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吟剣詩舞
こんなこと知ってる?(13)
 前月号の本欄では、財団事務局からの寄稿で、吟剣詩舞ファンの皆様にも競艇の舟券を買っていただければ、その買った額の三・三パーセントが日本財団に交付金として還元され、永年にわたって受けた資金援助に対するご恩返しができるというお話しをしました。今回は『競艇の「三連複」なら七〇パーセント近い回収率で舟券を当てることができます』というタイトルでお話しをしたいと思います。
 
『競艇の「三連複」なら七〇パーセント近い回収率で舟券を当てることができます』
 前月号本欄で、競艇の電話投票(またはインターネット投票)で、素人の方でも七〇パーセント近い回収率で舟券(ふなけん)を当てることができる方法の一つをご紹介したいと申し上げましたが、その投票方法とは「三連複(さんれんぷく)」です。「三連複」は「三連単(さんれんたん)」と併せて導入されたものですが、それまでの主流であった「二連単(にれんたん)」(1、2着を着順通り当てる)に代わり「「三連単」(1、2、3着を着順通り当てる)は、高配当の魅力から爆発的な人気を呼びました。この「三連単」「三連複」の投票方法は競艇界において発案、構想を重ねて実現されたもので、平成十二年十月に大阪・住之江競艇で初導入されました。「三連単」「三連複」の投票方法は、またたく間に他の公営競技(公営ギャンブル)にも導入され、今では投票方法の主流となりました。
 さて、この欄で推薦する投票方法は「三連複」(1、2、3着を着順にかかわらず艇番で当てる方法)で、三連単より予想しやすく、それなりの配当も期待できるので、ベテランから初心者まで、幅広いニーズに応えるといわれています。
 この「三連複」舟券の購入方法としては、投票締め切り五分前のオッズ(舟券の払戻倍率)により、人気の高い順に一番から四番までを購入します。この際、購入の目安は、一番人気が三百円以上のもの。「三連複」は投票は二十通りですが、その内容は、一号艇がらみ(123とか156・・・)が十通り、それ以外(234とか456とか・・・)が十通りとなっています。一番から四番人気が、全部一号艇がらみか、それ以外にかたよっていれば買いです。一号艇がらみとそれ以外が三対一になっている場合も、その逆の場合も買いです。人気の高い舟券(安全パイ)のみを買うのですから、3レースから9レースまでの荒れの少ないレースで買うとか、初日や最終日、荒天の日などは避けるとか、比較的荒れの少ないレース(高配当が出にくいレース)を選ぶことが肝要です(これでほぼ七〇パーセントの資金回収ができると思いますが、そこまでやればあたりまえとは言わないでください)。
(矢萩保三)
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'06剣詩舞の研究◎3
幼少年の部
石川健次郎
 
剣舞「小楠公の墓を弔う」
詩舞「短歌・ふるさとの」
剣舞
「小楠公(しょうなんこう)の墓(はか)を弔う(とむらう)」の研究
杉 聴雨(すぎ ちょうう) 作
〈詩文解釈〉
 作者の杉聴雨(一八三五〜一九二〇)は幕末の旧山口藩士、本名は杉孫七郎で号を聴雨と称した。吉田松陰に学んだこともあり、26才で藩命により英仏に留学したが、その後高杉晋作、井上聞多、山県有朋、伊藤博文達と活躍し、明治維新後は秋田県令(知事)や、宮内省の官吏をつとめ、能筆家で詩作にも優れていた。大正九年、86才で歿する。
 さて詩文の内容は『後醍醐天皇による南朝の運命は楠木正成一族にかかっていた。正成の子正行(まさつら)は、その後討死して楠木氏一門は亡びたが、楠木親子の忠誠は今にも伝えられている。
 楠木正成が奮戦した湊川を訪れた作者は、秋風も身にしみる楠公墓前で、尽きぬ思いに涙したが、また小楠公正行が戦死した四条畷の墓前に参詣すれば、またも、さめざめと涙が落ちるのであった』と云うもの。
 
楠木正行(像)
 
〈構成振付のポイント〉
 詩文の内容は、前半は楠公親子の忠誠心のあらましを述べ、後半は作者が楠公親子それぞれの墓に参ったときの感慨を述べているが、このあまり具体性のない詩文を剣舞で表現するためには、何か剣舞的な発想を創作し、然も幼少年向の内容に相応しいものにしたい。
 そこで先ず最初は有名な桜井の親子の別れをテーマにして、前奏から我が父のもとに駆け寄る正行のドラマを見せ、一心に參戦の許しを乞う。正行は父から形見の刀を拝領して思い止まる。承句からは父正成に役変りして、馬に乗って出陣の采配を振り指揮をとると、今度は兵卒に役変りして、菊水紋の扇を旗に見立てて戦場を大きく駆けまわる。
 
楠公父子訣別之図
 
小楠公討死之図
 
 次の転句は剣技としてのハイライトにして、役は大楠公の湊川合戦をイメージした立ち回りの連続技を見せるが、最後は倒れる。
 以上は詩文と直接的な動きを避けたが、次の結句で作者の役となり、この場合は演者の年齢に相応しい動作で戦場の跡を探しまわり、例えば刀や扇で正行の墓を作り、しみじみと拝礼した後にさめざめと泣く様子を見せる。後奏は手早く刀や扇を身につけて退場する。
 
〈衣装・持ち道具〉
 幼少年向きの構成になっているから、子供らしさを強調したい。衣装はグレー、茶、黒、紺系がよいが、刺し子の稽古着を重ねてもよい。刀以外には扇(菊水紋)や、采配(厚紙を細く切って房を作り、柄をつけたもの)を工夫すると効果的である。
 
大楠公墓石
 
詩舞
「短歌(たんか)・ふるさとの」の研究
石川啄木(いしかわたくぼく) 作
〈詩文解釈〉
 作者の石川啄木(一八八五〜一九一二)は明治十八年に岩手県日戸村の常光寺に生まれる。父はこの寺の住職で和歌をたしなみ寺小屋を開いていた。啄木は三歳から小学校を卒業するまで隣の渋民村に住み、ここが彼のふるさとの強烈なイメージとなる。盛岡中学中退後上京して新詩社に入り詩集「あこがれ」を処女出版したが、その後渋民村に帰り代用教員の職につく。生来の病弱と貧困に悩まされ、北海道・岩手・東京と移るうち、歌集「一握(いちあく)の砂(すな)」などを発表したが、明治四十五年に、二十七歳の若さで肺結核に倒れた。
 この和歌「ふるさとの」は、歌集「一握の砂」の“煙”(二)に収められていて、幼少年期を過した渋民村や盛岡での想い出、代用教員時代の回想が多く見られる。大部分は明治四十三年の作で、彼の晩年、大都会の生活に疲れながら故郷を思うことが“青空の煙”のように感じたのであろう。
 
石川啄木(写真)23歳のとき
 
 從ってこの詩の“ふるさと”とは渋民村であり、“山”は岩手山である。短歌の意味は『久しぶりに故郷の岩手の山を見て、言葉も出ないほどに感動し、故郷の山が自分の心を満たしてくれることの有難さや、そして懐かしさの心情が溢れる』と訴えている。
 
〈構成振付のポイント〉
 作品の主役を作者の啄木にして、構成や振り付けの段取りを考えてみると、一例として次の様な情景が浮かぶ。
 前奏で登場して来た田舎道の正面には岩手山が豊かな裾野を一ぱいに拡げて啄木を迎えてくれる。季節は秋、山には白い雲が流れ、道ばたの草むらに聞く虫の音もなつかしい。村はずれの一隅に小学校が見え、校庭に遊ぶ子供や、眼を転ずれば寺で撞く鐘の音に啄木は生家を想い出す。
 さて、この情景を啄木から「幼少年向き」の課題に置き替えることは演技者にふさわしい振付の動きに修正を加えれば容易に変えられるであろう。然も後半(返し)の内容を、山のふもとを流れる川に変えて、幼少年の演者が北上川に佇んで(たたずんで)川面に映る山を見ているうちに、釣り竿を流したり、帽子を落とすと云ったアクシデントを加えても面白い。ふと気がついた足もとには、美しい草花が咲いていて、子供はそれを手折って、山懐(やまふところ)の寺に向って駆けだして行く(退場)。故郷の香りを感じる様な情景や登場人物を選定することで、作品の内容がさまざまに表現できると思う。
 
岩手山と啄木の歌碑
 
〈衣装・持ち道具〉
 構成振付の役柄にふさわしい、幼少年の演者に似合った“色”や“柄”の衣装を選定するが、ふだん着風でも、故郷を訪れる外出着風でもよい。持ちものは扇を見立てで代用するのが主だが、草花(造花)を上手に使えば効果的であろう。


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