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新進少壮吟士大いに語る【第十回】
インタビューで少壮吟士になるまでの苦労とこれからの抱負を語る(左)より大澤雅翠さん、後藤娟桜さん、辻本水晴さん
 
大澤雅翠さん=静岡県掛川市在住
(松風流掛川吟詠会)第二十六期少壮吟士
後藤娟桜さん=岐阜県美濃市在住
(天心娟桜流吟道会)第二十六期少壮吟士
辻本水晴さん=奈良県橿原市在住
(吟道哲水流八洲吟詠会)第二十六期少壮吟士
 
初心を忘れず、常に自己の研鑽にあたる
 昨年、晴れて少壮吟士となられた大澤さん、後藤さん、辻本さん。新進気鋭のお三方に、少壮吟詠家コンクールのことや、吟詠についての思いなどを、少壮吟士の立場からいろいろお答えいただきました。
 
――少壮吟士になるまでに、どれくらい時間がかかりましたか?
大澤「一回目を受けてからですと、五年ほどで少壮吟士にならしていただきました。運が良かったと思います」
後藤「私は時間がかかりました(笑)。昭和五十八年から全国大会に出ていました。平成元年に一回目が通り、そのあと仕事の関係で六年ほど遠ざかりましたが、再び挑戦して二回目が通り、そして昨年の平成十六年に三回目が通りました」
辻本「私は少壮吟士になるのに、なんと足掛け十一年かかりました。挑戦してから体調を崩したこともあり、一回目を通るのに七年の時間を費やしました」
――コンクールに挑戦したきっかけなどを、お聞かせください?
大澤「挑戦した理由は、吟詠を学んでいく上でも、何か目標を持つことは大切だと思いましたし、静岡県には三人の少壮吟士の方がおられましたが、皆さん出身は北の方で、特に亡くなられた石井心超先生に、静岡から少壮吟士を出したいと言われたのが受けるきっかけです」
後藤「いろいろなコンクールに出させていただき、全国優勝もさせていただきましたが、少壮吟士は吟界の最高レベルということで目標にしていました。でも、挑戦すること自体が勉強で、石井心超先生にも早くなれと言われていましたが(笑)、私にはなるまでの長い期間が必要だったのでしょう、なかなか少壮吟士にはなれませんでした」(笑)
辻本「私もいろいろな大会には出ており、優勝などもさせていただきましたが、あるとき宗家が、指導者を対象にした少壮吟士というコンクールがあるから受けてみないかといわれ、最初は他のコンクールと変わらないだろうと出場したところが、雰囲気からしてまったく違い(笑)、私の出番のときに見ると笹川良一創始会長と笹川鎮江二代会長が会場の席にお座りになられました。それだけで上気してしまい、九本で申し込んだのに、終わったときは十一本出ていたそうです(笑)。それでこれは違うと感じ、それからは意欲的に挑戦するようになりました」
――コンクールを振り返って、感想などはありますか?
大澤「私はもともと剣詩舞でスタートし、吟詠をはじめたのは三十歳を過ぎてからでした。吟詠を教えていただける先生もいませんでしたので、自己流でやってきてしまいました。しかし、剣詩舞を舞うときに聞く吟詠のCDは、少壮吟士をはじめレベルの高いものばかりで、最初からいいものだけを聴いていたことになり、それが『良い吟の耳』を持つことにつながったと思います。それにコンクールでは皆様の吟を聴かせていただき、とても勉強になったと同時に影響を受けました。また、吟詠はベストな体調で臨まなければ良い吟ができないので、体調管理の大切さも痛感しました」
 
大澤雅翠さん
 
後藤「私の場合も宗家が亡くなりまして、勉強といったら少壮吟士の先生方の吟詠を聴くとか、コンクールが勉強の場になっていました。時間がかかりましたが、途中でやめようとも思いませんでしたし、よく続けてこられたと思います。また、子供たちにコンクール会場の独特な雰囲気を味あわせ、感激してもらいたく、多くの子供たちを教えましたが、おかげさまで三名の青年が全国優勝してくれました。宗家に恩返しが出来たかなと思っています。」
辻本「私の場合は、先代の北川哲水先生が教則本にアクセントを最初に取り入れた方で、そのためアクセントなどには苦労しませんでした。それなら何故、一回目を通るのに時間がかかったのか(笑)。それは少壮吟士というものがわかっていませんでしたし、従来からのコンクールのようにとらえていたからでした。あるとき、少壮吟士の方や財団の方の吟詠を聴いてハッと思いました。私の吟と何が違うのか、最初に気づいたことは、強吟であれ叙情詩であれ風景詩であれ、吟は歌うのではなく『吟じる』ものだということです。まず漢詩文の読み下しの通りに淡々と吟じることが大切だということに気がつきました。でもそれは、宗家が常にご指導してくださっていたことで、なんでわからなかったのだろうと(笑)、恥ずかしい思いをしましたが、それによって一回目を通過することができました。二回目、三回目は、声を張り上げて出すこともなく、詩文を理解すればアクセントも自然についてきますので、言葉を丁寧に吟じて通過することができました。いろいろなことを気づくために、十一年かかりました」(笑)
――皆さんは昨年、少壮吟士として初めて武道館大会に出られたわけですが、いかがでしたか?
大澤・後藤・辻本「もう、最高でした」(爆笑)
辻本「吟詠家なら、いつかは武道館に立ちたいと思っているのではないでしょうか」
後藤「バスで皆さんが応援に来てくださり、立派に堂々と吟じていたと、褒められたときには本当に嬉しかったです。あの感動は忘れられません」
大澤「武道館で吟詠をするなど考えたこともありませんでしたから、ビックリしました(笑)。また、私の剣詩舞の宗家であります、壮心流家元の舞台で吟じさせていただけたことに特に感激しています」
――皆さんは少壮吟士と呼ばれるようになって、意識などは変わりましたか?
大澤「舞台に立ったときの緊張感といいますか、プロという意識が出てきましたので、とくに失敗は許されないと感じましたね。だから、その分プレッシャーも大きくなりました」(笑)
後藤「吟だけではなく生活の面でも、例えば、少しお酒でも飲もうかなと思っても(笑)、今までなら飲んでいましたが(笑)、最近では止めておこうかと考えます。緊張感が違いますから」
 
後藤娟桜さん
 
辻本「先日、私の流派のほうで少壮吟士認定の祝賀会をしていただきまして、多くの方々から励ましや激励の言葉をいただきましたが、ある少壮吟士の方が『あまりのプレッシャーに吟詠ができなくなった』と言われました。それくらい皆さんの目が少壮吟士に集まるので、常に自分を磨いて吟詠にのぞまなければ駄目だと、その方に言われたことを胸に刻んでいます。あとは、初心忘れるべからずですね」
 
辻本水晴さん
 
――先ほど少壮吟士が目標といわれていましたが、なったいま、次の目標はありますか?
大澤「やればやるほど深いので、いまが第一歩だと思っています」
後藤・辻本「本当にそうです」
――今後のテーマなどはありますか?
大澤「吟というものを形づくりたい、というのが私の基本姿勢としてあります。例えば、吟詠とは何といわれたとき、定義づけるものがありません。だから、吟詠におけるべースとなるものを文章にするというのではありませんが、自分の中に構築できればよいなと考えています。それにはもっと勉強して、自分なりの吟詠を深めていきたいです」
後藤「少壮吟士にさせていただいたことをきっかけに、さらに吟詠を広めたいと思っています。この夏休みを利用して、どれくらい来てくれるかはわかりませんが、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒の子供たちの教室を開く予定です。配布するチラシには『吟詠ってなに=うたう道徳』と書いて、吟をより多くの人に知ってもらおうと考えています」
辻本「物があふれ、ほとんどの願いは叶う世の中で、人への思いやりや優しさが希薄になっています。そんな中で、古くから伝わる吟詠の素晴らしさ、また伝統としての吟詠を守り継承していくためにも、若い人たちに吟を教えていきたいと思っています。まず取り組みとして、保育所の子供たちを教えるつもりです。そして、できれば剣詩舞も習ってみたいと考えています」
――最後になりますが、いま少壮吟士に挑戦している人、あるいは挑戦しようとしている人たちヘアドバイスをお願いします。
後藤「出題される十五題と律詩五題は、暗記してほしいと思います。詩文を見ていては感情が入りませんよね。そして、とにかく吟じ込んでほしいと思います」
大澤「私もそう思います」
辻本「少壮吟詠家になろうと思ってコンクールに出場するのなら、覚えるくらいの気構えがなければ、詩の中に入ってはいけないと思います」
大澤「少壮吟詠家コンクールを受ける方たちは、少壮吟士というものが、どういうものなのかよく考えて、挑戦してください」
――本日はお忙しいなか、インタビユーにお答えいただきありがとうございます。今後のご活躍に期待しております。


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