『沖ノ鳥島における経済活動を促進させる調査団』報告書 生物生産特性とその有効利用、その2
(株)水圏科学コンサルタント
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吉田 勝美,カサレトエステラ、
長濱 幸生、佐藤 加奈
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1.要約
サンゴ礁全体のバイオマス及び生産性が低い沖ノ鳥島サンゴ礁の現状を活性化する基本的な方策の検討を目的として、沖ノ鳥島海域の栄養塩類特性と生物生産量実験を実施した。その結果及び他の情報も踏まえて、サンゴ礁を活性化させ、かつ陸地造成を可能にする基本的な有効利用要素を提案した。
栄養塩類の観測では、沖ノ鳥島サンゴ礁に流入し、サンゴ礁生態系の生産を大きく左右する礁外表層海水中には非常に微量の栄養塩しか含まれていないことが明らかになり、サンゴ礁の生産性を制限している可能性が示唆された。一方、近隣には、栄養塩を多く含む深層水の存在を確認した。また、生産量測定実験では、深層水が生物生産を向上させる機能を有している可能性を示すデータを取得することができた。
以上の調査研究成果等を基に、沖ノ鳥島サンゴ礁を活性化する方策として、藻類の繁茂に特化せずにサンゴ及び有孔虫等の生産性向上となる適切な深層水利用を波当たり促進技術と共に提案した。さらには、生産性向上で供給されるサンゴや有孔虫起源の砂礫をトラップする方法が陸地形成につながる有効な手段になると考えた。
2.序論・目的
沖ノ鳥島は、熱帯域に位置する我が国唯一の領土である。また、絶海の孤島でもあり、人間社会の直接的な影響を全く受けない世界でも極めて希なサンゴ礁(環礁)である。このようなサンゴ礁自体が、非常に貴重で魅力ある研究対象であることは言うまでもない。
サンゴ礁を形成する主役はサンゴであるが、他にも多くのサンゴ礁生態系を形成している生物がいる。平成16年11月に行った第1回視察団「沖ノ鳥島の有効利用を目的とした視察団」において、当社は沖ノ鳥島サンゴ礁内の東小島近傍とサンゴ礁外・外洋で海水を採水し、含まれる生物組成と分布数を分析した。その結果、日本沿岸及び南西諸島のサンゴ礁に匹敵する生物数を観測し、沖ノ鳥島サンゴ礁は、潜在的に高い基礎生物生産力を持っている可能性が示唆された。また、一方では、沖ノ鳥島サンゴ礁に生息しているサンゴは、数及び種類とも少なく、サンゴ礁全体のバイオマスは決して多くないことも報告されている。
活性の低いサンゴ礁の生産力を向上・促進し、生産物質による陸地の造成や漁業生産等に活用するには、海洋における生物生産の起源である栄養塩類の供給が有効である。しかし、絶海の孤島である沖ノ鳥島では、陸地からの栄養塩類の供給は不可能である。また、施肥等の人為的な供給は環境保全の面で好ましくなく、利用する栄養塩類のソースは自然のものであるべきである。沖ノ鳥島の周辺海底地形は急峻で、わずかに離れるだけで水深1000m以上にも達する。すなわち、近傍には自然の高栄養塩類海水である海洋深層水が存在していることになり、この深層水を利用して適切な栄養塩を供給し、サンゴに対する波当たりの工夫等の他の方法と共に、サンゴ礁生態系の生産力を向上させることができれば、今後の沖ノ鳥島開発にとって大きな資源を得ることになる。
よって、本調査では、この近傍海洋深層水の栄養塩観測等を行って生物生産性向上の可能性を検討し、今後の調査研究及び開発方針検討の基礎資料を得ることを目的とする。
本調査の結果が今後の沖ノ鳥島有効利用施策に役立ち我が国EEZの主張に少しでも役に立てば幸いである。なお、貴重な研究機会をご提供頂いた日本財団に深く感謝する。
3.調査研究項目
(1)沖ノ鳥島海域の栄養塩類特性とサンゴ礁造礁の可能性
(2)生物生産量測定実験による深層水の生物生産特性
(3)沖ノ鳥島サンゴ礁生態系の現状と活性化の方策
(4)今後の調査研究戦略
4.調査研究内容
(1)沖ノ鳥島海域の栄養塩類特性とサンゴ礁造礁の可能性
1)調査研究方法
次の方法で、沖ノ鳥島サンゴ礁内及び周辺海域の栄養塩類を観測し、周辺深層水を利用したサンゴ礁造礁の可能性を検討した。
A.観測時期
栄養塩類の観測は、平成17年3月23日に試水をサンプリングし、冷凍保存して分析室に持ち帰り、速やかに分析した。
B.観測場所
試水のサンプリング場所は、図1に示す3地点である。サンゴ礁内は東小島、そして周辺海域としては沖ノ鳥島南西部の表層と北東部水深150mである。 なお、本来、深層水とは少なくとも植物プランクトンによる生産活動が行われる有光層・200m以深の海水を指すが、今回は機材及び時間的な制約のため水深150mの海水を沖ノ鳥島周辺の深層水として取り扱った。
図1 栄養塩類分析サンプル採水位置
C.サンプリング・分析方法
サンプリングは、各サンプリング場所の海水を洗浄したニスキン採水器を用いて採水し、滅菌済みの100mlポリビンに移した。試水の入ったポリビンは、冷暗状態で母船航洋丸に持ち帰り冷凍保存した。分析は、分析室で表1の方法で実施した。
表1 栄養塩類の分析項目と方法
分析項目 |
分析方法 |
硝酸塩(NO3) |
カドミウム還元法 |
亜硝酸塩(NO2) |
エチレンジアミン法 |
アンモニア(NH4) |
インドフェノール法 |
リン酸塩(PO4) |
モリブデンブルー法 |
珪酸塩(Si(OH)4) |
モリブデンブルー法 |
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2)調査研究結果
表1には、沖ノ鳥島海域の栄養塩類濃度を示した。沖ノ鳥島サンゴ礁が利用する栄養塩類の起源を、今回観測した礁外の表層海水と仮定する(実際の海水流動は南東から北西が主体であり、今回の沖ノ鳥島南西部の表層は厳密には沖ノ鳥島サンゴ礁が利用する海水ではない。)。礁外表層の栄養塩濃度は、硝酸塩と亜硝酸塩が合計で0.03μM/Lしかなく、アンモニアとリン酸塩は検出限界以下であった。このように、沖ノ鳥島にサンゴ礁に供給される栄養塩は極めて少なく、豊かなサンゴ礁生態系が形成されない理由となっていると考えられる。
一方、礁内(東小島)では、硝酸塩が0.11μM/Lで礁外表層の約10倍、亜硝酸塩が0.04μM/Lで同じく礁外表層の約2倍の濃度であった。このように、供給される礁外海水の栄養塩がほとんどない状態であるのに、礁内で少ないものの増加しているのは、昨年11月の第一回視察及び今回の視察でも多数観察された図2(1)に示したピコシアノバクテリアや付着性藍藻の機能によるものと考える。これら藍藻類は、貧栄養海域でも繁殖可能な機能として、大気中のN2ガスを栄養源として光合成(生産活動)を行うことが知られている。沖ノ鳥島サンゴ礁においては、これら藍藻類の基礎生産がサンゴ礁生態系を支えていると考える。そして、健全なサンゴ礁において、基礎生産を担っているサンゴや有孔虫に共生する褐虫藻は、水中の栄養塩を利用して生産活動を行うため、栄養塩濃度が低い本海域では充分な生産活動が行えず、結果的に豊かなサンゴ礁生態系を形成するに至っていないものと考えられる。なお、沖ノ鳥島サンゴ礁の栄養塩レベルの低さを実感するために、1998年に我々が観測した沖縄県宮古島の健全なサンゴ礁の栄養塩濃度と比較する。
宮古島サンゴ礁の硝酸塩、亜硝酸塩、アンモニアの合計は、礁外外洋表層で0.46μM/L、礁内の最も高いところで3.19μM/Lであった(平均1.56μM/L)。つまり、沖ノ鳥島サンゴ礁の栄養塩濃度は、これら健全サンゴ礁の礁外濃度で約1/10、礁内に至っては1/20程度しかないことになる。
このような非常に栄養塩が少ない沖ノ鳥島海域においても、すぐ近くに高濃度栄養塩の海水が存在する。それは、礁外の深層水である。今回の調査では、植物プランクトンの生産活動が行われ、栄養塩が消費される有光層の150mの栄養塩を調べた。その結果は、わずか水深150mでも表層水の約300倍の硝酸塩(2.93μM/L)、約2の亜硝酸塩(0.04μM/L)、サンゴの骨格形成にも必要なリン酸塩も0.13μM/L存在した。これら栄養塩濃度は宮古島の健全サンゴ礁生態系の濃度に見劣りするものではない。すなわち、沖ノ鳥島海域にも深層にはサンゴ礁生態系を活性化するに充分な栄養塩を含む海水が存在するのである。この海水は、豊かでない沖ノ鳥島サンゴ礁の現状を豊かな状況にするのに、充分に価値のある自然要素であると考える。
ただし、サンゴ礁の活性を高める栄養塩類は、高濃度ほど良いというわけではない。下田ら(1998)が沖縄県沿岸25地点の栄養塩類濃度とサンゴの生育状況を調べた結果では、全窒素0.1mg/L及び全リン0.01mg/L以上の海域ではサンゴの生育状況が悪いと報告している。この結果は、サンゴは貧栄養域に適した生態をしていることを意味しており、過度な栄養塩類の供給が必ずしもサンゴ礁生態系の活性化につながらないことを意味している。また、栄養塩類の供給は、サンゴや有孔虫だけではなく、海藻等の繁茂を招き、サンゴ等の生育促進に結びつかない可能性もある。つまり、沖ノ鳥島のサンゴ礁生態系を活性化し、EEZの主張につながる陸地の造成や漁業利用を可能にするには、沖ノ鳥島サンゴ礁に適した適切な栄養塩供給濃度及び方法を検討する必要があると考える。
表2 沖ノ鳥島海域の栄養塩類濃度
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硝酸塩
NO3 |
亜硝酸塩
NO2 |
アンモニア
NH4 |
リン酸塩
PO4 |
珪酸塩
Si(OH)4 |
礁内(東小島) |
0.11 |
0.04 |
ND |
ND |
1.37 |
礁外表層 |
0.01 |
0.02 |
ND |
ND |
1.19 |
礁外水深150m |
2.93 |
0.04 |
ND |
0.13 |
2.74 |
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