(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成17年4月24日14時40分
山口県下関市吉見漁港沖合
(北緯34度03.8分 東経130度53.5分)
2 船舶の要目
船種船名 |
実習船紺碧 |
総トン数 |
12トン |
全長 |
15.55メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
264キロワット |
3 事実の経過
紺碧は,ジャイロコンパス,GPS,レーダー,魚群探知器及び電磁ログ等を装備した,漁業及び運用実習に使用される,最大とう載人員28人のFRP製実習船で,昭和62年9月に一級小型船舶操縦士免許を取得したA受審人が単独で乗り組み,B校の学生7人を乗せ,運用術実習の目的で,船首0.3メートル船尾1.6メートルの喫水をもって,平成17年4月24日09時15分下関市永田本町の同校桟橋を発し,北西方5海里ばかりにある蓋井島東側の海域で実習を行ったのち,14時ごろ同海域を発進して帰途に就いた。
ところで,前示桟橋のある入り江の北西岸には海上自衛隊下関基地があり,同基地の南西端から防波堤が南南東方に構築されており,同防波堤の先端部に設置された簡易灯標(以下「防波堤灯標」という。)から南南東方向約180メートル離れたところに周囲500メートルばかりの南北に長い賀茂島が所在し,同灯標と同島との間に,航路標識等が設置されていない水路(以下「水路」という。)が形成され,同水路の中央部には浅礁が約70メートルの幅で存在したほか,同防波堤先端付近及び同島北岸付近には水深2メートル以下の浅所が広がっていて,紺碧が同水路を通航するときの可航水域は,水路中央部の同浅礁南,北両側の各幅30メートルばかりの部分に限られていた。そして,同水路は同入り江北東部の吉見漁港に出入りする小型漁船の常用水路であった。
A受審人は,B校卒業後,遠洋トロール漁船の航海士として2年3箇月間乗船し,その後,同校に勤務して紺碧の船長職を執り,運用術などの各種実習の指導を行い,同校の周辺水域の水路状況を熟知していたので,水路に向かうときには防波堤灯標を目測して,同灯標の南方約40メートルから約70メートルの間に占位するようにして,同水路の北側の可航水域を無難に通航するようにしていた。
発進後,A受審人は,機関を全速力前進に掛けて12.0ノットの速力(対地速力,以下同じ。)で,手動操舵により進行し,その後,水路から出航する漁船等を避けながら南下した。そして,14時36分少し前吉見港A防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)から241度(真方位,以下同じ。)1.2海里の地点に達したとき,B校桟橋に向かうこととし,針路を防波堤先端の浅所と水路中央部の浅礁とのほぼ中央に向く061度に定め,水路に向かって同じ速力で続行した。
A受審人は,自ら舵輪を操作して手動操舵で進行し,14時39分防波堤灯台から241度1,050メートルの地点で,5.0ノットに減速するとともに,低潮時であったので水路中央部の浅礁を替わすため,わずかばかり左舵をとり,針路を050度に転じ,同時39分半少し過ぎ防波堤灯標の南南西約60メートルの,同灯台から242度950メートルの地点に達したが,水路中央部の浅礁を替わすことに気をとられ,同灯標からの距離を目測するなどの船位の確認を十分に行わなかったので,防波堤先端付近の浅所に著しく接近していることに気付かなかった。
紺碧は,同じ針路及び速力で続航中,14時40分防波堤灯台から242度880メートルの地点において,防波堤先端付近の浅所に乗り揚げた。
当時,天候は晴で風力1の南風が吹き,潮候は下げ潮の末期であった。
乗揚の結果,船底に擦過傷等を生じたが,満潮時に漁船の援助を受けて離礁し,自力で最寄りの造船所に向かい,のち修理された。
(海難の原因)
本件乗揚は,低潮時,下関市永田本町のB校桟橋に向けて防波堤灯標と賀茂島間の水路を通航する際,船位の確認が不十分で,浅所に著しく接近したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は,低潮時,下関市永田本町のB校桟橋に向けて防波堤灯標と賀茂島間の水路を,自ら舵輪を操作しながら通航する場合,狭い水路であったから,防波堤灯標を目測するなどの船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。しかるに,同人は,水路中央部の浅礁を替わすことに気をとられ,船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により,浅所に著しく接近していることに気付かず進行して乗揚を招き,船底に擦過傷等の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して,同人を戒告する。