ところが今はどんどん合理化・効率化が進んでいて、先日文部科学省の情動についての検討会でも、若いお母さんたちが自分の子供を愛せないという悩みが多いわけです。それでは「献立を作ってみてください」と言ったら、インスタント食品が多かった。コンビニ弁当が多かったというわけです。これは食卓の合理化・効率化であります。それで、「どうか自分で手料理を作ってください」とお願いをして、自分が手間ひま掛けて手料理を作ったら、その料理を子供に食べさせたいという愛着心がわいてくる。つまり、ぬくもりのある、手間ひま掛けるという子育てのプロセスの中で、親心が育つように人間ができているわけです。それを脳科学者はセロトニンという脳内物質、母性愛の源だと言っているのですけれども、セロトニンというものが欠乏すると、2ページの(2)の(3)をちょっと見ていただきたいのですけれども、セロトニンであります。これは幸福の物質と言われます。
セロトニン欠乏脳。セロトニンというのは、幸福の物質と言われています。幸せだな、と感じる脳内物質です。これが欠乏しますと、そこに書いてありますように、痛みへの忍耐力、我慢強さが欠如する。不眠症になる、無責任になる、自律神経が乱れる、ゲーム以外の集中力が低下すると言われています。
私が最初に注目したのは、福島章という方が「子どもの脳が危ない」という本をお書きになりました。次々に、脳の写真を分析されました。例えばこの写真は、17年ほど前に女子高生を監禁して、コンクリート詰めして殺したという少年の脳であります。この少年の脳にはすき間が空いていて、明らかに脳の機能障害が起きているということがよく分かるわけです。福島章さんは、上智大学の先生ですれけども、早幼児期脳障害、その幼児の早い段階で脳に障害が生じているということを詳しく分析しています。実はそういう胎児期や0歳、1歳、2歳、3歳、小さい時期に脳の機能障害が生じていて、それがやがてADHDにつながっていったり、非行につながっていったり、あるいは不登校につながっていったり、さまざまな子供のいわゆる問題行動というものの根っこにある。今までその脳の問題というものが、必ずしも十分に研究されませんでした。
例えば不登校という問題は、今までどう考えられていたかと言いますと、不登校というものは子供の生き方の選択の問題なのだと。だから不登校を病気として病状を診断するなんていうことはとんでもないことだと、医学的な解明が進みませんでした。
ところが、脳科学の研究が始まったことによって、長期的な追跡研究というものが始まったのです。例えば閉じこもっている子供の脳は、どうなっているか。その脳を診断してみると、三つの問題があるということが分かりました。これが(3)の三つ目の所に、小児型慢性疲労症候群と書いてあります。これが今度「MOKU」で対談した、三池輝久と言う方がこの専門家でありますが、閉じこもっている子供の脳、不登校の子供の脳を測定してみると共通点が三つある。それは、自律神経が機能低下している。ホルモンバランスが異常を来している。それから睡眠障害が見られる。そのことをもう少し詳しく書いたのが、27ページを見ていただけますか。この方は、厚生労働省の研究班で億単位の研究を進めてこられて、今月30日に文部科学省の幹部たちに講演すると言っておられましたから、文部科学省もこの方の研究に関心を持ったのでしょう。厚生労働省から、パンフレットを出しておられます。そのエッセンスをそこに書いてございますが、傍線部分だけちょっと見てみます。よろしいでしょうか。
不登校の原因について、これまで本質をとらえた生物学的なデータの集積はほとんどなく、子供たちの体に何が起こっているのか、糸口さえとらえられていませんでした。つい最近まで不登校について、不登校は身体的疾患によらず、何らかの心理的な規制によって登校できない状態であって、病気などではなく本人の生き方の選択であるという考え方が定着していたために、これが医学的な解明を阻んでいた。
ところが三池先生が、ずっと不登校の子供とかかわってくると、明らかに病状が見られるというのです。それはあとで読んでいただいて、今度は下のほうから7行目からちょっと見ます。主に生体リズムの障害が起きているのですけれども、不登校は彼らが積極的に学校に行かないで生きる生き方を選んだのではなくて、脳機能の疲労によって、情報処理力低下のために勉強ができなくなった。つまり登校できなかった。学校過労死状態であると結論付けることができると言っているわけです。
乳児期の重度睡眠障害の、25パーセントがADHDになっているのです。例えば夜間保育をし過ぎると、子供の脳に影響が出てきているというわけです。このあと森昭雄先生から午後は講演をお聞きしますが、森先生がいつもおっしゃるのは、遺伝的な要素が60パーセント、環境的な要素が40パーセントとおっしゃるわけですけれども、環境が脳を変える。
鏡像段階の通過という、ちょっと専門的な言葉を使いますが、鏡像段階というのはどういうことかと言いますと、乳児が自分を抱きしめてくれるお母さんの体とまなざしを、喜んで自らのものとする段階。これを専門用語で、鏡像段階と言います。これが3歳までなのです。母と子の人生最初の最重要な共同作業です。お母さんからほほ笑みを受けて、ほほ笑みを返す。これが感性や情動が成長していく、一番大事な自我の形成の原点なのです。
情動のキャッチボールが必要にもかかわらず、今は、いきなり新生児室に入れられてしまう。いきなり、保育器に入れられてしまう。お母さんのほほ笑みを受けない。これが愛着障害となって、発達障害につながってきているという注目すべきことが言われています。あるいは、児童虐待と反社会的行動との関係です。これもあまり表に出ていないものですが、9ページをちょっと見ていただけますか。
これも文部科学省の情動の検討会の資料でございますが、例えば左側です。左側、縦にしていただいて、左を見ていただきますと、扁桃(へんとう)体という所が、情動の一番大事な機能なのですけれども、虐待を受けた子供と、反社会的な行動にはどういう因果関係があるのか。1996年の調査によりますと、908人の虐待された子供を20年以上追跡調査した結果、違法行為・軽犯罪で逮捕された者が49パーセントです。明確に因果関係があります。暴力事件での逮捕歴が18パーセント。今度右を見ていただきますと、もちろんその調査によってデータに差がございますけれども、1988年の薬物を乱用する青年500人の調査によると、その30パーセントに身体的・性的虐待体験があった。それから1990年の統計では、犯罪少年の45パーセント、非行少年の55パーセントに被虐待既住があった。96年の調査では、窃盗少年の37パーセント、暴力犯少年の57.5パーセントに虐待を受けるという体験があった。そして2000年の調査では、少年院在院者の72.7パーセントに家族からの被虐害体験がある。それから下に、今度は子供虐待と反社会的行動の三つ目の柱です。虐待の種類と反社会的行動の関係という所を見ていただきますと、身体的虐待を受けた子は、暴力犯罪を犯している率が高い。性的虐待を受けたものは、性犯罪を起こしている割合が高い。ネグレクトというのは、怠慢、無視です。そういう虐待を受けた子は、非行に走っている割合が高いとこういう統計が出ております。
なぜこの統計を皆さんに紹介したかといえば、表面に起きている問題行動に対して、対症療法で指導する。対症療法は必要なのです。私はいじめに対して、どうやっていじめをなくすかということを指導するプロでもあります。いじめっ子をどう指導するか。いじめられっ子をどう指導するか。傍観者、観衆をどうするか。クラスの行動をどう変えるか。学年の行動をどう変えるかという具体的な方法論があります。それを先生方に、きちっと具体的な方法論を研修でお話をしますけれども、これだけではもう間に合わないのです。次から次にこの環境の変化が起きて、内なる自然破壊は劇的に起きておりますから、モグラはどんどんたたいていかないと駄目なのですけれども、根本を考え直さないと、どうにもならないところまで来てしまったわけです。
つまり、児童虐待というものをどうやって減らすのかという、その根本を考えなければいけない。反社会的行動をもちろん取り締まらねばならないし、生徒指導もしなければならない。警察にも頑張ってもらわなければいけないのですけれども、根本の、どうすれば虐待している親を救うことができるか。救うという言葉を使いましたが、私も虐待しているお母さんとお話をする機会が多いのですが、気が付いたらもう手が出てしまっている。そういう意味では、お母さんも被害者です。自分自身の生育歴を振り返っていただいて、自分を見つめるということをやっていただきますけれども、ある意味でトラウマの連鎖が起きているのです。トラウマは心的外傷、心の傷です。おじいちゃん・おばあちゃんの世代からお父さん・お母さんに来て、お父さん・お母さんから子供の世代に来ている。トラウマの連鎖が起きているわけです。そのトラウマの連鎖を乗り越えていく、大きな意識改革をどう展開することができるか。今、教育改革に問われているのは、そういう根本的な問題であります。
今度は10ページ資料を、見ていただけますか。右側は、愛知小児保健医療総合センターの資料であります。虐待関連の57パーセントに発達障害が生じている。不登校の50パーセントに発達障害が生じている。これはあくまで、愛知小児保健医療総合センターのデータであります。虐待を受けた子が、広汎性発達障害。これは高機能広汎性発達障害というのが左に書いてございますが、さまざまな事件が起きている。その背景に、そういう発達障害が見られる。
そして、虐待との関係はそこにあるようにADHDにつながっているのが23パーセント。愛着障害、49パーセント。行為障害というのは非行のことですが、これが29パーセントというふうに関係があるわけです。そうすると親を変えないと、家庭教育を変えないと、子供の問題行動の根本的な解決にはならないわけです。
今日は「親学」「脳科学」がキーワードと申し上げましたが、親学というのは、オックスフォード大学のトーマスという学長が、世界の学長会議で初めて提唱したものです。いろんな学問があるけれども、一番足りないのは親学ではないか。親学の意味は、親としての学びです。つまり、親心が成熟に向かっていない。親が親として育っていない。これが親学の一番大事なキーワードの意味ですけれども、もう一つは、親になるための学び。親としての準備教育。つまり、子供を産んだから親になるのではなくて、子育てを通して親心が育っていくという、そういう先程申し上げた幼形成熟ということを考えますと、甘えて依存して、そのプロセスの中で実はPQが育っている。
脳科学の一つのキーワードは、PQでございます。PQというのは、前頭連合野の知能のことであります。前頭連合野というのは、このピンクの所でありますが、額の裏です。ここが脳の統合センターで、むかつき、キレるのを統合する、あるいは抑止するという機能はここにあるわけです。
時実利彦という大脳生理学の権威、東大の先生をしておられましたが、この方が「教育とは欲望を抑止する訓練である」という実に見事な定義をされたのです。戦後教育に欠けていたのは、こういう発想であります。教育とは、欲望を抑止する訓練である。京都大学の学長をして、臨教審という政府の審議会の会長をしていた岡本道雄先生と、京都大学病院でお会いして、これが「MOKU」という雑誌の次の号に載りますけれども、岡本先生が、この脳の研究で一番感動したのは何かということを少しお話いただいたのが、今日の資料で、岡本先生の大きな顔が出て参ります。写真を見るだけで、大物というのが一目瞭然という。17〜20ページを見てください。かつて政府の臨時教育審議会でアメリカ、イギリス、オランダ、フランスと回ったのですけれども、若い人たちはみんな疲れ果てて、先生に睡眠薬をいただいて寝たのです。岡本先生1人は平気で、今もう92歳ですが、本当にタフでびっくり致しました。関心がある方は、ぜひ「MOKU」の次の号を見ていただきたいのですが、19ページの冒頭部分です。1950年にオーストラリアのジョン・エックスという生理学者が、シナプスの中に抑制のシナプスを発見して、のちにノーベル賞を得ていますが、私はこの抑制のシナプスのことを知って、ものすごく感激したと。つまり脳には、抑制するという機能がある。抑止するという機能がある。脳というのは、促進と抑止のバランスなのです。いわばアクセルを踏むのとブレーキ、このバランスなのです。
なぜ今子供たちがむかつき、キレて、情緒不安定になっているかというと、抑止の機能が効かないわけです。抑止力が育っていない。なぜ抑止力が育っていないかと言いますと、これも私のメモに、ちょっとこのことに触れているのですけれども、今度は11ページをご覧下さい。岡本先生は、「立派な日本人をどう育てるか」という本をPHPから出しておられます。その中で、脳は刺激で発育するという、これはセンテンスなのです。脳は刺激で発育する。刺激しないと、脳は育たないのです。
その刺激というのが何かというと、これは千利休の言葉で、11月末に、TVタックルでここだけはカットされないで、詳しく僕の発言を取り上げてくれました。あとはパネルを使って詳しくお話をしたら、そこは全面カットです。テレビは、あまり力を入れ過ぎると駄目であります。ここは阿川佐和子さんが詳しく字幕まで入って、紹介してくれました。「高橋さんらしい言葉だね」と言って。別に僕が言ったのではない、千利休が言った言葉ですけれども。これも教育の原点であります。
まず人間教育の基礎・基本というのは、基本の形を継承するというところから始まる。形は、強制なのです。押し付けなのです。他律なのです。子供の興味や関心で、選ぶわけにはいかないのであります。これは文化の継承であって、形は好むと好まざるとにかかわらず、身に着けさせねばならない。これが、刺激なのです。脳の刺激によって発育するという、子供の成長する段階においては、まず文化の形というものを押し付ける。ある意味で、押し付けです。でも「それは押し付け教育だ」、とそういうことをおっしゃる方がいるので、教育が混乱しているのです。まず教育は、形というものを継承することから始まる。そして形を通して、心に気付かせる。形から入って心を育てるというのが、大事なポイントであります。
心の教育ということを言いますが、それは形というものを継承しながら、形の奥にある心、あとで道の文化についてもお話をしますが、日本は柔道、華道、茶道、剣道、今日は装道の方もたくさんいらっしゃっているわけですけれども、道の文化というものを通して、生活のさまざまな行為を、それを通して人格を陶冶していくという、そういうところに高めてきたわけです。
次の段階の破は、応用の段階で形を破る。次は離。離が、個性が育つという段階である。この離の段階が、自立するという段階です。創造性が育つという段階です。子供の個性とか、子供の創造性が育つというのは、まず基本のかたちをきちっと身に着けさせる。これが家庭においては、しつけであります。
その家庭におけるしつけでは、文化の基本的なかたちを継承するという、このことが今、日本の教育で行われていない。学校でも、家庭でも、ここが抜け落ちてしまっているわけです。親の授業参観も、惨憺(さんたん)たるものであります。まず親の授業参観を注意しないと、平気で携帯が鳴り始めます。平気で出ていきます。もう親たちが、全然しつけができていない。ですから、親教育が必要になるのです。
これからは、その親に対する指導力を持っていなければ、教師としては失格になります。今までは、子供に対する指導力だけでよかった。けっこう親は言いたい放題です。教師を、教師として思っていません。特に若い教師には、「何であんたの言うことなんか聞くものか」とこう思っている。そういう親に対して、これをえらそうにお説教してもしょうがないので、心を込めて、心を尽くして、心を伝える。これを心施と言いますが、心を尽くして、その子供の発達段階に応じて、こうかかわるべきなのだということを説得力のある表現で、これからの教師は親に伝えていかなければならない。そういう親学の力を持たなければならない。指導力を持たなければならないのです。そうしないと子供を救うことができない。そういう時代に突入したのだと思っているわけであります。
また資料に戻りたいのですが、脳機能には促進の機能と抑制の機能があって、「抑制が4で促進が6だ」と岡本先生がおっしゃっていましたが、そこで例をちょっと取り上げました。風景構成法という心理実験があります。これはどういう実験かと言いますと、ちょっとメモを見てください。今の現場からの教育改革の資料です。
これは、紙とペンを渡して、「これから、10個のものを描いてください」と言って、子供にやらせるのです。その10個のものは何かというと、そこに書いています。「山、川、田んぼ、道、家、木、人、動物、花、石。この10個を自由に描きなさい」とこうやると、小学校低学年の子は、並列に並べるのです。4年生から風景を構成する、そういう子が増えてきます。5、6年生になると半分は、それを風景にできるのです。つまり並列ではなくて、風景に構成する力。これを、構成力と言います。これが、脳の発達段階ということです。構成力が育つ段階というのがあるわけです。
そして構成力というのは、そこに傍線を引いて説明しておりますが、異なるものを組み合わせて使える力。これが、構成力です。異なる木や、山や、川や、田んぼや、家や、人や、動物や、花や、石や、その異なるものを組み合わせて、風景にすることができる力。これが構成力です。その構成力が発達するという発達段階に、父性的なかかわりが必要なのです。父性的なかかわり、これは壁になる働きだと言いましたけれども、その父性的なかかわりがあって、初めて抑制力・抑止力が育つ。思うがままではなくて、自分をコントロールするという力です。
不登校の箱庭療法というものがあります。箱庭にいろいろなものを並べさせてみると、不登校の子供の共通点は、秩序がないのです。あるいは、テーマがない。あるいは、物語性がない。つまりそこには父親不在という、問題が背景にある。今日私が冒頭申し上げました、「父よ、何か言ってくれ」ですね。いつも「まあまあまあまあ」と逃げていないで、もっと父親の存在感を示してくれ。父親の存在感が、子供のかかわりの中で欠けているために、構成力、抑止力、そういうものが育っていかない。そしてそのことも不登校にかかわってくる、関係してくるのです。
だからかかわりの欠落ということが、子供の問題行動の根本にある問題で、親が家庭でどうかかわるべきかということの共通理解を深めないと、つまり親の意識改革を促さないと、この国の教育を再建することは不可能であります。そういう意味で、親学ということを申し上げておきたいのでございます。
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