運の開発を行い、この際には、特に美作(岡山県北部)の和気川(吉井川)の高瀬船を規範とし、同様の箱形構造船を各河川に採用、導入していったという。そのため、この種の高瀬船のことは備前系高瀬船と呼ばれている。河川の遡航に適した細長い船型を持ったもので、薄板造りで平底、軽量による喫水の浅さが持ち前だった。その特徴としては、瀬持棒(せもちぼう)・艫櫂(ともがい)・深造りにした棚板(たないた・側面部)などが設けられていた点にある。
 この船の船首の左右には穴が開けられており、ここに瀬持棒、あるいは瀬越棒、瀬張棒などと称する押し棒が取り付けられるようになっていた。これこそが備前系高瀬船独特の装備だったともいえる。川を遡上する際にはこれを取り付け、ひとりが岸に上がって押し上げたもので、狭い川や岩の多い渓流に適した工夫だった。そして、船尾には後方に向けて艫櫂が出してあった。これは、推進力を得るためだけのものではなく、むしろ舵(かじ)の役割を担ったものである。さらに、もっとも基本的な特徴としては、左右の棚板がほとんど垂直に立ち上がった状態での、箱形の深い造りにある。船体の半分程度までを水面より上に出すため、波しぶきから積み荷を守るのに必要だったのである。俗に、高瀬の名が高背に由来するという説もあるほどである。
*角倉了以(すみのくら・りょうい)一五五四〜一六一四。秀吉や家康と通じ、朱印船貿易に従事する一方で、河川改修事業などに顕著な活躍をみせた江戸初期の育力政商。
 
利根川の高瀬船
 しかし、利根川水系の高瀬船は例外だった。備前系高瀬船の舞台となる渓流とは対照的な関東の大河で使われる船として、独自の道を歩んできたのである。
 享和二年(一八〇二)の「船鑑」は、幕府の川船改役によって作成されたと推定される絵図であるが、ここには五大力船など江戸の内川まで乗り入れた海船をも含め、三三種の川船が描かれており、船名や使用地域、寸法なども記されていて、関東地方の川船全般について知ることができる(図表2)。高瀬船については「高瀬船/関東川々所々ニ有之/上口凡/長三丈一、二尺ヨリ八丈八、九尺迄/横七、八尺ヨリ一丈六、七尺迄」とあって、その長さは最小でも約九・三メートル、最大にして約二六・七メートルもの大きさがあったことがわかる。加えて、セイジ(世事・炊事)と呼ぶ船室まで付いていた。
 
図表1 全国各地の高瀬船
おもな高瀬船
 
 他方、安政四年(一八五七)の『利根川図志』には「米五六百俵(毎俵四斗二升)を積む者常なり。舟子四人を以てす。その大なる者は八九百俵を積む。舟子六人を以てす」云々とあって、最大では九〇〇俵(約五四トン)積みもあるような積載量を持つ船であったことがうかがえる。つまり、備前系高瀬船と比較すると、長さに比して積載量が圧倒しており、船型も構造もまったくことなっていたと容易に想像することができる。利根川高瀬船は、一種独特な我が国最大級の川船だったのである。
 
おもな高瀬船の大きさ
使用河川名 長さ(m) 幅(m) 積載量(t)
富士川 約13.2 約1.8 約2.25(38俵積み)
高瀬川 約13.65 約1.99 約2.25(38俵積み)
吉井川 約15 約2.1 約4.50(75俵積み)
利根川 約18 約4.45 約28.8(480俵積み)
(註)吉川弘文館発行『国史大辞典』「高瀬船」(執筆者・石井謙治)の項を参照して作図・作表した。なお、利根川高瀬船の数値は、中型程度される八幡丸(資料No.56参照)の実測値を入れてあり、すべてがこの限りではない。また、「舟」の文字表記については煩雑を避けるため、すべて「船」としてある。
 
図表2 利根川水系の川船
(拡大画面:564KB)
◎TEM研究所(河出書房新社発行『図説日本の歴史13 図説千葉県の歴史』1989より)


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