| 西暦 | 和暦 | 出来事 | 
| 753 | 天平勝宝5 | 唐僧鑑真を乗せた遣唐使船が薩摩国阿多郡秋妻屋浦(坊津町秋目)に着く。 | 
| 1124 | 天治元 | 北宋の禅僧、圜悟克勤が虎丘紹隆に印可状を書き与える。(この印可状(国宝)は、後の時代に桐筒に入ったまま坊津の海岸へ流れ着いたという伝説を持ち、「流れ圜悟」と呼ばれる。) | 
| 1306 | 嘉元4 | 千竈時家が嫡子の貞泰に「ハうのつ」を、三男の熊夜叉丸に「大とまりの津」を譲与。 | 
| 1361 | 延文6 (康安元)
 | 島津道春忠政が彦三郎公忠に「秋目」「久志」を譲与。 | 
| 1468 | 応仁2 | 房泊(坊泊)の代官「只吉」が朝鮮に遣使。 | 
| 1471 | 文明3 | 朝鮮の『海東諸国紀』の地図に、「房泊兩津」「房御崎」が記される。 | 
| 1543 | 天文12 | 島津相模守、坊津において硫黄1万斤を幕府に引渡す。 | 
| 1546 | 天文15 | この年、山川に滞在したポルトガル人、ジョルジェ・アルヴァレスの記録に九州の主要な港の一つとして、坊(boo)や秋目(aquyme)の名が挙げられる。 | 
| 〃 | 〃 | 坊津一乗院、後奈良天皇により勅願寺とされる。 | 
| 1562 | 永禄5 | 島津貴久のインド宛書簡を、ポルトガル船に託すため、泊を訪れたアルメイダが、当地で9人のキリスト教洗礼者を得る。 | 
| 1564 | 永禄7 | この年以降に成立したとみられる明の『日本一鑑』に、棒津(坊津)が手銃(鉄砲)の産地として記される。 | 
| 1574 | 天正2 | 島津義久から坊津宮一丸(船頭、渡辺三郎五郎)への琉球渡海認可の書状。 | 
| 1575 | 天正3 | 上洛した島津家久が帰路途中、石見銀山近くの湯津・浜田において、秋目・とまり・坊の衆に出会う。 | 
| 1582 | 天正10 | 島津義久、坊津権現丸(船頭、山崎新七郎)に、琉球渡海朱印状を発給。 | 
| 1584 | 天正12 | 島津義久、坊津天神丸(船頭、鳥原掃部助)に、琉球渡海朱印状を発給。 | 
| 1587 | 天正15 | 島津義久が豊臣秀吉に降伏した際、義久から秀吉への礼品、銀・白糸・沈香を、坊津の鳥原氏が用立てる。 | 
| 1591 | 天正19 | 島津義久、朝鮮出兵に伴い、中山王尚寧に兵7000人と兵糧10ヶ月分を、来年2月中に坊津に送る事を命ずる。 | 
| 1594 | 文禄3 | 坊津の近衛信輔のもとを唐人が訪れ、氷砂糖等を献上。 | 
| 1595 | 文禄4 | ヨーロッパで刊行された日本図(オルテリウス、ティセラ「日本図」)に、Tomarum(泊)が記される。 | 
| 1600 | 慶長5 | 坊津の鳥原宗安、朝鮮出兵の際に人質となった明人らを、徳川家康の意向を受けた島津義弘の命により明国へ送還、浙江省で賜宴・褒賞を受ける。日本への帰国の際、福州にて12万斤船を入手。(後に、この船で泊の山下志摩丞が呂宋へ渡る。) | 
| 1604 | 慶長9 | 小田原平右衛門尉の朱印船、秋目より呂宋へ渡航。慶長11年に片浦へ帰航。 | 
| 1606 | 慶長11 | 島津義久書状に「薩州久志より呂宋渡楫之儀、望之由申来候、就其如毎年 御朱印申請度候」との記述。 | 
| 1608 | 慶長13 | 福建泉州の商人許麗寰、久志より帰国。 | 
| 1621 | 元和7 | 明の『武備志』に、「坊津」が「花旭塔(博多)津」や「洞(安濃)津」と共に記される。 | 
| 1708 | 宝永5 | 屋久島で捕えたイタリア人宣教師シドッチを坊津中島の牢に幽閉。その後、長崎・江戸へ送る。 | 
| 1716〜36 | 享保年間 | 享保の頃、坊津で大規模な唐物抜荷の取り締まりが行われたという言い伝え(「享保の唐物崩れ」)。 | 
| 1741 | 寛保元 | 泊の傳兵衛、諏訪之瀬島の仲五郎船の船頭として琉球国八重山へ渡り、帰路台風に遭い清国浙江省に漂着。 | 
| 1765 | 明和2 | 曳航中の漂着唐船が坊津に入港。 | 
| 1807 | 文化4 | 秋目の船頭源五郎の船、この年薩摩を出航し、翌年に南蛮の「四鞄鑾国」へ漂着。彼国で松前函館の文助(八年以前に漂着)に出会う。台湾・アモイ・福州・杭州・嘉興・平胡縣・乍浦等を経て、天草へ至り長崎へ帰着(『倭文麻環』)。 | 
| 1808 | 文化5 | 坊津港口で唐船が破船、唐人29人を助命、溺死した唐人61人を坊の広大寺に葬る。 | 
| 1810 | 文化7 | 伊能忠敬、坊津を測量。 | 
| 1813 | 文化10 | 5月7日夜、津波が起き、坊下浜泊の人家・魚小屋が流される。 | 
| 1831 | 天保2 | 唐人が坊の広大寺に参詣。 | 
| 1855 | 安政2 | 秋目の宮内平蔵、薩摩藩軍艦「昇平丸」の江戸への航行にあたり、親司の任を務める。 | 
| 1858 | 安政5 | 「異国火車船」が秋目に入港。 | 
| 1861 | 文久元 | 琉球在番奉行の市来次十郎、清国での琉球進貢船の買物(白糸等)を薩摩へ運搬する、久志の船頭武兵衛の16反帆船に航行手形を発給。 | 
| 1862 | 文久2 | 琉球在番奉行の伊集院伊膳、清国での琉球進貢船の買物(白糸等)を薩摩へ運搬する、久志の船頭武兵衛の16反帆船に航行手形を発給。 | 
| 1908 | 明治41 | 坊泊鰹漁業株式会社、鹿児島県初の石油発動漁船「舞鶴丸」を建造。 | 
| 1922 | 大正11 | 坊岬に官設燈台竣工。 | 
| 1927 | 昭和2 | 泊出身の原耕、南洋漁場開拓のための遠征(第1回)を行う。 | 
| 2001 | 平成13 | 坊津の海岸風景が国指定名勝「坊津」として指定される。 |