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9. 恩納村安富祖
 恩納村安富祖はウタキ(御嶽)と神アサギを結ぶ軸線に発達した集落の一つである。ただ、この集落は台地上から麓へ移動した集落ではなさそう。つまり、古琉球に形成された集落であるが、安富祖川(前袋川)流域の湿地帯が利用できるようになってから発達した集落である。御嶽の中に集落が形成されていた痕跡が見えない。御嶽の内部に集落が形成され、そこから現在地に移動した形跡が見られるようだとグスク時代に形成されたと見ていいのだが、その痕跡が見られない。そのためグスク時代以降、古琉球(1500年以降)になって低地に形成された集落ではないかと考えている。
 『琉球国由来記』(1713年)に森城嶽とアッタ嶽の二つの御嶽が登場する。祭祀は安富祖ノロの管轄である。同書に「安富祖巫火神」と「根神火神」、それと神アシアゲがあり、いずれも現在に伝えられている。祭祀に関わるのは百姓はじめ、脇地頭、そして安富祖巫である。
 この安富祖のムラの成り立ちに「山原の一般的な津(港)を見つけた」と思っている。明治34年頃の安富祖の図に「薪津口」「伝馬船」「小船」「群倉(ブリグラ)」などの津(港)や船と関わる地名が記されている。また『恩納村誌』(541〜542頁)に、以下のように当時の様子が記されている。
 平行した三列の弧状砂堆地をなし、奥側の砂堆地が古くからの安富祖部落である。この砂堆地と国道の通っている第二砂丘地とを区切る昔の川地は、恩納総地頭佐渡山殿内が水田化したところである。なお、海沿いの浜地と第二砂丘との間を西から曲流し、東端で海に注いでいた川地も、前後になって川口を真直に流れるように改修し、旧川地の全部を埋立地にした。この埋立地になったところが大正三年の県道(国道)開通前まで山原船の碇泊地になっていた。十二反船もあり、約十隻入る日もあった。県道開通後は川も浅くなり、船は海岸浜辺に碇泊し、川には伝馬舟が入ってきて物資を乗せ、本船に積込むのであった。穀税を湖辺底まで運送する十二反村船も一隻あり、安富祖在の山原船も三隻(大正元年)、山原船運送は薪・竹茅・竹束・丸太・などの林産物・砂糖・藍玉などで、喜瀬武原の物産もここから那覇・泊に運送した。
 
・乾隆57年(1792年)
 甲寅年。有恩納間切。安富祖村比嘉。三反帆船一隻。人数五人。載運柴薪。在泊津開船。洋中多遭逆風。飄到淅江省。寧波府象山県。蒙地方官。給与衣食等件。垂念比嘉等。所駕小船。難以沙洋。送致牧買。護送到
 甲寅年(1794年か)に恩納間切安富祖村の比嘉が、三反船の小帆船に五人乗り、薪類を積載し、港から出発した。ところが、海上で逆風に遭って流れて到々中国の寧江省は寧波府の象山県に漂着した。
 中国の地方官は彼らに衣、食事を与えて健康回復につとめた。なお比嘉等の小船では到底沖縄まで行き着くことがむつかしいと心配し、その小帆船を買い取ったのみでなく、保栄まで送り届けた。
 
・道光17年(1837年)
 道光丁酉冬。有広東省潮州府。澄海県商船一隻。人数五十名。漂入金武郡(恩納郡)安富祖村。原船衝礁撃砕。送到中山泊村。
 五十人の乗っている中国船が漂着し、安富祖村の湾に入ろうとしたのであるが、岩礁に激突して破船した。ただし乗組員は全員無事救われ、那覇の泊村に護送された。
 
 明治34年頃の安富祖村の図(『恩納村誌』所収)に、薪津口(小舟)・伝馬船・ブリ倉九棟などが記され、かつて安富祖川(前袋川)の河口に舟が出入りし、港として機能していた。川口をンナトグチ(港口)と呼ばれ、戦前まで山原船が出入りしていたという。
 安富祖は「平行した三列の弧状砂堆地をなし、奥側の砂堆地が古くからの安富祖部落である。砂地堆地と国道の通うている第二砂丘地とを区切る昔の川地は、恩納総地頭佐渡山殿内が水田化したところである。なお、海沿いの浜地と第二砂丘との間を西から曲流し、東端で海に注いでいた川地も、戦後になって川口を真直に海に流れるように改修し、旧川地の全部を埋立地にした。
 この埋立地になったところが大正三年の県道(国道)開通前まで山原船の碇泊地になっていた。十二反船もあり、約十隻ぐらい入る日もあった。県道開通後は川も浅くなり、船は海岸浜辺に碇泊し、川には伝馬舟が入ってきて物資を乗せ、本船に積込むのであった。穀税を湖辺底まで運送する十二反村船も一隻あり、安富祖在の山原船も三隻(大正元年)、山原船運送は薪・竹茅・竹束・丸太などの林産物・砂糖・藍玉などで、喜瀬武原の物産もここから那覇・泊に運送した」(『恩納村誌』541〜542頁)。
 また、伊江島との往来もあり、竹茅・山原竹・薪などを伊江島へだし、伊江島から甘藷・豆類を運び入れていた。安富祖から名嘉真にかけて白陶土があり、船で那覇の壷屋に運送した。安富祖では陶土の予算の見積りをやっている(『恩納村誌』549〜550頁参照)。
 
ウタキの奥にある熱田への遥拝所
 
杜が安富祖のウタキ
 
安富祖のウタキへの道
 
ウタキの中にあるイベか
 
恩納村安富祖の集落(現在)


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