(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年9月7日03時40分
青森県八戸港北東方沖合
(北緯40度42分 東経141度49分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
漁船第六十五甚宝丸 |
漁船第三十八東弘丸 |
総トン数 |
144トン |
16.38トン |
全長 |
36.62メートル |
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登録長 |
31.52メートル |
14.90メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
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漁船法馬力数 |
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150 |
(2)設備及び性能等
ア 第六十五甚宝丸
第六十五甚宝丸(以下「甚宝丸」という。)は,昭和63年7月に進水し,可変ピッチプロペラを装備した一層甲板型鋼製漁船で,従業制限を第2種として機船底曳網漁業に限定されて登録され,2月中旬から5月中旬までと8月は,ロシア連邦の200カイリ漁業水域で操業し,9月から翌年1月までの間は,八戸港を基地として同港の沖合で,02時ごろ出港18時ごろ帰港の日帰り操業による沖合底びき網漁業に従事していた。
また,甚宝丸は,船首部に船橋を有し,船橋前面の窓は9個の丸窓で構成されていたことから,船橋内前面での見張りにおいては,前方の見通しを遮られることはなかったが,船橋内後方において前方を見たとき,丸窓と丸窓の間は最小幅が約20センチメートル(以下「センチ」という。)の壁面で,各丸窓から見える範囲のみが見える状態で,前方の見通しが妨げられ,この状態を解消するためには,船橋内前面で見張りを行うことや,レーダーを活用する必要があった。
航海計器などの装備は船橋内に,レーダー2台,GPS,自動操舵装置を有していた。
また,海上公試運転成績表によると,右旋回では縦距124メートル,横距67メートル及び旋回径127メートルであり,左旋回ではそれぞれ109メートル,45メートル及び82メートルと右旋回よりやや小さな値であり,最短停止時間及び同距離はそれぞれ32秒及び101メートルであった。
イ 第三十八東弘丸
第三十八東弘丸(以下「東弘丸」という。)は,昭和52年6月に進水し,いか一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で,漁労設備としては,操舵室内に備えた制御盤で集中制御できるいか釣り機を両舷にそれぞれ5台及び船尾に1台備え,22組の仕掛けを使用しており,集魚灯は2キロワットの省エネルギー型と称するもの70個及びハロゲンランプのもの14個を装備し,操舵室には魚群探知機,ソナーのほか航海用具としてレーダー2台,GPS2台及び自動操舵装置を備えていた。
3 事実の経過
甚宝丸は,船長C及びA受審人ほか13人が乗り組み,かけ回し式底びき網漁の目的で,船首1.8メートル船尾4.5メートルの喫水をもって,平成16年9月7日02時10分青森県八戸港を発し,同港北東方24海里ばかりの漁場に向かった。
ところで,A受審人は,甚宝丸の運航から操業までの全ての指揮を執り,船橋当直も,八戸港沖合における操業においては,出入港,漁場の往復及び操業中の操船を全て指揮していた。
A受審人は,C船長を手動による操舵につけて,出港操船の指揮に当たり,02時20分鮫角灯台から300度(真方位,以下同じ。)1.6海里の地点で,針路を漁場に向かう055度として自動操舵に切り替え,船長を休ませることとして降橋させ,単独で船橋当直に就いた。
A受審人は,03時27分ごろ鮫角灯台から050度12.2海里ばかりのところを航行中,船尾方を照らす4個の水銀灯の投光器をつけた同業船が追い越してゆき,同船とは無線で近況などを交信し,船橋内後方で立って見張りに当たり,同時30分鮫角灯台から050度12.8海里の地点に達したとき,船位を求めて右方に偏位していることを知り,自動操舵のまま左転して針路を033度に定め,機関を全速力前進にかけ,11.5ノットの対地速力で,折からの1.5ノットの南東方に流れる潮流により,040度の実効針路で進行した。
定針後,A受審人は,船橋前面の丸窓から正船首方に明かりが見えたものの,同明かりを,追い越して行った同業船が照らす投光器の明かりと誤認し,03時38分鮫角灯台から049度14.2海里の地点に達したとき,正船首方700メートルのところに集魚灯を点灯し,いか釣りをして漂泊中の東弘丸を視認することができ,その後同船に衝突のおそれがある態勢で接近する状況であったが,この時間帯は,いか釣り漁船は水揚げのために港に向けて航行中であって,操業中のいか釣り漁船はいないものと思い,船橋内の前面に出て前路の確認を行うなり,作動中の2台のレーダーを監視するなりして前路の見張りを十分に行わなかったので,東弘丸の存在に気付かないまま続航した。
A受審人は,船橋内後方で立って見張りを行い,依然,東弘丸に気付かず,同じ針路,速力で進行中,03時40分少し前正船首至近に一列になった多数の集魚灯を初めて視認し,プロペラのピッチを下げ,クラッチを切ったが効なく,03時40分鮫角灯台から049度14.6海里の地点において,甚宝丸は,原針路,原速力のまま,その船首が東弘丸の右舷後部に90度で衝突した。
当時,天候は曇で風力2の南東風が吹き,付近には1.5ノットの南東に流れる潮流があり,視程は良好であった。
また,東弘丸は,B受審人が同人の息子である甲板員と2人で乗り組み,いか一本釣り漁の目的で,船首1.5メートル船尾2.0メートルの喫水をもって,同月6日14時00分八戸港を発し,同港の東北東方23海里ばかりの漁場に向かった。
B受審人は,16時ごろ漁場に着いて魚群探索等を行い,機関を中立運転とし,ブイとその下部におもりが付いた引き揚げ索を頂部に連結したパラシュート型のシーアンカー(以下「海錨」という。)を船首から投入し,錨索を100メートルばかり延出して漂泊を始め,16時30分ごろから操業を開始したものの,漁模様が思わしくなく,漁場を移動して22時30分ごろ八戸港の北東方20海里ばかりの漁場に着き,前回と同様に海錨を投入して漂泊を行い,省エネルギー型集魚灯を点灯し,同時40分ごろ操業を再開した。
B受審人は,時々操舵室に戻って周囲の見張りをしたり,魚群探知機を監視したりしたものの,甲板員と2人で,甲板上でいかの箱詰め作業や釣り仕掛けの調整などの操業を続け,漁の再開後はしばらく西方に,翌7日00時00分ごろから南方に流されるようになるなど,海潮流などの影響を受け,02時50分ごろ八戸港の北東方16海里ばかりのところまで流され,このころ同業船が近くで操業を始めたことと,漁模様が悪くなったので帰港の準備を始め,錨索を45メートルばかりまで巻き縮めたところ,漁模様が回復して同業船も離れたことから,03時ごろ錨索はこのままとして省エネルギー型集魚灯を2キロワットのハロゲンランプ14個の集魚灯に切り替えて操業を続けた。
03時20分B受審人は,鮫角灯台から047度14.5海里の地点で,折からの南東方に1.5ノットで流れる潮流に圧流されながら操業を行っていたとき,レーダーによって周囲を確認したところ,自船に近づく船舶がいなかったので,甲板上でいかの箱詰め作業を行い,同時38分船首が123度を向いていたとき,右舷正横700メートルのところに甚宝丸の白,緑,紅3灯を視認でき,その後衝突のおそれのある状況であることを認め得る状況であったが,いかの箱詰め作業を行う前にレーダーで確認した周囲の状況から,接近する他船はいないものと思い,集魚灯を点灯していたことから,甚宝丸の掲げる灯火を認めることが困難であったので,レーダーで頻繁に周囲の状況の確認を行うなど,周囲の見張りを十分に行うことなく,甲板上で船首方を向いていかの箱詰め作業を続け,甚宝丸に気付かないまま,警告信号を行わず,海錨を放して機関を使用するなど,衝突を避けるための措置をとらなかった。
B受審人は,船体中央部の甲板上で船首方を向いて作業を行っていたところ,突然大きな音とともに左方に押される衝撃を受け,東弘丸は123度を向いたまま,前示のとおり衝突した。
衝突の結果,甚宝丸は船首部にペイントの剥離を生じ,東弘丸は右舷後部舷側外板を圧壊して転覆し,漂泊したのち沈没した。
(本件発生に至る事由)
1 甚宝丸
(1)船橋前面の窓が9個の丸窓で構成され,船橋内後方で前方の見張りを行うとき丸窓の間の壁により死角が生じること
(2)船橋内後方で見張りを行っていたこと
(3)東弘丸の集魚灯の明かりを自船を追い越して行った同業船の投光器の明かりと誤認したこと
(4)衝突時刻前後の時間帯には,操業中のいか釣り漁船はいないものと思っていたこと
(5)東弘丸に気付かず,同船を避けなかったこと
2 東弘丸
(1)海錨を投入し,集魚灯を点灯していか釣り漁を行っていたこと
(2)いかの箱詰め作業のため,船橋を離れていたこと
(3)船橋を離れる前にレーダーで周囲を確認した際,自船に接近する船舶を認めなかったこと
(4)いかの箱詰め作業を行っていた際,頻繁にレーダー監視を行わなかったこと
(5)警告信号を行わなかったこと
(6)衝突を避けるための措置をとらなかったこと
(原因の考察)
本件は,甚宝丸が,見張りを十分に行っていれば,漂泊中の東弘丸を認識して避航し,発生を回避できたと認められる。
ところで,A受審人は,甚宝丸が,船橋前面の窓が9個の丸窓で構成され,窓と窓の間は最小幅約20センチの壁面で,船橋内後方において前方を見たとき,各丸窓から見える範囲のみが見える状態で,前方の見通しが妨げられ,この状態を解消するためには,船橋内前面で見張りを行うことや,レーダーを活用する必要があることを知っていた。
しかしながら,本件発生当時,A受審人は,この時間帯は,いか釣り漁船は水揚げのために港に向けて航行中であって,操業中のいか釣り漁船はいないものと思い,船橋内の前面に出て前路の確認を行うなり,作動中の2台のレーダーを監視するなりして,前路の見通しを妨げる状態を解消しなかったこと,そして,丸窓から東弘丸の集魚灯の明かりが見えた際,これを先刻追い越して行った同業船が点灯していた投光器の明かりと誤認し,直ちに船橋前面に出て,目視によって確認しなかったことにより,前路で漂泊中の東弘丸に気付かなかったものである。
したがって,A受審人が,見張りを十分に行わず,東弘丸を避けなかったことは本件発生の原因となる。
甚宝丸の船橋前面の窓が丸窓で構成され,船橋内後方で前方を見たとき,前方の見通しが妨げられることは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件発生の原因とならない。
一方,東弘丸が,レーダーを頻繁に使用して周囲の見張りを十分に行っておれば,接近する甚宝丸を認めて警告信号の吹鳴や衝突を避けるための措置をとり,本件の発生を回避できたと認められる。
したがって,B受審人が,しばらく前にレーダーで周囲を確認したとき自船に接近する他船を認めなかったことから,自船に接近する船舶はいないものと思い,いかの箱詰め作業を続け,レーダーによる見張りを十分に行わなかったことは,本件発生の原因となる。
東弘丸が,海錨を投入し,集魚灯を点灯していか釣り漁を行っていたことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。
(海難の原因)
本件衝突は,夜間,青森県八戸港北東方沖合において,漁場に向かって航行中の甚宝丸が,見張り不十分で,海錨を投入して漂泊中の東弘丸を避けなかったことによって発生したが,東弘丸が,見張り不十分で,警告信号を行わず,衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
A受審人は,夜間,青森県八戸港北東方沖合において,漁場に向かって航行する場合,前路で漂泊中の他船を見落とすことのないよう,見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかしながら,同人は,この時間帯は,いか釣り漁船は水揚げのために港に向けて航行中であって,操業中のいか釣り漁船はいないものと思い,見張りを十分に行わなかった職務上の過失により,前路に海錨を投入して漂泊中の東弘丸が存在することに気付かず,同船を避けずに進行して衝突を招き,甚宝丸の船首部にペイントの剥離を生じさせ,東弘丸の右舷後部舷側外板を圧壊させ,漂泊したのち沈没させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を2箇月停止すべきところ,同人が多年にわたり船員として職務に精励し海運の発展に寄与した功績により,国土交通大臣から表彰された閲歴に徴し,同法第6条の規定を適用して三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
B受審人は,夜間,青森県八戸港北東方沖合において,機関中立運転,海錨投入の状態で漂泊し,いか一本釣り漁業を行う場合,集魚灯の明かりで接近する他船の灯火を認めることが困難であったから,接近する他船を見落とすことのないよう,頻繁にレーダー監視をするなど,周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかしながら,同人は,しばらく前にレーダーで周囲を確認したところ,自船に近づく他船がいなかったことから,接近する他船はいないものと思い,見張りを十分に行わなかった職務上の過失により,接近する甚宝丸に気付かず,警告信号を行わないまま,衝突を避けるための措置もとらずに漂泊を続けて衝突を招き,前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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