(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年5月19日15時00分
鹿児島県諸浦島沿岸沖
(北緯32度15.4分 東経130度10.5分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
漁船信生丸 |
総トン数 |
6.6トン |
登録長 |
12.22メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
110 |
(2)構造等
信生丸は,昭和62年に進水した養殖漁業に従事する和船型のFRP製漁船で,甲板下は船首端から約1.8メートル(m)までが船首倉庫,続く機関室前隔壁までの約6.6mが1番ないし3番の各いけす,その後方が機関室及び舵機室の順にそれぞれ区画され,甲板上は機関室の上が操舵室になっていて,船首倉庫隔壁後ろ側の両舷ブルワーク内側に係船柱(以下「タツ」という。)が立てられており,風防で囲われた操舵室屋根の後部に舵輪や主機操縦ハンドルを取り付け,同室後方でも操船できるようになっていた。
3 事実の経過
(1)養殖いけす
養殖いけすは,鉄パイプを用いて一辺約10mの方形あるいは直径12ないし13mの円形の型枠を組み,合成樹脂製のフロートを取り付けて海面に浮かべ,周囲に漁網を巡らせて内側で稚魚を育てるようになっており,放塊(ほうかい)と称する錘を海底に複数個設置し,ロープで放塊と型枠を結んでいけすが固定されていた。
放塊は,長さ及び幅がともに約1.5m,高さが約1m,重量約3トンのコンクリート製ブロックで,上面に乗用車の古タイヤを埋め込み,いけす固定用のロープ(以下「止め索」という。)を結びつけるようになっていた。
A受審人の一家が管理する養殖いけすは,11個のうち4個が諸浦島黒埼沖合の水深20mばかりの海域に,沿岸に沿って南北に互いに接続した状態で設置してあり,このうち北側から2番目のいけすは平成16年の春先に増設したもので,放塊を取り付けずに両側のいけすに保持されていて,A受審人が台風シーズンに備えて4個の放塊を用意し,同養殖いけす周辺に設置して補強することになった。
(2)放塊の設置作業
放塊の設置作業は,あらかじめ上面の古タイヤに止め索を結びつけたうえ,岸壁でクレーンを使用して同タイヤに通した吊り下げ用ロープ(以下「吊り索」という。)を船体に横巻きにし,放塊を吊るして目的の養殖いけすまで運搬し,いけす型枠から水平方向に70ないし100m離した所定位置で船を停止させたのち,吊り索を切断して海底に設置する手順で行われていた。
また,止め索は,運搬中,プロペラに巻き込まれることなどのないよう,たるみをとってタツなどに直接係止するか,あるいは,吊り索を切断したとき放塊の重量で千切れるような細索で係止されていた。
ところで,諸浦島周辺には多数の養殖いけすが設置されており,放塊設置作業は,いけす新設時などに頻繁に行われ,放塊を船体に吊り下げるときなどに人手が必要となるので,同作業を実施する際には漁業協同組合などを介して援助を依頼し,仲間でお互いに助け合って行われており,A受審人の同作業にも,B及びC両受審人ほか1人が自主的に援助を申し出て,当日はA受審人及び同人の父親と合わせ,いずれも同作業を何度も経験して手順を十分に承知している5人で行うことになった。
(3)海難発生に至る経緯
信生丸は,A受審人が1人で乗り組み,船腹に吊り下げた放塊を設置する目的で,船首0.4m船尾1.5mの喫水をもって,平成16年5月19日14時00分鹿児島県諸浦港を発し,黒埼の養殖場に向かった。
発航に先立ち,A受審人と父親は,一家が所有する信生丸,同船の同型船(以下「同型船」という。)及び船外機付小型船(以下「船外機船」という。)の3隻の船を用意し,ほか3人とともに13時から諸浦港岸壁において放塊4個の運搬準備に掛かり,C受審人が乗り組んだ同人所有の漁船が1個,父親が乗り組んだ同型船が2個の放塊をそれぞれ吊り下げて順次出航したのち,最後に信生丸が残りの放塊を吊って発航したもので,続いてB受審人ほか1人が岸壁の片づけを終え,船外機船に乗り組んで黒埼に向かった。
信生丸は,船首端から約3.5mの位置に直径32ミリメートル(mm)の吊り索を横巻きにして放塊を吊り下げ,直径38mm長さ約100mの止め索の途中を右舷側のタツに直接係止して残りを甲板上に束ねた状態で,機関を半速力に掛けて約3ノットの速力で航行し,14時30分諸浦島北方沖合で追いついた船外機船と接舷したうえ,A受審人がB受審人と操船を互いに交代し,先行する2隻の作業を指揮するため船外機船で養殖場に向かった。
養殖場に到着したA受審人は,同乗者とC受審人の3人で,新設したいけすの東側海底にC受審人が運んだ放塊を設置したのち,同乗者を船外機船の操船に当たらせ,自身はいけす上に移って信生丸の到着を待ち,14時55分待島灯台から213度(真方位,以下同じ。)2,530mの地点において,到着した信生丸にC受審人を吊り索の切断役として移乗させたうえ,船外機船が受け取った止め索のエンドをいけすの型枠に仮止めし,信生丸の作業指揮に掛かった。
こうして,A受審人は,14時58分半いけすの西方約70mの地点で停留している信生丸に対し,放塊投下位置調整のため少し前進するよう合図し,これを受けたB受審人が停止回転としていた主機のクラッチを嵌入してわずかな速力で前進を開始した。
14時59分A受審人は,信生丸が放塊の投下位置範囲に至ったので,投下を指示することにしたが,全員が慣れた作業なので間違いが起こることはあるまいと思い,投下役のC受審人が甲板上で待機しているかなど,船側の準備ができているか確認することなく,B受審人に対して手を挙げて放塊投下を指示した。
操舵室後方に立って操船していたB受審人は,A受審人から放塊投下の指示を受けたとき,C受審人が操舵室前の甲板上に座っていることを認めていたが,C受審人は作業手順を十分承知しているので何も問題はないものと思い,同人に対して用意は良いか事前に確認することなく,主機のクラッチを切って惰力で前進しながら,いきなり声を掛けて放塊投下を合図した。
C受審人は,船がゆっくり前進していたので,放塊投下の指示はまだ先のことと考え,漫然と甲板上に座って休んでいたところ,急に放塊投下の指示を受け,設置位置がずれるとまずいので急いで立ち上がり,4mばかり船首方の吊り索のところに駆け寄り,慌ててしまって止め索を解いたか確認することなく,止め索をタツに係止したまま,甲板上に置いていたナタを手にして吊り索を切断した。
信生丸は,係止されたままの止め索を介して放塊の重量が船首部右舷側のタツに掛かり,放塊の沈下に伴い右舷側から海中に引かれる体勢で大傾斜し,15時00分待島灯台から213度2,540mの地点において,復原力を喪失して転覆した。
当時,天候は雨で風はほとんどなく,海上は穏やかであった。
転覆の結果,信生丸は,主機,電気配線ほかを濡損し,僚船によって引き上げられ,造船所に曳航されて修理のうえ,のち売却処分された。また,B及びC両受審人は,大傾斜したとき海中に飛び込んで,船外機船に救助された。
(本件発生に至る事由)
1 止め索がタツに直接係止されていたこと
2 参加者全員が互いに慣れた作業なので間違いが起こるおそれはないと考えていたこと
3 船長が,船側の準備ができているか確認しないまま放塊の投下を指示したこと
4 操船に当たった甲板員が,放塊投下役の甲板員の用意は良いか確認しないまま投下を合図したこと
5 放塊投下役の甲板員が慌ててしまい止め索を解いたか確認しなかったこと
6 止め索がタツに係止されたまま吊り索が切断されたこと
7 放塊の重量で船体が大傾斜して復原力を喪失したこと
(原因の考察)
本件は,放塊投下役の甲板員が慌てて,止め索をタツに係止したまま吊り索を切断したことによって発生したが,船長が,放塊の投下を指示する前に甲板員が甲板上で待機しているかなど船側の準備ができているか確認し,また,操船者が,放塊の投下を合図する前に甲板員に用意は良いか一言声を掛けていれば,甲板員が急な合図で慌てることはなく,発生を回避できたものと認められる。
従って,A受審人が船側の準備ができているか確認を行わないまま放塊の投下を指示したこと,B受審人がC受審人の用意は良いか確認しないまま投下を合図したこと,C受審人が慌ててしまい止め索を解いたか確認しなかったこと,このため止め索がタツに係止されたまま吊り索が切断され,放塊の重量で船体が大傾斜して復原力を喪失したことは,いずれも本件発生の原因となる。
参加者全員が互いに慣れた作業なので間違いが起こるおそれはないと考えていたこと及び止め索がタツに直接係止されていたことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。
(海難の原因)
本件転覆は,鹿児島県諸浦島黒埼付近のブリ養殖場において,船体に吊り下げた養殖いけす固定用の放塊を海底に設置するに当たり,作業の安全確認が不十分で,止め索を船首右舷側のタツに係止したまま吊り索が切断されたため,放塊の重量で船体が右舷側に大傾斜して復原力を喪失したことによって発生したものである。
作業の安全確認が十分でなかったのは,養殖いけすの上から作業を指揮した船長が放塊の投下を指示する前に,船側の準備ができているか確認しなかったことと,操船に当たった甲板員が,放塊投下役の甲板員の用意ができているか事前に確認しなかったこと,及び投下役の甲板員が吊り索を切断する前に,止め索を解いたか確認しなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は,鹿児島県諸浦島黒埼付近のブリ養殖場において,養殖いけすの上から放塊設置作業の指揮に当たり,放塊投下を指示する場合,投下役の甲板員が急な合図を受けて慌てることなどのないよう,船側の準備ができているか十分に確認すべき注意義務があった。しかしながら,同受審人は,慣れた作業なので間違いが起こることはあるまいと思い,船側の準備ができているか十分に確認しなかった職務上の過失により,急な合図を受けて放塊投下役の甲板員が慌ててしまい,止め索を係止したまま吊り索を切断し,放塊の重量で信生丸が大傾斜して転覆する事態を招き,主機,電気配線ほかを濡損させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は,鹿児島県諸浦島黒埼付近のブリ養殖場において,信生丸の操船に当たり,A受審人からの指示を受けて放塊投下役の甲板員に投下の合図をする場合,同甲板員が急な合図を受けて慌てることなどのないよう,事前に声を掛けて同甲板員の用意は良いか確認すべき注意義務があった。しかしながら,同受審人は,同甲板員が作業手順を十分承知しているので何も問題はないものと思い,事前に声を掛けて同甲板員の用意は良いか確認しなかった職務上の過失により,急な合図を受けて慌てた同甲板員が,止め索を係止したまま吊り索を切断し,放塊の重量で信生丸が大傾斜して転覆する事態を招き,同船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は,鹿児島県諸浦島黒埼付近のブリ養殖場において,船体に吊り下げた放塊を海底に投下する作業に当たり,投下の合図を受けて放塊の吊り索を切断する場合,作業の手順は十分に承知していたのだから,吊り索を切断する前に止め索を解いたか確認すべき注意義務があった。しかしながら,同受審人は,急に合図を受けて慌ててしまい,吊り索を切断する前に止め索を解いたか確認しなかった職務上の過失により,止め索を係止したまま吊り索を切断し,放塊の重量で信生丸が大傾斜して転覆する事態を招き,同船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
|