(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年1月8日14時55分
高知県高知港
(北緯33度32.4分 東経133度33.2分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
漁業取締船くろしお |
総トン数 |
57.00トン |
全長 |
26.80メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
2,674キロワット |
回転数 |
毎分2,276 |
(2)設備及び性能等
ア くろしお
くろしおは,平成14年10月に竣工し,高知港を基地として,高知県沖合に月間約15日出動し,漁業の指導及び取締業務に従事する軽合金製漁業取締船で,船首寄りに操舵室及び上甲板下の船体中央部に機関室を配し,操舵室内の操縦卓から主機の増減速,危急停止及びクラッチの嵌脱操作(以下「遠隔操縦」という。)を行うことを常態とする2機2軸の推進装置を有していた。
イ 主機
主機は,E社が製造した,16V2000M91型と称するクラッチ内蔵の逆転減速機を組み込んだ4サイクル16シリンダのV型ディーゼル機関で,機関室両舷の対称位置(以下それぞれ「右舷主機」及び「左舷主機」という。)にそれぞれ据付けられていた。
ウ 主機操縦装置
主機操縦装置は,電圧24ボルト(V)の直流を制御電源とする電子制御方式のものであった。
また,機関室前部には,両舷主機用としてそれぞれ表示灯を兼ねた各種照光式押しボタンスイッチ(以下「押しボタン」という。)が組み込まれた機側操縦盤が据付けられており,同盤での操縦(以下「機側操縦」という。)のほか,各種警報の表示及び操縦位置の切替操作などを行えるようになっていた。
エ 主機の始動から遠隔操縦が可能な状態に至る操作
主機の始動は,機関室後部に設置された配電盤上で制御電源を入れ,機側操縦盤上で運転準備完了を示す表示灯が点灯後,始動用押しボタンを押すことにより行われ,始動後に機側と表示された操縦位置切替え用押しボタンが点灯するようになっていた。
機側操縦から遠隔操縦への移行は,機側操縦盤上で点灯している操縦位置切替え用押しボタンを押すと点滅状態となり,操舵室では,操縦卓の操縦ハンドルが中立位置にあることを条件に,同操縦卓上で操縦位置表示灯押しボタンも点滅すると同時に断続的な電子音が発せられ,操舵室内の操縦者がこれを認識して同押しボタンを押せば,遠隔操縦が可能な状態となって完了するが,一方,機関室では,点滅状態であった操縦位置切替え用押しボタンも,前記操作により遠隔操縦への移行が完了すると消灯するが,完了していない場合であっても,約2 秒間の点滅時間を経たのちに自動的に消灯する限時動作が組み込まれており,他に移行の状況を知る術がないことから,同押しボタンが消灯したことをもって,移行が完了したものと判断されるおそれがあった。
3 漁業取締船専用岸壁
漁業取締船専用岸壁(以下「専用岸壁」という。)は,高知港内にあり,東側のフェリーなどが発着する長さ約700メートル(m)の岸壁,南側のセメント会社が使用するほぼ同長さの岸壁及び西側の港湾合同庁舎などがある岸壁(以下「西岸壁」という。)に囲まれ,東側に設定された航路に向けて開口した,幅約300mでコの字形をした水域の北西奥部に設けられていた。
専用岸壁の周辺は,その北西方に清掃船が使用する浮桟橋,次いで警察の警備艇が使用する同桟橋がそれぞれ約25mの間隔を置いて設置され,また,専用岸壁と南西方の西岸壁との間が,その距離約60mで,複数の船舶が同時に往来するには狭隘な水路となっていた。
4 事実の経過
平成16年1月8日くろしおは,専用岸壁に入り船右舷付けで係留していたところ,A,B及びC各受審人ほか2人が乗り組み,週間取締計画に基づく高知県沖合での漁業取締業務に就くこととし,次席一等機関士が発電機を始動して陸電から船内電源へ切り替えたのち,発航時配置に就くため船首甲板に移動し,代わってB受審人が,両舷主機を始動するために機関室に入室した。
ところで,主機操縦装置は,制御電源を入れる際,何らかの理由で電圧が23.58V以下に低下している場合,同装置が操舵室内にある遠隔操縦ハンドルを認識できない状態となり,同時に警報が作動し,その旨が機側操縦盤上のディスプレイに記号と数字で表示され,その後,電圧が正常値に復帰しても,その状態を持続する特性を有していたが,このことが取扱説明書に記載されていなかった。
また,新造時,D社は,船舶所有者に対し,前記状態が起こり得ること及び同状態となった場合には制御電源を入れ直す以外に復旧方法がないことを周知しないまま,くろしおを引き渡した。
14時46分B受審人は,配電盤上で右舷主機の制御電源を入れたのち,左舷主機の同電源を入れたとき,折悪しく電圧が23.58V以下に低下していたので,左舷主機機側操縦盤で警報が作動するのを認めたが,今までに見たこともない警報表示であったことから,左舷主機操縦装置が遠隔操縦ハンドルを認識できない状態となったことを即座に知ることができなかった。
制御電源を入れ終えたB受審人は,右舷主機を始動して機側操縦から遠隔操縦に移行させたのち,続いて左舷主機機側操縦盤で,同主機を始動したとき,操縦位置切替え用押しボタンが点灯しておらず,前記警報と相まって,操縦装置に何らかの異常が生じていることがわかる状況であったが,特に気に止めることなく同押しボタンを押したところ,同ボタンが消灯したままであったので,移行が完了したものと早合点し,いつものように操舵室に移動した。
そのころ操舵室にいたA受審人は,点滅した右舷主機の操縦位置表示灯押しボタンを押して応答し,遠隔操縦が可能となっていることを表示盤で認めたが,同様に作動するはずの左舷主機の同表示灯押しボタンが点滅していないことに気づき,応答できない旨を昇橋してきたB受審人に伝えた。
左舷主機の遠隔操縦への移行が完了していないことを知ったB受審人は,機関室に戻って配電盤で電圧などを点検していたところ,折しも船首で前記警報音を認めて入室した次席一等機関士が,同音を停止し,リセット押しボタンを押すと警報表示が消えたのを見て,機側には異常がないと判断し,再度昇橋してA受審人にその旨を報告したのち,再び機関室に戻り,あらためて同機関士と共に左舷主機機側操縦盤の点検を始めた。
くろしおは,依然として左舷主機の遠隔操縦が不能な状態であったところ,これまで習慣としてきたとおり,錨の準備及び主機の試運転が行われず,また,船尾及び船首にそれぞれ配置されていたC受審人及び他の乗組員が,いつものように両舷主機が始動され,B受審人が一旦操舵室に移動したことを認めたので,両舷主機の遠隔操縦への移行が完了したものと思って係留索を放し,14時50分折からの北東風に圧流されながら,船首1.0m船尾0.8mの喫水をもって,専用岸壁を離れた。
A受審人は,風の影響を受けているので,右舷主機のみが使用できる状況では専用岸壁に引き返すことが困難と判断し,14時51分ごろ同主機を後進に間欠使用して同岸壁から南方に離れたやや広い水域に至り,漂泊して左舷主機操縦装置の復旧を待つこととした。
漂泊中,船尾にいたC受審人は,操舵室から出てきたA受審人から主機に不具合が生じている旨を知らされ,両舷主機が運転できない状態になっているものと早合点したうえ,警察の警備艇が入港態勢で船尾方から接近するのを認めたので,急ぎ機関室に赴いた。
B受審人は,C受審人が入室してきたことを知ったとき,右舷主機を使用して操船する可能性があることを承知していたが,次席一等機関士と共に行っていた左舷主機機側操縦盤の点検に気を取られ,C受審人に対し,その状況について説明を行わず,また,右舷主機同盤を操作してはならないことを明確に指示しなかった。
一方,14時54分ごろA受審人は,専用岸壁から南方約45mの地点にいたとき,入港する前記警備艇が更に接近したので,その進路の妨げとならないよう移動することとし,右舷主機を前進に間欠使用して左転しつつ約2ノットの速力(対地速力,以下同じ)で西岸壁に向け進行した。
C受審人は,両舷主機が正常に運転されているものの,B受審人及び次席一等機関士が行っている作業状況を見て,左舷主機の遠隔操縦に不具合が生じていることを認めたが,同主機と同様に,操縦位置切替え用押しボタンが消灯し,操縦位置が機側ではないことを示している右舷主機の遠隔操縦にも何らかの不具合が生じているものと思い,B受審人に状況の説明を求めるなどして右舷主機操縦装置の状況を十分に把握せず,自身は右舷主機同装置を担当することとした。
そして,C受審人は,一旦機側に操縦位置を切り替えれば正常な状態に戻るかも知れないと考え,機側操縦盤を一瞥して,間欠使用されていた右舷主機のクラッチ中立を示す表示灯が点灯状態であることを認めただけで,操舵室に連絡をとることなく操縦位置切替え用押しボタンを押して機側操縦に移行させたので,操舵室における右舷主機の操縦が不能となった。
A受審人は,右舷主機の遠隔操縦が不能となっていることに気づかないまま,約2ノットの速力で西岸壁に向け進行していたところ,警備艇の進路の妨げとならない船首方の西岸壁から約30mの地点まで移動し終えたので,14時54分半前進行きあしを止めようと,右舷主機遠隔操縦ハンドルを中立から後進に操作したものの,クラッチが後進に入らず,即座に次善の措置として右舵一杯をとった。
こうして,くろしおは,緩やかに右転しつつ西岸壁に向け進行し続け,14時55分高知港御畳瀬灯台から真方位351度2.0海里の地点において,左舷船側が同岸壁に約20度の角度で衝突し,擦過しながら前進を続けたのち,船首船底部が底触して停止した。
当時,天候は晴で風力2の北東風が吹き,潮候は上げ潮の中央期であった。
衝突の結果,左舷船首部外板及びキール船首部に凹損並びに左舷ハンドレールに曲損を生じたが,のち,修理された。
(本件発生に至る事由)
1 左舷主機の遠隔操縦が不能となった状態のまま,離岸したこと
2 A受審人が,左舷主機操縦装置の点検を行わせるにあたり,他船の往来の妨げとならない水域で漂泊しなかったこと
3 B受審人が,C受審人に対し,主機操縦装置の状況について十分に説明しなかったこと
4 C受審人が,右舷主機操縦装置にも何らかの不具合が生じているものと思い,主機操縦装置の状況を十分に把握しないまま,点検に取りかかったこと
5 C受審人が,遠隔操縦から一旦機側操縦に移行させれば正常な状態に戻ると考え,右舷主機の遠隔操縦を解除したこと
6 A受審人が,右舷主機の遠隔操縦が解除されたことを知らなかったこと
7 左舷主機の遠隔操縦が不能となった状態で航行中,右舷主機の同操縦も不能な事態となったこと
8 A受審人が,港内を航行するにあたり,速やかに投錨できる準備を行っていなかったこと
(原因の考察)
右舷主機の遠隔操縦が不能な事態にならなければ,左舷主機の遠隔操縦が不能な状況であっても,右舷主機のみを後進に使用して,前進行きあしを止めるなどの操船が可能で,船首方の岸壁との衝突を回避できたと認められる。
したがって,C受審人が,右舷主機操縦装置にも何らかの不具合が生じているものと思い,主機操縦装置の状況を十分に把握しないまま,右舷主機の遠隔操縦を機側操縦に移行させたことは,本件発生の原因となる。
また,主機操縦装置の状況がC受審人に十分に把握されていれば,右舷主機の操縦装置を操作する必要性がないことを容易に理解できたのであるから,B受審人が,点検の途中から機関室に来たC受審人に対し,主機操縦装置の状況について十分に説明を行わなかったことは,本件発生の原因となる。
左舷主機の遠隔操縦が不能となった状態のまま離岸したこと,A受審人が,左舷主機操縦装置の点検を行わせるにあたり,他船の往来の妨げとならない水域で漂泊しなかったこと,右舷主機の遠隔操縦が解除されたことを知らなかったこと及び港内を航行するにあたり,速やかに投錨できる準備を行っていなかったことは,いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,これらは,海難防止の観点から是正されるべき事項である。
(海難の原因)
本件岸壁衝突は,高知港内において,操舵室での左舷主機の遠隔操縦が不能となった状況で漂泊中,機関室で主機操縦装置の点検を行うにあたり,点検実施者相互の意志疎通が不十分で,右舷主機のみを使用して操船中,同主機が遠隔操縦から機側操縦に移行され,操舵室において後進に操作することができず,前進行きあしがついた状態のまま,岸壁に向け進行したことによって発生したものである。
点検実施者相互の意志疎通が不十分であったのは,機関長が部下乗組員に対し,主機操縦装置の状況について十分に説明を行わなかったことと,部下乗組員が同状況を十分に把握しなかったこととによるものである。
(受審人等の所為)
1 懲戒
C受審人は,高知港内において,操舵室での左舷主機の遠隔操縦が不能となった状況で漂泊中,機関室で主機操縦装置の点検を行う場合,既に機関長ほか1人が左舷主機操縦装置の点検を行っており,同主機の遠隔操縦装置に不具合が生じていることがわかる状況であったから,両舷主機の操縦が不能とならないよう,機関長に対し,点検内容についての説明を求めるなど,同装置の状況を十分に把握すべき注意義務があった。しかるに,同人は,両舷主機が正常に運転されていたので,右舷主機操縦装置にも何らかの不具合が生じているものと思い,同装置の状況を十分に把握しなかった職務上の過失により,操船中,右舷主機が使用されていることを確認することなく機側操縦に移行させたので,同主機の遠隔操縦が不能となる事態となり,前進行きあしを止めることができないまま進行して前方の岸壁への衝突を招き,左舷船首部外板及びキール船首部に凹損を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は,高知港内において,操舵室での左舷主機の遠隔操縦が不能となった状況で漂泊中,機関室で主機操縦装置の点検を行っている場合,部下乗組員が同点検を手伝う目的で機関室に入室して来たことを承知していたのであるから,右舷主機の操縦機能に影響を及ぼすことがないよう,同乗組員に対し,主機操縦装置の状況について十分に説明を行うべき注意義務があった。しかるに,同人は,まさか右舷主機操縦装置を操作することはあるまいと思い,部下乗組員に対し,主機操縦装置の不具合状況について十分に説明を行わなかった職務上の過失により,岸壁との衝突を招き,前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人の所為は,本件発生の原因とならない。
2 勧告
D社の所為は,本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
|