(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成16年1月14日06時56分
北海道苫小牧港
(北緯42度39.1分 東経141度41.8分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
貨物船むさしの丸 |
貨物船豊津丸 |
総トン数 |
3,863トン |
497トン |
全長 |
113.39メートル |
73.50メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
6,178キロワット |
1,176キロワット |
(2)設備及び性能等
ア むさしの丸
むさしの丸は、平成2年11月にB社で進水した限定近海区域を航行区域とする船尾船橋型の鋼製コンテナ運搬船で、船橋楼前部の上甲板下に貨物倉が7箇配置され、同楼上部の操舵室には、中央にジャイロコンパス組込の操舵スタンド、同スタンドの左舷側に主機遠隔操縦装置、同右舷側にレーダーが3台設置され、同室外の両舷にウイングが設けられていた。上甲板上には、各倉上を前後に移動可能で、貨物を左舷船外に最大4.5メートル移動可能な電動式ガントリクレーンが1台装備されていた。なお、同クレーンの構造上、岸壁着岸時には、左舷着け係留の必要があった。
推進装置として1機1軸の可変ピッチプロペラ、操船補助装置として船首垂線から約9メートル後方に推力5.7トンの可変ピッチ式電動バウスラスタ及び船尾垂線から約8メートル前方に推力6.5トンの同方式のスターンスラスタがそれぞれ装備されており、両舷ウイングに両スラスタの遠隔制御盤が設置され、離着岸操船時にはプロペラ、舵及び両スラスタを併用することができるようになっていた。
同船は、主として京浜港東京区、苫小牧港、広尾港及び釧路港の諸港間において、東京区、苫小牧両港間で4日間及び広尾、釧路両港経由で5日間の航海日数で、C社の定期コンテナ輸送に従事し、平素、コンテナをガントリクレーンで上甲板上に2段積み上げていた。この積載状態で平均喫水が5.00メートルの時に、水線上の正面投影面積が約237平方メートル、同側面投影面積が約952平方メートルであった。
イ 豊津丸
豊津丸は、平成2年8月にD社で進水した限定沿海区域を航行区域とする船尾船橋型の鋼製貨物船で、船橋楼前部の甲板下に貨物槽1箇が、同楼上部に操舵室がそれぞれ配置されていた。
(3)苫小牧港
苫小牧港は、北海道南岸の太平洋に面した平坦な砂浜を掘り込んで築造された港湾で、西港区と東港区とからなり、秋季から春季にかけて北寄りの風が卓越するところに位置していた。
苫小牧港勇払ふ頭は、西港区の東部最奥にあり、苫小牧西防波堤灯台から053度(真方位、以下同じ。)2.83海里の地点にある勇払信号所から066度2,190メートルの掘込水路北端から155度590メートルの同水路東端までの間に、北から順に長さ165メートル水深9メートルの勇払ふ頭6号岸壁(以下、岸壁名の冠称「勇払ふ頭」を省略する。)、長さ240メートル水深12メートルの5号岸壁、長さ130メートル水深7.5メートルの4号岸壁が、また、掘込水路東端(以下「4号南東端」という。)から245度710メートルの間に、東から順に長さ130メートル水深7.5メートルの3号岸壁、長さ185メートル水深10メートルの2号岸壁及び長さ280メートル水深12メートルの1号岸壁が築造されていた。なお、4号から6号までの岸壁には、ビットが、4号南東端付近の30番から掘込水路北端付近の57番まで、約20メートル間隔で28個設けられていた。
また、苫小牧港では、苫小牧海上交通安全協議会が、平成8年に、同港に入港する船舶の船長に対し、港内及び港界付近における船舶交通の安全を図るため、入出港時に信号所に通報することなどの遵守要望事項を記載した文書を作成配布していた。同記載事項のうち、むさしの丸に関係する事項は以下の通りであった。
ア 総トン数6,000トン未満の船舶には、水先人の乗船を推奨するが、当港に常時入出航する船舶で当港の港湾事情を熟知している船舶については、船長判断によることができる。
イ 総トン数2,000トン以上6,000トン未満の船舶は、1隻以上の曳船を使用することが望ましい。
ウ スラスタ装備船であっても、深喫水船で回頭を伴う場合又は強風時下においては、適当な馬力の曳船1隻以上を極力使用すること。
3 事実の経過
むさしの丸は、A受審人ほか11人が乗り組み、アセチレン原料である危険物のカルシウムカーバイトを含むコンテナ貨物を合計143個1,149トン積載し、コンテナを上甲板上に2段積み上げ、船首4.09メートル船尾5.85メートルの喫水をもって、平成16年1月12日20時40分京浜港東京区を発し、前示4号岸壁に左舷着けの予定で苫小牧港に向かった。
ところで、A受審人は、船橋当直体制を、00時から04時まで及び12時から16時までを二等航海士に、04時から08時まで及び16時から20時までを三等航海士に、08時から12時まで及び20時から24時までを一等航海士にそれぞれ受け持たせ、各直に甲板部員1人を配する2人1組の4時間3直制とし、入出港時、視界制限時、狭水道通航時、荒天時、漁船等船舶輻輳時及び不安を感じたときには起こすように指示して必要に応じ、自ら昇橋して操船指揮を執っていた。また、入港時には、岸壁近くまでは、船橋にテレグラフ操作の機関長、レーダー監視の二等航海士、見張り兼連絡の三等航海士及び操舵の甲板部員並びに操船指揮を執る自らの5人が、船首に指揮の一等航海士、ウインドラス操作の甲板長及び甲板作業の甲板部員の3人をそれぞれ配置し、岸壁に接近して右舷錨を投下させ、機関を停止回転にしたのちには、船橋配置に就いていた二等航海士、三等航海士及び甲板部員の3人を船尾配置に就かせ、船橋に残った機関長を主機遠隔操縦装置の後ろに配置して同操縦に当たらせ、自ら左舷ウイングに出てバウ、スターン両スラスタの遠隔制御盤の後部に立ち、スターンスラスタのみを使用して着岸操船を行っていた。
また、むさしの丸に装備のスラスタと風圧力の関係については、発航時の喫水でバウ、スターン両スラスタの合計推力と風圧力とが拮抗する風速が、相対風向150度で毎秒約18メートル、130度で毎秒約15メートル及び90度で毎秒約13メートルであり、スターンスラスタのみの使用では、相対風向150度で毎秒約12メートル、130度で毎秒約10メートル及び90度で毎秒約9メートルであった。
A受審人は、航海士で乗船していたときの経験と前任船長からの引継ぎとにより、平均風速が毎秒10メートルを超えると、スターンスラスタの推力が低く、同スラスタのみによる着岸操船ができなくなることから、このような気象状況のときには、入港着岸を見合わせるか、タグボートを使用する必要があることを知っていた。
こうして、A受審人は、翌々14日05時ころ苫小牧港の港口から南方約20海里付近を北上中に昇橋して操船指揮に就き、同時30分三等航海士に500トン以上の船舶の入出港管制を行う苫小牧信号所に、東防波堤南端を06時10分ころ通過する予定を電話で連絡させたとき、同信号所の管制官から、同信号所では毎秒13メートルの北西風を観測している旨の情報を入手した。
06時00分A受審人は、苫小牧西防波堤灯台から196.5度1,950メートルの地点に達し、風速毎秒15メートルの北西風が吹いていることを認めたとき、前示管制官から西港区内の強風の情報も得ており、4号岸壁への着岸操船時に、スターンスラスタの推力不足によって船尾が風下に圧流されるおそれのあることを予測できたが、朝一番に届ける宅配物があって時間調整をせずにそのまま着岸する必要のあることや、これまでの経験から、勇払ふ頭が港内の奥まったところにあるので風速が同信号所の観測値より弱まる場合が多かったことから、着岸時までには風速が毎秒10メートル以下に落ち、いつものように同スラスタのみによる着岸操船ができるものと思い、代理店に連絡してタグボートの手配がつくまで港外で待機するなど、操縦性能に関わる風圧力の影響について十分に配慮することなく、入港用意を令して乗組員を配置に就かせ、同時08分同灯台から198度620メートルの地点で東防波堤南端を通過したとき、針路を030度に定め、機関を可変ピッチプロペラ翼角(以下「翼角」という。)12度の港内全速力前進にかけ、11.0ノット(対地速力、以下同じ。)の速力で、手動操舵により掘込水路に沿って進行した。
06時15分少し前A受審人は、苫小牧西防波堤灯台から034度1,730メートルの地点に至ったとき、勇払ふ頭に向けて針路を063度に転じ、同時25分半少し過ぎ勇払信号所から148度180メートルの地点で、機関を翼角10度の半速力前進として速力を8.0ノットに、同時27分半少し前7.0ノットに、同時29分半少し過ぎ5.0ノットにそれぞれ減速し、同じ針路のまま、折からの平均風速毎秒15メートルの北西風によって右方に2度圧流されながら続航した。
06時31分半A受審人は、勇払信号所から074度1,220メートルの地点に至ったとき、機関を翼角3度の舵効のある最低速力にかけ、速力を3.0ノットに減じるとともに、針路を066度に転じ、右方に1度圧流されながら続航した。
06時34分半少し過ぎA受審人は、勇払信号所から072.5度1,500メートルの地点に差し掛かったとき、右舷船首方約700メートルの4号岸壁の南側に、右舷着けで3号岸壁に着岸している豊津丸を認めるとともに、風速が落ちずにかえって強くなり、瞬間毎秒17メートルないし20メートル平均毎秒15メートルの北西風が吹いていることに気付いたものの、ここまで入港してきており、掘込水路が狭いことや、管制信号が入港信号になっていることもあって引返すことができないことから、着岸を強行することとし、同時36分半船首方の5号岸壁まで500メートルになったとき、右舵一杯を令し、その後ゆっくり右回頭しながら、同時38分少し過ぎ船首方の4号南東端まで500メートルになったとき、舵中央及び機関を翼角0度の停止を令したのち、船尾配置の3人を降橋させ、自ら左舷ウイングに出て着岸操船を開始し、バウスラスタ翼角0度のままスターンスラスタを左舷最大翼角18度まで上げ、微弱な行きあしで進行した。
06時40分A受審人は、勇払信号所から076度2,030メートルの地点で、4号南東端まで270メートルとなったとき、船首が103度を向き、強風により船体が圧流されて豊津丸に衝突するおそれのある態勢で接近していることに気付き、急いで右舷錨の投下及びヘッドライン、フォアードスプリング及びスターンラインの繰り出しを命じ、間もなく、綱取りボートがヘッドラインを31番ビットに、同スプリングを34番ビットにそれぞれ取ったものの、長さが足りずにスターンラインを39番ビットに取ることができず、スターンスラスタを左舷最大翼角の18度に上げたままで着岸操船を続けたが、風圧によって船尾がゆっくり右方に回り始め、同時47分4号南東端まで180メートルとなったとき、船首が065度を向き、同時50分船首が同方位のまま、4号南東端まで140メートル及び右舷後部が豊津丸の左舷後部まで40メートルとなったとき、更に船尾が右方に圧流されるのを認め、同船と衝突するおそれを感じ、とりあえず豊津丸の後方の2号岸壁まで後退することとし、急いで右舷錨の巻込みを令すとともに、同スラスタの翼角をそのままで、機関を後進翼角3度、引き続き後進翼角5度にかけた。
A受審人は、06時53分勇払信号所から082度2,050メートルの地点で、船首が049度に向き、4号南東端まで200メートル、右舷前部が豊津丸の左舷後部まで25メートルとなったとき、船尾配置の二等航海士から2号岸壁まで約10メートルで近いと報告があり、スターンスラスタを左舷最大翼角18度のまま、急を知って船尾から昇橋した三等航海士を操舵に就かせて左舵一杯にとり、機関の後進を止めて翼角0度、引き続き前進翼角5度にかけ、船首を左方に回頭させるとともに船尾を右方に振り出しながら進行中、06時56分勇払信号所から081.5度2,160メートルの地点において、むさしの丸は、船首が021度に向き、2.0ノットの速力になったとき、その右舷後部が、豊津丸の左舷船尾に前方から44度の角度で衝突した。
当時、天候は雪で風力7の北西風が吹き、潮候は上げ潮の末期に当たり、日出時刻は07時01分で、胆振地方に強風注意報が発表されていた。
また、豊津丸は、船長G(四級海技士(航海)免状受有)ほか5人が乗り組み、石灰石1,505トンを積み、船首3.5メートル船尾4.7メートルの喫水をもって、平成16年1月7日14時50分大分県津久見港を発し、同月12日20時00分苫小牧港に入港し、船首を065度に向けて3号岸壁に右舷着け係留した。
豊津丸は、翌13日07時45分揚荷役を開始したが、10時05分吹雪のため荷揚げを中断し、3号岸壁に係留したまま待機していたところ、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、むさしの丸は右舷船尾外板に破口を伴う凹損を、豊津丸は左舷船尾外板に凹損等の損傷をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(本件発生に至る事由)
1 A受審人が、風速が毎秒10メートル以下に落ちると思ったこと
2 A受審人が、タグボートを手配しなかったこと
3 A受審人が、入港着岸を強行したこと
(原因の考察)
本件は、日出前の薄明時、北西風が強吹する状況下の苫小牧港において、4号岸壁に左舷着け着岸操船中のむさしの丸が、強風により3号岸壁係留中の豊津丸に向かって圧流され、衝突に至ったものである。
苫小牧海上交通安全協議会のむさしの丸に関係する遵守事項を考慮すれば、強風下でなくても1隻以上の曳船を使用することが望ましく、さらに、スラスタ装備船であっても、深喫水船で回頭を伴う場合又は強風時下においては、適当な馬力の曳船1隻以上を極力使用することが推奨、要望されていた。
A受審人が、苫小牧信号所管制官から同信号所では風速毎秒13メートルの北西風を観測している旨の情報を得たうえで、同港入港直前に毎秒15メートルの強風が吹いていることを知った際に、たとえ経験的に港奥の勇払ふ頭で風が弱まることが多かったとしても、強風が連吹することも考えられることや、むさしの丸の構造上4号岸壁に左舷着けする必要があり、その強風を左舷船尾に受けながら、右舷錨を投錨したのちにスターンスラスタのみを使用するいつもの操船要領では、同スラスタの推力が不足し、着岸が困難となることを予測できたのであるから、この時点で、代理店に連絡してタグボートの手配がつくまで港外で待機し、同ボートの支援を得ていたならば、本件発生を避けることができたものと認められる。
これらのことから、A受審人が、操縦性能に関わる風圧力の影響について十分に配慮しなかったことは、本件発生の原因となる。
(海難の原因)
本件衝突は、日出前の薄明時、北西風が強吹する状況下の苫小牧港において、むさしの丸が、操縦性能に関わる風圧力の影響についての配慮が不十分で、入港を強行して4号岸壁に左舷着け着岸操船中、強風により船尾が3号岸壁に係留中の豊津丸に向けて圧流されたことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、日出前の薄明時、北西風が強吹する状況下の苫小牧港において、苫小牧信号所から平均風速毎秒13メートルの北西風が吹いている旨の情報を入手したうえで、同港入港直前に毎秒15メートルの強風が吹いていることを知った場合、風速が毎秒10メートルを超えると、スターンスラスタが効かなくなることを経験的に知っていたのであるから、安全に着岸できるよう、代理店に連絡してタグボートの手配がつくまで港外で待機するなど、操縦性能に関わる風圧力の影響について十分に配慮するべき注意義務があった。ところが、同受審人は、これまでの経験から、勇払ふ頭が港内の奥まったところにあるので風速が同信号所の観測値より弱まり、着岸時までには風速が毎秒10メートル以下に落ち、いつものように、右舷錨を投下したのちにスターンスラスタのみによる着岸操船ができるものと思い、操縦性能に関わる風圧力の影響について十分に配慮しなかった職務上の過失により、4号岸壁に着岸操船中、強風により船尾が圧流され、3号岸壁に係留中の豊津丸との衝突を招き、むさしの丸の右舷船尾外板に破口を伴う凹損を、豊津丸の左舷船尾外板に凹損等の損傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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