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新たな概念「海を護る」に基づく
アジア地域での国際協力の実現に向けて
河野真理子
早稲田大学法学部教授
 
概要
 新たな概念「海を護る」は、これまで個別の分野に分けてとらえられてきた海洋の安全保障を総合的にとらえようとする点で大きな意味があると考えられる。国連海洋法条約の締結後20年以上が経過し、個別分野に分断化された海の規則の限界を認識した議論が盛んになる中で、国連海洋法条約の規定にもしばしば用いられている「国際協力」の意味を改めて検討しなければならない。
 
 アジア地域では、現在、非国家間のレベルでの国際協力や各国の国内法制度の整備が発展しつつある。しかし、海を護るためには、非国家間の国際協力に加えて、国家間の国際協力を強化することも求められる。アジア地域では、国家主権の尊重や各国の制度の多様性が国家間の国際協力の実現の障壁となっていると考えられる。
 
 しかし、「国際協力」という言葉は多様な意味と内容をもつ。最も緩やかな国家間の国際協力体制として、条約によって、共通の目的を設定し、その目的の実現状況を検証するための国際的な手続を構築することが、アジアの現状に最も適切な国際協力のあり方と考える。
 
 海洋の利用が多様で、かつ海洋への依存度の高いアジア地域から、新しい海洋のとらえ方を提言していくことは、将来に向けて「海洋」の国際的な地位を考える上で、重要な意味を持つ。また、アジアからの主体的な発信をしていくことは国際社会におけるアジアの新しいあり方としても評価されるべきである。「海を護る」という概念をどのように根付かせていくかが今後の課題となろう。
 
新たな概念「海を護る」に基づく
アジア地域での国際協力の実現に向けて
河野真理子
早稲田大学法学部教授
 
1. はじめに
 2002年と2003年の2回の会合において議論されてきた「海を護る」という総合的な概念は、これまで個別の分野に分けて海洋をとらえてきた視点を統合し、海洋に関わる事象全体をとらえようとする点に意義があるといえる。
 
 従来の海洋法の基本的な考え方の一つの特色は、水域を領域と公海、さらに国連海洋法条約以降は、公海をその機能によってさらに排他的経済水域や、大陸棚、深海底に区別したうえで、それぞれの水域に妥当する原則を考えるというものであった。また、海洋の保全は、その資源の保全・管理、漁業、環境保護などの分野別にとらえられ、さらに、これらの大きな分野の規則は、個別の生物資源、鉱物資源、個別の地域、あるいは海洋と関連する種々の人間活動など、細分化された個別分野の規律を目的とする規則として発展してきた。
 
 国連海洋法条約は、海に関わる事象の全てを一つの文書で扱い、しかも留保を許さないという点で、新しい海洋秩序の構築を目指した条約であり、個別分野を別途規律するというアプローチに新たな視点をもたらしたことは事実である。しかし、それぞれの規定の内容は、上記の水域や分野の区分を前提としたものであって、全体の規則を統括し、調整するような総合的な原則が明示されているわけではない。海洋法条約締結後20年以上が経過し、それぞれの規定の適用上の問題点が明らかになってきている。特に注目されるのは、海洋法条約に規定された個別分野の原則を越えた生態系全般の保全や、海域を越えた広い海域での国家間協力の必要性、海洋全体のガヴァナンス、広範囲の海域のエコシステム(Large Marine Ecosystems)の保全といった概念などが提示されるようになっていることである。これは、従来の分断的な規則だけでは不十分で、それらを調整する規則の必要性が認識されるようになっていることの証である。国連海洋法条約にしばしば言及される「国際協力」という文言の意味が改めて問われていると言い換えることもできるのではないだろうか。1
 
 アジア地域の海には多くの生物が生息し、また多様な意味で住民の海洋への依存度が高い。さらに漁業と海運という面で、この地域の重要性が広く認識されていると同時に、これらの分野に関連する問題が多いことも否定できない。このような中で、この海域に何より必要なことは、一つの統合的な理念を軸とする国際協力であるといえよう。そのために現在アジア地域で必要な国際協力のあり方について国際法の観点からの検討を試みる。
 
1 国連海洋法条約で国際協力の義務を課す規定の基本的な意味や目的については、以下を参照のこと。M.C.W. Pinto, "The Duty of Co-operation and the United Nations Convention on the Law of the Sea," in A. Bos and H. Siolesz, Realism in Law-Making, Essays on International Law in Honour of Willem Riphagen (1986), pp. 131-154.
 
2. 国際協力を担う主体
 過去2回の会合で、PEMSEAの活発な活動、IMOの主唱によるマラッカ海峡の安全の確保のための国際協力体制の構築、各国の海軍の共同軍事演習などが紹介され、アジア地域において、非国家主体による国際協力が効果的に機能していることが明らかになった。これらの事実は、多くの著書で論じられる、非国家主体間のレヴェルでの国際協力の有効性を証明するものであり、今後もさらなる発展が望まれるものであるといってよい。このような国家という形式を越えた国際協力は、多様な国内制度を持ち、調和を尊ぶというアジア地域の政治的、文化的背景に根ざしたものであり、それによって柔軟で実際的な活動が可能になっていることを考えると、今後もさらに促進し、発展させていくことが必要であると考えられる。
 
 また、韓国の海洋省の設立やインドネシアの海洋に関する国内法の整備など、各国の国内法の整備状況に著しい発展があることも、この会議の報告で示されたとおりである。国連海洋法条約以降、アジア諸国でこの条約を実施するための国内法の整備が進んでいることは、それぞれの国の海洋法への関心の高さを示すものであり、高く評価されるべきである。
 
 こうした非国家主体間の国際協力の進展や国内法制度の整備に比べて、アジアで必ずしも進展していないのが、国家を主体とする国際協力体制の構築である。しばしば指摘されてきたように、各国が国家主権を尊重する立場をとり続けていることがアジア地域における国家間の国際協力の障壁となっている。また、アジア地域の国家の多様性も国家間で統一的な行動をとることを困難にしているといってよい。こうした国家間の国際協力の不整備を補うものとして、非国家主体の国際協力が活発になったともいってよいだろう。
 
 しかし、国家間の国際協力体制を欠く状態が続いていくことの妥当性は、非国家主体の国際協力が根付いた今、改めて検討されなければならない。アジアにおいて、主権への制限が過度になされることは適切ではないということや、アジアにおける文化や国内制度の多様性はしばしば指摘されるところではある。しかし、主として下記の2つの理由から、国家間の協力体制を構築しなければ、海を護るための効果的な措置は実現しない。
 
 第一に、今日の国際協力という概念のもとでは、国家、非国家主体など様々な主体が多様なレヴェルで協力することが求められていることが考慮されなければならない。特に「海を護る」という概念が目指す新たな海の安全保障に、海賊やテロ行為への対応が大きな位置を占めていることは重要な要因となる。海賊やテロを生む根本的な原因は陸の貧困にあり、貧困問題にきめ細かく対応するためには、NGOなどの非国家主体が極めて意味のある役割を果たすことが期待される。しかし、そうした根本的な問題の解決にすら国家による福祉政策や教育制度の整備が不可欠である。さらに、根本原因の解決と並んで、個々の犯罪行為者の確実な処罰と更正を考えるためには、刑事法やそれに伴う制度の整備と法に基づく強制力の行使が必要である。こうした立法、司法、行政という作用はいずれも国家にしか担えない機能である。
 
 第二に、国家間の協力体制を条約によって整備していくことは、アジア地域からの目に見えた国際社会への発信にも貢献しうるものではないだろうか。欧米で出版された海洋法に関する著作や論文などで、地域的な協力が検討される際に、著しく引用される事例が少ないのがアジア地域のそれである。これはアジア地域で国家間の条約に基づく国際協力体制が整備されていないことが一つの原因になっていると考えられる。多くの著作や論文では、条約によって設立された委員会や国際組織を通じた国際協力が事例とされることが多いため、国家間の条約体制の少ないアジア地域の事例が引用されなくなるのである。このことは、アジアからの発信という観点から必ずしも望ましいことではない。
 
 このような理由から、国家主権の尊重という原則を維持しつつも、非国家間の協力体制の発展を基礎とした国家間の国際協力を実現することために、国際協力のあり方を考えることが求められているといえよう。
 
3. 国家間の国際協力の内容
 国際協力という言葉は、様々な意味を持ちうる。この言葉を最も緩やかな意味で用いるとすれば、それぞれの国家の主権を尊重しつつ、ともに(co)行動する(operate)と解することができる。このように国際協力を解するならば、国際法、あるいは国際的な条約は、主権国家が共に行動するための共通の目的を設定することが第一の任務となる。そして、その目的の達成のための方法の選択や国内での実施方法は各主権国家に委ねた上で、その履行状況を検証する手続の仕組みを設けるということが第二の役割となる。
 
 国際協力という言葉をこのような意味で解する限り、主権国家の国内法制度や、各国が主権を及ぼして統治する領域とその内部の人に対する規律の内容はあくまで各国が独自の判断で決定することが認められることになる。こうした緩やかな国際協力のもとでは、共通の目的達成のために時間がかかるかもしれないし、またその目的が達成されたとしても、各国に等質な効果をもたらす保障が必ずしもないという問題が残されることになる。
 
 緩やかな国際協力と対極には、最も発展的な国際協力の形式として、共通の目的のために統一的な規則や基準を条約上の義務として設定し、その履行確保も国際的な手続によって行うという方法がある。バルト海2や黒海3の環境保護条約の場合はこうした発展的、かつ統合的な国際協力体制が条約によって構築されている。これらは、共通の規則や基準を実施するための基盤がある地域で実現されうる国際協力体制であるといってよい。
 
 現在のアジアの状況から見れば、国家間の条約によって最も緩やかなタイプの国際協力体制を構築することが望ましいと考えられる。現代的な意味での緩やかな国際協力体制のもとでは、共通の目的の設定とその実現に向けた各国の取組の検証のための国際的な手続の整備が最も強調される。具体的には、まず第一に、個別の分野で共通の目的が設定されなければならない。このプロセスでは、「海を護る」という統合的な概念が議論と出発点となりうるであろう。そして第二に、その目的の実現に向けた各国の取組の検証のための国際的な手続が必要となるが、その手続は過度に各国の国内法制度に影響を与えるものであることは妥当ではないだろう。一つの方法として、国際的に設定された目的の実現のために各国が委員会や研究所などの国内機関を設立することを義務とし、これらの機関を通じてモニタリングや情報交換を実施することとする。モニタリングは、各国の海洋の状況についての科学的なデータの収集を目的とするものであり、情報交換は、国内法や国内制度の整備状況と、環境や犯罪などの分野について情報を共有するためのものである。
 
2 Convention on the protection of the marine environment of the Baltic Sea (with annexes), 9 April 1992, U. N. Treaty Series, No. 36495
3 Convention on the protection of the Black Sea against pollution (with annexes and protocols), 21 April 1992, U. N. Treaty Series, No. 30674.
 
 環境保護や漁業の分野では、各国の国内機関により、国際的な基準や方式による、定期的かつ恒常的なモニタリングが行なわれ、その結果が共通の書式にまとめられる。これらのモニタリングから得られた科学的な情報が各国内機関 に公表も可能な形で蓄積される。このようなモニタリングを実施していくことによって、各国間での技術協力や技術移転、そして研究協力が促進されるであろう。また、モニタリングにより実態を恒常的に把握しておくことは、何らかの危機を予測し、予防措置をとるために有効であり、さらに緊急事態への適切な対応の実現にも貢献するであろう。さらに、この分野では、必要な要件を満たすNGOや個人の研究者も含め、誰もがこれらのデータにアクセスすることができるような体制を整えることも必要となっていくであろう。こうして様々な主体がデータにアクセスすることを可能にすることによって、国際的な海洋研究や国際交流も促進されることになるのではないだろうか。そして、このような協力が拡大していくことで、将来的には国際的な委員会によるモニタリングや、各国の国内機関の共同のモニタリングの実施なども可能になっていくであろう。
 
 情報交換を行うことによって、モニタリングのように科学的なデータにとどまらず、各国の関係立法や海洋関係の国内的な措置についての情報を相互に交換し、共有することが可能になる。こうした情報は、国家間で相互に協調的な政策を策定する際に有益であろう。
 
 特に、海賊やテロ行為については、各国が設立した機関が犯人や犯罪行為についての情報を共通の書式を用いて蓄積し、必要に応じてそれらの機関の間で情報交換を行うというような手続の構築が求められるだろう。国家という機構を通じることによって、こうした委員会や研究所を恒常的に維持し、かつ国際的に交換可能な形で情報を蓄積していくことが実現するのではないかと考えている。
 
4. おわりに
 海洋の利用が多様で、かつ海洋への依存度の高いアジア地域から、新しい海洋のとらえ方を提言していくことは、将来に向けて「海洋」の国際的な地位を考える上で、重要な意味を持つ。また、アジアからの主体的な発信をしていくことは国際社会におけるアジアの新しいあり方としても評価されるべきである。「海を護る」という概念をどのように根付かせていくかが今後の課題となろう。


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