(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成17年4月29日20時10分
関門港若松区
(北緯33度55.5分 東経130度49.7分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
貨物船翔栄丸 |
総トン数 |
995トン |
全長 |
70.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,618キロワット |
(2)設備及び性能等
翔栄丸は,平成4年4月に進水した鋼製船尾船橋型液化ガス運搬船で,船橋からの見通しを妨げるものはなく,海上公試運転成績書によれば,旋回性能は最大横距が134メートル,最大縦距が290メートルで,最短停止距離は561メートル,停止時間は2分33.1秒であった。
同船は,固定ピッチ式推進器1個,自動衝突予防援助装置付きレーダー2台,GPS等を備えていた。
3 事実の経過
翔栄丸は,A受審人ほか8人が乗り組み,液体アンモニア764.945トンを積載し,船首3.5メートル船尾4.9メートルの喫水をもって,平成17年4月29日19時30関門港若松区第1区にあるB社の桟橋を発し,新潟港に向かった。
A受審人は,発航時から操船の指揮を執り,レーダーを作動させ,機関長を船橋内の機関遠隔操縦盤に,操舵手を手動操舵にそれぞれ就け,機関を微速力及び半速力に適宜かけて,奥洞海航路を経て若松航路に入り,これに沿って航行した。また,同受審人は,各航海士を各人の当直に備えて休息させるために,出港配置を解いた後,昇橋させていなかった。
ところで,奥洞海及び若松両航路は,関門海峡と狭長で深く入り組んだ洞海湾とを結ぶ航路で,航路外には境界線の至近に浅所があることが多いので航行する際には注意を要するところであり,関門港若松区第4区と同第5区の境界付近の若松航路の屈曲部(以下「屈曲部」という。)には,航路左舷標識として,西側から順に,若松航路第11号灯浮標(以下,航路標識については「若松航路」の冠称を省略する。),第7号灯標,第5号灯標,第3号灯標が設置されていた。そして,これらの航路標識の灯質が「単閃緑光・毎3秒に1閃光」の同一で,光達距離は4海里であり,また,各灯標は,レーダー反射器付,灯高8.4メートルで,点灯が同期していた。
そして,航路両側には多数の港湾施設や工場が密集し,夜間には陸上の灯火も多数点灯されることから,夜間航行に当たっては,航路標識を誤認することのないよう同標識を慎重に確認して航行することが要求された。
A受審人は,同航路の通航経験が豊富で,航路の状況を熟知していたことから,海図に当たって針路を確認するまでもないと考え,航路標識を目視して針路を決めながら航行することとし,船橋配置者に若松航路内の航行手順や注意事項を説明していなかった。
20時05分A受審人は,屈曲部西端の第11号灯浮標の手前200メートルばかりの,若松洞海湾口防波堤灯台から229度(真方位,以下同じ。)2.0海里の地点に差しかかり,009度の針路で進行していたとき,間もなく航路の屈曲部に沿って転舵すべき状況となっていたが,航路標識を目視して航行すれば大丈夫と思い,海図に当たって次針路の確認を行わなかったので,屈曲部西端付近において最初にとるべき針路が040度ないし045度となることに気付かないまま続航した。
20時05分半ごろA受審人は,第11号灯浮標を右舷側に100メートルばかりで並航したところで,機関を半速力前進にかけ,小舵角の操舵号令を発してゆっくり右回頭を始め,同時06分若松洞海湾口防波堤灯台から231度1.9海里の地点に至り,第7号灯標を針路目標とするつもりで,緑色が鮮やかに輝いた第5号灯標を正船首やや右舷側に見るようになったき,針路を055度に定め,7.5ノットの対地速力で進行した。
こうして,A受審人は,針路目標とすべき第7号灯標を第5号灯標に取り違えていたが,依然として海図に当たって針路を確認しなかったので,目標を取り違えたことに気付かず,同航路を逸脱する針路のまま続航した。
A受審人は,船橋配置者から自船が若松航路に沿った針路となっていないことを知らされないまま原針路,原速力で続航中,20時10分わずか前左舷船首方至近に第7号灯標の緑色閃光を認め,初めて針路目標の航路標識を誤認していたことに気付き,急いで左舵一杯をとったが及ばず,20時10分若松洞海湾口防波堤灯台から230度1.4海里の地点において,翔栄丸は,原速力のまま042度を向首して乗り揚げた。
当時,天候は晴で風力1の南風が吹き,潮候は上げ潮の初期であった。
乗揚の結果,球状船首部を圧壊し船首タンクに浸水等を生じたが,来援した曳船(ひきぶね)により引き下ろされ,のち修理された。
(本件発生に至る事由)
1 若松航路付近に背景光が存在したこと
2 A受審人が若松航路の航行経験が豊富であったこと
3 航海士を船長補佐に就けていなかったこと
4 航路標識を目視して航行すれば大丈夫と思い,海図に当たって針路を確認しなかったと
5 目視のみに頼って航行したこと
6 航路標識を誤認して針路目標を取り違えたこと
7 航路を逸脱したこと
8 A受審人が船橋配置者に対して若松航路内の航行手順や航路事情を事前に説明しなかったこと
(原因の考察)
翔栄丸が,若松航路に沿って航行していたならば,本件乗揚を回避できたものと認められる。
したがって,航路標識を目視して航行すれば大丈夫と思い,海図に当たっての針路確認が不十分で,航路標識を誤認して針路目標を取り違え,航路を逸脱したことは本件発生の原因となる。
以下,その他の「本件発生に至る事由」について検討する。翔栄丸には航海士が2名乗り組んでいたのだから,航路航行中,A受審人が,その内1名でも船長補佐にあたらせていたならば,同受審人の航路標識の誤認が航海士によって是正されて,本件発生に至ることを防止でき,また,同受審人は,目視のみに頼って航行していたが,作動させていたレーダー情報をも活用していたならば,自船が航路を逸脱して航行する事態に陥っていたこと,すなわち,航路標識を誤認し,航路に沿った針路をとっていないことに気付くことができたとそれぞれ期待できる。
更には,操舵手と機関長がそれぞれ船橋に配置されていたものの,同受審人が,乗揚前にこれらの乗組員から自船の針路が誤っていることを知らされなかったが,当時,同受審人とこれらの乗組員との関係が円滑に行っていなかったとする証拠はない。A受審人がこれらの乗組員に,航路標識の緑色閃光を順次右舷側に見て航行することや航路から外れることの危険性などの航行手順や航路事情を事前に説明していたならば,同受審人が直近の航路標識を操舵目標とせず,飛び離れた航路標識を船首目標としたことに操舵手が気付き,また,機関長も船首方向の誤りに気付き,同受審人がそのことの進言を受けることが期待できる。
なお,操舵手と機関長は,それぞれ操舵と機関の遠隔操縦をA受審人の指示の下で確実に遂行することがその任務であることは言うまでもないが,運航に携わる乗組員は,航路標識の誤認などの異常を察知した際には積極的に進言するなど船舶の安全運航に関しては一体となって協力し合うことが肝要である。
以上のとおり,A受審人が,航海士を船長補佐に就けていなかったこと,航路標識の目視のみに頼り航行したこと,及び船橋配置者に対して若松航路内の航行手順や航路事情を事前に説明しなかったことは,いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,これらは,海難防止の観点から是正されるべき事項である。
次に,A受審人が若松航路の航行経験が豊富であったことは,これが同受審人の過信につながり,航路標識を確認することの慎重さに欠けていた可能性を否定できず,また,若松航路付近に背景光が存在したことは,同航路沿いには,夜間,沿岸工場等の灯火が多数点灯され,これらが同航路を航行する際の背景光となっており,仮に同灯火が存在しなかったならば,航路標識の誤認を避けられた可能性を否定することができない。しかしながら,航路標識を航過する際に次に航過する予定の同標識を双眼鏡を使用するなどして慎重に確認することで対応できるのであるから,これらは,いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。
(海難の原因)
本件乗揚は,夜間,関門港若松航路を出航中,同航路屈曲部において定針する際,海図に当たっての針路確認が不十分で,航路標識を誤認して針路目標を取り違え,航路を逸脱し,浅所に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は,夜間,関門港若松航路を出航中,同航路屈曲部において定針する場合,航路に沿って航行できるよう,海図に当たって針路を十分に確認するべき注意義務があった。ところが,同人は,航路標識を目視して航行すれば大丈夫と思い,海図に当たって針路を十分に確認しなかった職務上の過失により,航路標識を誤認して針路目標を取り違え,航路を逸脱したことに気付かず進行して浅所に乗揚を招き,球状船首部を圧壊し船首タンクに浸水等を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
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