(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年6月16日08時20分
青森県八戸港
(北緯40度33.5分 東経141度31.9分)
2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 |
貨物船第二東洋丸 |
油送船第七冨士丸 |
総トン数 |
4,428トン |
1,594トン |
全長 |
120.00メートル |
86.45メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
7,060キロワット |
2,206キロワット |
(2)設備及び性能等
ア 第二東洋丸
第二東洋丸(以下「東洋丸」という。)は、平成元年4月に進水した限定近海区域を航行区域とする船首船橋型の自動車運搬船兼貨物船で、広島港を基地として八戸港及び苫小牧港の各港間で車両及び紙製品の運搬に従事していた。
船橋前面から船首端までは約38メートルで、船橋前壁中央には、操船用のレピーターコンパスがあり、その後方約1メートルには操舵スタンド、同スタンドの左舷側にレーダー2基、右舷側に機関操縦台が、レーダー後方の船橋後壁には無線電話(以下「VHF」という。)が、据え付けられていた。
航海速力は、主機回転数毎分148で18.0ノット、港内全速力が10.0ノット、半速力が8.5ノット、微速力が5.5ノット、極微速力が4.5ノット、舵効きのある最低速力が3.0ノットであった。
操縦性能は、主機回転数毎分158における最大横距及び最大縦距が、左・右旋回ともに概略395メートル及び370メートル、また、後進発令から主軸後進回転起動までに要する時間が2分50秒で、最短停止時間及び同距離がそれぞれ5分16秒及び1,636メートルで、舵中央から舵角35度までの及び回頭角30度の所要時間が、それぞれ13.4秒及び26秒であった。
イ 第七冨士丸
第七冨士丸(以下「冨士丸」という。)は、平成8年9月に進水した限定沿海区域を航行区域とする可変ピッチプロペラを装備した船尾船橋型の油送船で、京浜港、千葉港、四日市港、水島港及び菊間港を積み地とする不定期船で、日本各地の港への、ガソリン、軽油等の運搬に従事していた。
船橋前面から船首端までは約65メートルで、船橋前壁中央には、操船用のレピーターコンパスがあり、その左舷側の前壁にVHFが、同コンパスの後方約1メートルには操舵スタンドが、同スタンドの左舷側にレーダー2基、右舷側に機関操縦台が、据え付けられていた。
港内全速力は、主機回転数毎分230において、翼角16.5度で13.0ノット、半速力が翼角7度で9.0ノット、微速力が翼角5度で6.0ノット、極微速力が翼角2.5度で5.0ノット、翼角0度で3.0ノット、舵効きのある最低速力が2.0ノットであった。
操縦性能は、主機回転数毎分250における横距及び縦距が、左・右旋回ともに概略130メートル及び225メートル、また、後進発令から主軸後進回転起動までに要する時間が22秒で、最短停止時間及び同距離がそれぞれ2分51秒及び565メートルであり、舵中央から舵角35度までの及び回頭角30度の所要時間が、それぞれ9.4秒及び22.2秒であった。
3 事実の経過
東洋丸は、A受審人ほか10人が乗り組み、車両330台シャーシ31台コンテナ14本を積載し、船首4.78メートル船尾6.23メートルの喫水をもって、平成15年6月16日08時03分八戸港第3区八太郎2号ふ頭を発し、同港第3区防波堤入口(以下「防波堤入口」という。)を経て、苫小牧港に向かった。
ところで、防波堤入口は、ほぼ東西に湾曲した八太郎北防波堤と南北に湾曲した八太郎中央防波堤とに挟まれ、最狭部の水路幅は500メートルであった。
A受審人は、発航地点から防波堤入口に至るまで約2,500メートルあり、離岸して約500メートル北上した後、右転して湾曲した八太郎北防波堤に沿って、防波堤入口へ向かうことにしていた。
A受審人は、離岸操船指揮を執る際に、霧のため付近の視程が1海里に狭められ、八戸港八太郎北防波堤灯台(以下「北防波堤灯台」という。)の東側から北側に霧堤が存在していたので、航行中の動力船の灯火を掲げ、機関長を機関操作に付け、一等航海士及び二等航海士をレーダー監視に付け、操舵手を操舵配置に付けて手動操舵により港外に向かった。
A受審人は、その後、レーダー監視の航海士から、北防波堤灯台の北方0.3海里付近の霧堤の中に、冨士丸の映像が存在する旨の報告を得て、08時14分半北防波堤灯台から250度(真方位、以下同じ。)1,200メートルの地点に達したとき、防波堤内が視界制限状態となる前に防波堤外に出ようとして、機関を港内全速力前進の10.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、針路を113度として進行した。
定針したとき、防波堤入口沖合の霧堤の中に汽笛を聞いたA受審人は、左舷船首54度1,630メートルのところに、レーダーで入航中の冨士丸の映像を探知して南下中と判断し、しばらくして霧堤内に入り、防波堤内の視程が急激に悪化して防波堤の入口付近が見えなくなり、視界制限状態となったので、同船に左舷を対して航過するようVHF16チャンネルで呼びかけるように二等航海士に指示し、同船の応答を確認しないまま、霧中信号を吹鳴しながら続航した。
08時16分半少し前A受審人は、北防波堤灯台から223度880メートルの地点に達したとき、防波堤入口の中央に向かうため針路を055度に転じたところ、左舷船首10度1,260メートルのところに、冨士丸の映像を探知するところとなった。
08時17分A受審人は、北防波堤灯台から220度680メートルの地点に達したとき、航海士から冨士丸の映像が1,020メートルに接近して顕著な方位変化がない旨の報告を受け、同船と防波堤の入口で著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、汽笛を鳴らすとともに同船にVHFで呼びかけたので大丈夫と思い、針路を保つことのできる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行きあしを止めることなく進行した。
08時19分A受審人は、北防波堤灯台から155度180メートルの地点に達したとき、速力を半速力前進の8.5ノットに減じ、さらに、08時19分半少し前針路を060度に転じて続航中、08時20分少し前左舷船首至近に冨士丸の船首部を視認し、慌てて右舵一杯、機関停止、次いで全速力後進としたが及ばず、08時20分北防波堤灯台から100度300メートルの地点において、東洋丸は、船首が090度に向いたとき、7.0ノットの速力でその船首が、冨士丸の右舷船首部に前方から77度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力2の北風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、視程は100メートルであった。
また、冨士丸は、C受審人ほか8人が乗り組み、ガソリン、軽油及び灯油合計3,260キロリットルを積載し、船首4.6メートル船尾5.6メートルの喫水をもって、同16日07時50分北防波堤灯台から049度1,900メートルの八戸港港外の錨泊地点を発し、同港防波堤入口を経て、同港第3区河原木5号桟橋に向かった。
抜錨に際し、代理店から防波堤内の視界は良いとの連絡を受けたC受審人は、霧のため視程が250メートルの視界制限状態であったので、航行中の動力船の灯火を掲げ、霧中信号を行い、機関長を機関操作に付け、二等航海士をレーダー監視に付け、三等航海士を手動操舵に付け、船首に一等航海士ほか2人を配置し、防波堤入口に向けて進行した。
08時06分C受審人は、針路185度で、翼角を2.5度の微速力前進にかけて南下中、レーダーで右舷船首40度1.5海里のところに東洋丸の映像を初めて探知して進行し、08時10分北防波堤灯台から013度890メートルの地点に達したとき、針路を防波堤入口中央に向く173度に定め、機関回転数毎分230、翼角を0度として3.0ノットの速力で続航した。
08時14分半C受審人は、東洋丸からVHF16チャンネルで左舷を対して通過する呼びかけがあったので、6チャンネルに切り替えて応答したものの、東洋丸の返事がないまま進行した。
08時16分半少し前C受審人は、北防波堤灯台から048度380メートルの地点に達したとき、東洋丸の映像を右舷船首52度1,260メートルに探知し、その後、同船が防波堤入口に向かう出航船であることを知り、08時17分北防波堤灯台から054度350メートルの地点に達したとき、同船の映像を同方位1,020メートルに探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、東洋丸からVHFで呼びかけがあったので、互いに認識していれば何とか航過できるものと思い、速やかに行きあしを止めることなく続航した。
C受審人は、08時19分二等航海士から東洋丸が接近している旨の報告を受け、同じ針路・速力で進行中、08時20分少し前右舷至近に同船の船首部を視認して右舵一杯、全速力後進としたが、及ばず、冨士丸は、船首が193度に向いたとき、2.0ノットの速力で、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、東洋丸は正船首部に破口を伴う凹損を生じ、冨士丸は、右舷船首部に破口を伴う凹損を生じたが、のちいずれも修理された。
(航法の適用)
本件衝突は、防波堤入口で発生しているので、港則法に定める海域であり、まず一般法である海上衝突予防法(以下「予防法」という。)の特別法である港則法が適用される。
しかし、当時、天候は霧で視程が100メートルの視界制限状態にあり、港則法に規定する避航に関する航法については、予防法第40条で「同法第11条の規定は、他の法令において定められた避航に関する事項について準用する。」と規定していることから、互いに両船が視野の内にある場合について適用されるので、港則法第15条の適用はない。
また、事実認定したように両船の針路模様から、互いに視野内になったときの見合い関係における予防法第15条の適用について検討する。
当時、100メートルの視界制限状態であり、両船が互いに視認できる状況となったとき、両船の操縦性能を考慮すると切迫した衝突の危険のある状況と認められるので、予防法第15条横切り船の航法の適用はない。
したがって、本件は、予防法第40条により、予防法第19条を適用するのが相当である。
(本件発生に至る事由)
1 東洋丸
(1)レーダーで探知した冨士丸に対してVHFで呼びかけた際、同船の応答を確認しなかったこと
(2)視界が制限された状況下、レーダーにより前路に探知した冨士丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこと
2 冨士丸
(1)VHFで東洋丸から呼びかけがあった際、同船の呼びかけを確認しなかったこと
(2)視界が制限された状況下、レーダーにより前路に探知した東洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、必要に応じて行きあしを止めなかったこと
(原因の考察)
本件衝突は、霧のため視界制限状態の青森県八戸港において、出航中の東洋丸が、レーダーにより前路に探知した冨士丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、入航中の冨士丸が、レーダーにより前路に探知した東洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
したがってA受審人が、視界が制限された状況下、レーダーにより前路に探知した冨士丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことは、本件発生の原因となる。
一方、C受審人が、視界が制限された状況下、レーダーにより前路に探知した東洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、必要に応じて行きあしを止めなかったことは、本件発生の原因となる。
A受審人が、レーダーで探知した冨士丸に対してVHFで呼びかけた際、同船の応答を確認しなかったことと、C受審人が、VHFで東洋丸から呼びかけがあった際、同船の呼びかけを確認しなかったことは、いずれも本件発生に至る過程において関与した事実であるが、本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら、これらは海難防止の観点から是正されるべき事項である。
(海難の原因)
本件衝突は、霧のため視界制限状態の青森県八戸港において、出航中の東洋丸が、レーダーにより前路に探知した冨士丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、入航中の冨士丸が、レーダーにより前路に探知した東洋丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、霧のため視界が制限された青森県八戸港を出航中、レーダーで正横より前方に入航中の冨士丸の映像を探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、汽笛を鳴らすとともに冨士丸にVHFで呼びかけたので大丈夫と思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、冨士丸との衝突を招き、東洋丸の船首部に破口を伴う凹損を、冨士丸の右舷船首部に破口を伴う凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は、霧のため視界が制限された青森県八戸港へ入航中、レーダーで正横より前方に出航中の東洋丸の映像を探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、東洋丸からVHFで呼び出しがあったので、互いに認識していれば何とか航過できるものと思い、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、東洋丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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