(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年10月2日15時25分
広島県呉市天応沖
(北緯34度17.3分 東経132度30.2分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
旅客船さくら2 |
総トン数 |
268トン |
全長 |
44.8メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
882キロワット |
(2)設備及び性能等
ア 船体及び設備
さくら2は,平成4年9月に進水した,鋼製旅客船兼自動車渡船で,D社が傭船して予備船1隻とともに広島県呉市天応のポートピア岸壁と同県江田島市切串との間で定期運航に従事していた。
船体は,両頭形の全通一層甲板型で,上層から順に船首尾対称に船橋を配置する航海甲板,客室を置く遊歩甲板,係船機器を備える船楼甲板,そして上甲板を車両甲板とし,また,上甲板下の中央部に機関室を,その前後に倉庫と操舵機室を配置しており,切串から天応に向かうとき,船首を前進側として運航されていた。
機関室は,中央に主機が据え付けられ,船首尾両側にクラッチ付減速機を配置して両プロペラ軸に接続され,主機の右舷側に1号発電機を,左舷側に2号発電機をそれぞれ配置していた。
発電機は,225ボルト80キロボルトアンペアの交流発電機で,原動機(以下「補機」という。)が,E社が製造したM2TG-A型と称する,定格出力73キロワット同回転数毎分1,200の4サイクル6シリンダディーゼル機関であった。
イ 補機
補機は,鋳鉄製一体型のシリンダブロックにシリンダ径120ミリメートル(以下「ミリ」という。)ストローク150ミリのシリンダライナを装着し,ピストンを鍛鋼製連接棒でクランク軸に組み付けており,冷却方式を清水冷却とし,シリンダブロックの前端に海水による冷却器を内蔵した冷却水タンクを配置していた。
ピストンは,アルミニウム合金製で,燃焼方式が予燃焼室式であったので,トップクリアランスが1ミリであった。
シリンダヘッドは,3シリンダ分を一体とした構造で,上面から燃焼室面に貫通する燃料噴射弁の挿入部が,下半部を予燃焼室,上半部を予燃焼室押さえとして上下2段に分けられ,予燃焼室押さえに燃料噴射弁がねじ込まれるものであった。また,指圧器弁を備えていなかったが,点検などのためにクランク軸のターニングを容易にするよう吸気弁及び排気弁を微開させるデコンプ装置も装備されていなかった。
予燃焼室は,ピストンで圧縮された高温,高圧の空気に燃料を噴射して着火燃焼させる厚肉円筒の容器で,ピストン側のU字形断面形状の下面に噴口を有し,上縁を予燃焼室押さえで押し付けられ,外面がシリンダヘッドの冷却水に触れるようになっていた。また,シリンダヘッドに当たる顎部及び予燃焼室押さえに押さえられる上縁には特殊銅パッキンが装着されており,同装着部が,定格出力時に80キログラム重毎平方センチメートル(以下,圧力はキロで表わす。)の最高圧力となる燃焼室側と冷却水側との境界となっていた。
補機の冷却系統は,冷却水タンクの清水が直結冷却水ポンプで通常1.2ないし1.4キロに加圧され,シリンダジャケット,シリンダヘッドを順に冷却したのち再び同タンクに戻るもので,冷却器とサーモスタット付循環弁で温度調節を行い,シリンダヘッド出口温度が摂氏94度を超えると警報スイッチが作動し,機関室及び船橋の警報盤で警報するもので,冷却器にはゴムロータ式の直結海水ポンプから海水が供給されるようになっていた。
また,冷却系統は,冷却水タンクの圧力キャップで密閉され,運転時の温度上昇による膨張などで圧力が上昇したときには同キャップのばね付き弁で逃がされ,逆に温度低下で収縮したり,冷却水が漏洩したときには補充されるよう,同キャップから容量が1リットル余のサブタンクとの間をホースで接続されていた。
(3)補機の整備及び点検状況
補機は,第1便開始前の05時00分から終便後の21時30分まで1号または2号が隔日交替で運転され,各機の運転時間が年間約3,000時間で,毎年3月ごろ検査のために入渠する際,1年置きにピストン抜き整備が行われるほか,シリンダヘッドについては,毎年開放して吸排気弁の摺り合わせ,燃料噴射弁の取替えなどの整備が行われた。
また,燃料噴射弁は,取扱説明書に明示された運転時間を超えないよう整備業者が訪船して運航の合間にこれを実施し,その他の通常の整備と点検として,機関長が潤滑油,こし器の掃除などを行うほか,サブタンクの水量が半分ほどになると上面に刻まれた線まで補充されていた。
ところで,シリンダヘッドは,さくら2が現船主に購入され,E社が運航者となって以降,入渠時の開放整備に際して,冷却水側に水圧テストを実施して漏れが生じたものについてのみ,予燃焼室と予燃焼室押さえの部分を取り外してパッキンの取替えが行われており,2号補機の4番シリンダの予燃焼室が無開放のまま運転が続けられていた。
3 事実の経過
さくら2は,平成15年5月の入渠に際して主機,減速機,1号補機等の受検に伴う整備のほか,2号補機のシリンダヘッドが開放された。
2号補機は,吸排気弁など付着物が取り外されて掃除や部品取替えの措置がとられたが,予燃焼室については装着されたまま冷却水圧力の漏れのないことを確認する目的で2.5キロの水圧テストが行われた。
C指定海難関係人は,補機のシリンダヘッドの組立て前に立ち会い,水圧テストで漏れが生じていなかったので,触らない方がよいと思い,予燃焼室の取外しとパッキン取替えを指示せず,そのまま組立てを指示した。
2号補機は,出渠後,運転が続けられるうち,数年間取り外されなかった4番シリンダの予燃焼室上縁の銅パッキンが浸食されて当たり面が狭まっていたところ,同年9月23日燃焼ガスが冷却水側に漏れ始めて冷却系統の圧力が押し上げられ,約1.2キロであった冷却水ポンプの吐出圧力が1.6キロを示し,翌々25日には1.9キロに上昇した。
補機の冷却水圧力は,機関日誌に午前中及び午後の各1回見回りのときの数値が記録されていたが,1号補機の値が1.7キロと高めであったためか,隔日に運転された2号補機の冷却水圧力上昇が,交代で乗船していた機関長にはいずれも見過ごされた。
2号補機は,ガスの漏洩量が微量で,サブタンクの目立った水量変化及び臭いが認められないまま運転され,平成15年10月1日05時00分その日の運転機として始動された。
A受審人は,11時30分に天応に着岸後,機関長として乗船し,往復航海の途中で機関室の見回りをしたが,2号補機の冷却水圧力と温度の上昇に気付かなかった。
さくら2は,同日18時12分切串を発して天応に向かっていたところ,2号補機の4番シリンダの予燃焼室からシリンダヘッドの冷却水側に漏れ出した燃焼ガスが急増し,同時20分冷却水温度警報スイッチが作動し,船橋の機関操作盤で冷却水温度過上昇の警報が鳴った。
A受審人は,船橋で見張りをしていたところ,警報表示を見て機関室に赴き,直ちに1号補機を始動して電源を切り替え,2号補機を停止したが,岸壁が間近だったので,再び機関室を離れて着岸作業に就き,その後運航を続けるに当たって,補機を切り替えたことを船長に報告したが,その後もさくら2は,1号補機のみで運航が続けられた。
A受審人は,同日の終便後,21時30分過ぎ主機及び1号補機の手じまいをした際,2号補機のサブタンクの水量を確認しないまま,翌日の1便に勤務予定の機関長が船に来たので,2号補機の冷却水温度過上昇の警報が鳴ったため停止したことと,翌日海水側の点検をするつもりなので1号補機を運転するよう伝えて帰宅した。
2号補機は,機関停止後,4番シリンダの予燃焼室上縁の漏洩箇所から冷却水が漏れ出てピストン頂部に溜まり始め,また,機関全体と冷却水系統の温度低下でサブタンクから水が吸い戻され,同タンクの水面が低下した。
さくら2は,翌2日1号補機を電源として第1便から定時の運航が行われ,11時30分にA受審人が交代するため乗船した。
A受審人は,2号補機の冷却器の海水流量が減少したものと考えて,予備船の整備に当たっていた交代機関長にも手伝ってもらいながら,運航の合間に海水ポンプインペラと冷却器の海水側チューブの点検を行ったが,インペラの損傷もチューブの詰まりも認められず,冷却水温度が過上昇した理由を見出すには至らなかった。
ところが,A受審人は,C指定海難関係人に対して,補機の冷却水温度が過上昇して警報が鳴ったので海水側を点検したが,警報の理由を見出せなかった旨を報告することなく,事後の対策を仰がないまま,15時15分2号補機の海水系統を復旧し,改めて理由を探ることとして試運転する際,まさか冷却水が漏れて減っていることはあるまいと思い,サブタンクの量を点検しなかった。
こうして,さくら2は,A受審人ほか2人が乗り組み,旅客13人車両7台を載せ,船首尾とも2.60メートルの喫水をもって,同日15時22分切串を発して天応に向かい,15時25分屋形石灯標から真方位115度2,420メートルの地点で,A受審人の操作で2号補機が始動空気を投入されたところ,4番シリンダのピストン頂部に溜まっていた冷却水がピストンとシリンダヘッドとの間で挟撃され,異音を発した。
当時,天候は曇で風力1の北風が吹いていた。
A受審人は,2号補機が始動できないのでクランク室を開放して点検したところ,4番シリンダのシリンダライナ裾部が欠損し,連接棒が曲がっていることを認め,同機が運転不能となったことを船長に伝えた。
さくら2は,1号補機が継続して運転される中,終便まで運航が続けられ,翌々3日朝,造船所に入渠し,精査された結果,4番シリンダの予燃焼室と予燃焼室押さえの当たり面の銅パッキンが浸食されて冷却水が漏れた形跡が認められ,連接棒及びクランクジャーナル部に曲損,シリンダライナ裾部に欠損をそれぞれ生じており,のち損傷部がいずれも修理された。
(本件発生に至る事由)
1 補機のシリンダヘッドに指圧器弁がなく,デコンプ装置も装備されていなかったこと
2 2号補機の4番シリンダの予燃焼室が無開放のまま運転が続けられていたこと
3 C指定海難関係人が,予燃焼室の取外しとパッキン取替えを指示しなかったこと
4 2号補機の冷却水圧力の上昇が,交代で乗船していた機関長にはいずれも見過ごされたこと
5 A受審人が,機関室の見回りをした際に2号補機の冷却水圧力と温度の上昇に気付かなかったこと
6 さくら2が1号補機のみで運航が続けられたこと
7 A受審人が,10月1日終便後,主機及び1号補機の手じまいをしたのち,2号補機のサブタンクの水量を確認しなかったこと
8 A受審人が,C指定海難関係人に補機の冷却水温度が過上昇したので海水側を点検したが,警報の理由を見出せなかったことを報告して対策を仰がなかったこと
9 A受審人が,試運転する際に,サブタンクの水量を点検しなかったこと
(原因の考察)
本件機関損傷は,ピストン頂部に溜まった冷却水が,始動操作でピストンとシリンダヘッドに挟撃されたことによって発生したものであるが,予燃焼室の銅パッキン部が,長年無開放のまま運転が続けられた整備上の問題と,始動に当たって通常行われるべき点検の問題について検討する。
まず,予燃焼室は,パッキン装着部を長期間無開放で使用していると,燃焼による高圧力の繰り返し,隙間効果,腐食などの複合作用によってその締め付け部分に浸食が発生するおそれがあったと考えるのが相当である。取扱説明書では,予燃焼室を開放したときには,銅パッキンを必ず取り替えるよう記載されている。しかしながら,平成13年3月以降の記録では無開放で,入渠時の水圧検査をもって予燃焼室のパッキンの健全性確認に代えられており,しかもその水圧検査が,冷却水圧力の1.5倍の値で行われたもので,燃焼ガス圧力下における予燃焼室の健全性を担保するものではなかった。
加えて,C指定海難関係人は,予燃焼室上縁の銅パッキンでの漏洩が冷却水側に及ぼす影響を自ら経験していたのであるから,シリンダヘッドの開放整備時に予燃焼室を取り外すよう指示すべきであった。すなわち,C指定海難関係人が,入渠時にシリンダヘッドの整備に立ち会った際,予燃焼室の取外しとパッキン取替えを指示しなかったことは,本件発生の原因となる。
次に,2号補機は,本件発生の前日に生じた冷却水温度過上昇の理由を海水側と想定され,ポンプとクーラーチューブの点検が行われたが,海水側の問題ではないことが分かった。そこで,改めて冷却水温度上昇につながる理由を探すこととなり,試運転のために始動されるに当たっては,通常どおりの始動前点検が行われるところであった。前日夕刻に機関が停止されたのち,シリンダヘッド内部では,運転中の予燃焼室でのガス漏れ状態から一転して,徐々に冷却収縮によって冷却水がサブタンクから吸い上げられていたと考えるのが相当で,サブタンクの水量減少を見れば,普段以上の慎重さでとらえて,当然,始動を取りやめる判断がなされたはずである。すなわち,A受審人が,サブタンクの水量を点検しなかったことは,本件発生の原因となる。
ところで,さくら2は,補機2号の冷却水温度上昇の理由が海水側に見出されなかった際に,補機が引き続き使用できない可能性があったのだから,堪航性確保の問題として運航管理者に報告され,更に工務監督に報告されて対策が検討されるべき状況であった。そして,その報告によって工務監督であるC指定海難関係人が,予燃焼室漏洩が冷却水の温度上昇の理由になっていることに気付くことができたと考えられる。すなわち,A受審人が,工務監督に補機の冷却水温度が上昇して停止の措置をとり,海水側と予想した点検では警報の理由を見出せなかったことを報告して対策を仰がなかったことは,本件発生の原因となる。
2号補機の冷却水圧力の上昇が,交代で乗船していた機関長にはいずれも見過ごされたこと,また,A受審人が,機関室の見回りをした際に2号補機の冷却水圧力と温度の上昇に気付かなかったことは,初期発見が遅れることとなったのであり,いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件発生と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,海難防止の観点から是正されるべき事項である。
A受審人が,10月1日終便後,主機及び1号補機の手じまいをしたのち,2号補機のサブタンクの水量を確認しなかったことは,2号補機停止後3時間ほどの時間経過では,サブンクの水量変化として明確に現れていなかったと考えるのが相当で,本件発生の原因とはならない。
また,補機がシリンダヘッドに指圧器弁を備えていなかったことは,組み立てられた状態で,また,通常の方法ではシリンダ内の水,油など非圧縮性の異物の有無を確認できなくしており,しかもデコンプ装置を備えていなかったことと相まって,始動に当たってターニングによる点検を極めて困難なものとしており,本件発生に至る過程で関与した事実である。しかしながら,これらの装備がなかったことは,小口径機関に共通のことであり,サブタンクの点検など異物の確認をする他の方法が考えられるから,本件との相当因果関係の条件とはならない。
なお,さくら2が警報発生による2号補機停止ののち,1号補機のみで終便まで運航されたうえ,翌日の本件発生まで運航が続けられたことは,さらなる補機の不測の事態に備えることのできなかったことを示すのであり,本件と直接の関わりはないが,海難防止上,改められなければならない。
(海難の原因)
本件機関損傷は,航海中,2号補機の予燃焼室パッキン部から燃焼ガスが漏れて冷却水温度過上昇の警報が鳴ったため同機が停止され,翌日,海水ポンプと冷却器の開放点検で冷却水温度の過上昇の理由を見出せなかった際,工務監督への報告が不十分で,事後の対策を仰がなかったこと,及び改めて警報の理由を探ることとして試運転する際,サブタンクの水量確認が不十分で,停止中に予燃焼室上縁の漏洩箇所から冷却水が漏れ出てピストン頂部に溜まっていた冷却水がピストンとシリンダヘッドとの間に挟撃されたことによって発生したものである。
工務監督が,入渠工事で補機のシリンダヘッドの組立て前に立ち会った際,予燃焼室の取外しとパッキン取替えを指示しなかったことは本件発生の原因となる。
(受審人等の所為)
1 懲戒
A受審人は,航海中に冷却水温度が過上昇して警報を発した補機について,海水の問題と考えて海水ポンプと冷却器を開放点検したところ,理由を見出すに至らず,改めて理由を探ることとして同機を試運転する場合,サブタンクの水量を点検すべき注意義務があった。しかるに,同人は,まさか冷却水が漏れて減っていることはあるまいと思い,サブタンクの水量を点検しなかった職務上の過失により,停止中に予燃焼室上縁の漏洩箇所から漏れ出てピストン頂部に溜まっていた冷却水がピストンとシリンダヘッドとの間に挟撃される事態を招き,連接棒及びクランクジャーナル部に曲損,シリンダライナ裾部に欠損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
2 勧告
C指定海難関係人が,入渠工事で補機のシリンダヘッドの組立て前に立ち会った際,予燃焼室の取外しとパッキン取替えを指示しなかったことは本件発生の原因となる。
C指定海難関係人に対しては,本件後,シリンダヘッドの整備に際して必ず予燃焼室を開放するよう指示して再発防止に努めていることに徴して,勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。
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