(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年3月19日03時55分
鹿児島県硫黄島北東沖合
(北緯30度48.9分 東経130度19.2分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
瀬渡船南海丸 |
総トン数 |
7.9トン |
全長 |
16.30メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
467キロワット |
(2)設備及び性能等
南海丸は,昭和61年3月に進水し,航行区域を限定沿海区域とする最大搭載人員29人の一層甲板型FRP製瀬渡船で,上甲板下に,船首から順次後方に空所,前後左右4区画に仕切られたいけす,前部客室,機関室,後部客室及び物入れが配置され,同甲板上には船首から後方5メートルと14メートルの間に2層からなる上部構造物があり,下層は長さ約9メートル幅約2メートルで,前後部を上甲板上高さ1メートルを天井とする前部客室と後部客室,その間を上甲板上高さ0.6メートルの機関室囲壁がそれぞれ占め,上層は同囲壁上に水線上約2.7メートルを天井とする操舵室が設けられ,上甲板周囲には高さ約0.6メートルのブルワークが設置されていた。
各室の暴露部に通じる開口には,前部客室の前壁にヒンジ式の扉,後部客室には天井にハッチ及び後壁右舷寄りに高さ1.5メートル幅0.62メートルの引き戸,操舵室両舷側壁と後壁に引き戸がそれぞれ設けられ,機関室囲壁両舷側壁には縦0.1メートル横0.25メートルの蓋のない換気口が1個ずつあり,ブルワーク基部には縦0.08メートル横0.19メートルの排水口が各舷に9個ずつ備えられていた。
南海丸は,平成11年3月機関換装に伴い,Dの指示で固定バラストを機関室に設けて復原性が確保され,同15年2月に定期検査を済ませていた。
3 硫黄島周辺の地勢
硫黄島は大隅群島に属し,枕崎港の南方約27海里にあり,その東海岸沖合には,硫黄島の枕鼻から,東北東約1.5キロメートルに高さ3.5メートルの水上岩(以下「平瀬」という。),同約2キロメートルに高さ23メートルの竹島ノ鵜瀬(以下「鵜瀬」という。)及び同島南東端の南方約1.7キロメートルに高さ16メートルの浅瀬の各水上岩と枕鼻の東南東約3.5キロメートルに島頂26メートルの昭和硫黄島があり,いずれも磯釣りのポイントとされ,平瀬と鵜瀬の間は幅約350メートルの鞍状の海底で,南北約500メートルにわたって水深約20メートルの水道(以下「鵜瀬水道」という。)となっており,その両端から沖合は急に深くなり,同水道には上げ潮では北へ,下げ潮では南へ流れる潮流があった。
4 事実の経過
南海丸は,A受審人が1人で乗り組み,釣客12人を乗せ,瀬渡しの目的で,船首0.4メートル船尾1.3メートルの喫水をもって,平成15年3月19日02時20分枕崎港を発し,硫黄島に向かった。ところで,A受審人は,発航前日テレビを見て鹿児島県南方海上の天候が回復に向かっている旨の気象情報を入手し,当日発航に先立ち船内ビルジ,排水口などの点検を行って異常のないことを確かめ,全員救命胴衣を着用し,釣客のうち5人を前部客室に,7人を後部客室にそれぞれ入室させて各室の扉を閉鎖させ,燃料,清水等を平素と同様に積み付けた状態で発航したもので,当初予定の平瀬が満月直後の大潮時期で潮差が大きく磯釣りに適さなかったことから,鵜瀬水道を経由して浅瀬で釣客を瀬渡しすることにした。
A受審人は,南下するにつれて海上の波浪が少し高まって追波中を航行するようになり,03時28分硫黄島の標高704メートル三角点(以下「硫黄島三角点」という。)から355度(真方位,以下同じ。)7.1海里の地点で,レーダーにより鵜瀬の6海里手前に達したことを認め,針路を同瀬に向く165度に定め,機関を回転数毎分1,500にかけて16.0ノットの速力(対地速力,以下同じ。)で,有義波高(以下「波高」という。)2メートル卓越周期(以下「周期」という。)6秒の不規則波をほぼ正船尾から受けながら自動操舵により進行した。
03時39分少し過ぎA受審人は,硫黄島三角点から002.5度4.2海里,鵜瀬の手前3.0海里の地点で,月明かりにより鵜瀬を認め,手動操舵に切り替えて続航した。
03時47分少し前A受審人は,硫黄島三角点から017度2.4海里,鵜瀬の手前1.0海里の地点に至って,肉眼で鵜瀬水道を視認し,同水道の波浪状況に異常を認めなかったので,これまで1,000回を超える同水道の通航経験から,波浪が少し高まることはあっても無難に通航できるものと思い,針路を同水道の鵜瀬寄りに向く170度に転じて進行した。
03時50分A受審人は,上げ潮の中央期で鵜瀬水道に北へ流れる潮流がある状況のもと,硫黄島三角点から031度1.65海里,鵜瀬を左舷前方約300メートルに見る水深20メートルの地点に達したとき,急に波浪が高まり,波の頂上に掛かっていた船尾が持ち上げられるのを感じたので,直ちに機関の回転数を下げ,減速してまもなく,船体が波の谷間に入り,船首が下方から上方に向こうとした際,不意に前方の波が船首よりも盛り上がって高波となり,操舵室を超える青波となって上甲板に打ち込むのを認めた。
A受審人は,打ち込んだ海水がブルワークトップに達して水船状態となったので,直ちに機関のクラッチを中立として船体を停止したところ,徐々に右舷側に傾斜し始めたことから,操舵室直下の前部客室の釣客を脱出させて左舷側に避難させた。
一方,後部客室の釣客は,打ち込んだ海水の衝撃で異変を察知し,数人がかりで水圧の掛かっている後壁の引き戸を必死で開けて脱出し,同戸を開けたまま左舷側に避難した。
南海丸は,後部客室を除いて暴露部に通じる出入口扉が閉鎖された状態で,ブルワーク基部の各排水口から自然排水が続いていたものの,後部客室の入口から上甲板下容積が約6立方メートルの同室内に浸入した大量の海水のほか,小規模ながらも機関室囲壁の右舷側換気口からの浸水も加わって右舷傾斜が増大し,周期的に打ち寄せる波浪に翻弄(ほんろう)されて各室内への浸水が続くうち,次第に復原力を失い,03時55分硫黄島三角点から031度1.6海里の地点において,210度に向首して右舷側に転覆した。
当時,天候は晴で風力4の北西風が吹き,潮候は上げ潮の中央期であった。
転覆の結果,南海丸は,硫黄島に漂着して全損となり,のち廃棄処分された。
転覆後A受審人は,携帯電話で自宅に連絡をとり,海上保安部と南海丸のあとに出航した同業船のE丸に救助を依頼し,その間船底やロープにつかまる釣客を励ましたり,衰弱して流された釣客Cを救助して船底に引き上げるなどしながら救助を待った。
その後A受審人と釣客は,来援したE丸により全員が救助されて硫黄島に運ばれ,衰弱の激しい釣客2人が海上保安部のヘリコプターで病院に搬送されたが,C釣客が溺水により死亡し,1人が3週間の加療を要する右肩関節脱臼と診断された。
(本件発生に至る事由)
(1)急に浅くなる鵜瀬水道に,北へ流れる潮流があったことと同水道北方沖合から波高2メートルの波浪が寄せていたこと
(2)A受審人が,鵜瀬水道に接近してその波浪状況から通航可能と思い,そのまま進行したこと
(3)操舵室を超える高さの高波が不意に出現し,船内に打ち込んだこと
(4)開けられたままの後部客室の入口から室内へ大量の海水の流入が続いたこと
(5)機関室囲壁の右舷側換気口から浸水があったこと
(6)釣客の脱出後引き戸が開放されていたこと
(原因の考察)
本件は,高波が打ち込んで水船状態となった際,後部客室の釣客が脱出するために同室後壁右舷寄りの引き戸を開けたことにより,一時に大量の海水が室内に流入して同舷側に大きく傾き傾斜が戻らなくなり,機関室囲壁の右舷側換気口からの浸水も加わったうえ,周期的に寄せる波浪の打ち込みによって各室内への海水の流入が続き,徐々に復原力を喪失したものである。
したがって,操舵室を超える高さの高波が不意に出現して船内に打ち込んだこと及び開けられたままの後部客室の入口から大量の海水の流入と機関室囲壁の右舷側換気口からの浸水が続いたことは,本件発生の原因となる。
A受審人が,鵜瀬水道に接近してその波浪状況から通航可能と思い,そのまま進行したことに関して,同人に転覆の原因を求めるためには,高波の出現を予測できたか否か及び高波の出現後転覆を回避する可能性があったかどうかについて検討されなければならない。
鵜瀬水道北方沖合から寄せていた波浪は不規則波であり,波高2メートル周期6秒の深海波,いわゆる沖波であったから,その波長は,関係式により周期の自乗に1.56を乗じて約56メートルと求められる。
沖波が波長の半分の水深,約28メートルの水域に達すると水深の影響を受け始め,波高が増し,波速が遅くなることは周知のことである。
高波を受けたのは鵜瀬水道の北側で水深が20メートルの水域であり,沖波の状態で波高2メートルの波は,波高が高まることになる。
一方,当時同水道には波浪と反方向に流れる潮流があり,これと波浪が出会うことで波高は更に高まるとともに,波傾斜が急勾配の波形の波が出現することになる。このような状況下,不規則波中からたまたま南海丸の操舵室を超える高波,いわゆる一発大波が出現したものと認められる。
ところで,A受審人は,20年以上にわたる瀬渡し業務において,沖波の波高が鵜瀬水道では高くなることを知っており,自ら決めた安全運航の目安である波高2.5メートルを超えない範囲の海象下で1,000回以上同水道を通航してきたが,これまで何事も起らなかった。
本件時,A受審人は,波高2メートルの追波航行中,鵜瀬水道に接近し,月明かりのもと同水道を望見して通常と変わらない状況であったことから,波浪が高まることはあっても過去の通航経験から大丈夫と判断して通航を決めたものであり,これを非難することはできず,本船を転覆に至らせるほどの高波の出現を予測することは困難であったと認められる。
また,高波は船首至近で不意に出現したものであったから,上甲板への打ち込みを避けることができなかったことと,次に述べる後部客室の引き戸が開けられたままとなった理由とを勘案すれば,転覆を回避することは困難であったと認められる。
後部客室の引き戸が開放されたままであったことについては,釣客はかろうじて脱出できたのであり,脱出後外側から水圧の掛かっている引き戸を閉める作業は容易ではなく,傾斜と反対舷側に逃れて身体を確保するのが精一杯であった状況からすれば,止むを得なかったものと認められる。
したがって,A受審人が,鵜瀬水道に接近してその波浪状況から通航可能と思い,そのまま進行したことは,強いて本件発生の原因とするまでもない。
急に浅くなる鵜瀬水道に,北へ流れる潮流があったことと同水道北方沖合から波高2メートルの波浪が寄せていたことは,高波発生の要因となったものと推認される。
(海難の原因)
本件転覆は,鹿児島県硫黄島北東沖合の鵜瀬水道において,突然高起した高波に遭遇し,釣客が脱出後開けられたままの後部客室入口から大量の海水が流入し,復原力を喪失したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人の所為は,本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文 平成15年11月27日門審言渡
本件転覆は,高起した波浪に遭遇したことによって発生したものである。
参考図1
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参考図2
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