日本財団 図書館




 海難審判庁採決録 >  2005年度(平成17年度) >  沈没事件一覧 >  事件





平成16年神審第2号
件名

ヨットファルコン沈没事件

事件区分
沈没事件
言渡年月日
平成17年3月3日

審判庁区分
神戸地方海難審判庁(甲斐賢一郎,田辺行夫,橋本 學,中江啓一郎,定兼廣行)

理事官
佐和 明

指定海難関係人
Aクラブ 代表者:B社取締役 C 業種名:ヨット保管業
指定海難関係人
D 職名:Aクラブ管理者
補佐人
E,F(いずれもA,D両指定海難関係人選任)

損害
沈没,船長及び同乗者5人が死亡,同乗者1人が行方不明

原因
移動ができないほどの多数の同乗者を甲板上に乗せ,タッキング中に強風を受けた際,メインシートに受けた風圧を逃すことができないまま大傾斜して転覆し,キャビン内に大量の浸水を招いて浮力を失ったこと,救命胴衣の指示不適切,船体が不沈構造でなかったこと

主文

 本件沈没は,最大搭載人員以内ではあったものの移動が素早くできないほどの多数の同乗者を甲板上に乗せたばかりか,タッキング中に強風を受けた際,メインシートをカムに固定したままで,船首を風上に向けるよう舵を大きく切ることなく,大傾斜して転覆し,前部換気孔から空気が放出されるとともに,キャビン出入口からキャビン内に大量の浸水を招いて浮力を失ったことによって発生したものである。
 乗船者に多数の犠牲者が生じたのは,救命胴衣の着用とその取り扱いについて適切な指示がなされなかったことと,船体が不沈構造でなかったこととによるものである。

理由

(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年9月15日16時50分
 滋賀県琵琶湖ほうらい浜東方沖合
 (北緯35度10.5分 東経135度56.0分)

2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 ヨットファルコン
総トン数 2.1トン
全長 6.45メートル
機関の種類 電気点火機関
出力 3キロワット
(2)設備及び性能等
 ファルコンは,最大搭載人員10人の1本マストのFRP製セーリングヨットで,G社がモデル名を21Sとして,設計・製造し,昭和55年から同61年まで販売した40隻のうちの1隻で,同58年12月に第1回定期検査を受けて以来,本件発生までに20年間が経過していた。
 本件発生当時には,ファルコンの船体塗装,前部換気孔,レースに関連するセール類や属具などに部分的な改装が加えられていたものの,その甲板や船体に亀裂や劣化,貫通部の緩みなどはなかったので,浸水や空気漏れはなく,その設備は正常に機能していたことから,ファルコンの運航に支障はない状態であった。
 また,21SのSは,スポーツタイプのSを表し,キャビン内の設備が簡素で,居住性を重視した造りにはなっておらず,レースなど帆走自体を楽しむタイプのヨットであった。
ア 甲板及び船体等
(ア) 甲板
 甲板は,2層のFRPと1層のFRPの間に硬質アクリル系発泡体を挟み込んだ構造で,外側表面に浸水を防ぐためのゲルコートを塗布して白色塗装が施され,その横断面は,舷側から船首尾中心線にいくに従ってなだらかに隆起し,中央部でキャビン天井部となるドッグハウスが,若干持ち上がっている比較的平坦なものであった。前部甲板には,船首から110センチメートル(以下「センチ」という。),船首尾中心線から12センチ左舷側の位置に,内径が9センチの前部換気孔,中央甲板には,ドッグハウス後部に,前後にスライドするコンパニオンハッチと,垂直差し板で開閉できるキャビン出入口,後部甲板には,操船者などが位置して舵などを操作する区画であるコックピットが,それぞれ設置されていた。
 前部換気孔は,ファルコンが最初に販売されたときには空けられていなかったが,中古で購入した元所有者がオプションとして,予定されていた位置に空けたものであり,陸置きされているときは,換気のためソーラーベンチレーターが差し込まれており,湖上に降ろされているときは,プラスチック製の蓋がガムテープで止められていた。
 キャビン出入口は,コンパニオンハッチと垂直差し板で閉鎖することができたが,非水密構造であったうえ,垂直差し板には通風用スリットが設けられていた。
 乗船者の転落防止のために,甲板前部にバウパルピット,同後部両舷にスターンパルピットがそれぞれ設置され,パルピット間の両舷中間には,スタンションが2本ずつ立てられて,ワイヤーロープのライフラインが両舷側に沿って張り渡されていた。
 各種セールを揚げるための引綱であるハリヤード類や,メインセール下辺を支える帆桁であるブームの水平度を調整するブームバングのシートなどを,仮止めするためのカムやストッパー類が,コンパニオンハッチの前方に並べられており,その中の左舷寄りに,メインセールハリヤードを仮固定するストッパーが設置されていた。
 ハリヤード用ウィンチがコンパニオンハッチ両舷に,ジブシート用ウィンチがコックピットサイド甲板の両舷に,それぞれ1個ずつ設置されていた。
 メインセールハリヤードはハリヤード用ウィンチで巻かれて,メインセールハリヤードストッパーで仮固定されたのち,左舷ハリヤード用ウィンチ後方のドッグハウス後部垂直面に設置されているクリートで固定されるようになっていた。

(イ) 船体
 船体は,外側表面にゲルコートを塗布した多層FRP製で,外舷上部ではFRPを3層に張り付けていたが,下方に下がるに従って厚くなり,水線付近では5層,船底サイドでは7層,キール付近では12層の構造となっていた。
 前部キール外側に速力センサーが埋め込まれており,コックピットまで伸ばすことができる長さの電線が,キャビン内の内壁から引き出されていた。
 船底の中央部キールに,重さ330キログラムの鉄製バラストキールが,船体キールを貫通する4本のキールボルトで取り付けられていた。
 船体の塗装は,水線上ではオリジナル白色塗装の上から,ファルコン船長Hが,透明のレース仕様エポキシ系塗料を塗布していたが,ムラになって卵黄色に変色したので,剥がそうとして研磨した部分が透けてまだら模様となっており,水線下は黒色のレース仕様エポキシ系塗料を,塗布していた。

(ウ) 甲板と船体の接着
 甲板と船体は,逆L字型となったそれぞれのガンネル部にパテ材を挟み込ませ,外側に外舷材を張り合わせた上で,水平間隔が12.5センチで,水平と垂直のリベットにより接着されていた。

イ 船尾
 船尾は,船体と同じFRP製構造の,ほぼ垂直板のトランサム型で,船尾板全体は水線の上にあり,中央外側に,縦長のラダーを取り付けるためのガジョン金具と,中央より右舷側に,船外機取り付け架台が設置されており,トランサム中央左舷の下部に排水孔が設けられ,コックピットドレン溜りと繋がっていた。


 ラダーは,垂直長さが197センチ,最大水平幅が37センチの縦長で,ガジョンピンを介してガジョン金具に取り付けられていた。
 船外機は,形式6E3−Lと呼称されるG社製の5馬力で,架台に取り付けられ,機走時は垂直に装備されていたが,帆走時は前方にチルトアップされ,プロペラなど下部を水面上に出すことができた。
ウ キャビン
 キャビンは,船体内部の居室などであるが,前部,中央部,後部の3部分に防水ベニヤなどにより区分されていた。各部は乗員が移動できるように通路でつながっており,前部は物置として利用され,中央部と後部にはバースと呼ばれる座席や寝台として使用できるキャンバス製の台(以下「寝台」という。)が2基ずつ,計4基がパイプで支えられ装備されていた。
 キャビンの内壁や天井に浮体が設けられていなかったので,キャビン内に大量の浸水があった場合には,浮力を失って沈没する可能性があった。


 キャビン出入口には,レースなどでスピンネーカーを頻繁に揚げ降ろしする際に,スピンネーカーを一時的に格納するための袋が常時吊り下げられており,キャビン内部に降りるには,この袋を前方に押しやる必要があり,初めて乗船した人が,様子の分からないキャビン内部に降りることは難しかった。
 キャビン各部の内壁や天井はFRPが露出しており,キャビン内の居住性は整っていなかったので,通常はセールなどの置場として利用されており,慣れた操船補助者(以下「クルー」という。)でもこの中に長時間留まっていることは少なかった。
エ コックピット
 コックピットは,ドッグハウスの後方に続く長方形の深さ40センチの凹部と,両舷部が前部甲板から続くベンチ甲板とからなっており,操船者などがその凹部に脚を入れて両舷のベンチ甲板に腰を降ろし,船尾トランサムに取り付けられた,ラダーの上部に接続された舵柄であるティラーや,各種シートなどを操作することが可能であった。
 メインシートトラベラーは,メインセールの開き具合を調整する綱であるメインシートの引っ張り角度を,風の強度に応じて調整するためのものであるが,シートブロックとカムなどが取り付けられたトラベラーカーと,同カーを滑らせるトラベラーレールによって構成されるもので,コックピット中央を左右に横断する形で取り付けられていた。
 トラベラーカーのメインシートブロックには,ブームブロックから伸ばされたメインシートが通され,同ブロックに取り付けられたカムで係止することができた。


 トランサム右舷側にある架台に取り付けた船外機を使用して航走する場合は,操船者はコックピット右舷後部に位置して,船外機の起動,停止,前後進などの操作をする必要があった。
 コックピット中央やや後方には,その床板が蓋となった幅60センチ長さ30センチ深さ22センチの物入れがあり,その底部には,深さ12センチの凹部となったコックピットドレン溜まりがあった。通常,物入れには,船外機の燃料タンクが収納されており,コックピットドレン溜まりは,物入れの底部から後方へパイプが引かれて,トランサム左舷下部にある排水孔に連結されていた。
オ マスト等
 マストは,G社製の長さ9.06メートルの中空アルミ製筒型で,各種セール用のハリヤードを,上部からマスト内に引き込んで,中空部を通して下方から引き出す仕様となっており,マスト下端を,甲板中央部やや前方に装備されたマストステップにかみ合わせて固定していた。
 マストを支えるために,前後方向には,先端部やや下方から船首部に張られたヘッドステーと,先端部から船尾部に張られたバックステーで保持され,左右方向には,先端部やや下方からマスト中央に備えられたスプレッダー先端を経由して,両サイドに張られたアッパーサイドステー左右1本ずつと,スプレッダー取り付け部から両サイドに張られたロアーサイドステー左右1本ずつによって保持されていた。
 ヘッドステーには,レースにおいてジブセールの交換を迅速に行うための,2段式となったジブセール用レールが装着されていた。


 ブームは,G社製の長さ3.15メートルの中空アルミ製筒型で,メインセールのフットを,前方から通してアウトホールワイヤーで後方へ張り,そのシートをブームサイドのクリートに固定することができた。ブームの下部には,メインシートブロックやブームバングなどを取り付けるための,アイプレートやクリートなどが取り付けられていた。

カ セール
 セールは,全てレース仕様のR社製で,メインセール2枚,ジブセール4枚,スピンネーカー2枚が所持されていたが,本件発生時揚げられていたメインセールは,地の色が白色の,ペンテックスと称する素材で作成されており,その寸法は,マストに取り付ける辺であるラフの長さが7.8メートル,ブームに取り付ける辺であるフットの長さが3.03メートル,その他の一辺であるリーチの長さが8.39メートルであった。
 本件発生前に使用されていたジブセールの素材は,ペンテックスであったが,本件発生時には降ろされたまま,前部甲板上にまとめて置かれていた。

キ 救命胴衣
 救命胴衣は,小児用が1着,固形式のものが5着,手動膨張式のものが5着,キャビンの中に常備されていた。
(3)復原性
 乗員を乗せずに,船外機と航海属具などを備えた軽荷状態では,復原力の大きさを表す最大復原てこが45センチ,復原力消失角が116度で,十分な復原性を有していたが,本件発生時のように合計体重が600キログラム近くになる乗員を甲板上に配置し,軽荷状態に含まれない72キログラムの物品を搭載すると,重心の上昇により,最大復原てこが9.6センチ,復原力消失角が81度と減少し,復原性が悪化した状態であった。


3 事実の経過
(1)ファルコン船長Hのヨット歴等
ア ヨット歴
 H船長は,平成10年6月四級小型船舶操縦士免状(同15年6月失効)を受有し,同年7月,当時Aクラブの所有となっていたファルコンを購入することになったが,それ以前にはヨット操船の経験はなかった。
 H船長は,ファルコン購入に当たって,取扱説明書が付属していなかったので,D指定海難関係人から操船指導を受け,その後琵琶湖で開催される小型クルーザーが競うミニトンクラスのヨットレースに,同好者2,3人をクルーとして募集し,自身が舵を握るヘルムスマンとなって参加し,徐々に操船に関する技量を身につけていった。
 しかし,ファルコンの復原性や,キャビン内の寝台に2人,同座席に5人,コックピットに3人を乗せたうえでの最大搭載人員の算定に関する資料は,ヨット製造業者に製造資料として保管されていただけで,使用者が理解しやすい説明資料として,一般には周知されておらず,H船長もこれらを入手しようとしなかったので,ファルコンは復原性が良好で,転覆したり沈んだりする危険性はなく,大人で10人までの最大搭載人員以内であれば,安全に帆走できるものと認識していたのであった。
 H船長は,ファルコンでクルーとともにヨットレースに参加する他に,友人や仕事仲間を誘ってAクラブでバーベキューパーティを催した際に,ファルコンで短時間のクルージングをすることもあった。
イ 同人のとるべき安全対策
 船舶安全法と関係規則では,船長は,最大搭載人員を越えて人を乗せないことなどが規定されていた。
 平成15年6月に施行された船舶職員及び小型船舶操縦者法と関係規則では,船長は飲酒などにより正常な操縦ができないおそれがある状態では,小型船舶を操縦してはならないこと,小児が乗船している場合や暴露甲板に乗船している場合などには,救命胴衣を着用させることなどが,船長の遵守事項として規定されていた。
 また,水上安全条例と関係規則には,飲酒運転の禁止,安全の限度を越えて人を乗せないことなどが定められていた。
(2)同型船の事故情報
 本件発生の2年ほど前,大阪湾で,同型船の21−Sに大人6人小児6人が乗船して,強風下における船外機による機走中,風波にあおられて横転した後,一回転して立ち上がるという事故が発生していた。
 負傷者も発生せず,ヨットハーバーに戻ることができたので,海難として扱われることはなかったが,ヨットハーバーの関係者が販売店などに事故の概要を連絡していたものの,G社の担当部署には伝わらず,同種海難情報の収集は実施されず,分析や教訓の周知は行われなかった。
(3)本件発生地点付近の状況
ア 比良山系
 Aクラブ前面湖水域の西方から北方にかけて,南から標高751メートルの霊仙山,同996メートルの権現岳に続き,標高1,000メートルを超える蓬莱山,打見山,比良岳,堂満岳,釈迦岳などの山々が琵琶湖西岸間近で比良山系を形成している。
 同山系は北西又は北方向からの風に対して衝立のような役割を果たして,その風を和らげる働きもするが,風が回り込んだり,頂から吹き降ろしたりすると,思いがけない風の振れ廻りや突然の強風を招いたりすることがあった。
イ Aクラブ前面湖面
 Aクラブ近傍では,エリと呼ばれる定置網が,同クラブ北側のほうらい浜沖に1基,同南側の北浜沖に1基設置され,湖岸から沖合に向けて伸びており,同クラブを出入りするヨットは,湖岸からこれらのエリ先端までの水域は機走することになっていた。
 ほうらい浜のエリを越えて東方に出ると,南東方から北方にかけて障害物のない湖面が広がっており,ヨットなどが遊走するには適した水域となっていた。
(4)本件発生に至る経緯
 平成15年9月15日09時ごろ,C代表者とD指定海難関係人は,営業を開始したAクラブにおいて,訪れる会員の対応に当たるとともに,H船長から事前の電話で依頼されていたバーベキューセットの設置を行った。
 11時ごろH船長は,Aクラブに車で到着し,自らが持ち込んだ肉や野菜などの食材とビールや焼酎などの飲み物を運び込み,その後三々五々集まってきたパーティ参加者と,昼食を兼ねて行われるバーベキューパーティの準備を行った。
 このパーティは,H船長が中心となって手がけていた製品が完成した祝いであり,仕事仲間とその家族が招待されていた。
 パーティ参加者の中に,セールボードなどの経験者が3人いたものの,ファルコンでレースやクルージングに参加していたクルーの参加が得られなかったので,クルーザーの本格的な経験者はH船長1人であった。
 C代表者とD指定海難関係人は,H船長の到着後,何度か同人と顔を合わせたが,風も弱く,気象注意報や警報も発表されていなかったので,特段の情報を提供することはなく,同船長と関係者がバーベキューパーティで飲酒するであろうことは知っていたものの,過去にも常識の範囲内で行われていたことから,特にH船長に注意するよう適切に助言しなかった。
 11時過ぎH船長は,出入航届を出さないままD指定海難関係人に依頼して,ファルコンを湖水に降下させ,湖上の浮桟橋に係留させた。
 12時前になるとH船長は,パーティを開始する前に,参加者に帆走と湖上遊覧を楽しませるため,ファルコンでの第1回目クルージングを自らの操船で行うこととして,小児を含めた8人を甲板上に同乗させた。このクルージングは,ほうらい浜沖のエリ先端までは船外機を使用し,その後はメインセールとジブセールを1枚ずつ使用した帆走に移り,しばらく進んだ後,船首を風上に切り上げて風を受ける舷を変更して方向転換をするタッキングを行って,前示エリ先端付近に戻り,セールを下げ,機走して浮桟橋に戻るという30分間ぐらいの行程のものであった。浮桟橋に着いたときには,Aクラブの従業員が係留用のロープを取っていた。
 第1回目クルージングを終えて,H船長は,パーティを開始し,関係者とともにビールや焼酎を飲み始めた。
 その後14時30分ごろH船長は,小児を含めた9人を甲板上に同乗させた第2回目クルージングを,第1回目と同様の行程で行ったが,このときもAクラブの従業員が,ファルコンの係留用のロープを取って着桟させた。H船長は,第2回目クルージングの終了後は,再び浮桟橋にファルコンを係留したままパーティを続け,なおもビールや焼酎を飲んでいた。
 救命胴衣の使用についてH船長は,各回のクルージングに出発するときは,周囲の同乗者に着用するよう声を掛けたものの,その着用と取り扱いについて適切な指示をしなかったので,小児2人だけが着用し,H船長を含むその他の乗船者は着用することはなかった。
 C代表者とD指定海難関係人は,ファルコンが着桟するときなどに,乗船者の多くが救命胴衣を着用していないことに気がついたが,H船長に対して,乗船者全員が救命胴衣を着用するよう適切に助言することはなかった。
 16時30分H船長は,同人が1人で乗り組み,大人6人と小児5人を同乗させ,第3回目クルージングのために,ファルコンを浮桟橋から離し,バラストキール下端からの最大喫水1.37メートルをもって,志賀町大字北浜所在の北浜三角点(標高86.32メートル)から022度(真方位,以下同じ。)320メートルの地点より船外機を使用して,針路を071度として,5.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
 浮桟橋を離れたとき,H船長は,ファルコンの前部換気孔,コンパニオンハッチ,垂直差し板を開放したままで閉鎖しておらず,小児2人が救命胴衣を着用していたものの,同船長とその他の同乗者は着用しないままであった。
 多数の同乗者は,甲板上でそれぞれ座席を確保したが,ファルコンの復原性は悪化しており,特にコックピット周りでは,同乗者が集中していたので,タッキングを行う場合に,H船長と同乗者が素早く移動するのは困難な状況であった。
 16時33分H船長は,北浜三角点から052度700メートルの地点に至って,ほうらい浜のエリの先端まで来たとき,ジブセールを甲板上に置いたままで,同乗者のうち,他のクルーザーに同乗した経験があった同乗者Kに,メインセールのハリヤードをウィンチで巻いて,メインセールを揚げるよう指示して,船外機を止めた。
 ファルコンは,船首を071度に向けたまま,北風を左舷正横やや前方から受けて帆走を始め,風によって少しばかり風下に押し流されながら,090度の実効針路で,2.0ノットの速力で続航した。
 H船長は,コックピット後部右舷側に位置したままで,左手でティラーを握り,右手でメインセールのシートを調整した。K同乗者は,ハリヤードを限界まで巻き上げてコンパニオンハッチの前にあるメインセールハリヤードストッパーでハリヤードを仮固定した。
 16時40分H船長は,北浜三角点から065.5度1,090メートルの地点に達したとき,船首を北東方に向けながら,同時にメインセールのシートを引き締めつつ,風上に切り上がるクローズホールドに近い状態とし,シートをメインシートブロックのカムに挟み込んで固定したまま,右舷側に15度ほど傾斜した状態で,少しばかり風下に押し流されながら073度の実効針路で,1.3ノットの速力で進行した。
 しばらくして,ファルコンの船首前方に,比良山系から吹き降ろした強風によって起こされた風波である,ブローラインが発生する状況となったが,ファルコンの周辺ではまだ平穏であった。
 こうして帆走中,メインセールハリヤードストッパーで仮固定していた部分の,ハリヤードの表皮が剥がれて緩んだものの,帆走しながらK同乗者が,再びハリヤードウィンチを使ってハリヤードを巻き上げたあと,ドッグハウス後部左舷側にあるクリートに巻き止めることとした。
 16時49分少し前,クリートにハリヤードが巻き止められた頃,H船長は,タッキングを行ってから右舷側より風を受けたまま,風下に船首を回して浮桟橋に戻るつもりで,周りの同乗者にタッキングすることを知らせた。
 このときH船長は,コックピット後部右舷側に位置したままで,同乗者は,コックピット左舷側に大人4人小児2人,コックピット右舷側に大人1人小児1人が位置し,中央部左舷側に小児2人が舷から外に脚を出す形で座り,マストの前方に大人が1人腰掛けていた。


 16時49分H船長は,ティラーを右舷方に引いて,船首を風上に切り上げ,タッキングを開始した。
 タッキングが始まっても,H船長は,風上舷が右舷に替わる勢いで,大きく傾斜するときにシートを緩めて風を逃がす準備として,メインシートブロックのカムに仮止めしたシートを,事前にカムから外しておかなかった。また,コックピット周りには多数の同乗者がいたので,左舷側の同乗者が右舷側に素早く移動することはできなかった。
 タッキングを開始し,船首が風上を過ぎてメインセールが右舷側から風をはらむようになったとき,比良山系から吹き降ろす強風を受け,船首が風下に落とされると同時に,船体が左舷側へ急激に傾斜し始めることとなった。
 このときH船長は,コックピット左舷側に同乗者がいたためか,船首を風上に切り上げるためにティラーを素早く大幅に左舷側へ押し出すことも,メインシートをメインシートブロックのカムから外すこともできず,メインセールに掛かる強風の風圧を逃がせず,船体は左舷側に大きく傾斜したので,コックピット右舷側で小児を抱いて腰掛けていた同乗者が,小児とともにメインセール上に転落し,船体が左舷側に横倒しの状態となり,続いて乗船者が次々に水中へ転落した。
 左舷側を下にして横倒しとなったファルコンは,その船底とバラストキールに強風を受けて風下に流され始めたが,メインセールのシートがメインシートブロックのカムに固定されたままだったので,メインセールが水中に潜り込み,水中で大きな抵抗となって短時間のうちに,船尾から見ると反時計回りに船体を回転して,マストを真下に,バラストキールを上に向けた完全な倒立状態となった。このときファルコンのキャビンには,1立方メートルほどの浸水があったものの,ほとんどの空気が残っており十分な浮力を保っていた。
 なおもファルコンは,船体とバラストキールに受けた風圧とメインセールにかかる抵抗で,同様に反時計回りに船体を回転させながら,左舷側から起き上がり始めたが,左舷寄りにある前部換気孔が水面に出たとき,同換気孔から,キャビンに溜まっていた空気が勢いよく放出されるとともに,キャビン出入口からキャビン内へ浸水が始まった。
 マストが風上側から立ち上がってくるとき,H船長が,バラストキール左舷側面に立って,船体を短時間で直立させようとしたものの,倒立状態から戻る間に,キャビン出入口からキャビン内に大量の水が流入していて,船体が直立する頃には船尾が沈み込み,水面が,キャビン出入口のコックピット凹部床面からの立ち上がりであるコーミングを越えていたので,さらに浸水が続いて浮力を喪失し,16時50分ファルコンは,北浜三角点から067.5度1,460メートルの地点において,マストを上にしたまま沈没した。
 当時,天候は晴で風力5の北風が吹き,本件発生直前の16時30分から21時10分まで,沈没地点を含む滋賀県北部に強風注意報が発表されていた。
(4)本件発生後の状況
 沈没の結果,同乗者の大人2人と小児1人が,湖岸付近まで自力で泳いで救助を求め,連絡を受けて救助に向かったD指定海難関係人などに,大人2人と小児1人が救助されたが,H船長,同乗者L,同M,同N,同O,同Pの6人が,のち遺体で発見され,同Qが行方不明となった。
 また,船体はその後引き揚げられ,最寄りの造船所まで運搬された。

(本件発生に至る事由)
1 ファルコンが不沈構造でなかったこと
2 ヨット製造業者などの関係者が,ファルコンなどFRP製で浮体のないヨットが沈む可能性があること,その復原性,最大搭載人員の算定に関する情報などをヨット使用者に周知していなかったこと
3 C代表者及びD指定海難関係人が,業として飲酒の場を提供したのに,H船長の飲酒について適切な助言をしなかったこと
4 H船長が,飲酒して操船したこと
5 C代表者及びD指定海難関係人が,ファルコンで救命胴衣の着用者が少ないことを認めたときに,救命胴衣の着用について適切な助言をしなかったこと
6 H船長が,同乗者に救命胴衣の着用とその取り扱いについて適切に指示しなかったこと
7 H船長が,最大搭載人員以内であったものの素早く移動できないほどの多数の同乗者を甲板上に乗せたこと
8 H船長が,航海形態に応じて必要なクルーを確保しなかったこと
9 H船長が,前部換気孔とキャビン出入口を閉鎖していなかったこと
10 H船長が,タッキング中に強風を受けた際,メインシートをカムに固定したまま船首を風上に向けるよう舵を大きく切ることなく,メインセールに受けた風圧を逃がすことができなかったこと
11 比良山系から吹き降ろした強風を受けて転覆し,キャビン内に大量の浸水を招いて浮力を失ったこと

(原因の考察)
 ファルコンが沈没した時点から遡って,順次沈没に関連していく主要な出来事を見てみると,浮力を失ったこと,大量の浸水があったこと,船体が転覆したことが挙げられる。
 浮力を失ったことは,前部換気孔から空気が放出されると同時にキャビン出入口から大量の浸水があったことが直接関連している。
 このような大量の浸水があったことは,前部換気孔とキャビン出入口を閉鎖しなかったことによるものである。
 船体が転覆したことは,タッキング中に強風を受けたとき,船首を風上に向けるように舵を大きく切らなかったこと,メインシートをカムに固定していたこと,最大搭載人員一杯の同乗者を甲板上に乗せて復原性が悪化した状況の下,同乗者が素早く移動できなかったことによるものである。
 しかし,H船長は,一般のヨット使用者と同様に,ファルコンの復原性や最大搭載人員の算定の根拠について正確な情報を得る手段がなく,これらの情報を知らずにいたため,ファルコンは復原性が良好で最大搭載人員以内であれば安全に帆走できると考えていたのである。
 したがって,最大搭載人員一杯の同乗者を乗せたこと自体と,前部換気孔とキャビン出入口を閉鎖しなかったことは,H船長にその責を帰することはできないが,H船長が,帆走に当たって,最大搭載人員以内ではあったものの移動が素早くできないほどの多数の同乗者を甲板上に乗せたばかりか,タッキング中に比良山系から吹き降ろした強風を受けた際,メインシートをカムに固定したまま船首を風上に向けるよう舵を大きく切ることなく,メインセールに受けた風圧を逃がすことができないまま,大傾斜して転覆し,風下に圧流されて水中に没したメインセールが抵抗となって一回転して起き上がりながら,前部換気孔から空気が放出されるとともに,キャビン出入口からキャビン内に大量の浸水を招いて浮力を失ったことが原因となる。
 H船長が,浮桟橋を離れる前に,クルーを確保しなかったことと,飲酒して操船したことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,これらが直ちに沈没やその原因に結び付いたとは考えられないので,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,これらは,海難防止上の観点から是正されるべき事項である。
 C代表者及びD指定海難関係人が,本件発生前に,業として飲酒の場を提供したのにH船長の飲酒についてと,救命胴衣の着用者が少ないことを認めたときにその着用について適切な助言をしなかったことは,本件発生及び多数の犠牲者を出すに至る過程で関与した事実であるが,それぞれ助言しなかったことが直ちに沈没やその原因に結び付いたとは考えられないので,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,これらは,海難防止上の観点から是正されるべき事項である。
 ここで,H船長が入手しなかった情報が,ヨット製造業者などの関係者の手元にあって,ヨットの使用者が入手しやすい形で周知されていなかったという側面について検討する。
 ヨット製造業者などの関係者が,設計データや専門的知識を活用して持つことのできた,ファルコンの復原性や最大搭載人員の算定についての情報については,次のものが挙げられる。
 最初に,何らかの理由で大量の浸水があれば沈没する可能性についての認識,ヨット製造業者などの関係者は,設計の時点から,FRP製で浮体のないファルコンに大傾斜などが起きて,何らかの理由でキャビン内に大量の浸水があれば,沈没する可能性があることについては十分に理解していた。しかし,H船長は,クルーザーを使用する多くの人たちと同様に,周辺でクルーザーの沈没が稀であったことなどから判断して,ファルコンは,転覆したり沈んだりすることなどないものと考えていたのである。
 次に,復原性や最大搭載人員の算出に関する基本データ,これらは設計の段階で作成・保存されている情報であるが,H船長は,正しいデータに拠らずに,漠然とファルコンの復原性は良好であると理解し,その上で最大搭載人員までの乗船者数内であれば,安全に帆走できると思っていたのである。
 さらに,甲板上に乗員を配置する場合や,帆走時に強風を受けた場合の復原性の変化に関する情報,これらは,前記の基本データから簡単に算出することができる情報であるが,H船長は,復原性の変化について考慮する必要があることを知らず,同乗者に帆走自体を楽しんでもらうために,全員を甲板上に乗せたのであった。
 このような情報が,ヨット製造業者などの関係者からH船長に届かないまま,ファルコンは多数の同乗者を甲板上に乗せて帆走を開始したのであるから,ヨット製造業者などの関係者が,使用者に対して,沈没の可能性,復原性,最大搭載人員の算定に関する情報などを周知していなかったことは,本件発生に至る過程で関与した事実と言える。しかし,ファルコン製造当時に,ヨット製造業者などの関係者がこれらの周知を要請されていたわけではないこと,H船長を含む一般の使用者が,これらの情報を求めていなかったこと,ファルコンが販売されてから相当の年月が経過して,転売が繰り返されていたことなどを考慮すると,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,これらは,海難防止上の観点から是正されるべき事項である。
 多数の犠牲者が生じたことに関して述べると,犠牲者の全てが救命胴衣を着用していなかったことから,H船長が,同乗者に救命胴衣の着用とその取り扱いについて,適切に指示しなかったことが多数の犠牲者が生じたことの原因となる。また,ファルコンが沈まなければ,船体に掴まって救助を待つことができたのであるから,船体が不沈構造でなかったことも多数の犠牲者が生じたことの原因となる。この種ヨットの船体が,不沈構造でなかったことについては,現時点では関係の規則から外れるものではないものの,今後検討されるべき事項である。
 なお,本件が発生する2年程前に,同型のヨットで海難に発展しかねない転覆事件が発生し,販売店などに連絡されたものの,ヨット製造業者までには届かず,海難情報として収集されるに至らなかったが,この同種海難情報が収集して分析されたのち,使用者に周知されることは,極めて重要である。

(海難の原因)
 本件沈没は,滋賀県琵琶湖において,帆走に当たって,最大搭載人員以内ではあったものの,移動が素早くできないほどの多数の同乗者を甲板上に乗せたばかりか,タッキング中に比良山系から吹き降ろした強風を受けた際,メインシートをカムに固定したままで,船首を風上に向けるよう舵を大きく切ることなく,メインセールに受けた風圧を逃がすことができないまま,大傾斜して転覆し,風下に圧流されて水中に没したメインセールが抵抗となって一回転して起き上がりながら,前部換気孔から空気が放出されるとともに,キャビン出入口からキャビン内に大量の浸水を招いて浮力を失ったことによって発生したものである。
 乗船者に多数の犠牲者が生じたのは,救命胴衣の着用とその取り扱いについて,適切な指示がなされなかったことと,船体が不沈構造でなかったこととによるものである。

(指定海難関係人の所為)
 Aクラブの所為は,本件発生の原因とならない。
 D指定海難関係人の所為は,本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION