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2)酒田港女みなと会議の活動から〜「発見!酒田みなとの探検隊」〜
小山惠子(山形県酒田市 酒田港女みなと会議事務局長)
 
 「酒田港女みなと会議」の小山と申します。私たちの活動「発見!酒田みなとの探検隊」を発表させていただくんですが、まず始めにお詫びしておかなければならないことがあります。私達は、環境問題を中心に活動している団体ではありません。
 まず、成り立ちを御説明させていただきます。山形県酒田がどちらにあるのか、皆さん御存知でしょうか?北は秋田、南は新潟、東は宮城に囲まれている、日本海側に面した港町です。山形と酒田の位置関係をご覧ください。山形とは120キロ離れております。山形県だけを流れる最上川が酒田に流れています。日本海側の方を庄内、山形側の方を内陸ということで分かれています。同じ山形県で文化も言葉も違う、と言う環境に置かれています。
 酒田港の紹介をします。以前は小さい漁港であったと言われています。この酒田の港町を作ったきっかけが、NHKの大河ドラマの「義経」の最後となりました奥州平泉の、一緒に滅ぼされてしまいました藤原一族。そのたった一人の生き残り、奥様であったか、妹であったか定かではありませんが、徳の前という方を36人の家来が介護しながら酒田に流れてきました。その方達は、教育もあったんでしょう。ただの漁港を廻船を中心とした港町に変えて行きました。
 寛永12年、河村瑞賢によって西廻り航路が開かれまして、山形の最上側の支流を利用しました米、紅花、そういったものを運び、大変繁盛した港町になりました。西の堺、東の酒田といわれるように大変繁栄致しました。今現在も残っている左側の絵が、山居倉庫になっています。中央の絵が、昭和初期の酒田港。現在は北港が出来まして、北東アジアに向けた重要港湾になっております。
 酒田港女みなと会議なんですが、実は普通の会議から始まりました。平成10年、当時の運輸省の酒田港湾では、山形県内の10人の女性を集めて、女性の目から見た港作り、いろんな提言をして頂きたいということで集められた会なんです。10人なんですが、全く港とは関りの無かったり、港を見たこともなかった人間が多く、実際に港を見ながらいろいろな提言をいたしました。現在は15名に増えております。いろんな意見を出し合って、提言書を作って、山形県知事、酒田市長、運輸省第1港湾の建設局長に提言書を提出致しました。
 ここまでは普通の会議で、ここで終わればごくごくある普通の会で、よそと違うところがこれからなんです。翌年、その提言書が本当に活きているかどうか活躍されているか、確かめてみようということで、フォローアップ会議を翌年、開いています。我々が提言した港への案内板がちゃんと出来ているか、緑地の整備が出来ているか、輸出用スクラップが野積みされていたものが1ヶ所に美しくまとめられ整備されているか。そういったことが大変改善されたということを確認しました。では、これから、私達はどうするべきか。行政だけに酒田のPRを任せておく訳には行かないと、翌年から自分達でどうすればいいのかという活動を始めました。
 山形県の位置を考えてみてください。山形の人は、山形県に港があるとは思ってもいないんです。食べるものは太平洋側からの魚を食べ、目は東京や仙台、太平洋側を向いているんです。酒田に港があるんだ、山形に港があるんだと言って、「山形に酒田港がやってくる」というシンポジウムもやりました。記念講演で山田洋二監督を呼びまして「寅さんと港町」、酒田港で水揚げされた魚を持っていって物産市、山形県内の小学生、幼稚園児に未来の港を描いてもらった展覧会。それとシンポジウムを同時進行しました。余談ですが、その後すぐ山田洋二監督が鶴岡に行って見たいとおっしゃり、車でお連れしたんですが、その後藤沢修平の「たそがれ清兵衛」を作るきっかけにもなりました。もし、この会が無かったらあの映画は生まれてなかったかも知れません。
 翌年も同じく、山形でシンポジウムを行いました。平成14年からは、酒田港を実際に見てもらおうということで、内陸の人達から酒田に来て頂いて、記念講演、シンポジウムを行っております。平成15年は、今度は東北地方の港で活躍している女性達を招いて、女性だけのシンポジウムを行いました。私が担当しているのは「みなとこども絵画展」なんですが、絵をご覧頂けますか。「未来の港」という題で描いてもらった絵なんですが、右側が酒田の子供の絵、左が山形よりも山よりに住む内陸の子供の絵、この違いがお分かりいただけますか?
 メンバーの中に、海外の教育者とのパイプを持った方がおりましたので、その方を通して、海外の子供達の絵を集めてみました。左側が海に囲まれているニューカレドニアの子供たちが書いた絵です。右がアメリカのサウスダコタの書いた港の絵です。海を見たことが無いから、港と言うのは湖や池にボートが浮べてあるのが港だという発想しか生まれない子供の絵です。この他、中国の子供達の絵です。実は、ネパールにもお願いしましたが断られました。「海や港を見たことが無いのに描けない。」子供達は正直なんです。実際に見たことがないと描けないんです。
 次は、酒田から60キロほど離れた新庄市、山の子供の絵です。あまりにも海から遠いのに、よく描けているなと、表彰式の際にお父様にお聞きしましたら、お父さんが釣りが好きで毎週家族で酒田にやって来ているんだそうです。なるほど、と思いました。
 次が、新庄より山の中の大石田の子供達の絵です。大石田の子供達の絵が賞を総なめにしました。メンバーの一人が大石田にいるのですが、子供たちを車に乗せ、何度も酒田に来て海を見せ、描いてもらった絵なんです。本当に子供って正直だなあと思います。
 こういったことをやって、気がついたんですが、表彰式には、子供ひとりに、兄弟と両親、祖父母も一緒に家族ぐるみでやって来てくれるというのが分かりました。これからのPRは、大人を対象にするのではなく、将来の大人になる子供達に向けて情報を発信して行かなければならないなあということで、昨年から始めた取り組みがあります。子供部会を3つに分けて私が担当していますが、どうやったら楽しく海に触れてもらえるかを考えました。まず、船による酒田港の見学、漂着物を使った工作、海岸清掃、海洋センターを見てもらう。砂浜で水で遊びながらチーム対抗でサンドクラフトを作ってもらう。と計画しました。
 海の子供1に対して、山の子供を集め、グループ分けをし、ゴチャゴチャになって一緒に遊んでもらうという企画です。そして、ここがポイントですが、「子供の安全の為ですから、保護者同伴でお願いします」ということもお願いしました。子供一人に大人がついてくるんです。そうやって、情報を発信したら良いんではないかなと考えました。ところが待ちに待った当日は、雷付きの大雨になり外での活動は中止になりました。シャベルもバケツも用意していたのに、行けず終いでした。それで、海洋センターを中心に、船に乗ったり見学したりしました。人数が多いので、3班に分けました。大人の方でも船に乗るのが始めてだと言う方が多くて本当に楽しそうでした。海洋センター見学です。皆さん御存知の工作の時間です。子供達の目がきらきら光っております。ところが、大人たちがそれ以上に輝いておりまして、楽しいことは年齢は関係ない、とわかりました。
 実はこの会に参加していただいた子供達には、宿題をお願いしました。ここに参加して感じたことを絵や詩に表して欲しいと。そうしましたら、大雨でいろんな物が流れてくるのを船の上から見て、感じたこどもの絵がありました。自分達の町にあったはずのゴミが川に乗って流されて、海に届くのだ、ということをちょっと考えさせられた、という子供の作品です。船に乗れたことがとっても楽しかったようですね。沢山の作品が寄せられております。そして、子供達が喜んだのは言うまでもないのですが、大人達がそれ以上に喜んで、来年も、ぜひ参加させてほしい、スタッフでいいから参加させて欲しいと言われております。
 これから、今年のプランを考えるのですが、どうやって楽しく、遊びながら学習したり、清掃したりできるかなあ、ということ。まず、義務ではなく楽しく海に触れて欲しい。波の音を聞いて欲しい、匂いをかいでほしい、なめて欲しい、そう思っております。今後の活動として、私の受持つ子供部会では、こういったことを通して海辺の自然体験、港や海岸のゴミ問題に対する体験、それを義務ではなく、遊びながら学習して欲しい、と考えています。昨年から酒田市内の2校の総合学習ですでに始まっておりますが、鳥の達人、土の達人、水の達人、植物の達人、それに私達も参加し一緒になって学習を始めております。
 酒田の平野の米を守るために本間宗久、先人が植えた黒松が、松食い虫や、風によってかなりの倒木があるので、それを守るためにと黒松を中心にした総合学習も同時に行われています。
 港町に対する活動。既設施設、これは旧国立倉庫なのですが、大きな倉庫です。大正時代に建てられた鉄筋コンクリートの倉庫なのですが、老朽化が進みまして、これをゴミにするのではなく、これを活用して何かできないかといろんなことをやっております。港に関するシンポジウムなども一緒に行って行こうかなと思っております。酒田の港がリサイクルポートに指定されましたので、それに関連した循環型社会形成に向けた、リサイクルの勉強会もやっていこうと思っています。
 では、少し酒田の街を案内したいと思います。山居倉庫、今も現存して活躍している米の保管庫で、おしんの撮影にも使われたかと思います。写真家の土門拳記念館。建物も凄いですが、迫力ある写真も素晴らしいものがあります。日本一の大地主といわれた、本間家の旧本庭。井原西鶴の日本永代蔵に出てくる廻船問屋、旧あぶみや、これは開放されております。
 20数年ほど前に、酒田大火があったんですが、酒田は本当に風の強い街で、5年に一度、7年に一度、昔は何千件と焼ける大火が続いたんです。それでも酒田は発展してきた。廻船問屋の力、酒田の町民の力に感心しておりますが、昭和の酒田大火の後は酒田市民がちょっと元気が無い。励ましをしていただくためにも、いいものも残っておりますので、ぜひ酒田に来て欲しいと思っております。
 山形県各地で、酒田でも雛人形の展示を行っております。様々な祭り、催し物を通して、酒田を生き生きした街に、良い港にするためにということでこれからも活躍して行こうと思っております。是非是非、酒田にお寄りください。お待ち申しております。短いですが、これで私の発表を終わらせて頂きます。どうもありがとうございました。
 
 
 
 
 
 


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