日本財団 図書館


吟剣詩舞の若人に聞く 第70回
加賀裕人くん
 
加賀裕人くん(十一歳)愛知県安城市在住
(平成十六年度全国剣詩舞コンクール決勝大会剣舞幼年の部優勝)
母:加賀裕美子さん
師:近藤清峰さん
家元:杉浦容楓さん(北辰神明流分家剣詩舞)
チャンバラ大好きな負けず嫌い。
剣舞は天職
 穏やかな性格ながら、人一倍の負けず嫌いな加賀裕人くん。初出場でありながら剣舞幼年の部で優勝を果たした彼とご家族に、師と家元を交えて剣舞のことなどをお聞きしました。
 
――裕人くんはいま、何歳ですか?
裕人「誕生日がきたので、十一歳になりました」
――コンクールに出たときは十歳だから、幼年の部ですね?
裕人「はい、そうです」
――全国大会には何回か出ているの?
裕人「いえ、初めてです」
――初めてで優勝はすごいね?
裕人「いや・・・」
杉浦「いやじゃないでしょ、すごいことですよ」(笑)
――優勝して、名前を呼ばれたときの感想は?
裕人「・・・」
裕美子「本人は、知らんふりしていましたね」(笑)
近藤「僕のほうが舞い上がりました」
――今回の結果を、ある程度期待していましたか?
近藤「はい、期待していました。それなりのことを、お家元も私も彼に要求してきましたから。しかし、優勝とは思いませんでした。ビックリしました」
――今度は少年の部になるけど、挑戦するの?
裕人「先生に言われたら挑戦します」(笑)
近藤「お家元と相談させていただき、これからどのように進めていくか、今後の課題とさせていただきます」
――いつから剣舞を習いだしたの?
裕人「幼稚園の五歳からです。おばあちゃんは日舞をしていましたが、男の子なら剣舞の方が似合っているということから、勧められて始めました」(笑)
――五歳では剣舞というものを知らなかったでしょ?
裕人「はい、わかりませんでしたが、刀を触ったらやってみたいと思いました」
近藤「最初は練習に来たのはよいのですが、お母さんの膝からぜんぜん離れなく、泣いてしまっていましたが(笑)、どうも刀に興味があったようで、刀を見せたところ練習をやるようになりました。それがスタートですね」(笑)
――お母様としては剣舞を習うことはいかがでしたか?
裕美子「はじめは特に習わせようとは思っていませんでしたが、刀を見たらやりたいといいましたので、本人の気持ちを尊重してやらせました」
――刀が好きなの?
裕人「なんとなくカッコいいから」(笑)
――練習は最初から近藤先生に教わったの?
裕人「はい、そうです」
――裕人くんの最初の印象はいかがでしたか?
近藤「当時はまだ積極的に練習をするほうではありませんでしたが、意識が出だしたのが七歳ぐらいからでしょうか。私も意識が出るまでは遊びだと思っていますから。出だしてからが本当の練習になると思います」
――初めの頃、嫌々だったのは、みんなと練習するのが恥ずかしかったの?
裕人「もう、覚えていません」(爆笑)
 
なごやかな雰囲気でインタビューに応える(写真右より)師の近藤清峰さん、加賀裕人くん、母の加賀裕美子さん、杉浦容楓分家家元
 
――どんなところから教えられたのですか?
近藤「子供が理解できる『一寸法師』とか『桃太郎』など、いわゆる童謡の世界を取り上げて、その中で動きなどを教えるようにしました。また、先ほども出ましたが、おばあ様が日舞の名取でして、舞台で踊る姿を見たりして、自分も舞台に出るようになると、人から注目されるスター的な気分で(笑)、剣舞を意識的に練習するようになってきました。話は余談になりますが、不思議な縁と申しましょうか、裕人の担任がお家元の甥っ子さんで・・・」
杉浦「小さなとき、剣舞を教えたことがありまして、なかなか上手でした」
近藤「そんな環境の中で、裕人も徐々に意識して剣舞と取組むようになってきましたね」
――舞台に立って恥ずかしくはなかった?
裕人「恥ずかしかったけど、楽しかったような気もします」(笑)
――杉浦先生は、いつごろから裕人くんをご覧になっていますか?
杉浦「コンクールに出したいと相談を受け、近藤先生のほうへ来させていただいてからということになります。裕人くんと会ったときは、すでに十歳になっていましたか――ら、基礎的なことは十分にできていましたし、よくやる子だなという印象を持ちました。ダイアモンドの原石だと感じましたね」
――いつからコンクールに出そうと思われましたか?
近藤「コンクールが行なわれる一年前からです。その頃から裕人にも意欲が見えてきました。コンクールに出すということは、厳しい練習に耐えなくてはいけませんから、場合によっては本人にとってマイナスになることもあります。でも、裕人はそれに耐えられる子でした」
 
師の近藤清峰さんより指導を受ける加賀裕人くん
 
――練習は厳しかった?
裕人「コンクール前はかなり厳しくなりました」(笑)
――自分としてもコンクールに出たいと思ったの?
裕人「特に出たいとは思いませんでした。先生が言ったから」(爆笑)
――コンクールに出た感想はある?
裕人「すごく緊張しました」
近藤「悔しい思いもしたよね」
――それはどういう意味ですか?
近藤「愛知県大会で負けて、準優勝でした。それから中部大会で優勝して全国大会に行きましたが、一回負けたことが逆に励みになったと思います」
――「青葉の笛」を選ばれた理由は何ですか?
近藤「お家元に相談させていただいたときに、顔立ちを見まして『青葉の笛』がいいだろうということで」(笑)
杉浦「曲の中から選べば、『青葉の笛』が一番あっているように思えました。それで振りをつけましたが、そのときの振りが杉浦英容の振りでしたから難しかったと思いますが(笑)、一生懸命振り付けをさせていただきましたし、この子も懸命についてきてくれました。努力型の子ですね」
 
(写真右より)近藤清蜂さん(師)、加賀裕人くん、加賀裕美子さん(母)、杉浦容楓分家家元
 
――努力型だとおっしゃっていますが、母親から見ていかがですか?
裕美子「コンクールの練習が終わると、帰りの車でよく泣いていましたね。それで、辞めるのと聞きますと、辞めないと答えました」
――何で泣いたの?
裕人「できないと悔しいからだったと思います」
――負けず嫌いなの?
裕人「・・・」(笑)
近藤「そうだと思います。この子と同じくらいの子がいますが、一緒にやらしてもリーダー的な動きをしますね。たしかに、ひとつの振りができないと、誰でも悔しいと思いますが、とくにこの子は悔しいのではないでしょうか」
裕人「何日かかってもできないと悔しいです」
近藤「お家元が我々に教えるのは、振りよりも気持ちの問題、詩心のことで、それをとても厳しく言われます」
――しかし、この年齢では難しいでしょう?
近藤「それでもお家元は、それを要求されますね。だから、僕はやっているのに、という気分になるのではないでしょうか。でも、私たちから見るとできていない、微妙に違っているのです。できたときには、彼も私も喜びました」
――そうした厳しさの中で、辞めない理由は何だろう?
裕人「やはり刀を振り回すのが好きだから」(笑)
――チャンバラごっこが好きなのだ?
近藤「そうです」(爆笑)
裕人「新選組とか、大河ドラマは大好きですし、歴史も好きです」(爆笑)
近藤「この子は、練習が終わると歴史の質問が多くて、夜中の十二時くらいまで話したときがありました。帰りなさいといっても、なかなか帰らなくて」(笑)
裕美子「好きなことは徹底していますが、興味がないと見向きもしませんね」
――裕人くんに、皆様から何かアドバイスはありますか?
裕美子「本人が楽しくできて、そのサポートを私ができればいいかなと思います」
近藤「一生続けられるような心の糧として剣舞をとらえ、そのためには無理をせず、勉強のときは勉強をすればよいのであり、剣舞をしてきたことが喜びとなるように育てたいと思います」
杉浦「私にとって孫弟子ですからとても可愛くて(笑)、このまま素直に育ってほしいですし、楽しんで剣舞と取組んでくれたらいいなと思います。また、近藤先生の道場はとても礼儀正しくやっていただいているもので、そのまま行けばいいのかなと思います」
――最後に裕人くんから、抱負などを聞かせてください。
裕人「これからも剣舞を続けていきます」
――本日はお忙しい中、インタビューにお答えいただきありがとうございます。これからの裕人くんの成長を楽しみにしています。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION