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平成17年横審第46号
件名

漁船第二十五御嶽丸乗揚事件

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成17年9月30日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(西田克史,岩渕三穂,古城達也)

理事官
供田仁男

受審人
A 職名:第二十五御嶽丸船長 海技免許:四級海技士(航海)

損害
船底外板に凹損を伴う擦過傷

原因
水路調査不十分

主文

 本件乗揚は,水路調査が十分でなかったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。

理由

(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成16年4月9日07時05分
 神奈川県三崎本港
 (北緯35度08.1分 東経139度37.5分)

2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 漁船第二十五御嶽丸
総トン数 237トン
登録長 39.41メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,176キロワット
(2)設備及び性能等
 第二十五御嶽丸(以下「御嶽丸」という。)は,昭和59年6月に進水した従業区域を丙区域とし,千葉県銚子漁港を基地として網船及び探索船とともに御嶽丸船団を組み,大中型まき網漁業に従事する鋼製運搬船で,船体後部寄りに操舵室を設け,同室内に自動操舵装置,レーダー2台,GPSプロッタ及び魚群探知機を備えていた。
 また,速力は,機関回転数毎分620が航海速力の12.5ノットで,操舵室に装備した機関遠隔操縦装置で機関回転数を上下できるようになっており,電動油圧式の操舵装置を舵輪で操作すると,舵中央から各舷最大舵角までとるための舵輪の回転数はそれぞれ3回転で,実際に舵が最大舵角をとるために要する時間は,舵輪を操作したのち4.5秒であった。

3 三崎本港
 三崎港は,神奈川県三浦半島の南端に位置し,その南側の城ケ島との間に挟まれた水域である三崎本港とその北方の諸磯,油壺,小網代の3湾から成っていた。
 そして,三崎本港は,東西に入口を持ち,そのほぼ中央部に南北に通じる城ケ島大橋が架かり,同大橋中央部から南東方約360メートルのところに設置された左舷標識の三崎港東口第3号灯浮標(以下,灯浮標及び灯台の名称は「三崎港東口」の冠名を省略する。)までの城ケ島北岸沿いには暗岩や干出岩が散在する水深2メートル以下の浅所が拡延し,同灯浮標の南西側至近に中根と呼ばれる険礁が存在した。

4 事実の経過
 御嶽丸は,A受審人ほか5人が乗り組み,網船が定期検査のため城ケ島北東岸に所在する造船所に入渠するのに合わせ,自船もそこで船底塗装する目的で,平成16年4月1日00時30分銚子漁港を出港し,三崎本港に向かった。
 ところで,A受審人は,三崎本港に入港するにあたり,海図W62(金華山至東京湾)の備えしかなく,20年近く前に同港に入港した経験があるだけで水路状況に精通していなかったのに,港内に険礁などはないものと思い,銚子漁港を出港するのに先立って三崎本港の大縮尺の海図W1068を備えるとともに,同海図にあたって険礁の存在を確かめるなど,事前の水路調査を十分に行っていなかった。
 こうして,A受審人は,三崎本港の東口に達し,09時00分東口南防波堤北端を航過して造船所の前面海域に至り,造船所側に自船を引き渡して作業の一切を委託し,機関長1人を在船させ他の乗組員等とともに離船して陸路帰宅し,その後船底塗装が完了した自船を銚子漁港に回航するため,越えて9日早朝三崎本港に戻り,城ケ島大橋から西方約750メートルのところに,西口北防波堤に対面して整備されたマイナス6メートル岸壁に係留中の自船に帰船した。
 06時55分A受審人は,自身ほか5人が乗り組み,船首1.5メートル船尾4.0メートルの喫水をもって,自ら手動操舵に就いて離岸し,機関,舵を種々使用して三崎本港の東口に向かって東行を続け,07時03分城ケ島大橋の下を航過したとき,右舷前方に造船所から出航する態勢の網船を認め,07時03分半北防波堤灯台から293度(真方位,以下同じ。)335メートルの地点で,針路を第3号灯浮標の少し北方に向く131度に定め,機関を極微速力前進にかけ,6.0ノットの対地速力で進行した。
 07時04分半A受審人は,北防波堤灯台から273度165メートルの地点に達したとき,第3号灯浮標が右舷船首7度120メートルとなり,同方向のわずか右260メートルのところに北東方に向首した網船を見るようになったとき,操業中いつも同船と行動を共にしていたことから,これに追従して一緒に帰途に就くこととし,針路を網船の船尾方に向けて155度に転じた。
 このとき,A受審人は,第3号灯浮標が左舷標識であったものの,事前の水路調査を十分に行っていなかったので,その南西側至近に中根があることを知らず,同灯浮標を左舷方に見て航過する態勢で続航し,07時05分北防波堤灯台から240度150メートルの地点において,御嶽丸は,原針路,原速力のまま中根に乗り揚げた。
 当時,天候は晴で風力1の東風が吹き,潮候は下げ潮の初期であった。
 乗揚の結果,御嶽丸は手配した探索船に引き下ろされ,発航した岸壁付近に自力で戻り,ダイバーによる点検の結果,船底外板に凹損を伴う擦過傷を生じたが,破口や亀裂がなかったので,17時00分銚子漁港への帰途に就いた。

(本件発生に至る事由)
1 港内に険礁などはないものと思い,事前の水路調査を十分に行わなかったこと
2 出航する網船があったこと
3 水源に向かって左舷標識の左側を航行したこと

(原因の考察)
 本件乗揚は,銚子漁港を出港して三崎本港に入港後,同港を発航して東口に向かって出航中,港内の険礁の存在を知らずに右転し,険礁に向首進行して発生したものである。
 したがって,A受審人が,銚子漁港を出港するのに先だって三崎本港の大縮尺の海図を備えるとともに,同海図にあたって険礁の存在を確かめるなどしていれば,乗り揚げることはなかったものと認められるので,港内に険礁などはないものと思い,事前の水路調査を十分に行わなかったことは,本件発生の原因となる。
 水源に向かって左舷標識の左側を航行したことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,左舷標識の意味する中には今回のように岩礁や浅瀬等の障害物があることを含む場合もあるので,海難防止の観点から是正されるべき事項である。
 出航する網船があったことは,御嶽丸の右転に関与があったものの,原因とならない。

(海難の原因)
 本件乗揚は,千葉県銚子漁港を出港して神奈川県三崎本港に入港するにあたり,事前の水路調査が不十分で,同港を発航して東口に向かって出航中,険礁に向首進行したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は,千葉県銚子漁港を出港して神奈川県三崎本港に入港する場合,小縮尺の海図の備えしかなく,20年近く前に同港に入港した経験があるだけで水路状況に精通していなかったから,銚子漁港を出港するのに先立って三崎本港の大縮尺の海図W1068を備えるとともに,同海図にあたって険礁の存在を確かめるなど,事前の水路調査を十分に行うべき注意義務があった。しかるに,同人は,港内に険礁などはないものと思い,事前の水路調査を十分に行わなかった職務上の過失により,三崎本港に入港後,同港を発航して東口に向かって出航中,険礁に向首進行して乗揚を招き,船底外板に凹損を伴う擦過傷を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。





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