吟詠家・詩舞道家のための
日本漢詩史 第15回
文学博士 榊原静山
鎌倉、室町時代の展望
―(一一九二〜一六〇三)―【その六】
天皇親政から室町幕府へ
しかし、このように多くの忠臣が血を流して死守した南朝も、五十七年にして足利義満の申入れで和議が成立して、千三百九十二年には南北合体し、足利幕府として、全国統一が形式的に完成するのである。
さて、室町時代の特徴として、第一に挙げられるのは能、狂言である。
能というのは、謡(うたい)と舞と囃子の三つで組立てられた音楽舞踊劇であって、田楽の能と、猿楽の能と二系統ある。
田楽も猿楽も平安朝の宮廷的な舞楽に対して生まれた民間芸能で、田楽は農村の農耕神事に結びついて生まれ、猿楽は中国から伝わったもので、戯楽や物真似、雑芸、奇術などが発達してできたもので、いわゆる散楽がなまって猿楽の字になったといわれている。
鎌倉時代から、これを行なう芸人達が一座を組んで各地で上演したもので室町時代では猿楽が非常に流行し、特に奈良の興福寺や春日神社を本所として祭礼に奉仕する大和四座(観世、宝生、金剛、金春)が最も有名で、そのうち観世座の観阿弥(一三三三〜一三八四)その子世阿弥(一三六三〜一四四三)という二人の名人が出て、将軍義満の保護のもとに幽玄な芸風と舞踊的な田楽の長所、他のいろいろの猿楽の風格を入れ芸術性の高い猿楽能(略して能)を大成し、世阿弥は“花伝書”という芸術の奥義としての理論を体系づけた書を書き、もともと庶民芸能として生まれた猿楽が、室町幕府の最高位の芸術となり、今日もなお日本の古典芸術の最も重要なものの一つになっているのである。
狂言は、滑稽な軽い喜劇で、能が表徴的な表現で演ずるのに対して、狂言は写実的な動作を行ない、能は幽玄な風格を持っているのに対して狂言は至って庶民的に大名、僧侶、公家、山伏などを風刺し、能は謡と囃子を伴奏に演ずるが、狂言はせりふを多く用いて行なうもので、上演の場合は能と狂言を交互に演ずることになっている。
次に挙げられるのは茶の湯、生花が生まれたことである。茶の湯の道は、将軍足利義政の頃、村田珠光(一四二二〜一五〇二)が出て禅の心を心とし、庶民的な簡素の中にも静寂を宗とする“わび茶”を始め、武野紹鴎がこれを継ぎ、桃山時代に千利休が大成したものであるが、これが茶だけでなく、茶室が生まれ、庭園といい建築といい、金閣寺を見ればすぐわかるように、この時代そのものもわびという語で尽きるほど、この時代のものは幽玄そのものである。
また花道も、この時代におきている。もちろん花の美しさを観賞するということは、人類の発生の昔からあったのであろうが、花をただ見るだけでなく、いかにしたら花を美しく見せることができるかを考えて、一つの芸術的な観賞物として工夫をこらして、いけられるものが立花である。こうした花道家として義政に仕えた立阿弥、台阿弥などの人や、京都六角堂の池の坊専慶などが出ている。
足利の八代将軍を千四百四十三年に義政が継いだが、もうこの頃には室町幕府の財政は窮迫し、威光は地に落ちてしまい、各地の大名は互いに紛争を重ね、土民達は土一揆という暴動を起こし、下剋上(げこくじょう)といって主従の道徳が乱れ、上下互いに争うようになる。
それに加えて次代将軍の後継問題が絡んで細川勝元(一四三〇〜一四七三)と山名宗全(一四〇四〜一四七三)の二大勢力が対立して、千四百六十七年、応仁元年に京都の町を舞台に戦端を開いてしまい、これに野望を抱いた諸国の武士達が京都へ集まり、総勢二十七万といわれるつわものが、東(勝元)、西(宗全)軍に分かれて戦い、そのうち勝元も宗全も死んでしまうが、戦いはそのまま続けられ、内裏をはじめ公家や武家の邸宅や、由緒ある社寺も戦火で焼かれ、京都の町は一面焼野原になってしまい、十一年目にようやく戦火は消えるが、各地武将が蜂起して、戦国時代に入り、百年も続くのである。
第37回全国吟剣詩舞道大会(11月14日、日本武道館)午前の部で行なわれる全国吟詠合吟コンクールの出吟順が、出場団体代表者会議での抽選で下記のように決まりました。
平成16年度全国吟詠合吟コンクール出場団体(出吟順)
順番 |
吟題 |
作者 |
団体名 |
性別 |
1 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
朝翠流朝翠会本部 |
女子 |
2 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
吟亮流吟風会 |
男子 |
3 |
奥羽道中 |
榎本武揚 |
宮城県吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
4 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
詩吟洌風流 |
男子 |
5 |
秋思 |
劉禹錫 |
大阪府吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
6 |
山行 |
杜牧 |
神奈川県吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
7 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
日本国風流 |
女子 |
8 |
絵の島 |
菅茶山 |
契秀流吟詠会 |
男子 |
9 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
心彰流愛吟詩道会 |
女子 |
10 |
秋思 |
劉禹錫 |
吟道紘仙流 |
女子 |
11 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
心彰流愛吟詩道会 |
男子 |
12 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
社団法人日本吟道学院 |
女子 |
13 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
千葉県吟剣詩舞道総連盟 |
男子 |
14 |
秋思 |
劉禹錫 |
日本吟心流詩吟國舟会 |
女子 |
15 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
節礼吟詠会 |
女子 |
16 |
絵の島 |
菅茶山 |
吟亮流和花莱会 |
女子 |
17 |
絵の島 |
菅茶山 |
吟亮流栃木県地方本部 |
女子 |
18 |
芳野に遊ぶ |
頼杏坪 |
吟道賀堂流近畿本部 |
女子 |
19 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
吟道紘仙流 |
男子 |
20 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
社団法人日本吟道学院 |
男子 |
21 |
山中問答 |
李白 |
契秀流吟詠会 |
女子 |
22 |
勧学 |
木戸孝允 |
北海道中央吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
23 |
山中問答 |
李白 |
聖風流吟道会 |
女子 |
24 |
山中問答 |
李白 |
岳精流日本吟院総本部 |
女子 |
25 |
山行 |
杜牧 |
不朽流吟詠会 |
女子 |
26 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
詩吟洌風流 |
女子 |
27 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
東京都吟剣詩舞道総連盟 |
男子 |
28 |
中秋月を望む |
王建 |
緑崇流吟道緑水吟詠会 |
女子 |
29 |
芳野に遊ぶ |
頼杏坪 |
東道流吟道陽春白雪会総本部 |
女子 |
30 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
雪山流日本吟詠学院 |
女子 |
31 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
社団法人日本吟道学院群馬吟道会 |
女子 |
32 |
秋思 |
劉禹錫 |
聖風流吟道会 |
男子 |
33 |
日本刀を詠ず |
徳川光圀 |
栃木県吟剣詩舞道総連盟 |
男子 |
34 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
清吟堂吟友会 香川 |
女子 |
35 |
勧学 |
木戸孝允 |
墨水流墨水会 |
男子 |
36 |
秋思 |
劉禹錫 |
岳精流日本吟院渋川岳精会 |
女子 |
37 |
山行 |
杜牧 |
日本国風流 |
男子 |
38 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
日本國風流詩吟吟舞会神奈川県地区本部 |
男子 |
39 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
天洲流吟詠会 |
男子 |
40 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
大分県吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
41 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
東京都吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
42 |
奥羽道中 |
榎本武揚 |
神奈川県吟剣詩舞道総連盟 |
男子 |
43 |
山行 |
杜牧 |
墨水流墨水会 |
女子 |
44 |
山中問答 |
李白 |
岳精流日本吟院砂子岳精会 |
女子 |
45 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
千葉県吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
46 |
山行 |
杜牧 |
山梨県吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
47 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
茨城県吟剣詩舞道総連盟 |
女子 |
48 |
三樹の酒亭に遊ぶ |
菊池渓琴 |
泰洲流詩吟朗詠会 |
女子 |
49 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
雪山流日本吟詠学院 |
男子 |
50 |
秋思 |
劉禹錫 |
美声会 |
女子 |
51 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
春洋流東洋吟詠会 |
女子 |
52 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
春洋流東洋吟詠会 |
男子 |
53 |
弘道館に梅花を賞す |
徳川景山 |
朝翠流朝翠会本部 |
男子 |
54 |
夜墨水を下る |
服部南郭 |
静岡県吟剣詩舞道総連盟 |
男子 |
55 |
海に泛ぶ |
王守仁 |
山梨県吟剣詩舞道総連盟 |
男子 |
|
|