(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年2月13日14時32分
関門港台場鼻沖
(北緯33度56.9分東経130度51.2分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
貨物船第十六旭丸 |
貨物船コロンバス チリ |
総トン数 |
491トン |
25,608トン |
全長 |
75.80メートル |
208.16メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
19,810キロワット |
(2)設備及び性能等
ア 第十六旭丸
第十六旭丸(以下「旭丸」という。)は,平成元年6月に建造されたバウスラスター付きの船尾船橋型貨物船で,船橋より前方の上甲板下に貨物倉1個を備え,船首端から船橋前面までの距離が約60メートルであった。
当時,喫水は船首2.75メートル船尾3.75メートルで,眼高は約8.7メートルであった。操舵室では2台のレーダーのうち1台が作動中で,GPSが稼働中であった。また,同室後壁の右舷側寄りに備えられたVHF受信機によって16チャンネルが聴取されていた。
旋回性能は,主機回転数毎分206の状態から,舵角35度で右舵一杯として,右転の旋回径が約160メートルで,左転の値もほぼ同様であった。
イ コロンバス チリ
コロンバス チリ(以下「コ号」という。)は,西暦1997年にドイツ連邦共和国で建造されたコンテナ貨物専用の船尾船橋型貨物船で,バウスラスターを有し,船首端から船橋前面までの距離が約188メートルであった。当時,喫水は,コンテナ貨物17,971.4トンを載せ,船首9.25メートル船尾9.45メートルで,眼高は約29.5メートルであった。
操舵室には,主な航海機器類が船体中心線より右舷側に配置されていて,同室前面中央のやや右舷側寄りに操舵スタンドが,同スタンドから右舷側に順に,2号レーダー,VHF受信機と汽笛スイッチなどが取り付けられた機関遠隔操縦盤,1号レーダー及びGPSが組み込まれた電子海図表示機がそれぞれ備えられ,ジャイロコンパスのレピータは,操舵スタンドに組み込まれたもののほかは同室両舷外側のウイングにのみ設置されていた。同室内からの前方見通し状況は,船体中心線沿いに荷役用のクレーンがあって死角を生じていたが,同室を左右に移動することで同死角を補うことができた。
操縦性能は,航海全速力が主機回転数毎分108で約22ノット,同速力からの最短停止距離及び時間が約2,370メートル及び6分56秒で,舵角35度における右旋回の最大縦距及び最大横距が約760メートル及び約870メートルで,左旋回はこれよりやや少ない値となっていた。
3 事実の経過
旭丸は,B,C両受審人ほか3人が乗り組み,船舶用機関2機440トンを積載し,平成16年2月12日17時45分神戸港を発し,関門海峡経由で長崎県肥前大島港に向かった。
船橋当直は,単独3直制をとり,B受審人が08時から12時まで及び20時から00時まで,C受審人が00時から04時まで及び12時から16時まで,一等航海士が04時から08時まで及び16時から20時まで,それぞれの時間帯を各人が受け持ち,出入港時,船舶交通輻輳時,視界制限時及び狭水道通航時等には,B受審人が昇橋して操船指揮をとっていた。
翌13日12時00分C受審人は,周防灘航路第2号灯浮標を左舷側に並航するころ,B受審人から単独船橋当直を引き継ぎ,13時30分ごろ部埼東南東方沖合1.4海里付近に至ったとき,B受審人が昇橋したことから,以後同人の指揮のもと,関門港西口の馬島西方に向け同港を通過することを示す国際信号旗の第一代表旗,W旗及びU旗を上下に連掲し,自らが操舵操船して関門航路に入り,同航路を西航した。
14時15分C受審人は,下関福浦防波堤灯台から166度(真方位,以下同じ。)1,100メートルの地点で,針路を321度に定め,引き続き機関を全速力前進にかけ,折からの西流に乗じて12.7ノットの速力(対地速力,以下同じ。)で,航路の右側をこれに沿って自動操舵によって進行した。
14時16分B受審人は,大山ノ鼻の沖を航過したとき,当日は朝から体調を崩していて便意を催したことから降橋することにしたものの,やがて台場鼻沖の関門航路屈曲部(以下「屈曲部」という。)に差しかかる状況下,自船が屈曲部付近から関門第2航路(以下「第2航路」といい,関門航路を「航路」という。)に向けて航路を出る予定であり,屈曲部付近で航路を東航する他船と出会うと,危険な状態となるおそれがあったが,C受審人が航海士の経験が豊富であったことから,同人に単独当直を任せても大丈夫と思い,船橋当直を同人に任せて降橋し,用便後も自室で休息して操船指揮をとらなかった。
14時22分C受審人は,下関荒田防波堤灯台から289度1,340メートルの地点で,左舷側を第三船(総トン数3,805トン)が追い越し,この先また左舷側を追い越す他船があると第2航路に向かうとき自船の進路を塞がれることがあるので,早めに航路の中央に寄せておこうと思い,前路右方に航行の障害となるものは何もない状況であったが,航路の右側を航行する針路とすることなく,針路を314度に転じた。
こうして,C受審人は,航路を斜航しながら,また,第三船の掲げる国際信号旗を確認しなかったので,同船が自船と同じく第2航路に向かう船舶であることに気付かずに進行した。
14時25分半C受審人は,台場鼻灯台から186度1,260メートルの地点に達したとき,右舷船首45度1.6海里のところに,六連島東方の航路を南下するコ号を初認し,同船の掲げる国際信号旗を確認しなかったものの,大型のコンテナ貨物船であることから航路をこれに沿って東航する船舶であることを知り,その後同船と屈曲部付近で出会うおそれがあることを認めたが,依然として航路の右側を航行する針路とせず,同じ針路のまま続航した。
14時26分半C受審人は,台場鼻灯台から204度1,050メートルの地点に達し,コ号が方位に変化なく1.2海里に接近したことを認め,このまま進行すれば衝突のおそれがあることを知った。また,このころ,VHFにより関門海峡海上交通センター(以下「関門マーチス」という。)から自船が呼ばれ,コ号と行き会わないように注意するよう指示を受けた。しかし,同人は,操舵室前部にいたこともあってそのことを意に介さず,コ号は台場鼻を替わるころ左転するので,自船が早く航路の左側に寄って第2航路に出れば右舷を対して航過できると思い,大きく右転するなどしてコ号の進路を避けることなく,手動操舵に切り替え,わずかに左舵をとりながら進行した。
14時27分C受審人は,コ号が汽笛による長音3声を吹鳴し,更に同船からVHFにより,本船を避けるようにと呼びかけがあり,同時27分半航路のほぼ中央部付近にあたる,台場鼻灯台から223度1,020メートルの地点に達したとき,再び同船から,左舷対左舷で航過するようにと呼びかけられたが,この呼びかけも意に介さず,このころ第三船が右舷前方450メートルのところでコ号の進路を避けるために右転しており,自船が続いて右転すればコ号の進路を容易に避けることができる状況であったが,第三船が第2航路に向かう船舶であることを知らず,また,単独当直で操船に追われ,第三船の動向を見ておらず,航路の右側を航行することなく,徐々に左転して,コ号の航路による航行を妨げる状況のまま,続航した。
こうしてC受審人は,自船の右舷側水域を空けていればコ号が左転できるだろうと考え,航路の左側に進出して左舵をわずかにとりながら進行し,14時28分半ようやく航路西側境界線の手前170メートルのところに達し,船首が約300度を向き,間もなく航路を出て第2航路に入る態勢となり,コ号の進路をほぼ妨げない状態となった。
14時29分C受審人は,航路西側境界線上の,台場鼻灯台から250度1,270メートルの地点に達したとき,コ号が右舷前方830メートルに接近しても依然として左転態勢をとっておらず,様子を見ていたところなおも直進するので,衝突の危険を感じ,同時29分半第2航路の左側に占位して船首が約290度を向き,コ号の船橋が右舷前方620メートルに迫ったとき,左舵一杯をとって回頭中,同時30分半同船と著しく接近した状態で航過した。
旭丸は,第2航路の南側境界線をまたいで左に1回頭したのち,同航路に入り西進中,海上保安部から船舶電話で呼び出され,停船した。B受審人は,コ号が浅所に乗り揚げた事実を知らされ,事後の措置に当たった。
当時,天候は曇で風力2の北東風が吹き,潮候は上げ潮の末期で,付近には約1.0ノットの北西流が,また,コ号が南下していた関門航路第8号灯浮標付近には同値の北東流がそれぞれあった。
また,コ号は,船長Dほかポーランド共和国人及びフィリピン共和国人など21人が乗り組み,コンテナ貨物を積載し,2004年2月13日07時06分大韓民国釜山港を発し,関門海峡経由で名古屋港に向かった。
同日14時06分D船長は,六連島北方の水先人乗船地点でA受審人を乗船させ,二等航海士を船橋指揮の補佐に,操舵手を手動操舵にそれぞれ就かせ,六連島東方の関門港西口に向かった。
14時10分A受審人は,きょう導を開始し,関門港を東口に向かって通過することを示す国際信号旗の第一代表旗及びE旗を上下に連掲させ,D船長から,港内全速力を16ノット未満に,半速力を12.5ノットに設定している旨を聞いたが,屈曲部において第2航路に向かう西航船と出会うとき不測の事態が生じても,機関の後進操作を速やかに行えるよう,コ号の操縦性能を考慮して,屈曲部を通過するまでの速力の上限を半速力とするなどの助言をして安全な速力とせず,その上限を16ノット未満とするよう提言し,機関の回転を徐々に上げさせながら,同時20分ごろ航路に入り,同時23分ごろ機関を港内全速力より少し減じた回転数毎分83にかけ,航路の右側をこれに沿って南下した。
14時25分A受審人は,台場鼻灯台から000度1,880メートルの地点で,針路を若松洞海湾口防波堤灯台に向く217度に定め,折からの北東流に抗して15.3ノットの速力で,手動操舵により進行した。
14時25分半A受審人は,台場鼻灯台から354.5度1,680メートルの地点に達したとき,左舷船首38度1.6海里のところに,航路を西航する旭丸及び同船の少し右方に第三船を初認し,それぞれの掲げる国際信号旗から,両船が航路から第2航路に向かう船舶であることや,その後両船と屈曲部で出会うおそれがあることを認め,同じ速力のまま続航した。
14時27分A受審人は,台場鼻灯台から333度1,270メートルの地点に達したとき,旭丸が方位に変化なく1.05海里に接近したのを認め,このとき第三船も方位に変化なく接近し,両船がこのまま西進すれば両船と衝突のおそれがあることを知り,汽笛による長音3声を吹鳴して両船に避航を促し,旭丸に対してはVHFにより,コ号を避けるよう呼びかけ,更に同時27分半には左舷を対して航過するよう呼びかけた。そして,このころ第三船が右転を開始し,その方位が左方に変わり始めたのを認めた。
14時28分A受審人は,台場鼻灯台から313度1,150メートルの地点に至ったとき,第三船が徐々に右転を続ける状況下,旭丸の方位は依然として変わらなかったものの,同船が船首を少し右に振ったように見えたことから,同船も第三船と同様に左舷を対して航過するものと思い,第三船の船首がほぼ北方を向き,旭丸のみが進路を阻害する状況となっていたが,第三船の動向が気になり,旭丸の動静監視を十分に行っていなかったので,同船が徐々に左転して航路の左側に寄せる態勢で西進していることに気付かず進行し,同時28分少し過ぎ通常の屈曲部における左転開始地点付近に達したとき,第三船が替わる態勢であったものの,著しく接近する状況であり,また,同船と無難に航過しても,旭丸との関係に不安がある状況では左転できず,同じ針路のまま続航した。
14時28分半A受審人は,第三船が左舷船首65度500メートルに接近したところで,コ号の船尾側を無難に替わる態勢となったのを認めたものの,このとき旭丸が左舷船首37度1,140メートルのところにおり,第三船と旭丸との距離が約700メートルと開き,なおかつ,旭丸が西北西の針路をとって間もなく航路から出る態勢であり,コ号が左転すれば航路西側境界線付近をこれに沿って南下できる状況となっていたが,第三船の動向に気をとられていて,依然として旭丸の動静監視を十分に行わなかったので,この状況に気付かず,適切な時機に左転せず,同じ針路のまま進行した。
14時29分A受審人は,台場鼻灯台から288度1,260メートルの,航路西側境界線のわずか外側に達し,第三船が左舷船尾方400メートルのところを航過したとき,左舷前方を見たところ,旭丸が左舷船首37度830メートルのところに船首を西北西に向けて迫っていることを認め,衝突の危険を感じ,警告信号を行い,機関を極微速力に減じて右舵一杯をとり,同時29分半旭丸の船橋が左舷前方620メートルに迫ったとき,機関を停止,続いて後進を令したものの,行きあしが12ノットばかりある状況下では,後進がかからず,更に警告信号を行い,ゆっくり右転しながら前進を続けた。
こうして,コ号は,D船長が機関の後進を繰り返し試みるも,後進がかからないまま,徐々に右回頭中,14時30分半旭丸と著しく接近して同船を航過し,衝突を回避したものの,第2航路南側境界線に接近する状況となった。
14時31分半A受審人は,同境界線の外側至近にある片ノ瀬の浅所に著しく接近するので,右舵一杯のまま機関を極微速力前進にかけ,加速旋回を試み,同時32分少し前機関を停止したが,効なく,14時32分若松洞海湾口防波堤灯台から013度870メートルの地点において,コ号は,残存速力が7.0ノットで船首が約290度を向いたとき,浅所に乗り揚げ,これを乗り越えた。
乗揚の結果,右舷側船底外板に破口を伴う凹損を,同側船底外板全般に擦過傷をそれぞれ生じたが,のち修理された。
(本件発生に至る事由)
1 旭丸
(1)B受審人がC受審人に単独当直を任せても大丈夫と思ったこと
(2)B受審人が操船指揮をとらなかったこと
(3)C受審人がVHFによる関門マーチスからの指示も,コ号からの呼びかけも意に介さなかったこと
(4)C受審人が早く航路の左側に寄って第2航路に出ればコ号と右舷を対して航過できると思ったこと
(5)C受審人が大きく右転するなどしてコ号の進路を避けなかったこと
(6)C受審人が航路の右側を航行しなかったこと
(7)わずかに左舵をとりながら進行したこと
(8)C受審人が第三船の動向を見ていなかったこと
2 コ号
(1)A受審人が安全な速力としなかったこと
(2)A受審人が旭丸も第三船と同様に左舷を対して航過するものと思ったこと
(3)A受審人が第三船の動向に気をとられたこと
(4)A受審人が旭丸の動静監視を十分に行っていなかったこと
(5)A受審人が適切な時機に左転しなかったこと
3 その他
第三船が存在したこと
(原因の考察)
本件は,乗揚事件であるが,本件発生前に,コ号と旭丸との間に衝突のおそれのある関係が生じ,その後間もなくして本件が発生したものであるから,同関係が生じたことと,本件との間に因果関係があるかどうかについて検討する。
事実の経過にあるように,旭丸が,14時25分半右舷船首45度1.6海里にコ号を初認し,その後同時28分少し過ぎコ号が通常の屈曲部における左転開始地点に至るまでの2分半と少しの間,両船が互いに方位に変化なく接近する状況であり,この間,旭丸が北西進を続けてコ号の航路による航行を妨げたこととなる。また,このころ,コ号は左舷船首に存在する第三船との間にも危険な状況が続いており,それがほぼ解消される状況となるのが同時28分である。したがって,同時刻までは,コ号に左転を強いることはできない。しかしながら,同時28分半には,旭丸は既に航路西側境界線付近の南側において出航態勢をとっていたのであるから,コ号の旋回性能を考慮しても,同時刻から同時29分ごろまでのわずかな間に,コ号が左転を開始していれば本件は発生しなかったと認められる。
以上のことから,コ号と旭丸との間に衝突のおそれのある関係が生じ,その後,旭丸がコ号の進路を避けずに航路の左側寄りを北西進して本件が発生したのであるから,同関係が生じたのち,旭丸がコ号の進路を避けず,同船の航路による航行を妨げたことと本件との間には因果関係があると認められる。
したがって,本件は,港則法の適用水域である関門航路において,両船間に衝突のおそれがある関係が生じたのであるから,航法については港則法が適用されることになる。
当時,コ号は,関門航路を東航する目的で六連島東側の同航路をこれに沿って南西進中であった。一方,旭丸は,関門航路を西航し関門第2航路に向かう目的で関門航路を北西進中であり,台場鼻沖の屈曲部付近において航路から航路外に出ようとする船舶であるから,港則法第14条第1項の規定によるのが相当である。
したがって,旭丸は,航路を航行するコ号の進路を避けなければならない。
なお,両船は関門航路を航行中であるから,同法施行規則第39条第1項第1号の規定により,できる限り,航路の右側を航行しなければならない。
旭丸が,コ号と屈曲部付近で出会い衝突のおそれが生じたとき,コ号の進路を避けていれば,コ号が,ほぼ通常の転針地点付近で左転して航路による航行ができたのであるから,航路外に出ることはなく,本件は発生しなかったと認められる。
したがって,C受審人が,コ号の方位が変わらず1.2海里に接近したとき,自船が早く航路の左側に寄って第2航路に出れば同船と右舷を対して航過できると思い,大きく右転するなどしてコ号の進路を避けなかったことは,本件発生の原因となる。
また,C受審人が航路の右側を航行していれば,コ号と衝突のおそれが生じたとき,右転するなり,減速するなりして同船の進路を容易に避けることができ,同船の左転を阻害する事態には至らなかったと認められる。
よって,C受審人が,航路の右側を航行しなかったことは,本件発生の原因となる。
そして,B受審人が操船指揮をとっていれば,航路の左側に寄ることなど考えずに右側を航行し,コ号と出会ったとき,右転するなり,減速するなりして同船の進路を避けていたと認められる。
したがって,B受審人が,C受審人に単独当直を任せても大丈夫と思い,操船指揮をとらなかったことは,本件発生の原因となる。
旭丸において,C受審人が,VHFによる関門マーチスからの指示も,コ号からの呼びかけも意に介さなかったこと,わずかに左舵をとりながら進行したことについては,いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件発生と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,海難防止の観点からいずれも是正されるべき事項である。C受審人が,先航する第三船の動向を見ていなかったことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件発生と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,屈曲部を西航して航路外に出ようとするとき,東航する巨大船と出会ったのであるから,先航船の行先信号を確認したうえ,その動向を監視しつつ,先航船の右側通航の進路にほぼ合わせたうえで,同船と同様の避航措置をとるなど,巨大船の操縦性に配慮した運航方法をとるよう努めなければならない。
一方,コ号が,14時28分半の時点で,旭丸が既に航路西側境界線付近の南側で出航態勢をとっていたのであるから,その時点で左転を開始していれば,同境界線付近を南下でき,本件は発生していなかったと認められる。
したがって,A受審人が,旭丸も第三船と同様に左舷を対して航過するものと思い,第三船の動向に気をとられ,旭丸に対する動静監視を十分に行わず,左転しなかったことは,転針時機を失したことであり,本件発生の原因となる。
A受審人が安全な速力としなかったことは,同人が左転ができるようになった時点で左転していれば,本件発生を防止できたのであるから,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件発生と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,このことは,海難防止の観点から是正すべき事項である。
第三船が存在したことについては,同船が14時28分には船首をほぼ北方に向けており,コ号が通常の左転開始をする地点付近に達する同時28分少し過ぎには,コ号にとって危険となる状況はほぼ解消されており,コ号の左転を阻害したとは認められず,A受審人が旭丸に対する動静監視を十分に行わなかったことの理由とはなるものの,本件発生の原因とはならない。
(海難の原因)
本件乗揚は,関門航路の台場鼻沖の航路屈曲部において,旭丸が,第2航路に向かう予定で航路を西航中,航路の右側を航行しなかったばかりか,航路から航路外に出ようとする際,同航路を東航するコ号の進路を避けず,同船の航路による航行を妨げたことによって発生したが,コ号が,旭丸が航路の左側で出航態勢をとった際,動静監視不十分で,転針時機を失し,航路外の浅所に向かって進行したことも一因をなすものである。
旭丸の運航が適切でなかったのは,船長が操船指揮をとらなかったことと,船橋当直者の航路屈曲部における操船が適切でなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
B受審人は,関門航路の大山ノ鼻沖において,自らが操船指揮をとって西航中,体調を崩していたこともあって用便のため降橋した場合,自船が台場鼻沖の航路屈曲部で航路を出て第2航路に向かう予定であったから,屈曲部付近で東航船と出会ったとき無難に航過できるよう,用便後,昇橋して自らが操船指揮をとるべき注意義務があった。しかるに,同人は,C受審人が航海士の経験が豊富であったことから,同人に単独当直を任せても大丈夫と思い,昇橋して操船指揮をとらなかった職務上の過失により,C受審人が単独当直のまま同屈曲部に至り,東航するコ号の進路を避けなかったことにより,同船が航路による航行を妨げられて乗揚を招き,右舷側船底外板に破口を伴う凹損及び同側船底外板全般に擦過傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
C受審人は,関門航路台場鼻沖の航路屈曲部において,単独の船橋当直に就き,第2航路に向かう予定で航路から航路外に出ようとして北西進中,南西進するコ号と出会い衝突のおそれがあった場合,大きく右転するなどしてコ号の進路を避けるべき注意義務があった。しかるに,同人は,早く航路の左側に寄って第2航路に出れば同船と右舷を対して航過できると思い,大きく右転するなどしてコ号の進路を避けなかった職務上の過失により,同船が航路による航行を妨げられて乗揚を招き,同船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
A受審人は,コ号をきょう導して関門航路を東航し,六連島東側航路を台場鼻沖の航路屈曲部付近を南西進中,第2航路に向かって航路から航路外に出る態勢で北西進する旭丸がコ号の進路を避けず,航路による航行を妨げられた場合,通常の転針地点付近を航過する状況となっていたから,転針時機を失しないよう,旭丸に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに,同人は,旭丸に先航する第三船が左舷を対して航過する態勢をとったことから,旭丸も第三船と同様に左舷を対して航過するものと思い,旭丸に対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により,左転ができる状況となったことに気付かず直進し,浅所に向かって進行して乗揚を招き,コ号に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
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