(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年1月24日12時05分
青森県むつ小川原港東方沖合
(北緯40度57.2分 東経141度30.7分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
漁船第8福恵丸 |
総トン数 |
14.98トン |
登録長 |
14.99メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
105 |
(2)設備及び性能等
ア 船体及び設備
第8福恵丸(以下「福恵丸」という。)は,昭和52年12月に進水した,可変ピッチプロペラを備える一層甲板型鋼製漁船で,主としてたらなどを漁獲する小型底引き網漁業に使用されていた。
同船の上甲板下は,船首端から順次船尾にかけて,船首水タンク兼1番燃料油タンク,氷倉,魚倉,機関室,同室後部両舷に清水タンク,船員室,同室前部両舷に2番燃料油タンク,舵機室,浮力タンク及び3番燃料油タンクが配置され,同甲板上は,船首楼があって船首倉庫とされ,船首楼後部にデリックが,船体ほぼ中央部から船尾寄りに船橋楼が,船橋楼後部の船尾甲板両舷に引き綱用リールがそれぞれ設けられ,船橋楼上部を操舵室とし,上甲板の周囲に高さ約1.2メートルのブルワークが設置されていた。
また,2番燃料油タンクは約2.3メートル離して船横方向両舷に設置され,その容量はいずれも950リットルで,両舷タンクとも常に燃料油を半量程度積んであった。
イ 上甲板上の開口部
本件当時,船首倉庫の出入口,氷倉口,魚倉口,居住区左舷側前部出入口,便所出入口及び非常用ハッチは,全て閉鎖されていたが,居住区左舷側後部出入口は開放されていた。
ウ 燃料油等の積載状態
本件当時,福恵丸には,1番燃料油タンクに約6キロリットル,2番燃料油タンクに各々約500リットル及び3番燃料油タンクに約400リットルの燃料油がそれぞれ積載されてあり,機関室両舷の清水タンクにそれぞれ0.5トンの飲料水が,氷倉と魚倉に約3トンの氷が入れられていたほか,漁獲物として1箱30キログラム入りの木箱が6箱魚倉に積み込まれていた。
エ 漁具等
漁網は,長さ2,000メートルの引き綱に底辺が約1.5メートルの二等辺三角形の形状をした手木を取り付け,その後,順に長さ約15メートル,深さ約1.5メートル,網目約13センチメートル(以下「センチ」という。)の荒手網を,長さ約15メートル,深さ約1.5メートル,網目約7センチの袖網を,及び長さ約15メートル,間口約1.5メートルの袋網を,また,荒手網と袖網の上部には浮子(あば)を,下部には沈子(ちんし)をそれぞれ取り付けていた。
漁網1ヶ統の重量は,約800キログラムあり,予備を含めて4ヶ統積載し,予備の3ヶ統は,船首部前部マスト下,前部上甲板左舷側,及び操舵室前部中央寄りにそれぞれ置いて固縛されていた。
また,引き綱は,芯にワイヤーを入れた1丸200メートルのコンパウンドロープで,順に直径32ミリメートル(以下「ミリ」という。)のロープが1丸,同34ミリのロープが1丸,同36ミリのロープが1丸,同34ミリのロープが4丸,同36ミリのロープが1丸,同34ミリのロープが1丸及び同32ミリのロープが1丸として構成され,前後どちらからでも使用できるよう対称に繋がれていた。
オ 操業方法
漁法は,左かけ回し式で,引き綱を繋いだたるを入れ,7.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で,左右いずれかのリールの引き綱を1,600メートルばかり出したところで,船首を左舷側に直角近くまで曲げて引き綱を400メートルばかり延ばし,いったんストッパーをかけて漁網を繋ぎ,前部甲板上に置いた漁網を左舷側から投入し,続いて反対舷のリールから引き綱を延ばす。その後,400メートルばかり出たところで左転し,引き綱が600メートル出たところで船首をたるに向ける。たるを引き揚げて引き綱の端をリールにとるまでに約20分を要し,それから通常は2.0ノットの速力で潮の流れる方向に引き網を始め,約25分間網を引くこととなる。
揚網は,最初約0.5ノットの速力で引き綱を1,000メートルまで当直の甲板員が巻き,その後,機関を中立回転として漁ろう長が巻く。中立回転として引き綱を巻くときは,船の安定性が悪くなり,外力に弱くなる。漁網が船尾まで来れば前部甲板からの大回しワイヤーを漁網の先端に繋ぎ,ウインチで左舷側前部甲板に引き寄せ,デリックで船上に揚げ終了となる。1回の操業に約1時間30分必要であった。
カ 復原性能
福恵丸は,横揺れ周期が約7.0秒で,その横メタセンター高さが20センチ以上あったと推定される。一方,ブルワークトップが海面に達して船内に海水が流入する傾斜角度は約30度であったが,風速15メートル以上,波高約3メートルとなれば操業を中止して帰港することにしていたので,事故に繋がることはなかった。また,操業中いずれかに傾くことがしばしばあったが,その都度2番燃料油タンクの油を移動して傾きを修正していた。
3 関係人の経歴等
A指定海難関係人は,漁船の乗船経験はなかったものの,昭和37年6月に総トン数14.98トンの初代第8福恵丸を新造し,小型底引き網漁業の経営にあたっていたところ,同41年9月には同じ船名の2代目を,同52年12月に小型機船底引き網漁船として建造されたI号を平成5年8月に購入し,その船名を3代目の福恵丸として運用することにした。
しかし,A指定海難関係人は,自らが高齢となったことから,船舶管理や船員の配乗などの業務を数年前からJに行わせるようにしていたところ,同人が脳梗塞などを患い,それらの業務が行えなくなったので,Kに実質的な船舶管理などを行わせていた。
ところで,A指定海難関係人は,長年にわたって底引き網漁業の経営に携わり,船舶管理や船員の配乗などを行ってきたが,資格のない漁ろう長Bに船長職を執らせたばかりか,航行の安全や安全操業などについては,毎年自治体の担当者による安全操業の説明会に船長を出席させていたので,それで十分と思い,自ら乗組員に対して航行の安全や安全操業などについての指導や監督を行っていなかった。
4 事実の経過
福恵丸は,B漁ろう長ほか6人が乗り組み,操業の目的で,船首0.9メートル船尾2.4メートルの喫水をもって,平成16年1月24日03時00分青森県八戸港を発し,同県むつ小川原港東方沖合の漁場に向かった。
ところで,B漁ろう長は,平成15年9月の操業期から漁ろう長に繰り上がったもので,前年の操業期には福恵丸の甲板長として乗船しており,その際,前任漁ろう長から漁ろう長としての職務の指導を一応受けていたが,まだ,漁ろう長職を執るにあたって十分な経験があるという状況ではなかった。
B漁ろう長は,06時ごろむつ小川原港東方沖合5海里ばかりの漁場に至り,1人で操船にあたってかけ回し式底引き網漁の操業を始め,3回目の操業を終えたのち,11時06分むつ小川原港新納屋南防波堤灯台(以下「南防波堤灯台」という。)から070度(真方位,以下同じ。)5.2海里の,水深が約290メートルの地点で,たるを入れて当日4回目の操業を始めた。
11時26分B漁ろう長は,たるを回収したのち,平素の操業では25分ばかり網を引いてから,引き綱を巻くことにしていたが,風が強くなって波高も高くなり,操業中止の目安を風速毎秒15メートル以上,波高約3メートルとしていたこともあって,早く操業を打ち切って帰港することにし,船首を北東方向に向け,速力を0.5ノットとして網を引かないまま,転覆地点付近で直ぐ揚網にかかり,長さ2,000メートルの引き綱を巻き始めた。
11時46分B漁ろう長は,プロペラ翼角をピッチ0の中立回転として引き綱の巻き込みにかかったので,スタンバイのベルを鳴らして乗組員に揚網配置に就くよう指示した。
指示を受けた乗組員は,いずれも救命胴衣を着用しないまま,機関長Cと甲板長Dがトロールウインチの操作場所に,甲板員Eが左舷側大回しワイヤー用のウインチ操作盤のところに,甲板員F,同G及び同Hが船尾甲板上で待機した。
12時00分B漁ろう長は,引き綱の残りが300メートルばかりになったとき,風向が南西寄りから北西に急変し,吹き出した突風と波浪とによって船体が次第に右舷側に傾き始め,その後,船体の傾斜が徐々に増加するのを認めたが,既に巻き込んだ引き綱を十分に巻き出したり,反転するなどして船体の傾斜を速やかに修正しないまま,引き綱を巻き出したり,巻き込んだりして傾斜を直そうとした。
こうして,福恵丸は,B漁ろう長が更に増加した船体傾斜を直せないまま,船体傾斜修正作業を続行中,12時05分少し前左舷後方からの高起した波浪とほぼ左舷正横方向からの突風とを受け,右舷方に大傾斜してブルワーク上縁が海中に没し,12時05分南防波堤灯台から070度5.2海里の地点において,多量の海水が船内に浸入し,復原力を喪失して北東方に向首し,右舷側に転覆した。
当時,天候は曇で風力7の北西風が吹き,潮候は上げ潮の中央期にあたり,波高は約3メートルで,風雪・雷注意報が発表されていた。
転覆の結果,福恵丸は,沈没して全損となり,甲板員3人が僚船に救助されたが,B漁ろう長及びC機関長が溺水により死亡し,D甲板長及びH甲板員が行方不明となった。
(本件発生に至る事由)
1 船舶所有者が航行の安全や安全操業についての指導や監督を十分に行っていなかったこと
2 B漁ろう長の経験が浅かったこと
3 船体が不安定な状態になっていたこと
4 風向が急変して突風が吹き,三角波が発生するような荒天であったこと
5 B漁ろう長の船体が横傾斜した際の措置が適切でなかったこと
(原因の考察)
本件は,操業中に風向が急変して突風が吹き,三角波が発生する状況下,船体が横傾斜した際,左舷後方から高起した波浪と左舷正横からの突風を受けて大傾斜し,ブルワークを越えて海水が浸入し,復原力を喪失して転覆に至ったものであるが,以下,その原因について検討する。
1 気象海象
本件当時は,西高東低の強い冬型の気圧配置で,11時30分過ぎから風向が南寄りから徐々に変化を始め,風速も強まっていた。また,12時ころ風向が北西に急変し,風速も毎秒17メートルの突風を伴い,波高も約3メートルとなって三角波を生じる状況で,付近で操業中の僚船の中には帰港準備をしている船もあった。
このような気象海象条件では,福恵丸のような船型の漁船は操業を中止する気象海象条件であったとも考えられるが,同型船もまだ操業中であったことから,気象海象を本件発生の原因とするまでもない。
2 開口部の閉鎖状態
本件は,左舷側後部の出入口以外上甲板の開口部は全て閉鎖されていた。そのうえ船体の傾斜が右舷側に増加していったものであり,したがって,開口部の閉鎖状態が本件発生の原因とは認められない。
3 搭載物の移動
上甲板には3ヶ統の予備網が積載されていたが,全て固縛されており,容易に移動するとは考えられない。また,漁獲物が魚倉に入れてあったが,その量が約180キログラムと少ないので問題とするまでもなく,他に移動物がないことから,搭載物が移動して傾斜したとは認められない。
4 燃料油等の積載状態
燃料油等の積載状態は平素のとおりで別段変わった状態にはなく,また,漁獲高も少なく船体の復原力に影響があったとは考えられない。したがって,燃料油等の積載状態は本件発生の原因とするまでもない。
5 復原力
本船は,昭和52年に建造された船で,建造以来問題なく操業してきており,本船クラスの横揺れ周期が7秒前後である旨の供述もあり,このことからも横メタセンター高さが20センチ以上あったと推測される。また,前任船長,前任漁ろう長及び前任機関長や同型船の乗組員の各供述に,揚網中に船体が大きく傾いたことはなかったとの各供述があることから,復原力をもって本件発生の原因とするまでもない。
6 B漁ろう長の繰船について
本件時,停止回転として引き綱を巻き込んでいる状況にあったが,このような状態の時が一番船体が不安定であり,船体が不安定の状態にあるときに横傾斜したのであるから,速やかに船体の横傾斜を直すことが肝要であり,その方法としては,船体を起こすように反対舷に船を回すとか,いったん巻き込んだ引き綱を大幅に巻き出すとか,風や波を正横方向から受けないように船首を風に向けることなどの方法があり,最悪の場合,引き綱を切断することも考えられる。
ところが,B漁ろう長は,風向が急変して突風が吹き,三角波が発生する状況下,引き綱を巻き出したり巻き込んだりしただけであった。このことは同漁ろう長が経験が浅かったことを示している。
したがって,船体が横傾斜した際の修正措置が適切でなかったことは,本件発生の原因となる。
7 B漁ろう長が無資格で船長職を執っていた点については,遺憾ではあるが,漁ろう長に対しては小型船舶操縦士の免許が必要とされていないので,本件発生の原因とするまでもない。
8 船舶所有者の安全操業についての指導監督について
A指定海難関係人は,関係人の経歴等の項目のところで述べたとおり,長年にわたって船舶所有者として底引き網漁業の経営に携わり,船舶管理や船員の配乗などを行っていたが,航行の安全や安全操業などについては船長や漁ろう長に全て任せていた。
このような人命に関わるような重大な事項については,たとえ乗船経験がなくとも自ら情報を収集し,航行の安全や安全操業を徹底できるよう,船舶所有者として指導や監督を行うべきであり,これを行っていなかったことは,本件発生の原因となる。
(海難の原因)
本件転覆は,風向が急変して突風が吹き,三角波が発生する状況下,船体に横傾斜を生じた際,横傾斜の増大を防止する措置が不適切で,突風と高起した波浪を受けて船体が大傾斜し,海水が船内に浸入して復原力を喪失したことによって発生したものである。
船舶所有者が,乗組員に対して安全操業などについての指導や監督を行っていなかったことは,本件発生の原因となる。
(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人が,乗組員に対して安全操業などについての指導や監督を行っていなかったことは,本件発生の原因となる。
A指定海難関係人に対しては,本件後,高齢のため漁業の経営から引退している点に徴し,勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。
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