(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年3月25日20時20分
備後灘東部
(北緯34度15.8分 東経133度30.9分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
貨物船豊栄 |
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総トン数 |
498トン |
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全長 |
71.42メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
735キロワット |
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船種船名 |
引船天保山丸 |
台船うえだ1001号 |
総トン数 |
35.40トン |
405トン |
全長 |
17.80メートル |
40.0メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
367キロワット |
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(2)設備及び性能等
ア 豊栄
豊栄は,平成9年3月に進水した沿海区域を航行区域とする二層甲板船尾船橋型の鋼製砂利運搬船で,専ら愛媛県今治港から大阪港に山砂を,同港からの帰途,兵庫県尼崎西宮芦屋港から広島県呉港に建設残土をそれぞれ運んだのち,今治港に戻る航海に従事していた。
上甲板上は,船首端から後方19メートルのところに回転の中心をもつ縦8.6メートル横5.7メートル上甲板上高さ4.5メートルの運転台付き機械室及び長さ27メートルのジブを有するジブクレーンが,同クレーンの後方に縦22メートル横10.5メートルのハッチが,船首端から前面までの距離が51.7メートルの船橋がそれぞれ設置されていた。
操舵室は,床面が当時の喫水で海面上高さ約9メートルの航海船橋甲板にあり,同室前面から1メートル後方の中央部にジャイロ組込型操舵スタンドが設置され,その左舷側に隣接して左舷方に順に,第1レーダー,第2レーダー,GPSプロッター及び配電盤が,右舷側に隣接して右舷方に順に,サーチライト及び汽笛の各スイッチ,主機操縦ハンドル並びにスラスター操縦盤が,また,左舷後部に海図台がそれぞれ設置されていた。
操縦性能は,航海速力が機関を回転数毎分230として約11ノットで,旋回径が右旋回のとき178メートル,左旋回のとき180メートルとなり,全速力前進中に後進をかけて船体が停止するまで1分24秒を要した。
イ 天保山丸
天保山丸は,昭和40年8月に進水した一層甲板船首船橋型の鋼製引船で,専ら香川県丸亀港,兵庫県相生港及び広島県土生港の各港間で台船の曳航作業に従事し,丸亀港の造船所が建造する船舶の鋼材を同港から相生港や土生港に,船殻ブロックを相生港や土生港から丸亀港にそれぞれ輸送し,丸亀港と土生港間を航行するときには,備後灘東部において,自船の進路と備後灘の推薦航路線に沿って航行する船舶との進路が交差する状況となっていた。
操舵室は,中央に操舵スタンドが,その左舷側にレーダー1台が,左舷後部にソファーが,右舷後部に机がそれぞれ備えられていた。
操舵室上部は,中央にレーダースキャナーが,後部左右両端に各舷灯が,後端中央部にマスト灯が取り付けられた前部マストがそれぞれ設置されていた。
操舵室後方は,機関室囲壁が続き,その上方のオーニングフレーム後端に後部マストがあって引船灯,船尾灯及びサーチライトがそれぞれ設置され,船尾端から6.5メートル前方の,同囲壁後端中央部に曳航用フックを備えていた。
ウ うえだ1001号
うえだ1001号(以下「1001号」という。)は,長方形の甲板を有し,鋼材や船殻ブロックの輸送に従事する鋼製台船で,船首部中央にビットを備え,同ビットに取り付けたチェーン及びシャックルを介して曳航索を取るようになっており,船首及び船尾の各左右両端近くに4秒に1回0.4秒間点灯して光達距離が3キロメートルで,甲板上高さ約1メートルの乾電池式の標識灯がそれぞれ1個設置され,いずれの標識灯も日没後自動的に点滅を開始するように設定されていたが,当時乾電池が消耗し光達距離が500メートルばかりになっており,舷灯や船尾灯を備えていなかった。
3 事実の経過
豊栄は,A及びB両受審人ほか3人が乗り組み,山砂1,000立方メートルを載せ,船首3.05メートル船尾5.00メートルの喫水をもって,平成15年3月25日17時50分今治港を発し,大阪港に向かった。
A受審人は,今治港から大阪港までの船橋当直を,自ら,B受審人及び甲板員による単独3時間30分交替の3直制とし,出港操船に続いて船橋当直にあたり,18時20分燧灘沖ノ瀬灯標北方の燧灘を推薦航路線に沿って備後灘に向け東行中,同受審人に当直を委ねることとし,その際,備後灘東部では自船と三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう他船との進路が交差するので,特に見張りを厳重に行う必要があったが,同受審人がそれまで同海域を単独の船橋当直にあたって無難に東行していたことから,改めて指示することはないものと思い,レーダーを活用することなど,備後灘東部における見張りについての指示を徹底することなく降橋し,自室で休息した。
B受審人は,双眼鏡を操舵室左舷後部の海図台に置き,第1レーダーをスタンバイに,第2レーダーを停止したまま,床面からの高さ75センチメートル(以下「センチ」という。)の,背もたれも肘掛もない木製いすを操舵スタンドと第1レーダー間の後方約1メートルのところに置き,専らそのいすに腰を掛けた姿勢で目視のみによる見張りにあたり,航行中の動力船の灯火を表示して東行した。
ところで,B受審人は,前示いすに腰を掛けると,第1レーダーが操舵室床面から上面までの高さ1.38メートル幅47.8センチ奥行き50センチであったことから,同レーダーにより正船首から左舷船首35度の水平線までの,また,ジブを倒して格納していたものの,ジブクレーン機械室によって正船首から右舷船首5度の,船首端から前方100メートルのそれぞれの範囲の視界が妨げられて死角が生じ,時折立ち上がり移動して周囲を確認していた。
19時09分少し過ぎB受審人は,高井神島灯台から319度(真方位,以下同じ。)1,200メートルの地点で,針路を備後灘の推薦航路線に沿う074度に定めて自動操舵とし,機関を全速力前進にかけて11.2ノット(対地速力,以下同じ。)の速力で備後灘を進行した。
B受審人は,19時56分備後灘航路第5号灯浮標を左舷に見て航過したころ,立ち上がって左舷方を一瞥したものの,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう他船の灯火を認めなかったので,再びいすに腰を掛け,右舷前方2海里付近を先航するほぼ同速力の同航船の船尾灯に視線を向けて続航した。
20時10分B受審人は,六島灯台から229度3.6海里の地点に差し掛かったとき,左舷船首28度1.1海里のところに天保山丸の船尾灯及び引船灯を認めることができ,その後天保山丸引船列を追い越す態勢で接近したが,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう他船はいないものと思い,レーダーを活用するなり,立ち上がり移動して周囲を確認するなど,死角を補う見張りを十分に行わなかったので,同引船列の存在に気付かず,同引船列を確実に追い越し,かつ,十分に遠ざかるまでその進路を避けることなく,同じ姿勢で視線を前示同航船に向けたまま進行した。
B受審人は,20時17分半天保山丸引船列がほぼ同方位500メートルとなり,1001号右舷側の船首及び船尾両標識灯の明かりも視認できる状況となったが,依然同標識灯にも気付かないまま,同時20分少し前右舷船首至近に正船首を右方に替わった天保山丸の明かりを初めて認め,確認するためいすから立ち上がり,右舷前部窓際に向かって歩き始めた直後,20時20分六島灯台から205度2.4海里の地点において,豊栄は,原針路原速力のまま,そのバルバスバウが,天保山丸と1001号間の曳航索の天保山丸船尾近くのところに後方から30度の角度で衝突した。
当時,天候は晴で風力2の北東風が吹き,視界は良好であった。
A受審人は,自室で就寝中,衝撃を感じて目が覚め,急いで昇橋して天保山丸引船列との衝突を知り,至近に1001号の標識灯を認めたものの,天保山丸の航海灯などを認めなかったので海上保安部に連絡するなど事後の措置にあたった。
また,天保山丸は,船長E及び甲板員1人が乗り組み,船首1.25メートル船尾2.00メートルの喫水をもって,船殻用ブロック2個を載せ,船首尾とも0.8メートルの等喫水となった1001号の船首中央部ビットと天保山丸機関室囲壁後端中央部の曳航用フックとの間に,直径42ミリメートル長さ50.1メートル及び同径長さ15メートルの合成繊維製索を連結した曳航索を取って引船列を形成し,同日16時10分土生港を発し,丸亀港に向かった。
ところで,天保山丸引船列は,1001号が船体前部の船体中心線上に長さ20.0メートル幅10.4メートル甲板上高さ3.7メートルの船殻用ブロックを,その後部の船体中心線上に長さ20.4メートル幅12.0メートル甲板上高さ3.1メートルの船殻用ブロックをそれぞれ1個積み,後部の船殻用ブロックが船尾から2.9メートル後方に出ていたので,天保山丸船尾から1001号船殻用ブロック後端までの長さが約101メートルとなっており,標識灯の甲板上高さが約1メートルしかなかったので各船殻用ブロックの陰になり,同船の右舷後方から接近する船舶が右舷側の標識灯を視認することができたが,左舷側の標識灯を視認することが困難な状況であった。
天保山丸引船列は,弓削瀬戸を経て三原瀬戸東口に位置する愛媛県百貫島北方沖合に至り,18時20分百貫島灯台から349度1,550メートルの地点で,針路を讃岐三埼灯台の灯火を正船首少し左方に見る104度に定めて自動操舵とし,機関を全速力前進にかけて6.2ノットの速力で進行した。
天保山丸引船列は,日没後天保山丸にマスト灯,左右両舷灯,船尾灯及び引船灯をそれぞれ表示し,1001号に4個の標識灯を点けて続航し,20時10分六島灯台から225度2.4海里の地点に差し掛かったとき,右舷正横後32度1.1海里のところに豊栄の白,白,紅3灯を視認でき,その後同船が自船を追い越す態勢で,進路を避けないで接近したが,警告信号を行わず,さらに接近しても,左転するなど,衝突を避けるための協力動作をとることなく進行中,前示のとおり衝突した。
衝突の結果,豊栄は,右舷船首部船底外板に凹損及びバルバスバウに擦過傷を生じ,天保山丸引船列は,天保山丸が豊栄のバルバスバウに掛かった曳航索により横引き状態となって豊栄の右舷船首部に衝突したのち,曳航索が切断して沈没し,1001号に損傷はなかった。また,E(三級海技士(航海)免状受有)及び甲板員Fが行方不明となり,いずれも遺体となって発見され,溺死と検案された。
(航法の適用)
本件は,夜間,備後灘東部において,東行する天保山丸引船列と同引船列の右舷正横後32度から接近する豊栄とが衝突したもので,同海域が海上交通安全法の適用海域であるが同法による特別な航法はなく,天保山丸引船列が1001号に船尾灯を表示していなかったものの,天保山丸の船尾灯,引船灯及び1001号の標識灯の明かりを認めることができたので,海上衝突予防法第13条の規定によって律するのが相当である。
(本件発生に至る事由)
1 備後灘東部が同灘を推薦航路線に沿って東行する船舶と三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう船舶との進路が交差する海域であったこと
2 豊栄
(1)A受審人が,B受審人に当直を委ねる際,自船と三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう他船との進路が交差する備後灘東部における見張りについての指示を徹底しなかったこと
(2)B受審人が,操舵スタンドと第1レーダー間の後方約1メートルのところに木製いすを置いていたこと
(3)B受審人が,双眼鏡もレーダーも活用しなかったこと
(4)B受審人が,専らいすに腰を掛けたままの姿勢で見張りにあたっていたこと
(5)B受審人が,木製いすに腰を掛けると第1レーダー及びジブクレーンの機械室によって前方の視界が妨げられ死角が生じていたこと
(6)B受審人が,天保山丸引船列を衝突するまで認めていなかったこと
(7)B受審人が,天保山丸引船列を確実に追い越し,かつ,十分に遠ざかるまでその進路を避けなかったこと
3 天保山丸引船列
(1)1001号に船尾灯を設備していなかったこと
(2)1001号の標識灯の電池が消耗していたこと
(3)警告信号を行わなかったこと
(4)衝突を避けるための協力動作をとらなかったこと
(原因の考察)
豊栄は,避航船の立場であったから,速やかに減速するなどして天保山丸引船列の進路を避けなければならなかった。
B受審人が,レーダーを活用したり見張りを十分に行っていれば,天保山丸引船列を追い越す態勢で接近していることを認めることができ,十分余裕のある時期に同引船列を確実に追い越し,かつ,十分に遠ざかるまでその進路を避けることが可能であり,周囲の状況や操縦性能などからその措置をとることを妨げる要因は何ら存在しなかったものと認められる。
したがって,B受審人が,双眼鏡もレーダーも活用しなかったこと,専らいすに腰を掛けたままの姿勢で見張りにあたっていたこと及び天保山丸引船列を衝突するまで認めていなかったことは,いずれも死角を補う見張りを十分に行わなかったことの態様であり,天保山丸引船列を確実に追い越し,かつ,十分に遠ざかるまでその進路を避けなかったこととともに,本件発生の原因となる。
また,備後灘東部は,推薦航路線に沿って東行する船舶と三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう船舶との進路が交差する海域で,特に見張りを厳重に行う必要があるが,B受審人が双眼鏡もレーダーも使用せず,前方の視界が妨げられ死角が生じた位置で,専らいすに腰を掛けたまま,目視のみによる見張りにあたっていた。
したがって,A受審人が,B受審人に対し,前示海域における見張りについての指示を徹底しなかったことは,本件発生の原因となる。
B受審人が,木製いすに腰を掛けると第1レーダー及びジブクレーンの機械室によって前方の視界が妨げられ死角が生じていたことは,本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件発生と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,海難防止の観点からいずれも是正されるべき事項である。
B受審人が,操舵スタンドと第1レーダー間の後方約1メートルのところに木製いすを置いていたことは,本件発生の原因とならない。
一方天保山丸引船列は,保持船の立場であったから,豊栄に対して警告信号を行い,さらに接近して避航船の動作のみでは衝突を避けることができないと認めたときには,衝突を避けるための協力動作をとらなければならなかった。至近に両船以外の他船は存在せず,また,天保山丸引船列と豊栄との運航模様や接近模様から,左転するなど,衝突を避けるための協力動作をとることが可能であり,その措置をとることを妨げる要因は何ら存在しなかったものと認められる。
したがって,天保山丸引船列が,警告信号を行わなかったこと及び衝突を避けるための協力動作をとらなかったことは,本件発生の原因となる。
備後灘東部が同灘を推薦航路線に沿って東行する船舶と三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう船舶との進路が交差する海域であったことは,B受審人が同海域を5年間通航して十分にその状況を認識でき,適切に見張りを行っていたならば本件が発生していなかったものと認められるので,本件発生の原因とならない。
1001号に船尾灯を設備していなかったこと及び1001号の標識灯の電池が消耗していたことは,少なくとも500メートル離れたところから標識灯の明かりを視認できたと認められるので,本件発生の原因とならない。
(主張に対する判断)
豊栄側補佐人は,天保山丸が所定の灯火を表示していなかったこと及び1001号の標識灯の電池が消耗していて光力が弱く,至近に接近するまでその明かりを認めることができなかった旨を主張するので,この点について検討する。
豊栄側補佐人は,天保山丸が所定の灯火を表示していなかったことの根拠として,日没直前の18時20分ごろ百貫島北方沖合を西行していた第一末広丸機関長が同島北方沖合を東行する天保山丸引船列を視認し,そのとき同引船列が所定の灯火を表示していなかった旨を述べていることを挙げている。
しかしながら,第一末広丸機関長の供述は,「そのころ日没前で天保山丸引船列が灯火を表示していなかったと思う。例え表示していても外は明るく,距離も離れていたので分からなかった。」というもので,表示していなかったと述べておらず,日没前に天保山丸が所定の灯火を表示する義務もない。また,例え天保山丸がそのころ所定の灯火を表示していなかったからといって,2時間後の衝突時に表示していなかったとはいえない。
一方,G元天保山丸乗組員に対する質問調書中,「天保山丸の船長はしっかりした人で,一緒に乗船していたころ,夕暮れどきに操舵室の配電盤のスイッチを入れて航海灯を点けていた。点け忘れることはなかった。」旨の供述記載,B受審人が衝突の直前に視認した明かりの存在,衝突後A受審人及びH一等機関士の両人が1001号の標識灯の明かりを視認しているにもかかわらず,B受審人が視認していないなどの同受審人の見張り模様及び死角の状況,また,天保山丸船長が灯火を表示しないで航行する理由もないことから,天保山丸引船列が所定の灯火を表示していたものと認めるのが妥当である。
1001号の標識灯の電池が消耗していて光力が弱く,至近に接近するまでその明かりを認めることができなかったとの主張については,当時,船殻用ブロックを載せていたものの右舷側から標識灯を視認することができ,本件の3箇月後に行われた実況見分では,電池が消耗して光力が弱まった状態で500メートル離れたところからその明かりを認めることができたことにより,豊栄及び天保山丸引船列の各運航模様から,豊栄が衝突の2分半前には同標識灯の明かりを視認できたものと認められ,B受審人が長年備後灘東部の海域を航海した経験を有し,同海域の状況を十分に認識しているはずであるから,同受審人がそのときの状況に適したすべての手段,つまりレーダーを活用するなどして適切に見張りを行っていれば,例え同引船列が船尾灯及び引船灯を表示せず,かつ,電池が消耗していて光力が弱く標識灯が見えにくい状況であったとしても,天保山丸引船列の存在を認めることができたもので,同引船列の存在を知らなかった理由とはならない。
以上から豊栄側補佐人のいずれの主張も認められない。
(海難の原因)
本件衝突は,夜間,備後灘を推薦航路線に沿って東行する船舶と,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう船舶との進路が交差する備後灘東部において,天保山丸引船列を追い越す豊栄が,見張り不十分で,天保山丸引船列を確実に追い越し,かつ,十分に遠ざかるまでその進路を避けなかったことによって発生したが,天保山丸引船列が,警告信号を行わず,衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
豊栄の運航が適切でなかったのは,船長が,船橋当直者に対し,備後灘を推薦航路線に沿って東行する船舶と,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう船舶との進路が交差する備後灘東部における見張りについての指示を徹底しなかったことと,船橋当直者が,見張りを十分に行わなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
B受審人は,夜間,備後灘を推薦航路線に沿って東行する船舶と,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう船舶との進路が交差する備後灘東部において,単独の船橋当直にあたり推薦航路線に沿って東行する場合,操舵スタンドと第1レーダー間の後方に置いた木製いすに腰を掛けて見張りにあたると,第1レーダー及びジブクレーン機械室によって前方の視界が妨げられて死角を生じる状態であったから,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向けて東行する他船の存在を見落とすことがないよう,レーダーを活用するなり,立ち上がり移動して周囲を確認するなど,死角を補う見張りを十分に行うべき注意義務があった。ところが,同受審人は,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう他船はいないものと思い,死角を補う見張りを十分に行わなかった職務上の過失により,天保山丸引船列の存在に気付かず,同引船列を確実に追い越し,かつ,十分に遠ざかるまでその進路を避けることなく進行して衝突を招き,豊栄の右舷船首部船底外板に凹損及びバルバスバウに擦過傷を生じさせ,天保山丸を沈没させて船長及び甲板員が死亡する事態を招くに至った。
以上のB受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を2箇月停止する。
A受審人は,夜間,燧灘を推薦航路線に沿って備後灘に向け東行中,B受審人に単独の船橋当直を委ねる場合,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう他船の存在を見落とすことがないよう,レーダーを活用することなど,三原瀬戸方面から備讃瀬戸に向かう他船と進路が交差する備後灘東部における見張りについての指示を徹底すべき注意義務があった。ところが,同受審人は,B受審人がそれまで備後灘東部を単独の船橋当直にあたって無難に東行していたことから,改めて指示することはないものと思い,同海域における見張りについての指示を徹底しなかった職務上の過失により,B受審人が単独の船橋当直にあたって備後灘東部を東行中,天保山丸引船列の存在に気付かないまま進行して同引船列との衝突を招き,前示の損傷などを生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図1
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参考図2
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