(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年1月13日06時40分
長崎県有川港
(北緯32度59.3分 東経129度06.9分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
漁船冨士丸 |
総トン数 |
4.21トン |
全長 |
11.27メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
50 |
(2)設備及び構造等
冨士丸は,長崎県五島列島中通島の有川港沖合で,いか,あじ,とびうお等を対象魚として定置漁業に従事する灯火設備の備えのない和船型のFRP製漁船で,甲板の周囲に高さ約30センチメートル(cm)のブルワークを巡らせ,船首から3.2メートル(m)及び6.8mの甲板上に,ブルワークと同じ高さの横木を取り付けて補強されており,船尾側横木の直ぐ後方に機関室囲壁を設け,同囲壁の両側が幅約70cmの通路,船尾側が長さ約2.8mの船尾甲板となっていて,甲板下は船首側から順に,物入れ,魚倉,いけす及び機関室に区画されていた。
機関室囲壁(以下「囲壁」という。)は,前後長さ165cm,高さ82cm,幅は甲板上約30cmまでが135cm,その上方が127cmの,直方体を二段重ねにしたような形状で,後壁は幅約100cmの差し板2枚で開閉する出入り口となっていて,同壁右舷端の上部外側に主機操縦ハンドルが取り付けられ,前壁と横木の隙間中央にステンレス鋼丸管製のデリックポスト挿入座を備え,その左舷側にフランジ付同管を立ててボールローラー支柱の取付台としており,囲壁前部の両側面に,通路上へ水平に突出する格好で,ワーピングドラムが取り付けられていた。
ワーピングドラムは,平均直径及び長さがともに20cmばかりの真鍮製で,囲壁前端から33cm甲板からの高さ58cmの位置を中心として,両側壁それぞれに厚さ6cmの厚板製台座を取り付け,中心に軸受を組み込んで囲壁を左右に貫通する同ドラム軸の両端近くを支持し,主機の動力取出軸で,電磁クラッチ内蔵の減速機と同ドラム軸を介してベルト駆動されており,回転方向は左舷側から見て時計回り,回転速度は主機回転数の20分の1ばかりであった。
機関室は,中央に主機を据え付け,左舷内壁の船首側上部に24ボルト30ワットの室内照明用裸電球1個を備え,出入り口近くに同照明用スイッチ,海水ポンプ用スイッチ及びワーピングドラム電磁クラッチ用スイッチ(以下「クラッチスイッチ」という。)が前後に並べて取り付けられ,その下方に主機の回転計,始動用キースイッチ,警報装置等を組み込んだ計器盤とバッテリー電源スイッチが上下に配置されており,囲壁後方右舷側の操船位置から同計器盤の監視や主機操縦ハンドル,舵柄及びスイッチ類の操作が全て行えるようになっていた。
3 事実の経過
冨士丸は,有川港を基地とし,組合との協定で定められた期間及び指定海域に従い,毎年,9月1日から翌年3月31日まで港外の筍島南方海域に定置網を設置し,魚市場が休みとなる土曜日以外,毎朝6時半ごろ出港し,片道10分程度,漁獲の取込み作業に約1時間掛けて8時ごろ帰港し,10時ごろ水揚げを終える定常作業のほか,適宜傷んだ網を補修し,また部位によって15日ないし40日間隔で,定期的に定置網の各部を順に交換していた。
平成15年1月12日冨士丸は,操業を終えて8時ごろ有川港に帰港し,組合屋舎前の浮桟橋に入船左舷付けの状態で着桟し,水揚げを終えたところで,当日いかが大量に掛かり,季節的に当分続くことが期待されたので,翌日からの漁獲取込みや水揚げ作業時に備えてデリック装置を用意しておくこととなった。
冨士丸は,A受審人,B受審人及び甲板員1人が残って作業に取り掛かり,陸上倉庫に保管してあった,長さがそれぞれ約2m及び5mで,いずれも直径7cmばかりの鋼管製デリックポスト及びブームを積み込み,囲壁前の挿入座にポストを立てて根本にブームを取り付け,ワーピングドラムを使用してブーム先端を引き上げ,正船首方向に約60度の仰角で固定し,11時ごろデリック装置の設置を終えた。
B受審人は,作業を終えたとき,ついうっかりとクラッチスイッチを切り忘れてそのまま主機を停止し,翌朝の出漁に備えて同機の潤滑油,燃料油及び冷却清水の各量を点検したものの,同スイッチの状態を確認しなかったので,同スイッチはほうろう製の取っ手で上下に操作するナイフスイッチで,一見すれば投入されたままであることが容易に判別できたが,このことに気付かずに他の2人とともに帰宅した。
冨士丸は,翌13日早朝,乗組員らが乗船し,岸壁の街灯の明かりのもとで出港準備作業を開始した。
B受審人は,乗船後直ぐに主機を始動することとし,囲壁後方右舷側に立ち,機関室出入り口の差し板1枚を外した状態で,手を伸ばしてバッテリー電源を入れたうえ,室内灯を点灯したが,前日主機を停止したときに潤滑油量等を点検していたので必要ないものと思い,同室内の発航前点検を十分に行うことなく,クラッチスイッチが投入されたままであることに気付かずに主機を始動し,停止回転数の毎分300に掛けて待機したところ,ワーピングドラムも低速で回転するようになったが,暗がりのなか機関音や船体振動もあって,誰もこのことに気付かなかった。
D乗組員は,ヤッケのうえに胸当て付き雨合羽の上下を着け,ゴム長靴,ゴム手袋及び作業帽を着用し,いつものように,囲壁左舷側通路のワーピングドラム直ぐ後方で左舷方を向き,体を支える手摺などの設備がない囲壁屋根に,両手をついて体を寄り掛からせる体勢で立っていた。
A受審人は,船尾の係船索を解き放ったうえ,囲壁後方左舷側にB受審人と並んで立ち,主機が始動され,同乗者を含む乗組員が全員乗船したのを確認して発航することとした。
なお,当時,ボールローラーが取り付けられて本体が囲壁上の左舷側となる位置に固定されていたことから,A及びB両受審人の位置からは同ローラーの陰になってD乗組員の様子がよく見通せなかった。
こうして,冨士丸は,A受審人,B受審人,D乗組員ほか甲板員2人が乗り組み,D乗組員の知人1人を同乗させ,甲板員のうち1人が備え付けの懐中電灯を持って他の甲板員及び同乗者と船首配置に就き,B受審人が操舵操船に当たり,操業の目的で,平成15年1月13日06時35分漁場に向けて有川港の浮桟橋を発した。
冨士丸は,主機を微速力後進にかけて浮桟橋から離れ,一旦停止の後,前進にかけ,左回頭しながら主機の回転数を徐々に上昇させ,毎分約800の微速力前進に定めたころ,06時40分平串埼灯台から真方位188度200メートルの地点において,左舷側ワーピングドラムの側に立っていたD乗組員が,船体の動揺で船首側に体勢を崩したものか,着用していた雨合羽上衣の裾から同ドラムに巻き込まれて甲板に強く打ち付けられた。
当時,天候は晴で風力1の南風が吹き,海上は穏やかであった。
A受審人は,船首配置の甲板員が発した大声で,D乗組員がワーピングドラムに巻き込まれていることに気付き,クラッチスイッチに手を伸ばして直ちに遮断し,付近の浮桟橋に着桟させた。
その結果,D乗組員は,手配された救急車で病院に搬送され,1箇月の入院加療を要する多発骨折,肝臓損傷等と診断されたが,その後容態が急変し,同日夕刻,併発したくも膜下出血により死亡した。
(本件発生に至る事由)
1 事故発生の前日にワーピングドラムが使用されたこと
2 ワーピングドラム使用後クラッチスイッチを切り忘れたまま主機を停止したこと
3 当日機関室内の発航前点検を行わないまま主機を始動したこと
4 当時,夜間で,暗がりのなか機関音や船体振動もあって,ワーピングドラムが回転していることに誰も気付かなかったこと
5 乗組員が体を支える手摺り等のない狭い通路のワーピングドラムの側に立っていたこと
6 乗組員が雨合羽上衣の裾から回転するワーピングドラムに巻き込まれたこと
(原因の考察)
本件は,ワーピングドラムが回転していることに誰も気付かないまま出港中,側に立っていた乗組員が同ドラムに巻き込まれたことによって発生したもので,当時,同ドラムが回転しているのを判別することが難しい状況であったことを考えると,本件を防止するには,クラッチスイッチが投入されたままであることに気付くしかなく,同スイッチが機関室内の容易に目に付く箇所に取り付けられ,一見すれば投入または遮断の状態が容易に判別できるタイプであったことから,発航前の同室内の点検が十分に行われていれば,このことに気付いたものと認められる。
従って,機関の取扱いを全面的に任されていた甲板員が,出港前日にワーピングドラムを使用したのちスイッチを切り忘れたばかりか,当日に発航前の点検を怠ったまま主機を始動して出港し,回転する同ドラムの側に立っていた乗組員が巻き込まれたことは,いずれも本件発生の原因となる。
ワーピングドラムが回転していることに誰も気付かなかったこと及び乗組員が体を支える手摺り等のない狭い通路に立っていたことは,いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件発生と相当な因果関係があるとは認められない。
(海難の原因)
本件乗組員死亡は,有川港において,出航の前日作業終了時にクラッチスイッチを切り忘れたばかりか,夜間,発航前の機関室内の点検が不十分で,同スイッチが投入されたままであることに気付かずに主機を始動したことから,ワーピングドラムが低速で回転する状態で離桟し,徐々に主機の回転数を上げて出港中,左舷側通路で同ドラムの側に立っていた乗組員が,着用していた雨合羽上衣の裾から同ドラムに巻き込まれたことによって発生したものである。
(受審人の所為)
B受審人は,夜間,有川港において,出港しようとする場合,クラッチスイッチが投入されたままであることなどを見落とすことのないよう,機関室内の発航前点検を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら,同人は,前日に主機の点検を済ませていたので必要あるまいと思い,機関室内の発航前点検を十分に行わなかった職務上の過失により,同スイッチが投入されたままであることに気付かずに主機を始動し,出港中,左舷側通路でワーピングドラムの側に立っていた乗組員が回転する同ドラムに巻き込まれる事態を招き,同乗組員を死亡させるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第2号を適用して同人の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
A受審人の所為は,本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
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