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'06剣詩舞の研究◎2
幼少年の部
石川健次郎
剣舞「不識庵機山を撃つの図に題す」
詩舞「春暁」
剣舞
「不識庵機山(ふしきあんきざん)を撃つ(うつ)の図(ず)に題す(だいす)」の研究
頼山陽(らいさんよう) 作
〈詩文解釈〉
 この漢詩は通称「川中島」で親しまれていて、吟詠でも剣舞でも初心者必修の演目である。さて作者の頼山陽(一七八〇〜一八三二)は、自著「日本外史」でも川中島合戦について述べているが、この詩の題名である「不識庵」とは上杉謙信の法号、また「機山」は武田信玄の法号だから、実名で云えば「上杉謙信が武田信玄を撃ちとろうとする絵画に題す」というのが本題の意味である。從って挿絵の様な“謙信・信玄一騎討ちの図”を見た頼山陽が、史実と創意によって詠まれたものであろう。詩文の内容は『上杉軍は密か(ひそか)に馬の鞭(むち)音もたてないようにして、夜半に川を渡り、川中島の敵陣に向った。武田方は明けがたになって上杉の大軍が、大牙(たいが)(大将旗)を中心に迫ってくるのを見つけて驚く。この戦いで上杉謙信は、十年もの歳月を剣を研ぎ武を練って満を持していたが、やがて一騎討となり、謙信が打ちおろす太刀の下、惜しくも長蛇(武田信玄)を討ち損じてしまった』というもの。なお詩文からも分かるように、作者は上杉謙信に対して同情的な見方をしている。
 
〈構成振付のポイント〉
 詩文構成は、起、転、結句が上杉謙信の立場で、承句だけが武田信玄側から描いているが、幼少年の演者がこれらを演じ分けるのは荷が重いから、なるべく上杉謙信の戦(いくさ)話として一人称を主とした振付で構成し、その筋立ても幼少年に理解されるよう心がけたい。
 
謙信・信玄一騎討ちの図
 
 永禄四年九月十日の早朝は、月も消えた雨もよいの天候で、川中島一帯には濃い霧がたちこめ、千曲川は静かに流れていた。まず前奏ではこうした情景を詩舞的な三人称で見せてから、起句は上杉方が“馬”で“密か””に“夜中”に“川を渡る”を振付のポイントとして、例えば扇を鞭に見立てた動きは強くならないように、また闇の中での視線にも注意したい。承句は前述のように上杉方の行動として振付け、例えば扇で見立てた大将旗を高く揚げ、傍に謙信の威容を示す。転句は謙信が敵を倒すための長い年月の苦心を、指で年月を数えたり、刀を研ぐような当て振りを見せるよりは、剣舞の気迫を濃密に押し出して、居合などの剣技の積み重ねを演じた方が厚味が出る。結句の部分は、転句で鍛錬を積んだ上杉謙信が、馬で武田信玄に立ち向かう様子を描きたい。『日本外史』の記述に「一騎(謙信)白布を似て面(おもて)をつつみ・・・刀を挙げて之を撃つ、信玄刀を抜くに暇あらず、持する所の軍扇をもってこれを防ぐ。・・・信玄近侍(きんじ)の原大隅守槍もてその騎を刺す・・・馬驚きて跳ねて早瀬に入り、信玄わずかに免る(まぬかる)」とあるのが振付の参考になる。
 なお“流星”では馬上から斜めに斬り(きり)下げの型(袈裟斬り)なども取り込みたい。
 
〈衣装・持ち道具〉
 黒紋付きに袴で、武将上杉謙信の格調を見せる。鉢巻たすきは白でもよいが、扇は謙信の身分や、大将旗の見立て考えれば天地金か、又は信仰した毘沙門天(びしゃもんてん)の「毘」の文字をシンボルに使用してもよい。
 
詩舞
「春暁(しゅんぎょう)」の研究
孟浩然(もうこうねん) 作
〈詩文解釈〉
 作者の孟浩然(六八九〜七四〇)は盛唐の詩人のさきがけをなす人で襄陽(じょうよう)(湖北省)の出身。四十歳のとき都に出て多くの詩人と親交を深めたこともあるが、彼は若い頃から鹿門山(ろくもんざん)(襄陽の東にある山)にこもってのびのびとした生活を送りながら詩を作っていた。彼の詩は奇をてらうことなく、さっぱりとして品格があり、自然派の詩人として、例えば李白の律詩「孟浩然に贈る」などでも高い評価をうけている。
 ところでこの「春暁」の起句“春眠暁を覚えず”は特に有名で、一般の日常語として朝寝坊の言い訳によく使われる。さて詩文の意味は、『春の朝は寝ごこちがよく、夜の明けたのが気づかぬ程で、家の外ではあちこちに鳥のなく声が聞こえる。ところで昨夜は風雨の音が聞こえたが、花はどれ程散ったことであろうか』というもの。
 
「春暁」イメージ画
 
〈構成振付のポイント〉
 振付の場合、詩文の字句にとらわれて適切な振りが付けられない時は、その言葉の意味を振付しやすい言葉に読み替える様にするとよい。この作品の起句でも“覚えず”の否定語や、結句の“多少ぞ”の推定語などは特に注意して欲しい。
 次に示す「春暁」の翻訳は、歌人として名高い土岐善麿のものだが大変参考になると思う。
 
はるあけぼのの うすねむり
まくらにかよう 鳥のこえ
風まじりなる 夕ベ(よべ)の雨
花ちりけんか 庭も狭(せ)に
(土岐善麿『鶯の卵』より)
 
 この詩文は翻訳というより、日本語の詩歌としての美しさがあり、特に振付のヒントになる点が多々あると思う。
 さて本題に戻って舞踊構成の一例を述べてみよう。作品内容から、舞台設定や人物像を特に中国にする必要はないが、演技の中心になる人物(本来は作者だが、幼少年の場合は演技者自身でよい)は冒頭で眠っている方が自然なので板付きが良い。しかしコンクールでは幕の使用が認められないから、普通に登場し、眠りのポーズから演技を開始するか、または前奏から起句にかけて、扇を使い春霞がたなびく情景で登場し、中央に座して、眠りの型を見せる。承句は、うつらうつらしている様子と、夢心地で鳥の声を聞いている内に、自分が鳥の姿になって飛び回ると云った事も幼少年なら可能であろう。但しこの場合は、はっと夢からさめて改めて鳥の声を聞く振りを付けたい。さて次の転句の風雨は、音による想像だが、写実に風や雨、それに花が散る様子を吟に合わせて表現した方がわかりやすい。更に結句は少々異訳になるが、演者が家の外に出て、庭一ぱいに散った花を手ですくい上げると云った仕草も可憐である。
 
〈衣装・持ち道具〉
 春の夢の様な雰囲気にふさわしい淡い色の衣装がよい。勿論男兒、女兒の体型にふさわしく、柄もタッチの強いものは避けたい。扇は、衣装とのコントラストを考え、振付による見立てなども考慮する。一般的には霞模様などが適当であろう。


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