(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年1月26日10時45分
静岡県清水港
(北緯35度02.2分 東経138度30.9分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
貨物船エバー レーサー |
総トン数 |
53,359トン |
全長 |
294.03メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
34,421キロワット |
(2)設備及び性能等
エバー レーサー(以下「エ号」という。)は、平成6年8月広島県で建造された、夏期満載喫水12,632メートル満載排水量80,048トンの船尾船橋型コンテナ船で、船橋楼の前後にコンテナ積載区画が配置され、船首端から船橋前面までが213.4メートル船橋楼後面から船尾端までが64.8メートルとなっており、直径7.8メートルの6翼一体型プロペラ1個を有し、船首端から22メートル後方に出力1,985キロワットのサイドスラスタを備えていた。
操縦性能表によれば、平均喫水12.5メートル排水量79,000トンのノーマルロードコンディションで、航海速力が主機回転数毎分90.9で21.0ノット、港内全速力が同62で14.3ノット、半速力前進が同48で11.0ノット、微速力前進が同35で8.0ノット、極微速力前進が同26で5.9ノットとされ、半速力前進中に全速力後進をかけて船体が停止するまでの所要時間及び進出距離が7分50秒及び1,540メートルであった。また、半速力前進で航走中、舵角35度をとって90度回頭するまでの縦距、横距及び所要時間は、右旋回では820メートル、420メートル及び4分0秒、左旋回では850メートル、450メートル及び4分10秒で、サイドスラスタの効率は、速力5.6ノットの航走中では船体停止時の50パーセント、同4.0ノットでは75パーセントであった。
船橋には、ジャイロコンパスのほか、レーダー2台、自動衝突予防援助装置、GPS2台、ロランC、音響測深機及びドップラー式ログを装備していた。
3 事実の経過
エ号は、中国人船長Cほか中国人6人、フィリピン人10人パナマ人2人が乗り組み、コンテナ2,282個を積載し、満載状態に近い船首11.85メートル船尾11.95メートルの喫水をもって、平成16年1月26日02時12分京浜港東京区を出航して静岡県清水港に向かい、10時22分三保防波堤東方1.0海里の地点でA受審人を乗せ、同人のきょう導により新興津ふ頭コンテナ岸壁(以下「コンテナ岸壁」という。)に向かった。
ところで、清水港に寄港するコンテナ船は、従来、専ら袖師ふ頭及び興津ふ頭のコンテナターミナルに接岸していたが、近年のコンテナ貨物の増加に対応するため、興津第1ふ頭東側に水深15メートルの新興津ふ頭が建設されて平成15年7月から供用されていた。
コンテナ岸壁は、清水港興津防波堤灯台(以下「興津防波堤灯台」という。)北東方120メートルの同岸壁南端から053度(真方位、以下同じ。)の方向に350メートル延び、岸壁前面から南方300メートルまで及び南西方約1,100メートルにわたり幅約250メートルの水域が水深15メートルに掘り下げられ(以下「掘下げ水路」という。)、この岸壁に接岸する船舶は、港則法で定められた水深21ないし25メートルの航路を西進し、清水港外防波堤南灯台(以下「外防波堤南灯台」という。)を航過したあと、掘下げ水路に入るため約120度となる大角度の右転をする必要があった。
掘下げ水路周辺は、南側が水深11ないし16メートル、北側が9ないし13メートルで、興津第1ふ頭及び同第2ふ頭の南側に10メートル以下の浅所があり、喫水が深いエ号にとって操船水域が制限され、同水路の外に出ないよう十分な注意を要するところであった。
A受審人は、平成15年8月エ号が清水港に初めて寄港した際、新興津ふ頭から出航した同船のきょう導にあたっており、入航時にきょう導するのは初めてであったが、乗船したとき操船資料を見る習慣がなく、C船長からも説明がなかったので、正確な旋回径を把握していないまま、それまでに何度も大型船をきょう導した経験から同船の旋回径を船の長さの3ないし3.5倍と推定し、また、実際に操船すれば旋回径を把握できるので事前に確かめる必要を感じなかった。
A受審人は、大角度の右転をして掘下げ水路に入る操船方法として、舵効きをよくするため微速力前進で航路に入った後、外防波堤南灯台に並航したら右舵一杯とし、徐々に減速しながら旋回して掘下げ水路に入り、コンテナ岸壁との角度がほぼ21度となる032度の針路として同岸壁に接近する予定で、その際多少北方に寄って掘下げ水路の外に出ても引船とサイドスラスタを使用して南方に戻すことにより興津第1ふ頭及び同第2ふ頭南側の浅所をかわすことができ、浅所への接近状況は、自ら周囲の陸上物標を見るだけで分かると考えていた。
ところが、エ号の操縦性能表によれば、A受審人が考えていた転舵地点で右舵一杯をとったとしても、回頭角度が90度となったときに掘下げ水路の外に出ることが予想され、転舵のみにより予定針路に乗せることは困難で、興津第1ふ頭及び同第2ふ頭の南側の浅所に接近する危険があり、掘下げ水路に入るころ一旦行きあしを止め引船とサイドスラスタを使用して確実に岸壁接近針路に向けるのが安全な操船方法であった。
エ号は、船橋にC船長のほか当直の三等航海士と甲板手の3人が、機関室に機関長ほか機関士3人及び機関員2人がそれぞれ配置に就き、主機及びサイドスラスタをスタンバイとし、レーダー2台、自動衝突予防援助装置、GPS、音響測深機、ドップラー式ログを使用していた。
A受審人は、英語による乗組員との意思疎通に支障がなく、C船長に対し、引船を1隻使用してコンテナ岸壁に左舷係留すること、右舷船尾にタグラインを取り、岸壁に接近したらスプリングラインを先に取るように告げ、船橋前面の中央で操船にあたり、手動操舵に就いた甲板手に英語で操舵号令を告げながら、機関を微速力前進にかけてきょう導を開始した。
10時34分A受審人は、外防波堤南灯台から103度740メートルの地点に達したとき、出力2,794キロワットの引船のタグラインを右舷船尾に取るとともに、針路を275度に定め、舵効きをよくするため機関を微速力前進にかけたまま、8.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
10時37分A受審人は、外防波堤南灯台を右舷側100メートルに並航したとき右舵一杯を令し、その後徐々に速力が低下しながら回頭し、10時40分外防波堤南灯台から290度640メートルの地点で、ほぼ000度を向首して掘下げ水路に入り、そのまま舵のみで回頭を続ければ掘下げ水路の外に出る状況であったが、予定針路に乗せるため、機関を後進にかけて一旦行きあしを止め、引船及びサイドスラスタを使用して回頭措置を十分にとることなく、右舵一杯及び微速力前進のまま続航した。
A受審人は、その後船橋内の左舷側に移動して操船にあたり、船長及び当直航海士に対し、船首方向、船位、速力、水深などの操船情報を適宜知らせるよう要請せず、また、乗組員から積極的に操船情報の提供が行われないまま、10時41分少し過ぎ外防波堤南灯台から303度800メートルの地点に達したとき、陸上物標を見て、予定針路よりも北方に偏位し掘下げ水路の外に出ていることが分かり、そのまま進行すれば興津第1ふ頭南側の浅所に乗り揚げるおそれがあったが、まだ余裕があると思い、直ちに機関を全速力後進にかけて行きあしを止める措置を十分にとることなく進行した。
10時43分半A受審人は、037度に向首したとき、左舷側至近に迫った興津第2ふ頭を見て乗揚の危険を感じ、ようやく機関を停止するとともに舵中央としたが、機関を後進にかけないまま、右回頭を早めるためサイドスラスタの使用を船長に要請し、引船に右舷船尾を押すように告げたものの、興津第1ふ頭南側の浅所に接近するおそれがあったのですぐに中止させて引き方用意を指示した。
10時44分半A受審人は、C船長からGPSの表示速力が2.9ノットである旨告げられ、目測ではそれほど行きあしがないと思ったものの、行きあしを止めて引船とサイドスラスタを使用して南方に移動することとし、機関を微速力後進にかけ、次いで全速力後進としたが及ばず、10時45分エ号は、興津防波堤灯台から185度100メートルの地点において、037度に向首したまま、船首部左舷側船底が水深9ないし10メートルの前示浅所に乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力2の北西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期にあたり、潮高は1.3メートルであった。
乗揚後A受審人は、引船と機関を使用して離礁を試みたが成功せず、応援の引船4隻を要請し、合計5隻の引船と機関を使用して引き下ろそうとしたものの、離礁することができず、13時ころ一旦作業を中止して潮位が上がるのを待った。そして、16時30分引船5隻で引下ろし作業を再開し、18時30分ようやく離礁し、18時55分予定より8時間遅れてコンテナ岸壁に係留した。
乗揚の結果、船首から後方約40メートルにわたる左舷側船底に幅30ないし50センチメートルの擦過傷が生じた。
(本件発生に至る事由)
1 大角度の右転をする必要があったこと
2 操船水域が制限されていたこと
3 A受審人が転舵地点で右舵一杯をとって旋回し掘下げ水路の外に出ても興津第1ふ頭及び同第2ふ頭の南側の浅所をかわすことができると認識していたこと
4 掘下げ水路に入るとき、A受審人が機関を後進にかけて一旦行きあしを止め、引船及びサイドスラスタを使用して回頭措置を十分にとらなかったこと
5 A受審人が船長及び当直航海士に操船情報を適宜知らせるよう要請しなかったこと
6 乗組員からA受審人に対し、積極的に操船情報の提供が行われなかったこと
7 堀下げ水路の外に出たとき、A受審人が直ちに機関を後進にかけて行きあしを止める措置を十分にとらなかったこと
(原因の考察)
コンテナ岸壁に向かうエ号が、航路から掘下げ水路に入るとき、機関を後進にかけて一旦行きあしを止め、引船及びサイドスラスタを使用して回頭措置を十分にとらなかったこと及び堀下げ水路の外に出たとき、直ちに機関を後進にかけて行きあしを止める措置を十分にとらなかったことは、本件発生の原因となる。
大角度の右転をする必要があったこと及び操船水域が制限されていたことは、本件発生に至る過程で関与した事実であるが、適切な措置をとることにより本件発生を回避できたことから、原因とするまでもない。
また、A受審人が、転舵地点で右舵一杯をとって旋回し掘下げ水路の外に出ても興津第1ふ頭及び同第2ふ頭の南側の浅所をかわすことができると認識していたこと並びに船長及び当直航海士に操船情報を適宜知らせるよう要請しなかったこと並びに乗組員からA受審人に対し、積極的に操船情報の提供が行われなかったことは、いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが、本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら、これらは、海難防止の観点から是正されるべき事項である。
(海難の原因)
本件乗揚は、静岡県清水港において、コンテナ岸壁に係留するため、操船が制限された水域で大角度の右転をして掘下げ水路に入る際、回頭措置が十分でなかったばかりか、同水路の外に出たとき、行きあしを止める措置が不十分で、興津第1ふ頭南側の浅所に向け進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、静岡県清水港において、操船が制限された水域で大角度の右転をしながらコンテナ岸壁に向け進行中、掘下げ水路の外に出た場合、前方に浅所が接近していたのだから、直ちに機関を後進にかけて行きあしを止める措置を十分にとるべき注意義務があった。しかし、同人は、まだ余裕があると思い、直ちに機関を後進にかけて行きあしを止める措置を十分にとらなかった職務上の過失により、興津第1ふ頭南側の浅所に接近して乗揚を招き、船首部左舷側船底に擦過傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の清水水先区水先の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。
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