(2)海洋理工学会平成17年度春季大会シンポジウムの講演要旨
諸外国のバラスト問題と対策
吉田勝美, 株式会社 水圏科学コンサルタント
東京都大田区上池台1-14-1, TEL: 03-3748-5900,
e-mail: yoshida@lasc.co.jp
1. はじめに
船舶の運航に不可欠なバラスト水による水生生物の国際間の移動・拡散問題は、21世紀初頭に人類が直面し、解決のための方策を早期に実施しなくてはならない地球規模の海洋環境保護問題の一つである。
生物の国際間移動に関しては、1982年の国連海洋法条約及び生物の多様性に関する条約が、生態系の保全のために、在来種を脅かす外来種の移入を防止・軽減する必要な措置をとることを全ての国に対して要求している。また、1992年の国連環境開発会議(地球サミット)におけるリオ宣言基本方針も同様のことを呼びかけており、国際海事機関(IMO)に対し、船舶バラスト水排出に関する適切な規則採択のための審議を要求している。さらに、2002年に南アフリカのヨハネスブルグで開催された、持続可能な開発に関する世界サミット(RIO+10)の実施計画も、バラスト水中の侵略外来種の対処方法を促進するためのあらゆるレベルの措置を要請している。
このような背景に基づき、国際海運を統括する国際海事機関(IMO)は「船舶のバラスト水及び沈殿物の制御及び管理のための国際条約」(以下、バラスト水管理条約)を2004年2月9日〜13日に開催した外交会議で採択した。また、現在は同条約の実施に必要な13のガイドラインの作成作業を、2005年7月に開催する第53回海洋環境保護委員会(MEPC53)及びその後の会合での早期採択を目指して進めている。
バラスト水管理条約によれば、発効後に実施が義務づけられるバラスト水管理方策は、外洋上でのバラスト水交換、装置によるバラスト水処理、バラスト水受入施設への排出及びMEPCで承認されるその他の方策のいずれかである。このうち、バラスト水受入施設の整備及びその他の方策に関しては、整備・開発を進める現実的な動きは現在のところ見受けられない。すなわち、外洋上でのバラスト水交換及び装置によるバラスト水処理が現実的なバラスト水管理方策であると考えられている。また、外洋上でのバラスト水交換にはバラスト水交換基準(規則D-1)、装置によるバラスト水処理にはバラスト水排出基準(規則D-2)を満足することが要求されている。なお、バラスト水交換を実施した場合でも排出バラスト水が排出基準(規則D-2)を満足できなければ、建造年及びバラスト水容積に応じ、段階的に装置によるバラスト水処理が義務化されることになっている。よって、条約が認めるバラスト水管理方策中でも、排出基準(規則D-2)を満足するバラスト水処理システムの開発が急務となっている。
このように、船舶バラスト水問題はIMOや各国の努力によって、ようやく実際の規制及び対策を実施する段階となった。
一方、バラスト水管理条約の作成・発効に努力を注ぎながらも、問題の大きさを深刻にとらえている国は、条約の発効を待たずに独自規制を実施する動きも見られる。これら独自規制の内容は様々であるが、今後、条約発効の見通しがつかない場合には、独自規制の傾向が強まる可能性もある。
本講演では、諸外国のバラスト水問題と対策と題して、バラスト水管理条約以外の各国が実施中あるいは予定する規制内容、及び開発中のバラスト水処理技術を紹介する。また、これに先立ち各国から報告されているバラスト水による水生生物の移動及び被害事例についても紹介する。
2. 水生生物の移動と問題
(1)水生生物の移動事例と要因
既存の報告事例を集計した結果では、バラスト水以外の移動要因も含む国際間での水生生物の移動は合計523種に達する。ただし、移動要因として船体付着等の他の要因あるいは不明としている報告も多く、明確にバラスト水を移動要因と指摘しているのはそのうち160種である。図1は、日本を中心とした水生生物の移動要因の比率である。
このように、水生生物の国際間の移動は、バラスト水以外の要因によっても引き起こされていると考えられる。水生生物の国際間の移動防止は、本来、これら要因全てに対して実施することで、効果的に行えるものと考えられる。ただし、船舶のバラスト水として国際間を移動する水量は膨大である。東京湾だけでも、1年間に400万トンを諸外国から移入し、7,600万トンを移出している。それらバラスト水に含まれる水生生物の量の多さは容易に想像される。このことが、他の移動要因に先駆けて海運界が積極的に対策に取り組む理由になっていると思われる。
表1には、国際地域間での水生生物移動事例数を示した。移入事例数が多い、つまり被害を多く受けていると考えられる地域は、ヨーロッパをはじめアフリカ(地中海アフリカ沿岸含む)、米国東海岸、豪州である。一方、主な移出元は、紅海、インド洋、南西アジア、ヨーロッパ、アフリカ、東アジア、中央アメリカ、それに日本である。この結果に対する詳しい説明は省略するが、水生生物の移動に対する関心の大きさを反映しているものと考えている。どちらにしても欧米先進諸国や豪州がバラスト水をはじめとする水生生物の移動に敏感で、かつ規制実施に積極的な理由が垣間見える。
図1 日本を中心とする水生生物移動要因の割合
表1 地域間での水生生物移動事例数
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(2)移動水生生物による被害
水生生物の国際間の移動によって引き起こされる被害は、人的被害(人間の健康に及ぼす被害)、経済的被害、それに生態系破壊である。そのうち、先に述べた合計523種の移動のほとんどは生態系被害を招いているか、あるいは懸念されるものと考えられている。
以下には、資料等によって明確に被害が報告されている生物12種の事例を紹介する。なお、そのうち、人的被害を引き起こしたとされるのはVibrio chorelae(コレラ菌)とGymnodinium catenatum(有毒渦鞭毛藻)の2種である。また、経済的被害を引き起こしたとされているのは、Phyllorhiza punctana(クラゲ)、Mnemiopsis leidyi(クシクラゲ)、Hydroides elegans(カンザシゴカイ)、Terado navalis(フナクイムシ)、Dreissena polynorpha(ヨーロッパゼブラマッスル)、Carcinus maenas(ブルークラブ)、Astuias amurensis(ヒトデ)の7種である。Caulerpa taxifolia(イチイズタ)、Potamocorbula amurensis(ヌマコダキガイ)、Cichlid ocellaris(ピーコックバス)の3種は、移入先の生態系を大きく破壊した種類として報告されている。
(1)Vibrio chorelae(コレラ菌、写真1)
1991年1月、ペルーで30万人のコレラ患者が発生し、3,516人が死亡したという報告がある。これは中国の貨物船がコレラ菌に汚染されたビルジ水を港に放流したためコレラ菌が魚介類に移り、ペルーの郷土料理であるセヴィッチェ(生魚介類のレモン汁つけ)を通して人に感染したと考えられている(南西アジアからのバラスト水で運ばれ感染が広がったというWHOの報告もある)。しかし、30万人もの感染者が発生した要因は、塩素処理を中止していた水道水や井戸水に、感染者の排泄物からコレラが侵入したためとの指摘もある。
(2)Gymnodinium catenatum(有毒渦鞭毛藻、写真2)
豪州タスマニアで侵入が確認された。毒素を生産し、麻痺性貝毒の原因となる。カキやムラサキイガイ、ホタテなどの食用貝類に取り込まれ、毒素が蓄積される。人間が一定量以上の毒素を食用貝類を通じて摂取すると、筋肉の麻痺や呼吸困難を起こし、時に死に至る事もある。メキシコ太平洋沿岸では貝毒により500人が入院し、20人以上が死に至ったとの報告もある。また、有毒渦鞭毛藻に関しては、我が国をはじめ世界各国で人的被害が発生している。
(3)Phyllorhriza punctata(クラゲ、写真3)
インド洋、太平洋に生息している。カリブ海、カリフォルニア、メキシコ湾、ミシシッピー川の入り江などに侵入し、2000年にはメキシコ湾でエビ漁の漁具やボートの取水口を詰まらすなどで損害を与えた。本種によりアラバマのMobile湾やミシシッピー川の入り江ではクルマエビの26.7%が減少したと推測され、カキやサケの幼生を捕食することで、その生産に被害を与えていると懸念されている
(4)Mnemiopsis leidyi(クシクラゲ、写真4)
アメリカ東海岸やメキシコ湾から黒海などに侵入した。漁網に入り込むと網目がつまるためpelagic漁場に大きな影響を与えた。また、魚の卵や無脊椎動物幼生(プランクトン)への食圧が高く、バイオマスを減少させたと考えられている。黒海での漁場に対する推定被害額は2億5千万USドルにものぼっている。
(5)Hydroides elegans(カンザシゴカイ、写真5)
日本を含む東アジア、インド、オーストラリア沿岸に生息する。アフリカ西岸や地中海全域、北海、ブラジル、ウルグアイ沿岸などに侵入した。日本でも1969年に、広島で養殖カキと餌や酸素をめぐって競合し、その結果、カキの60%を斃死させ、3億円の被害を与えている。
(6)Teredo navalis(フナクイムシ、写真6)
ヨーロッパ原産のTeredo navalisは、今や世界中の至る所に分布している。本種は海中にある木材を食い荒らすため、海中構造物が倒壊することもある。本種による被害額は、年間数百万ポンドにものぼる。
(7)Dreissena polymorpha(ヨーロッパゼブラマッスル、写真7)
カスピ海および黒海原産のDreissena polymorpha(European zebra mussel)は、1980年代にバラスト水を媒体として大西洋を横断し五大湖に侵入したと考えられている。1990年、米国連邦政府は、発電所・工場の取水パイプの周りに充満し取水パイプを詰まらせた対策に、1年間あたり千百万ドルを誓約した。
(8)Carcinus maenas(ブルークラブ、写真8)
ヨーロッパ北部からアフリカの北部にかけて生息している。アメリカのメーンからメリーランド州にかけた沿岸域に侵入した。アメリカでは漁業や現地の生態系に大きな損害を与えている。広い範囲の餌を捕食し、在来の貝やカニの減少につながっている。コネチカット州ではホタテに大きな被害を与えた。アメリカ全体で4400万ドルもの被害があったと報告されている。
(9)Asterias amurensis(ヒトデ、写真9)
日本を含む東アジアを原産とする。オーストラリア南東部、タスマニアに侵入した。イガイやホタテなどの貝類を捕食することが知られ、東京湾でも1954年に貝漁業に4億円もの被害を与えた。他にも漁具に被害を及ぼすなどが報告されている。
(10)Caulerpa taxifolia(イチイズタ、写真10)
おそらく1980年代に地中海へ侵入し、土着の海草類(Pasidonia oceanica)に取って代わり、かつ、魚類及び無脊椎動物幼生のための天然生息地を制限した。1984年、モナコ沖で1m2が覆われているのが最初に観察された。その後、容赦なく拡大し1990年には3ヘクタール、1991年には30ヘクタール、1996年には3,000ヘクタールを超えて覆うまでに拡大した。今日では、フランス、スペイン、イタリア及びクロアチア沿岸を数千ヘクタールにわたり覆っている。
(11)Potamocorbula amurensis(ヌマコダキガイ、写真11)
日本を含む東アジア、東南アジアを起源とし、アメリカ西海岸に侵入した。在来のベントスと餌をめぐって競合しており、サンフランシスコ湾ではPamurensisによる捕食でクロロフィル量とカイアシ類3種が、侵入から一年以内で53〜91%減少したと報告されている。
(12)Cichla ocellaris(ピーコックバス、写真12)
南米のアマゾン、オリノコ、ラプラタ川流域を原産地とする。Cichla ocellaris(ピーコックバス)は、フロリダ南部の湖や排水路などに定着している。この種はスポーツフィッシングや食用に利用され、年間10万ドル以上の利益をもたらしている一方で、貧欲であることでも知られ、C.ocellarisが導入された運河で、餌となる魚が25%減少したとの報告もある。とくにTilapia mariae(スポテッド・ティラピア)にいたっては1985年から88年の間に1ヘクタール当たり51kg(40%)、1989年から92年の間に1ヘクタール当たり654匹(58%)の減少が観察された。
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