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'05剣詩舞の研究◆9
群舞の部
石川健次郎
 
剣舞(群舞)「兵児の謡」
詩舞(群舞)「墨水秋夕」
剣舞(群舞)
「兵児(へこ)の謡(うた)」の研究
末松青萍(すえまつせいひょう) 作
〈詩文解釈〉
 兵児とは鹿児島地方で若者のことをいう。この地方には古くから「兵児歌」と称して、血気盛んな若者達の様子が俚謡としてうたわれてきたが、頼山陽はこの俚謡をもとに、島津藩の若者達(薩摩隼人(さつまはやと))を讃えて「前兵児の謡」を詠んだ事は有名である。
 ところでこの「兵児の謡」は作者の末松青萍(一八五五〜一九二〇)が西南戦争に従軍したことから、頼山陽に習って、明治初期の薩摩隼人、即ち西南戦争の折の薩軍(西郷軍)の兵児達の意気と勇敢な行動をたたえて詠んだものである。詩文の意味は『戦いは、勝てば官軍として世間から賞賛されるが、負ければ賊軍の汚名を残すことになる。いやしくも男たるものは率先して困難に立ち向かい、これに勝たなければならない。西南戦争の折には、薩軍は突然夜明けに鹿児島を出発し、夕刻には雄叫(おたけび)を発して太郎山(薩摩と肥後の国境にある山)の峰を過ぎた。眼下には熊本城が小さく見えたが、兵児達はあれしきの城を攻略するのは朝飯前だと思った。丁度ここからは南と北に通じる敵の関門が良く見えるが、先ずこの関門を打ち破れば、敵はひとたまりもないだろう』というもの。
 
〈構成振付のポイント〉
 詩文からもわかるように、西南戦争当時は勝つこと即ち正義といった考え方があった。従って格調高く勝利の剣技を展開したいので演者の性格は三人とも薩軍の兵児達として、主従関係ではなく同輩の扱いがよい。まず作品の導入部となる前奏から一句・二句目は詩文には拘束されず、剣技によるダイナミックな揃い振りの数々を展開するのが得策である。三・四句は出陣から先陣を争って、山形の隊形になる移動の変化に工夫を見せて欲しい。五・六句は山頂から見た熊本城を攻撃の対象とすることになるので、例えば城を二人が背中合わせで表し、他の一人が遠巻きにからんだ動きから、二人を分断して南北の関門になぞらえた振を展開する。最後の七・八句は再び激しい攻めの刀法で隊形変化を見せながら退場すればよい。
 
薩軍出陣の図(錦絵)
 
〈衣装・持ち道具〉
 合戦振りが主となるから稽古着または黒か茶か白紋付との重ね着がよく、女性もこれに準ずる。鉢巻とたすきは必要。扇を使用する場合は地味なものか、薩摩の紋所(丸に十字)がよく、これなどは先陣争いの旗に見立てることも出来る。
 
薩軍軍旗
 
詩舞(群舞)
「墨水秋夕(ぼくすいしゅうせき)」の研究
安積艮斎(あさかごんさい) 作
 
〈詩文解釈〉
 表題の「墨水」とは隅田川のこと。さて作者の安積艮斎(一七九一〜一八六〇)は福島出身の儒者で美文調の漢詩家として名高い。この作品は彼が官学である昌平黌の教官だった頃、当時、攘夷だ開港だと騒然とした世情にわずらわされていた自分の心を癒そうと、隅田川の晩秋の夕景を眺めて詠んだものである。詩の内容は、『霜の降りる晩秋になると、隅田川の流れはいよいよ澄んで美しい。自分はこうした場所に詩情を求めて、晩酌後に杖をたよりに訪れる。河原の芦はすでに黄色く枯れ弱々しく風になびいているが、一方空を見上げると雁が天高く鳴き渡り、あたかも月から鳴き声が聞こえてくるように思われる。また沿岸の松林の中に、ぽつんと建った社(やしろ)からは、ほのかに燈火(ともしび)が見え、さらに靄(もや)にかすんだ川面(かわも)を往く船からは人の話し声だけが聞こえてくる。ところで自分は常に故郷に帰って自然の中で暮らしたいと思っているが、あくせくしている今の身の上ではそれもかなわず、せめてこの隅田川の澄んだ流れを見て心を清めたいと思う。』というものである。
 
隅田川秋月(川端玉章筆)
 
〈構成振付のポイント〉
 舞踊構成のために詩文の組み立てを見直してみよう。
 まず一句目は隅田川の現況、二句目は作者の状況、三は枯芦と風、四は雁と月、五は松林に見える燈火、六は靄の中の舟から聞こえる人声、そして七・八句は作者の心境で結んでいる。これを分類すれば、作者が見た情景と、作者自身の状況、それに作者の心境から成り立っていることがわかる。
 さて次にこの様な作品を群舞として舞踊構成する場合の人員配置を、コンクール規定の五名で考えてみよう。まず基本的には、一人の作者に対して、情景描写やその他を四人が受け持つ割り当てが妥当であろう。この場合の一例を述べると、前奏から一句目にかけて川の流れを四人が扇で表現し、二句目にかかって作者が反対方向から杖(扇)を突き風景を眺める形で登場し両者が一対四の構図をつくる。三句目は作者が風のモチーフ(主題)を演じ四人の芦と絡む(からむ)。四句目は作者が月のモチーフでその回りを四人が雁の隊形をととのえて転回する。五句目は全員を程よく配置して、それぞれの居場所で抽象的な静寂感の振りを考案する。六句目にかかると作者役は船頭の身振りで四人の流れを縫って櫓をこぎながら退場する。七句目は残った四人が揃い振りで、心を開く様な能のユウケンの型をアレンジする。八句目にかかり再び作者役が二句目と同じ様に四人の川の流れと合流して一対四の構図を作って、後奏の退場につなげる。作者の人物表現には具体的なしぐさも必要だが、八句目の「我が纓を濯うべし」の詩文を、そのまま冠(かんむり)のひもを洗うような振りは避けたい。
 
〈衣装・持ち道具〉
 着物はグレー系か薄い茶系のもので、作者役一人を別にするならば、やヽ濃いものにする。袴は調和のとれた色の無地で全員揃えたい。扇は銀又はべージュ系の地に霞模様などがよく、振付によって二枚扇も考えられる。
 
今月の詩(4)
平成十七年度全国吟詠コンクール指定吟題から
【幼年・少年・青年の部】(絶句編)(4)
鸛鵲楼に登る  王之渙
 
【大意】 鸛鵲楼に上って、雄大な景をうたった詩。前半二句、後半二句がそれぞれ対句になっている(全対格)。この鸛鵲楼から眺めると、いましも日は赤々と、黒い山なみの向こうに沈み、目の下には滔々たる黄河の流れが、北からこの地で東へと曲がり、海に注ぐ勢いで流れている。この雄大な眺望をさらに遠く千里の向こうまでもきわめようと、もう一階上に上った。
 
【一般一部・二部・三部】(絶句編)(4)
涼州詞  王之渙
 
【大意】 黄河をずっとさかのぼって、はるか上流の白雲のたなびくあたり、ぽつんと一つ、とりでが高い山の上に立っている。折から吹く羌族の笛の音は、「折楊柳」の曲を哀切に奏でているが、そんな曲は吹く必要はないぞ。それを聞いても悲しくなんかない。なぜなら、ここ玉門関までは春の光がやって来ないのだから(柳が芽吹くこともない、春の芽吹くころの別れをうたう歌を吹いたって、こっちは関係ない)。
(解説など詳細は財団発行「吟剣詩舞道漢詩集」をご覧ください)


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