3 今治港第3区及び西ノ瀬戸
今治港第3区は,来島海峡の4つの水道のうち,最も西側の来島ノ瀬戸に面し,南方に深く入り込んだ細長い湾となっており,湾口に来島が位置し,同区内東側の愛媛県今治市に今治工場の主要施設があって,来島中磯灯標から213度(真方位,以下同じ。)910メートルにあたる,同区内西側の同市波方町大浦に,北西から南東に延びる岸壁(以下「大浦岸壁」という。)が設けられていた。
大浦岸壁とその北東方沖合に位置する来島の間は,幅約300メートルの西ノ瀬戸と呼ばれる水道になっており,同島を挟んで来島ノ瀬戸と隣り合い,来島海峡が北流のとき,同瀬戸の潮流が西ノ瀬戸に分岐し,分岐した潮流と来島南東岸に当たって同岸沿いに流れる潮流が合流する大浦岸壁と来島との中間付近は,強潮流域となっていた。
4 バージ入替え作業
大浦岸壁にはドックゲートを積んだ長さ40.00メートル幅15.00メートル深さ2.50メートルの鋼製バージ(以下「40メートルバージ」という。)が係留され,更に,その沖側に船体ブロックを積んだ長さ50.00メートル幅18.00メートル深さ3.00メートルの鋼製バージ(以下「50メートルバージ」という。)が係留されていたが,近々ドックゲートを使用することとなり,両バージを入れ替える必要が生じたので,40メートルバージの移動には東予丸押船列及びいとやまを,50メートルバージの移動にはタグボート愛船丸をそれぞれ使用してバージ入替え作業を行うこととした。
A受審人は,入替えの作業手順を,愛船丸が50メートルバージを引き出したのち,東予丸押船列が,ヤマカの右舷側を40メートルバージの左舷側(40メートルバージの船首方向については,東予丸押船列の船首側とする。)に船尾端が並ぶ位置で合わせ,直径35ミリメートルの合成繊維索を船首尾に各2本取って横抱きし,いとやまを同バージの船首に直径22ミリメートル及び同30ミリメートルの合成繊維索を船首及び船尾に各1本取って右舷付けさせ,自らが指揮を執って同バージを大浦岸壁から離岸させて沖合で待機し,愛船丸が50メートルバージを同岸壁に再接岸させたところで,同バージに40メートルバージを接舷係留させることとした。(以下,東予丸押船列,40メートルバージ及びいとやまが一体となったものを「東予丸船団」という。)
5 事実の経過
平成16年6月3日12時40分A受審人は,東予丸の船長がバージの離接舷作業に不慣れであったことから,自らが作業の指揮に当たることとし,50メートルバージの沖側に接舷係留していた東予丸押船列に,乗組員2人を伴って乗り組んだ。
A受審人は,愛船丸の到着を待つうち,折しも来島海峡が北流7.9ノットの最強時を14時19分に控え,大浦岸壁から100メートルほど沖合では,潮目を生じて強潮流となっていることを知った。
また,いとやまは,B受審人が1人で乗り組み,A受審人の指揮の下,バージの離接舷作業の援助のため,船首0.8メートル船尾1.2メートルの喫水をもって,同日13時00分今治工場の係留地を発し,13時05分大浦岸壁に至り,40メートルバージの船首端に接舷係留した。
A受審人は,いとやまが40メートルバージに接舷したことを認め,間もなく愛船丸が到着したので,13時13分50メートルバージから離れ,愛船丸が同バージを南東方向に引き出したのち,13時33分東予丸の船首0.8メートル船尾2.2メートル,ヤマカの船首0.0メートル船尾0.8メートルの各喫水をもって,船首尾とも0.5メートルの等喫水となった40メートルバージの左舷側にヤマカの右舷側を合わせて接舷係留し,バージ離接舷作業の準備に入った。
このときA受審人は,折から作業が強潮流時にあたり,いとやまが40メートルバージの船首端に接舷した状態で沖出し待機すると,同船が左舷側から強潮流を受けて甲板上に海水が打ち込むおそれがあったが,強潮流を避けて潮の弱いところで待機すれば海水が打ち込むことはないものと思い,潮流が弱まるまで作業を中止することなく,操舵室で単独の操船指揮にあたり,13時38分同バージ上に配置した乗組員に大浦岸壁との係留索を解かせると同時に,同乗組員を通じて,B受審人にいとやまの機関を後進にかけるように命じ,バージの離接舷作業を開始した。
一方,B受審人は,A受審人から機関を後進にかけるように命じられ,機関室囲壁の後方に立って操船にあたり,機関を全速力後進にかけた。
A受審人は,40メートルバージの船首が大浦岸壁から20メートルほど離れたところで,東予丸を右舵一杯として微速力前進にかけ,同岸壁の前面に愛船丸が50メートルバージを再接岸させるための操船水域を設けるため,その後,東予丸の舵と機関を種々使用して,東予丸船団は,西ノ瀬戸の潮流を船首方向から受けながら,大浦岸壁とほぼ平行状態で,徐々に沖合に移動し,13時44分B受審人に機関中立運転を命じた。
13時45分A受審人は,東予丸船団が,大浦岸壁沖合100メートルばかりの西ノ瀬戸の中央付近に至り,いとやまの左舷側に当たる船首方向からの潮流が徐々に強まり,北西方向に圧流される状況になったとき,流されながら来島寄りの潮の弱いところまで行けば良いと思い,東予丸の舵と機関を使用し,同じ姿勢を保ちながら待機を開始した。
B受審人は,大浦岸壁から離れるにつれて,徐々にいとやまの左舷側に当たる潮流の強さが増し,13時50分少し前海水が同船のブルワークを越えて一気に甲板上に打ち込み,船体が左舷側に傾斜するのを認め,急いで40メートルバージの甲板上に移乗し,A受審人に向かって合図を送りこのことを知らせたものの,13時50分来島中磯灯標から214度740メートルの地点で,東予丸船団が126度を,いとやまが216度を向いたとき,海水が機関室の出入口から同室内に流入した。
当時,天候は晴で風はほとんどなく,潮候は下げ潮の末期にあたり,付近には北西方に流れる6ノットの潮流があった。
その結果,いとやまは,更に左舷側に傾斜して船体後部のストア及び舵機室区画にも海水が流入し,船尾索が切断して船尾側から沈下し始めた
A受審人は,愛船丸の来援を依頼し,同船が到着後40メートルバージに係留させ,東予丸押船列は40メートルバージから離れ,ヤマカの船首端にいとやまの船首部をロープで吊って,沈没防止を試みたが,北西方に圧流され,大浦岸壁の北西方2.3海里付近に達したところで,吊り索が切断し,いとやまは沈没した。
(本件発生に至る事由)