小繰舟進水式(水辺プラザ)
一、開会の言葉
二、挨拶 川を知る会 会長 中野英明
三、序幕式
四、神事
五、祝辞 岩手河川国道事務所 米沢谷誠悦
六、舟進水
七、米俵等運搬再現
八、来場者乗船
九、閉会の言葉
一、開会の言葉
二、挨拶 川を知る会 会長 中野英明
三、祝辞 紫波町 町長 藤原孝
四、祝辞 NPO北上川流域連携交流会理事長 吉田幸助
五、感謝状贈呈 北村造船 社長 北村多美夫様
櫓製作者 三浦勝廣様
六、挨拶 北村造船社長 北村多美夫様
七、招待者、団体紹介
八、記念小冊子解説 どっこ舎 内城弘隆
九、乾杯
十、宴会
十一、閉会の言葉
平成13年(2001年)
1月14日 川を知る会設立総会(サンビレッジ紫波)
1月14日 「水辺プラザを考える」公開シンポジウム(サンビレッジ紫波)
10月8日 北上川川下り 長徳橋(紫波町)〜大正橋(石鳥谷町)
平成14年(2002年)
4月16日 平成14年度総会(ナックスホール)
6月8日 赤沢小学校総合学習川下り(紫波町)
8月6日〜8日 第6回こども流域連携交流会(紫波町)
8月25日 星山小学校総合学習川下り(紫波町)
平成15年(2003年)
5月7日 平成15年度総会(ナックスホール)
7月19日 ラフティングゴムボート4艇購入及び魂入れ(紫波町)
7月19日 星山小学校総合学習川下り(紫波町)
9月7日 日詰小学校総合学習川下り(矢巾町〜紫波町)
11月1日〜2日 リバーマスタースクール初級開催(紫波町)
平成16年(2004年)
5月14日 平成16年度総会(ナックスホール)
7月7日 星山小学校総合学習川下り(紫波町)
8月1日 紫波町役場、日詰商店街有志川下り(紫波町)
8月21日 NPO紫波みらい研究所環境探検隊川下り(紫波町)
8月31日 紫波水辺プラザ完成
9月14日 日詰小学校総合学習川下り(矢巾町〜紫波町)
平成17年(2005年)
4月24日 北村造船来町 小繰舟建造契約取り交わし
6月2日 小繰舟建造開始
7月11日 小繰舟完成
7月17日 小繰舟紫波町に入艇
川を知る会会長 中野 英明
悠久な北上川の流れは、豊かな大地を作り、地域を潤し、文化を育んで来ました。渡し舟や舟運があった時代は、沢山の人々が四季折々の川風景に親しんでいました。しかしながら、交通手段の発達と共に、いつしか人々は川から遠ざかり、その恩恵をも忘れ去れようとしています。
現代の物資豊かな時代に反比例するかのように、心の荒廃が問題となっており、おぞましい犯罪が後を絶ちません。人が自然と触れ合うことによって得られる豊かな情操性は、人を慈しみ、自然を慈しむ心を育みます。
私たちは、もっと自然に親しみ、身近な川に目を向けようと、平成十三年一月、「川を知る会」を発足させました。それは「北上川流域における河川の自然を共存的に活用しながら、人間性豊かな世代間交流を進め、次世代を担う子供達の健全な育成と、老若男女がともに愛せる。“ふるさと”の創造に資する」という目的で設立されました。
昨年八月には会として、早期実現に取り組んだ「水辺プラザ」が完成し、この親水空間が人々の心のオアシスとなり、また、北上川の歴史、文化、水環境を学ぶ拠点となるよう、様々な活動に取り組んでまいりました。
その一つには、発足当時から町内小学校の総合学習の一環としてのゴムボートによる川下りを支援しております。この体験を通して、将来を担う子供達が自然環境の大切さや、郷土の素晴らしさを学び、豊かな心に花開くことを信じております。
今回、往時のままに復元・建造した小繰舟は、歴史と文化を運びながら、多岐に亘る様々な活用が期待されているところでありますが、いずれにせよ、北上川歴史回廊の、自然保護の、町おこしの、そして、子供たちの健全育成のシンボルとなる事は間違いないと存じます。
ここに、改めて建造にご支援いただいた関係各位、そして、誠心誠意、建造に当たられた宮古市の北村造船所さまに深謝申し上げます。
最後に小繰舟進水式に向け、郷土歴史研究家の内城弘隆先生には、北上川の舟運、歴史、文化を掘り起こし、未来への継承となる調査研究をまとめて頂き、厚く御礼申し上げます。
紫波町長 藤原 孝
川は、我々年代にとって、幼き頃の格好の遊び場であり、自然に社会の上下関係を学ぶことができる交流の場でもありました。しかしながら、いつの頃からか、川は人間関係のルールを学ぶ地域コミュニティとしての場から、危険な場所へと距離をおかれる傾向となっております。
このたび、紫波町内の有志で組織する「川を知る会」の皆様が、和船の伝承や先人の功績を顕彰するため、「小繰舟を復元しよう」を合い言葉に、日夜ご尽力され、小繰舟進水式が挙行されますことは誠に喜ばしく、関係各位に衷心より敬意を表する次第であります。貴会の水辺プラザを拠点として行われる川に親しむための活動は、世代間交流のみならず、我々の世代にとっては、幼き頃の懐かしき日が思いおこされ、はからずも癒しの時を共有できるものと確信しております。
本町は、南部藩の時代、近江商人の往来により、宿場・商人のまちとして栄えておりました。この地は、米・水・輸送用の樽材に必要な良質の杉を産出するなど酒造りに適した環境にあったことから、南部杜氏発祥の地として名を馳せ、全国一の酒造り集団として、今もなお高い評価と賞賛を得ております。当時、年貢米や商人の交易物資を都に輸送する手段としては、陸上の駄送よりも大量輸送が可能な舟運が便利であったことから、最も舟運が盛んであった江戸末期では千艘近く北上川を往来していたと言われております。北上川は昔から川底が浅く、航路としては盛岡新山河岸から日詰郡山、花巻を経て黒沢尻河岸までは小型の小繰舟が利用されており、黒沢尻から石巻湊までは大型の「ひらた舟」で荷が運ばれ、石巻から江戸までは海路が利用されていたと伝えられております。江戸に物資を送った先人達の多くの苦労が忍ばれます。
母なる大河北上川として崇敬して来たその川辺に、往時の小繰舟が優雅に帆を上げ、それを見る子ども達の喜ぶ姿を想像するとき、この上ない満足感を得る思いがいたします。
最後に、多くの皆様方が関わったこの事業が末永く親しまれ、町民・企業・行政の三位一体による新しい時代の協働社会の形成につながることを期待するとともに、関係各位のますますのご健勝とご多幸をお祈りいたしまして、お祝いの言葉といたします。
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