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3)Eversley Childs Sanitarium訪問
 Eversley Childs Sanitarium(ECS)はハンセン病療養所である。ここではこの療養所の責任者であるDr. Geraldo Aquinoが迎えてくださった。この療養所にはハンセン病患者のための病床が200床、他の疾患のための病床が50床あるが、ドクターは3人しかおらず、またナースも少ないため、Dr. Aquinoは医療者として幅広い業務を24時間のDutyという過酷な条件の下でこなされているとのことであった。そのようにお忙しい中、フィリピンでのハンセン病の歴史、ECSの紹介について講義をしていただいた後、参加者のたくさんの質問に丁寧に答えていただき、その後、療養所内を案内していただいた。
 1930年頃までのアメリカ統治下のフィリピンでは、ハンセン病患者は家族と引き離され、各地からパラワン諸島のクリオンに集められ、隔離され、それが最も有効な対策とされていた。その後は、政府保健省により国内の各地域レベルでのハンセン病対策の必要性が認められ、セブ市が属する地域では1930年にECSが設立された。名前の由来は、設立資金を提供した米国人のEversley Childs氏から付けられた。現在、療養所敷地内に家族も住むことができるようになり、今では家族を入れて約2,000人の方が入居している。敷地内には小学校から高校まであり、プロテスタントとカトリック教会もある。20年ほど前までは日本と同様にハンセン病に対する社会的な差別があり、入居者は療養所外に出ることはできなかったそうである。しかし、現在は療養所外に職場を持って行き来は当たり前に行なわれている。ただ、現在では外来治療も可能であり、すでに完治した患者さんも多いが、生活共同体が療養所の中にできており、なかなか外に引っ越すということは少ないということだった。新しく発症した患者さんに関しては、現在では外来治療が可能であることから、以下の4つの基準に当てはまる人以外は外来治療をしてもらっている。療養所内に入院をする4つの基準とは(1)孤児や障害者、(2)合併症を伴う症例、(3)現在排菌している症例、(4)研究を行なう症例、であること。
 お話を伺ったあと、園内を案内していただいた。敷地は広く、Emergency Room(ER)も備えた診療所棟、女性ハンセン病患者用病棟、男性ハンセン病患者用病棟、小児病棟、ECSの歴史を伝える品々の展示された棟などがあり、閑静な雰囲気であった。ハンセン病患者用病棟は高齢者用の病室とそれ以外の方の病室に分かれていた。病室にはキリストを抱くマリア像も置かれており、入居者がいつでも祈れるようになっていた。診療所棟・小児病棟と書いたが、これはハンセン病のためだけの病棟ではなく、他の疾患も診るためにある。それというのもハンセン病患者が近年減少しており、ハンセン病療養所として政府からの援助を受けてきたECSも存続のためには他の疾患も診て保険診療機関として再スタートする必要があるからだ。見学させていただいた小児病棟は子供たちが好きなアニメキャラクターの絵がたくさん描かれ、小児用のベッドに横たわり点滴治療を受けている子供たちが十数人入院しており、お母さんが付き添っていた。
 以上のように見学して驚いたのは、ハンセン病も、ERも、一般の診察も、小児の診察も、とたくさんの仕事があるのに医師は3人だけであることだ。この人手不足はこの療養所だけの問題ではなく、フィリピン全体の問題であることをDr. Aquinoは語ってくださった。フィリピンでは医師をはじめ医療者の給料が安いため、家族を養うためやより良い生活を得るために海外に出稼ぎに行く医療者があとを絶たないということだった。現在、日本はフィリピンなどの海外からも看護師を採用することを検討しているが、その政策によりフィリピンの医療者不足はますます進むことや、医療者の海外流出がフィリピンの医療水準を上昇させてくれるものではない実態に目を向けなければならないのではないかと考えさせられた。また、日本からフィリピンの保健医療分野への援助と、フィリピンからの看護師の採用によるフィリピン人のための医療者不足の問題点についてはどのような関係があるのか、何か対策は取られていないのか等についてディスカッションを行い、これからよく考慮されるべき問題であることを認識した。
 もう一つ私達が考えさせられたことは、フィリピンと日本のハンセン病への差別の共通点と差異である。フィリピンでは1930年から家族もともに患者と入居ができたが、日本ではらい予防法がつい最近まで存在し、患者は家族からも差別を受けていた。この違いは何なのか、フィリピンで家族の入居を可能にした理由は何であったのか、などについて話し合い、今後、ハンセン病だけでなく他の疾患においても不当な差別が発生しないようにするには、どのような対策が必要なのかを話し合った。 (文責:貞方)
 
療養所の歴史を語る品々
 
療養所内の小学校とDr. Aquino
 
4)Leonard Wood Memorial Laboratory訪問
 
Laboratoryの外観
 
 Leonard Wood Memorial Research Laboratory(LWM)はECSに隣接した研究施設で、現在はハンセン病に限らず様々な研究を行っている。Laboratoryは基礎研究、臨床研究とCebu Skin Clinicの3部門から成り立っている。ECSでの見学で盛り上がったため、LWMには遅れて到着してしまった。そのため、施設の機構については詳しく聞く時間はとれなかったが、Scientific DirectorであるDr. Robert GelberにLaboratoryがどのような研究を実施されているかについてユーモアを交えた興味深い話を聞くことができた。先生の奥様が100%日本の血をひいていて、子供二人とも日本人の名前だったり、先生ご自身が京都が好きで日本庭園をこよなく愛すという親日家である一方、24歳から現在63歳になるまでLeprosyを研究し、現在カリフォルニア大学サンフランシスコ校の医学部の教授で、かの有名なハリソン内科学のLeprosyの部分の筆者でもあるという大家である。それだけ著名な先生だが、気さくでユーモアに富んで優しい感じだったのが印象的だった。
 
 Laboratoryで行われていることを次のようなことを中心に説明してもらった。
 
・新しい抗生物質の開発と評価。
 マウスの足で培養したものに対して薬剤の効果を見ることができる。実際、新しいよりよい効果が期待できる薬剤があるらしい。また、どのような薬剤の投与法がいいのかclinical trialも行っているとのこと。ハンセン病の治療は今はだいぶ良い成果を上げているが、重篤なケースでは再罹患するケースも多くよりよい治療法が求められている。薬剤耐性菌に関する研究も東京の感染症の研究施設と共同してやっているとのお話だった。
 
・血清学検査の精度向上。
 ハンセン病や結核に誰が感染しているか簡単に分かれば重篤になる前に治療が開始できるし、病気が広がるのは防げる。メカニズムはよく分からなかったが、今まで検査されていた抗体を持っているのはmultibacillaryの患者でも70%に過ぎないが、感染により組み替えられた遺伝子から作られるタンパクを精度良く検出できれば近い将来検査の精度が上がるだろうということだった。
 
・結核のワクチンの開発。
 BCGは小さい頃は髄膜炎にかからないのには効果がある。大人になったらほとんど効果はない。また、よく効く国から効かない国まであるらしくて、BCGでは不十分なことが多いなか、現在世界で200万の人が一年間に結核で亡くなっている。このような状況下、結核のワクチンの需要があるわけだが、LWMではワクチンの効果を試すのにPhilippine Monkeyを対象として行っている。マウスや豚では免疫システムが違うので人間に免疫システムが近いPhilippine Monkeyは理想的だそうだ。
 
 最後に先生が、「ハンセン病はpoor people、poor countryの病気だと捉れているが、この分野で働けるのが光栄なことであり、先進国は自国で流行らなくなった病気に対して関心が薄れがちだが、研究を続けていくことが大切だ」とおっしゃっていたのが心に残った。 (文責:関)
 
Dr. Robert Gelberの講義
 
8月5日 今日の一言
岡田:むむっ、人によってかなり英語の聞き取りやすさが違うなぁ。ただハンセン病での講義は国内研修で聞いていただけあってかなりついていけた。初日からフィリピンでの保健行政システムも出て、周りの突っ込み(質問)もあり内容的に充実していた。みんなすごいわ。昨日食べ過ぎて夜はダウン(泣)
金子:英語が苦手なことを心から悔やんだ日。ああもったいない・・・。でもみんなに助けてもらって、本当に感謝しています!
貞方:日本ではハンセン病の歴史を学んだが、一般病院ではハンセン病を実際に診ることは少ない。今日見学させていただいたセブスキンクリニックでは特徴的な皮疹を患う患者さんがたくさんいらっしゃって、私達に患部を見せてくれた。とっても問題なのに日本では過去の病気のハンセン病を実際に学ばせてもらいとても感謝。
:セブ島の施設を回り、フィリピンにおけるハンセン病対策等について学んだ。家族とともに療養所に入れるということが、結果的にフィリピンのハンセン病患者を取り巻く環境を明るいものにしているように思えた。昔、家族ごと隔離をした本来の意図を考えると薄気味悪いところではあるが。塞翁が馬!?
飛永:フィリピンに来て初めての本格的な見学。一ケ所目から自分の英語力の無さにすっかり自信を喪失してしまった。何とかしなければ・・・。スキンクリニックでは、初めて実際に患者さんを見させていただき、教科書に載っている病気が、見たことのある病気になった。この経験は、実際に医師として仕事をする上で絶対に役立つはず。
福永:たった1日にして色々な刺激・情報にすでにover heat。ハンセン病はフィリピンではまだまだ現在進行形の疾患なのだと実感。
今井:実際にハンセン病の患者さんと接する貴重な機会があった。日本と違い若い患者さんがなぜこんなにいるのか疑問に思った。
関谷:ハンセン病の患者数の減少と外来治療に伴い、小児科の患者を受け入れてサニタリウムの継続をはかろうとしていたことが印象に残りました。療養所の将来構想に関する問題は、日本とフィリピンの両国に共通していることだと学びました。
筒井:「英語」という高い壁を痛感させられた一日。ハンセン病の女の子と、そうではない女の子が、仲良く手を結んで歩いている姿が印象的でした。援助を求める母親の姿に、現状の本当の厳しさを垣間見たような気がします。ほんの一部でしかないのだろうけど・・・
船橋:医療従事者の国外流出問題について色々なお話を伺った。子供の将来のために米国を目指す医師も多いそうだ。フィリピンの将は?
赤木:ハンセン病の病院で患者さんが研修に協力的だったのが印象的でした。医療に対する参加意識が強いのかな。
城下:マアイオン・ブンタ??:セブアーノ語をマスターしようとがんばるも、うまく発音できない。ホテルのフィリピーノには、日本語で返されてしまう始末。スキンクリニックの人には何とか理解してもらえたようだが、あと2日と考えるとモチベーションが上らず、断念。 (訳 おはよう)
平野:フィリピンのハンセン病の療養所を見てまわり、家族で住むことができるなど、日本より明るいイメージをもったのだが、ミーティングで、どうもそうではないだろうという話になった。ミーティングですごく考えさせられた。
鈴木:初日から英語がわからず落ち込んで。皆にすがる必死の一日。自分にないものわかるのも研修中の大収穫!


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