(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年12月4日12時04分
鹿児島県トカラ群島口之島水道
(北緯29度55.5分 東経129度52.0分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
交通船第二可能丸 |
総トン数 |
4.39トン |
登録長 |
9.95メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
235キロワット |
(2)設備及び性能等
ア 第二可能丸
第二可能丸(以下「可能丸」という。)は,昭和50年2月に進水した航行区域を限定沿海区域とする一層甲板型FRP製小型遊漁兼用船で,有効な船舶検査証書と動力漁船登録票を受有し,平成14年7月人の運送をする内航不定期航路事業開始届による使用船舶として登録され,最大搭載人員は旅客12人,船員1人の計13人で,鹿児島県口之島の西之浜漁港を基地として,交通船や漁船等として使用されており,交通船として年間約1回,一本釣り漁船として年間約100日,及び瀬渡船や遊漁船として夏期に月間約1回運航されていた。なお,口之島には,人の運送をする内航不定期航路事業を行っている船舶が,可能丸を含めて2隻あった。
イ 船体構造・設備
可能丸は,ほぼ船体中央部に機関室を備え,その上部に操舵室があり,同部でのブルワークの高さが約50センチメートル(以下「センチ」という。)で,前部甲板下に船倉,氷庫及びいけす仕様の魚倉を,後部甲板下に船倉及び舵機室をそれぞれ設置し,同甲板上の船尾中央部にスパンカー用の長さ約3メートルの帆柱を有し,スパンカーを巻いて収納していた。
同船は,航海計器類としてGPSプロッタ,漁業無線機及び魚群探知器を装備し,重量約20キログラムの鉄製錨1個,及び直径約3センチないし5センチの,繋ぎ合わせると約200メートルとなる合成繊維製索数本を備え,また,前部甲板下船倉に救命胴衣を15着ほど格納していた。気圧計については装備していなかった。
ウ 機関室
機関室には,主機として,平成10年10月に換装した,A重油を燃料油とする,B社が製造したUM6HE1TCX型と称する直接噴射式燃焼方式の過給機付4サイクル6シリンダ・ディーゼル機関を同室中央部に据え付け,同機両舷側後方に進水時から容量約250リットルの燃料油タンク(以下,右舷側を「右舷タンク」,左舷側を「左舷タンク」とそれぞれいう。)を備え,後壁に一次こし器を取り付けていた。また,機関室後方に隣接する船倉には,同9年口之島に燃料備蓄タンクが設置されて一度に大量の補油ができることになったことから,容量約1,200リットルの燃料油タンク(以下「後部タンク」という。)が増設されていた。
エ 主機燃料油供給系統
主機の燃料油供給系統は,右舷,左舷及び後部の各燃料油タンクのいずれも底面から約5センチの高さにある各取出し弁から直径約20ミリメートルのゴムホースで配管され,これらを三又金具で合流させて,機関室後壁に設置した一次こし器を経て主機入口管に至るようになっており,その後主機付属の水抜きフィルター,燃料供給ポンプ及び二次こし器を経て集合型燃料噴射ポンプに送られるようになっていた。
各燃料油タンクは,いずれも鉄製でFRPコーティングを施した直方体で,ほぼ同一水平面に設置され,それぞれ底部付近に取出し弁及びドレン抜きプラグを設け,同プラグにはビニール製の油面計が取り付けられており,給油口が甲板上に開口していたが,内部を点検,掃除するための点検口は設けられていなかった。
なお,各取出し弁は常時開放されていた。
また,一次こし器は,平成元年ごろA重油の粗悪化対策として設置されたC社製のGF-V-20S型と称する,ろ過精度8ミクロンのエレメントを内蔵した横長円筒状の精密こし器で,上部に空気抜き弁,底部にドレン弁をそれぞれ備えていたほか,主機運転中に同エレメントが閉塞して燃料供給が不足気味となったときに対処できるよう,緊急用バイパス弁を設けていた。
3 主機燃料油供給系統の整備状況
A受審人は,船体及び機関の整備について,鹿児島市に所在する十島村役場で開催される会議等に出席する際に可能丸で同市に出向くことがあり,そのときを利用してほぼ毎年1回可能丸を上架して船体整備を行うとともに,主機メーカーの系列業者に主機の整備を依頼しており,一次こし器エレメントについては,汚れ具合を点検して交換の目安としていなかったものの,近年においては平成11年10月,同12年11月,同13年9月,同16年1月に同業者に依頼して交換していた。一方,各燃料油タンクのドレンプラグを取り外すなどして内部のドレンを適宜排出したり,一次こし器に至るゴムホースを開放掃除するなどの燃料油供給系統の整備については,可能丸購入以来行ったことがなく,長年の間に沈殿した錆やスラッジ等の異物が同タンク底部に多量に堆積する状況のまま,運転を続けていた。
また,A受審人は,1時間当たりの燃料消費量が,使用機関回転数により異なるものの,10ないし70リットルであったことから,ほぼ1箇月から2箇月に1回の割合で燃料油タンクの容量一杯までA重油を補給するようにしており,最近では同16年11月3日に補油し,本件時の発航前には,後部タンクに約400リットル,右舷及び左舷タンクに合わせて約100リットル合計約500リットルの燃料油があることを確認していた。
4 事実の経過
可能丸は,A受審人が1人で乗り組み,乗客5人を乗船させ,鹿児島県中之島の中之島港に運ぶ目的で,船首0.5メートル船尾1.5メートルの喫水をもって,平成16年12月4日08時30分西之浜漁港を発し,口之島水道に向かった。
ところで,口之島水道は,鹿児島県トカラ群島の口之島とその南方の中之島との間にある幅約5海里,水深約500メートルの海峡であり,同水道には東方に流れる海流があった。
当時,十島村付近には,前線を伴う低気圧が接近しており,同日04時31分名瀬測候所から強風,波浪注意報が,同日昼前から翌5日明け方にかけて南東の風のち北の風,海上最大風速19メートル,波高5メートルとなる旨の気象情報がそれぞれ発表されていた。
乗客5人は,十島村が発注した工事請負契約を,D社が元請会社として指名競争入札により落札したことにより,現場で実際に施工等を行う下請会社であるE社などの社員であった。
そして,同5人は,当初,口之島と中之島での機器の設置工事のために,十島村が運航する「鹿児島〜十島〜名瀬」定期船で12月1日口之島に来島し,同島での工事を同月8日までに終えたのち,その日に同定期船で中之島へ移動する予定であった。ところが,口之島での工事が予定よりも早く終了したため,次の工事を行うために中之島へ移動する目的で,急遽,同月3日夕刻現場手配により可能丸を借り上げたもので,スコップ,折りたたみ式自転車,工具箱などの手荷物を船首甲板や船首倉庫に積み込んで,操舵室後方に乗船していた。
なお,可能丸の用船料金は,中之島に到着した時点で各自が分担金を現金でA受審人に直接支払うようになっていた。
ところで,可能丸発航前日の同月3日から,前記定期航路は台湾南部に停滞していた台風や低気圧の接近による天候不良のため欠航となっていた。このような状況下,A受審人は,同日乗客5人のうちの1人から可能丸借り上げの要請を受けたことから,要請者に対して,翌朝の気象状況を観察したのち,発航の可否を決定する旨を返事し,本件当日の朝,同状況が良いと判断して,発航する旨を同要請者に伝えたものであった。
発航するころ,A受審人は,口之島水道付近では最大風力6の南東風が吹き,波高約2メートルとなっていたが,テレビの気象情報により波浪注意報が発令され,今後気象が悪化することは知っていたものの,西之浜漁港内では地形の影響を受けて風力3程度であったことや,荒天になるのは午後からで,1時間程度の航海だから,その前に目的地に行って帰ることができると思って発航することとし,それに先立ち乗客に対し,作業服の上に雨合羽を着用させたものの,救命胴衣を装着するよう指示しなかった。
発航後,A受審人は,口之島西岸に沿って南下し,08時40分烏帽子崎沖となる西之浜港南防波堤灯台(以下「南防波堤灯台」という。)から219度(真方位,以下同じ。)1.2海里の地点において,針路を中之島のカツオ埼付近に向く207度に定め,機関をほぼ全速力前進にかけ,11.0ノットの速力(対地速力,以下同じ。)で手動操舵によって進行した。
可能丸は,烏帽子崎を替わったころから増勢した南東の風浪を左舷船首方から受けながら続航中,各燃料油タンク取出し弁からゴムホースを経て一次こし器エレメントに至る燃料油供給系統のいずれかの部分が,同タンク底部に堆積した錆やスラッジ等によって閉塞し,09時00分同灯台から210度4.9海里の地点において,主機が自停した。
A受審人は,燃料油タンクの油量などの点検を行ったが異常はなく,以前の経験から同油供給系統内に空気が混入したために自停したものと思い,主機燃料供給ポンプ付属のプライミングポンプを使用して空気抜き作業を行ったところ,燃料油が通るようになったことから,09時20分ごろ,一旦,主機の始動ができて目的地に向け航走を開始したが,数分後,燃料供給が途絶えて再び主機が自停した。
このためA受審人は,再度,燃料油供給系統の空気抜き作業を繰返し実施したものの主機を再始動することができず,各部を点検中,一次こし器のドレン弁を開けたときに,同油が少量しか排出されなかったことから,各燃料油タンク取出し弁から同こし器エレメントまでの管系が閉塞している状況であったものの,気が動転していてこのことに思い及ばず,海象が悪化する状況下であったが,依然として燃料油供給系統の空気を抜けば主機が始動できると思い,速やかに自力復旧を断念して救助要請を行わないまま,乗客の手伝いも得て同系統の空気混入にかかわる点検作業等を続けた。
11時09分A受審人は,ようやく自力復旧を断念し,僚船であり西之浜漁港に係留中のF号(総トン数3トン,遊漁兼用船)に携帯電話で曳航救助を依頼したものの,南東風が更に増勢していたが,予備索を繋ぎ合わせて錨索とし,船首から錨を投入して抵抗体とするなり,固縛してあったスパンカーを展張したりして船首を風浪に立てるなどの荒天に対処する措置をとらなかった。
連絡を受けたF号船長は,一次こし器のエレメントを外すか,又は,同こし器をバイパスするなどの応急対策を助言したうえ,11時30分ごろ救助のために西之浜漁港を発航したものの,同時45分ごろ烏帽子崎付近に達したとき,荒天のため二次遭難を危惧して航行を継続することを断念し,A受審人にこの旨を連絡した。
一方,助言を受けたA受審人は,自分で一次こし器を整備した経験がなかったこともあって,同助言にしたがって主機再始動作業を実行せず,この程度の海象ならば,救助機関に救助依頼をするまでもないと思い,依然として海上保安部に救助要請することも,荒天に対処する措置をもとらないでいたところ,12時01分F号より船型の大きいG号の船長と連絡がとれたことから,同船の救助を待つこととした。
こうして,可能丸は,荒天に対処する措置を十分にとらないまま船首を南南西方に向けて横波を受ける状況で漂流しながら救助を待っていたところ,12時04分南防波堤灯台から211度4.6海里の地点において,突然高起した横波を左舷側から受けて,急激に右舷側に大傾斜して復原力を喪失し,そのまま転覆した。
当時,天候は小雨で最大風力9の南東風が吹き,波高約3メートルであった。
12時30分ごろA受審人から救助依頼を受けたG号は,西之浜漁港を発して可能丸の救助に向かい,現場付近の海域に至ったが,同船に遭遇できず,同海域をしばらく捜索したものの,海象が更に悪化する状況下であり,捜索を断念し,同漁港に向け帰港ののち,海上保安部にこの旨を連絡した。
転覆の結果,可能丸は,船底を上にしたまま漂流し,口之島烏帽子崎南側の海岸に打ち上げられ全損となり,A受審人は同船のプロペラシャフト等に掴まって,同船とともに漂流し,同島南西岸付近まで流されたところで同船から離脱し,同日17時50分同海岸に泳ぎ着いたが,乗客H,同I,同J,同K及び同Lは転覆後しばらくの間,船体に掴まっていたものの,打ち寄せる風浪に抗しきれず,次々と流され,行方不明となった。
なお,同日15時30分第十管区海上保安本部に「瀬渡し船可能丸行方不明海難中規模対策本部」,鹿児島海上保安部に「瀬渡し船可能丸行方不明海難中規模現地対策本部」がそれぞれ設置され,その後海上保安庁の航空機,巡視船により,また,海上自衛隊,警察,地元消防団により海陸の捜索が行われた。
(本件発生に至る事由)
1 燃料油供給系統の整備が不十分であったこと
2 乗客に救命胴衣を装着するよう指示しなかったこと
3 天候が悪化する状況であったこと
4 燃料油タンク内の錆やスラッジ等で燃料油供給系統が閉塞して主機が自停したこと
5 主機を再始動できなかった際,速やかに救助要請しなかったこと
6 漂流時の荒天に対処する措置が十分でなかったこと
(原因の考察)
本件は,天候が悪化する状況の下で航走中,機関が自停しなければ,海上が荒天気味ではあっても目的地に到着できたと認められる。
したがって,A受審人が,燃料油供給系統の整備を十分に行わず,燃料油タンク内の錆やスラッジ等により同タンクから一次こし器に至る管系のいずれかの部分が閉塞して主機が自停したことは本件発生の原因となる。
次に,最初の主機の自停から救助要請まで2時間ばかり経過していることからすれば,当時海象が悪化する状況下,自らでは主機の復旧ができなかったのであるから,速やかに救助要請を行っていれば,本件は発生していなかったものと認められる。
したがって,A受審人が,主機を再始動できなかった際,速やかに救助要請をしなかったことは本件発生の原因となる。
また,漂流時,搭載していた数本の索を繋いで錨索とし,錨を船首から流して抵抗体とするなり,スパンカーを展張したりして船首を風浪に立てるなどの荒天に対処する措置を十分にとっていれば,本件は発生していなかったものと認められる。
したがって,A受審人が,漂流時の荒天に対処する措置が十分でなかったことは本件発生の原因となる。
低気圧が接近し,天候が悪化する状況であったことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。
A受審人が,乗客に救命胴衣を装着するよう指示しなかったことは,転覆後,乗客全員が行方不明となったことの原因となる。
(主張に対する判断)
1 理事官は,運航基準を遵守することなく発航したことが本件発生の原因である旨を主張するので,当時の気象,海象と可能丸運航基準中の発航の中止条件との関係などを検討する。
同基準によると航行中に風速毎秒18メートル以上,又は,波高2.2メートル以上に達するおそれがあると認めるときは,発航を中止しなければならないと記されているが,発航時の気象,海象は,事実の経過に記載のとおり,口之島水道付近では最大風力6(毎秒約14メートル)で,波高約2メートルであったこと,当時の気象情報では当日昼前から翌5日明け方にかけて気象状況が更に悪化する状況である旨の名瀬測候所の発表があったこと,及び約1時間程度の航程であったこと,さらに,最初の主機自停から本件発生まで約3時間経過していることを考慮すると,発航時の気象,海象が,発航の中止条件に達していたと直ちに認めることはできず,また,発航したことが本件発生の原因とも認めることができない。したがって,その主張は採用できない。
2 補佐人は,当時,乗船者が,十島村が発注した工事の施工に従事中の過程で発生した事件で,同施工の請負契約の元請人であるD社が危機管理及び安全配慮義務を尽くさず,可能丸を用船したので,D社に本件転覆発生の原因があると主張する。
しかし,次のとおり,その主張を認めることはできない。
(1)補佐人の主張する具体的内容は,口之島から中之島への移動手段として十島村が運航する定期船を利用するのが当初の予定であったが,これを利用せず,可能丸を用船してこれを利用したからD社にも本件発生の原因があるというものである。確かに,一般的に,使用者は,雇用契約上の付随義務として,労働者が労務提供する環境の下で労務を提供する過程において,労働者の生命,身体等を危険から保護するように配慮すべき義務を負っている。しかしながら,本件では,当時の乗船者である現場作業者の判断により,移動手段を可能丸に変更したものであり,また,その判断が適切でなかったと認める証拠もない。したがって,本件発生の原因がD社にあると認める相当な理由はない。
(2)また,補佐人は,当時,可能丸の運航は用船形態であることから,同船の発航権限が元請人であるD社にあり,A受審人に発航を承諾させた旨主張するが,そもそも本件発生の原因は考察の項で述べたとおりであり,可能丸の発航と本件発生との間には,相当な因果関係はないのである。したがって,補佐人の主張を判断するまでもなく,その主張は失当である。なお,用船であるか否かにかかわらず,例えば,船長が出港を余儀なくさせられたというような特段の事情がない限り,一般的に発航の可否も含め,現場における実際の船舶運航の安全は船長自身が担保すべきものであり,また,当時,そのような特段の事情が認められる証拠も存在しない。
(海難の原因)
本件転覆は,乗客を中之島に運ぶ目的で,口之島水道を南下中,燃料油供給系統の整備が不十分で,燃料油タンクに堆積した錆やスラッジ等が同系統を閉塞し,海象が悪化する状況下に主機が自停したこと,及び漂流状態となった際,救助要請が遅れたこと,かつ,荒天に対処する措置が不十分で,高起した横波を受けて復原力を喪失したことによって発生したものである。
乗客が行方不明となったのは,救命胴衣を装着するよう指示がなされなかったことによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は,低気圧が接近して天候が悪化する状況の下,乗客を中之島に運ぶ目的で,口之島水道を南下中,機関が自停して再始動できなかった場合,海象が悪化する状況下であったから,速やかに救助要請を行うべき注意義務があった。ところが,同人は,燃料油供給系統の空気を抜けば主機が始動できると思い,長時間にわたって同系統の空気混入にかかわる点検作業などを続け,速やかに救助要請を行わなかった職務上の過失により,荒天となって,可能丸が横波を受けるまま漂流を続け,高起した横波を受けて転覆する事態を招き,同船を全損させ,乗客5人を行方不明とさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第2号を適用して同人の小型船舶操縦士の業務を6箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。
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